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「人間には陰謀論的な思考回路がつねにある」 作家・小川哲が『スメラミシング』で描いた信仰と宗教

2024年10月30日 17:10  CINRA.NET

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Text by 大畑陽子
Text by 生田綾
Text by 南麻理江

2015年にデビューし、2023年に満州を舞台にした長編『地図と拳』で『直木賞三十五賞』を受賞した小説家の小川哲が、新作『スメラミシング』(河出書房新社)を10月10日に刊行した。6つの短編から成る作品集で、信仰や宗教、陰謀論がテーマとなっている。

小川は、人にはそもそも陰謀論的な思考回路がつねに備わっており、さらに小説というジャンルは、「人々が陰謀論を信じるための想像力の土台をつくっている」と語る。

いったいどういうことなのだろう? 人間と信仰の関係や、小説の題材に陰謀論を選んだ理由について、インタビューで聞いた。

―『スメラミシング』は6編の短編が収録されており、すべて宗教や信仰がテーマになっています。なぜこのテーマを選んだのでしょうか?

小川:もともと、小説の原点は聖書にあるんじゃないかという考えがあって、最初に収録されている『七十人の翻訳者たち』という作品を書きました。

そもそも、なぜ人は他者に対して何かを話したり、語りかけたりするんだろうと考えたとき、そこには宗教という存在があり、自分が信じるものを他人に伝えて、信じさせるために魅力的なお話をつくるんじゃないかと思ったんです。

宗教とか神様について考えることは、根源的に人間の欲望に内蔵されているもので、それについて考えることは、小説について考えることにもつながるだろうと。人々の欲望を満たそうという、僕ら小説家が普段しようとしていることを、いろいろな角度から考えてみたかったというのがあると思います。

『スメラミシング』(河出書房新社) /反ワクチン、ディープステイト、暗黒政府、イルミナティ――、数多の陰謀論と思惑を取り込み、生きる価値のない現実を打倒する、救世主<スメラミシング>のマスタープランとは一体何なのか。カリスマアカウントを崇拝する覚醒者たちのオフ会を描いた“陰謀論×サイコサスペンス”、表題作「スメラミシング」をはじめ、七十人訳聖書の秘密をめぐる歴史SF(「七十人の翻訳者たち」)、天皇の棺を運ぶ一族の末裔による労働バイオレンス小説(「密林の殯(もがり)」)、最後の宗教〈ゼロ・インフィニティ〉をめぐる魔術的数学奇譚(「神についての方程式」)、神が禁忌とされた惑星の不都合な真実(「啓蒙の光が、すべての幻を祓う日まで」)、文明崩壊後の少年少女に与えられた残酷な使命(「ちょっとした奇跡」)を収録した、超弩級エンターテインメント全6編。

―宗教と小説のあいだには、つながりがあるんじゃないかと……。小説家という職業の本質を考えることは、小川さんと同姓同名の小川哲さんが主人公として登場する『君が手にするはずだった黄金について』とも接続しているように感じます。

小川:結局僕は小説家なので、小説について考えている時間が1番長い。人は仕事や趣味とか、自分が最も興味のあることについてたくさん考えるものだと思います。自分が普段考えていることをどのように他のものとつなげるか、それによって見えかたがどう変わっていくかということは、僕が小説を書くときに一番大事にしていることです。

小川哲:1986年生まれ。作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年、「ユートロニカのこちら側」でデビュー。『ゲームの王国』で山本周五郎賞を、『地図と拳』で山田風太郎賞、直木三十五賞を受賞。

―表題作となる短編『スメラミシング』は、コロナ禍にSNSで知り合った陰謀論を信じる人たちが登場する話です。ご自身のPodcast番組でも陰謀論に興味があったと話していましたが、陰謀論は重要なテーマの一つだったんでしょうか?

小川:そうですね。なぜ陰謀論を人々が信じるのか考えたときに、現実世界にはいろんなことに理由がなかったり、根拠がなかったりするということが一つの理由ではないかと思いました。

例えば、新型コロナウイルスが発生した理由について、誰かの陰謀だったという論争も出ていました。ウイルスが発生して拡散する過程でウイルスが変異し、世界中の人々の生活に大きな打撃を与えたわけですが、自分の生活や家族、友人を失っても責任の所在がないというか、理由がないことに耐えられないということはありえるんじゃないかと思うんです。何のせいにもできないというか。

