2024年10月12日 09:10 弁護士ドットコム
市営住宅の9階ベランダから、敷地内で遊んでいた小学生に野球ボール(軟式球)を投げ落としたとして、80代の男性が10月上旬、殺人未遂の疑いで大阪府警に緊急逮捕された。
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ケガ人はいなかったという。ネット上では、9階という高さであったとしても、軟式球を投げて殺人未遂罪で逮捕されることがあるのか、という驚きの声もある。なぜ、緊急逮捕されたのだろうか。
報道によると、男性は10月9日午後5時10分ごろ、市営住宅9階の自室ベランダから敷地内にいた小学生7人に2つの軟式球を投げ落とした疑い。小学生らにケガはなかったという。
MBSによると、落ちてきた2つのボールに気づいた小学生の父親が通報し、駆けつけた警察が部屋にいた男性を逮捕した。時事通信によると、男性の部屋から硬式球も見つかったという。
ABCテレビなどによると、警察の調べに男性は「子どもたちにボールをあげるために子どもがいないところに落とした。殺すつもりはなかった」と供述しているといい、投げたことは認めたが、容疑を否認しているそうだ。
一連の報道を受けて、SNS上には疑問の声も相次いだ。軟式球を9階から落として殺人未遂が適用されるのかという意見だ。
「もちろん痛いが、これで人が死ぬことはないと思う。被疑者を擁護する気は全くないが、暴行罪でいくべき案件では。殺人未遂には疑問」
「軟式で殺人未遂は野球やったことないんか」
朝日新聞によると、殺人未遂の適用について、警察は「当たりどころによっては男児が亡くなる危険性があったと判断」しているようだ。
今回の事件で、殺人未遂が適用されて緊急逮捕に至ったのは、どのような理由が考えられるのだろうか。刑事事件にくわしい澤井康生弁護士に聞いた。
まず、今回の事件では、暴行罪が成立することは明らかです(刑法208条)。暴行は人の身体に対する不法な「有形力の行使」のことをいい、必ずしも身体に接触する必要はなく、ボールが命中しなくても暴行罪にあたります。今回の事件では、下にいる子どもに向けてボールを投げていることから、命中しなくても暴行罪が成立します。
ただし、暴行罪では緊急逮捕をすることができません。緊急逮捕が認められるためには長期3年以上の懲役もしくは禁錮にあたる罪に該当する必要がありますが(刑事訴訟法210条)、暴行罪はこれにあたりません。したがって、暴行罪では緊急逮捕することはできないということになります。
ちなみに傷害罪(刑法204条)は、傷害の結果が発生しないと成立しませんし、未遂犯を処罰する規定もありません。そのため、今回の事件では、未遂も含めて傷害罪は成立しません。
次に殺人未遂罪(刑法199条、203条)の成否ですが、殺人罪の実行行為が認められるためには被害者の死の結果を惹起させうる「現実的危険性のある行為」でなければなりません。
この点、軟式ボールであっても、9階から地上に向けて投げた場合、地上付近での速度は時速80キロにも及ぶ可能性もあると言われています(ただし、空気抵抗などは考慮していないため、実際のスピードはもっと遅くなる可能性があります)。その場合、子どもの頭に当たったりすると死亡の結果が生じる可能性もないとはいえないと思われます。
したがって、殺人未遂罪が成立する可能性は否定できないと思われます。
繰り返しになりますが、今回の事件において暴行罪を適用した場合、緊急逮捕をすることはできません。
その場で暴行罪の現行犯で逮捕する方法もありますが、ボールを投げてから時間が経過してしまうと現行犯的状況が消失してしまうため、現行犯逮捕もできなくなります。また被害者がケガをしていない以上、傷害罪を適用することもできません。そのため、大阪府警は殺人未遂罪で緊急逮捕する方法を選択したのかもしれません。
たしかに今回の事件において、暴行罪を適用したうえで令状を取って通常逮捕する方法もあったと思います。しかし、令状請求して令状を発付してもらうには最速でも数時間はかかります。
私も警視庁時代に何度も令状請求をやりましたが、被害者や目撃者から事情聴取して参考人供述調書を作成し、現場で実況見分をおこなって実況見分調書を作成し、投げられたボールの写真撮影や報告書も作成しなければなりません。これらの基礎的な証拠に加えて、逮捕状請求書も作り、「一件記録」をそろえて令状請求に至るのですが、ここまでのプロセスで数時間はかかってしまいます。
これに対して緊急逮捕の場合は、とりあえず先に逮捕を先行しておいて、逮捕後に速やかに逮捕状の請求をおこなうやり方です。この場合、事後に逮捕状の請求が却下された場合には直ちに釈放しなければなりません。
今回の事件において、具体的な事実関係や現場の状況は不明ですが、数時間かけて令状請求している間にさらなる犯行がおこなわれる危険があり、そのために急いで身柄を確保する必要があったのかもしれません。
ちなみに部屋から硬式球も見つかったということですが、硬式球であれば、子どもの頭に当たった場合、致命傷になる可能性があります。逮捕に時間をかけている間に硬式球が投げられてしまう危険を考慮して、さらなる犯行を防ぐために緊急逮捕する必要があったのではないかとも思われます。
【取材協力弁護士】
澤井 康生(さわい・やすお)弁護士
警察官僚出身で警視庁刑事としての経験も有する。ファイナンスMBAを取得し、企業法務、一般民事事件、家事事件、刑事事件などを手がける傍ら東京簡易裁判所の非常勤裁判官、東京税理士会のインハウスロイヤー(非常勤)も歴任、公認不正検査士試験や金融コンプライアンスオフィサー1級試験にも合格、企業不祥事が起きた場合の第三者委員会の経験も豊富、その他各新聞での有識者コメント、テレビ・ラジオ等の出演も多く幅広い分野で活躍。陸上自衛隊予備自衛官(2等陸佐、中佐相当官)の資格も有する。現在、早稲田大学法学研究科博士後期課程在学中(刑事法専攻)。朝日新聞社ウェブサイトtelling「HELP ME 弁護士センセイ」連載。楽天証券ウェブサイト「トウシル」連載。毎月ラジオNIKKEIにもゲスト出演中。新宿区西早稲田の秋法律事務所のパートナー弁護士。代表著書「捜査本部というすごい仕組み」(マイナビ新書)など。
事務所名:秋法律事務所
事務所URL:https://www.bengo4.com/tokyo/a_13104/l_127519/