2024年11月01日 08:21 ITmedia NEWS
ノルウェー科学技術大学やノルウェー文化遺産研究所などに所属する研究者らが発表した論文「Corroborating written history with ancient DNA: The case of the Well-man described in an Old Norse saga」は、ノルウェーの古代文献に登場する「井戸に投げ込まれた男」の正体が、最新のDNA解析技術によって800年の時を経て明らかにした研究報告である。
事の発端は、12世紀後半に書かれた「Sverris Saga」(スヴェレのサガ)という古ノルド語の歴史文献にさかのぼる。全182節からなるこのサガには、スヴェレ・シグルツソン王の事績が記されており、その中に興味深い一節がある。王の城が敵対勢力に襲撃された際、攻撃者たちが「ある死体を城の井戸に投げ入れ、その上から石を積み上げた」という記述である。この井戸は城壁内に位置する唯一の永続的な水源だった。
1938年、この記述の信ぴょう性を裏付けるような発見があった。城跡の中世の井戸を部分的に排水したところ、がれきと巨石の下から一体の人骨が見つかったのである。「井戸の男」と名付けられたこの人骨は、サガに登場する人物のものではないかと考えられてきたが、当時の技術では確認する術がなかった。
現代の科学技術が、この800年来の謎を解き明かす糸口を提供した。研究チームは、遺体から採取した歯のDNA分析と放射性炭素年代測定を実施。その結果、この男が生存していた年代が1153~1277年(92.9%の確率)と推定され、サガに記された事件の年代(1197年)と一致することを確認できた。
さらにDNA分析からは、この男の容姿や出自に関する新たな知見も得られた。分析結果によると、彼は青い目を持ち、金髪か薄い茶色の髪色をしていた可能性が高い。また、現代および古代のノルウェー人のDNAとの比較分析から、彼の先祖は現在のノルウェー最南端に位置するヴェスト・アグデル地方の出身であることも推測できた。
興味深いのは、この事件の背景に関する仮説である。一部の研究者は「これが中世における生物戦争の初期の例ではないか」と推測している。病気に感染した死体を水源に投げ込むことで、井戸を飲用不可能にする目的があった可能性があるという。
しかし、研究チームは遺体の歯から病原体のDNAの検出を試みたが、特定の病原体は見つからなかった。ただし、歯のサンプルの前処理過程(セメント質とエナメル質の除去、紫外線照射)により、たとえ存在していたとしても病原体のDNAが除去された可能性があると指摘している。研究チームは現時点で、この仮説を裏付けるあるいは否定する証拠は見つけられていないとしている。
Source and Image Credits: Ellegaard et al., Corroborating written history with ancient DNA: The case of the Well-man described in an Old Norse saga, iScience(2024), https://doi.org/10.1016/j.isci.2024.111076
※Innovative Tech:このコーナーでは、2014年から先端テクノロジーの研究を論文単位で記事にしているWebメディア「Seamless」(シームレス)を主宰する山下裕毅氏が執筆。新規性の高い科学論文を山下氏がピックアップし、解説する。X: @shiropen2