それ以外にも、世の中には自分たちから何かを奪ったり、傷つけたりする出来事がたくさん起きる。それに理由があることもありますが、理由がないこともやはり往々にしてあります。そういうとき、世界を束ねる黒幕がいるんじゃないかとか、自分が不幸な目に遭ったのはこういう悪いやつがいるからじゃないか、あるいは、自分が不幸な目に遭わなくて済んだのはこういう行ないがよかったからじゃないか……と、何も因果がないところに因果を見つけ出すということは、太古の昔から人々がずっとやってきていることだと思います。

2020年4月、緊急事態宣言が発出されたあとの新宿・歌舞伎町の様子 / Shutterstock

小川:一方で小説は、因果を書くジャンルなわけですよね。要するに、そういう理由がなくて困っているところに答えや理由、黒幕を与えてあげるわけです。つまり小説家って、人々が陰謀論を信じるための想像力の土台をつくっていたり、あるいは陰謀論を信じるために使っている回路を利用してお金儲けをしたりするという側面もある。

だからこそ、神とか宗教について書くうえで、陰謀論はちゃんと正面から扱いたいなという思いがありました。

―お金儲けという言葉が出てきましたが、小説を読む側である私はそういうふうに考えたことはなかったです……。

小川:小説家も、みんながみんな金儲けのためだけに書いているわけじゃないと思うんですけど(笑)。でも結果として、読者の方が本を買って、そのお金が作家に入ればそれはお金儲けなので、そういう側面もあるということです。

―小説というものに対してのメタ的な捉えかたがすごく面白いです。コロナ禍は数年前のことですが、『スメラミシング』にも出てくるノーマスクデモは実際に行なわれていました。生活者としての目線と小説家としての目線、どちらもあるかもしれませんが、小川さんは当時どんな風にご覧になってましたか。

小川:率直に、自分が反ワクチン的な考えを信じていないのは何でだろうとか、マスクをしているのは何でだろう、彼らがワクチンを信用しなかったり、マスクをしなかったりするのはなぜだろうと。自分と、世界観や考えが異なる人のあいだにどういう壁があるのかということが気になりました。

それは僕が小説を書くうえですごく大事にしていることというか……自分と考えや世界の見え方が違う人たちの視点にどうやって立てるか、その人たちの目に世界がどんなふうに映っているのか想像することを僕は仕事にしているので、自分と信じているものが違う人が現れると、すごく興味を持つんです。

―なるほど。そのあと、自分とは考えの異なる陰謀論を信じている人を、物語の登場人物としてどのように練りあげていったのでしょうか。

小川:僕がじゃあ陰謀論と完全に無縁かというと、全然そんなことはない。自分も過去に誤った事実を本当だと信じていた時期があるし、あるいはもっと言うと、僕はサッカーが好きなんですが、たとえばサッカーチームのファンになったり、誰かアイドルや俳優のファンになったりすることって、ときに盲目的になって、宗教的になることがありますよね。

その根源にあるのが恋愛だと思っていて、人間ってやっぱり恋をするとすごく陰謀論的になるわけです。相手からのなんてこともないメッセージを「これは気があるからなのか」とか、「これはほかに相手がいるに違いない」とか、いろんな情報に勝手に因果をつけて、陰謀論的に一喜一憂する。

そういう意味では、僕自身がいま陰謀論を信じるかどうかとは別に、やっぱり人間そのものに陰謀論的な思考回路はつねにあるんです。それを自分のなかでいろいろ想像したり、昔のことを思い出したり、あるいはまわりの人を見たりしながら書いていくという感じでした。

―この短編では、農薬系をはじめ、秘密結社のフリーメイソン、イルミナティとか、いろいろな系統の思想を信じる人が登場します。それぞれ違う信条を持っていますが、主要人物の二人は喫茶店で待ち合わせをして、一緒にノーマスクデモに行こうとしていて、どこか連帯しているのが印象的でした。一般論として括りづらいですが、リベラルな政党や野党は一枚岩になりづらいと言われます。リベラルは少しの違いが起きると指摘し合ってしまい、連帯するのが下手だと……小さな違いを見過ごして連帯するというのはどういうことなのか、小川さんにぜひ聞いてみたいと思いました。

小川:リベラルに限らず、ノーマスクデモとかも集団で活動しようとしたら内部でバラバラになるとは思いますよ。小さな違いどころか、全然違う世界観をみんなが持っていると思いますから。

でも、リベラルもデモをするところまで連帯ができても、選挙協力という実務の部分になると、活動のなかで小さな違いや一般的に内ゲバと言われることが起きますよね。政治的に大きな目標を掲げている人たちがお互いの小さな違いを無視できずに瓦解してしまうというのは、歴史上何度も繰り返されていることだと思います。

まず、連帯をするときは、「目の前の選挙に勝つ」みたいな小目標があるわけですよね。だけど、それぞれの人がその背後にこういう世界を実現したいとか、大きな理想を持っている。その大きな理想が少しでも違うと、目の前の小さな理想に対してぶつかり合ってしまうんじゃないかと思います。

目の前の小さな目標を実現するために、自分の大きな理想に目をつぶることはできない。それはずっと起こっていることだし、難しいことだと思います。人間ってやっぱりなかなかそんなに現実主義になれないというか。

―それはすごくあると思います。先ほど、陰謀論を人が信じる背景について、世界のいろんなことに理由や根拠がないということを挙げていました。ここ最近は米不足や円安とか、良いニュースが全然なくて、社会不安によってますますその空気感が醸成されているのではないかと思います。いまの社会の空気感をどう捉えているかもぜひお聞きしたいです。

小川:自分の生活がある程度うまくいっていて、上り調子だと思っているとき、人間は不思議なことに理由は求めないものだと思います。うまくいかなかったり、自分が望んだような生活ができなかったりするとき、社会も複雑でいろんな要因が絡まっていて、じゃあこれは誰のせいなんだと、主体がどんどんわからなくなっていく。

そんなとき、自分がうまくいかないことの責任の所在が明らかになることによって救われる人もいると思います。社会が不安定になればなるほど陰謀論的なものは広まっていくのかなと思います。

―収録されているほかの短編では、神を信じることが禁じられている世界も描かれています。いまの世界からは想像もつかないことですが、信じることや信仰の危うさみたいなものも同時にあると考えたときに、ありえない話ではないのかなと感じたんですが、信じること、信仰について小川さんはどう考えていますか?

小川:人間って、最終的には何かを信じたり、根拠なく受け入れたりする生き物なんじゃないかと思っています。

何かを信じることの真逆に置かれていそうな科学技術や、あるいは数学というものも、じつは人間の直感や思いつきから生まれることもある。人間が科学を発達させてきた事実と、人間がすごく思い込みをしやすい生き物であるということは、表裏一体にあると思っています。

これが正しい例かわからないですが、夜空を見上げて天ではなく地球が周っているんだと思ったときとか、リンゴが落ちるのを見て引力に気付いたときとか、科学的な理屈の積み重ねよりも、どちらかと言うと人間の発想の転換や思いつきという非科学的な部分からはじまっていて、のちのち検証していくと科学的に正しかったとなっているのが、現代の僕たちの生活をつくりあげていると思っているんです。

やはり究極的には僕らは思いつきや根拠がないこと、何かを信じることに託すしかないのかなとは思いますね。

―一方で、日本は信仰心が薄い国だとも言われます。日本人と宗教の遠さや、それでもこのテーマを選んだ理由をうかがってみたいです。

小川:僕は、人間は究極的には何か信仰体系みたいなものやよすがを持っているはずだと思っています。なので、日本に限った話ではないと思いますが、すごく普及している宗教やみんなが信じているような存在がないからこそ、世界中にそれぞれが信じている宗教や神みたいなものがいろんなところに遍在しているわけですよね。

だからさっき話したような推し活だったり、どこかの野球チームだったり、陰謀論かもしれないし、いろんなところに宗教や神のかけらみたいなものが散らばっている。それを集めるのが面白いなと思っていて、この作品集もわりとそういうものを目指して書きました。

―信仰の欠片というのは面白いですね。ただ、たとえばノーマスクは周囲の人を危険に晒してしまうかもしれないとか、信仰も極端なところにいってしまうと人を傷つけてしまうかもしれないという危うい側面もあるのかなと考えているのですが、そこはいかがでしょうか。

小川:そうですね。でも、それこそ反ワクチンとかノーマスクだって、人を傷つけないやりかたはあるわけで、個々人によってそれぞれだと思います。

結局僕は、自分と違う世界観を持った人、自分と違う信念の体系を持った人と対峙したときに、相手に自分の世界を押し付けるのか、それとも相手の世界を尊重するのかということが一番大事なことだと思っていて、押し付けるとそれは暴力になったり傷つけたりすることになる。

どんな信仰を持っていても、相手の考えてるものや信じているものを尊重することができれば、まったく別の世界を持つ別々の人間同士でも、お互いを傷つけ合うことなく共存できると思います。僕は、そういう自分と違う世界観を持っている人を理解することはできないかもしれないけど、考え続けたいと思うんです。