Text by 吉田薫
Text by 池野詩織
Text by CHIHIRO(TRON)
10月11日に開幕したWリーグ(バスケットボール女子日本リーグ)に初参戦する桂葵選手。32歳でルーキーとなる彼女のここに至るまでの道のりは異例づくしだ。
大学4年時にインカレ優勝・MVPを獲得。チーム入りが期待されるなか引退を決意し、総合商社へと入社した。そして、3年のブランクを経て3x3(スリーエックススリー / 3人制バスケ)の選手として競技復帰し、会社員と選手業を兼業。2022年には3x3チーム運営やコミュニティ運営など、スポーツにまつわるさまざまな活動を展開する「ZOOS」を設立し、自身はZOOS代表兼選手として活躍を続けている。
怒涛の10年を過ごし、多様な方法でバスケと関わってきた桂選手は、なぜいまWリーグに挑戦するのか。その道程や背景にある思い、そしてこれからについて話を聞いた。
ー桂さんは、今シーズン、Wリーグに初挑戦されます。いま挑戦しようと決めた理由からおうかがいできますか?
桂葵(以下、桂):いま、3x3が中心の生活になって2年半ほどがたつんですけど、バスケがすごく上手くなったという実感と上達していく面白さがあるんです。それと同時に、バスケ選手として足りないところも2年半前より明確にわかるようになっていて。1年ぐらい前から「環境を変えたほうがもっとバスケが上手になれるかもしれない」とぼんやりと考えていました。
その頃、私が選択肢として考えていたのはヨーロッパで5人制バスケ(以下、5人制)をやることでした。
ーZOOSの活動も続けながら5人制の選手としても活動する、ということを考えていらっしゃったんですよね?
桂:そうですね。ヨーロッパも日本も5人制のシーズンは大体9月から4月中旬まで、3x3のシーズンは4月末から9月上旬までで、試合スケジュールのことだけ話せばちょうど時期が重なってないないんです。
桂葵(かつら・あおい)。プロバスケットボールプレーヤー / ZOOS オーナー。1992年生まれ。180㎝。学生時代はインターハイ優勝や日本代表としてアジア2位、世界7位を経験。大学4年時にインカレで優勝、MVPを獲得。卒業後、三菱商事に入社。その後、3年のブランクを経て2018年に3x3の選手として競技復帰。3×3と総合商社勤務、二足の草鞋で活動を続けたのち、三菱商事を退職。2022年、ZOOS設立。2023年に、3人制バスケットボール世界最高峰のツアー大会「FIBA 3×3 Women’s Series」に「Düsseldorf ZOOS」として参加。BAKU大会にて初優勝を飾った。2024年9月、トヨタ自動車女子バスケットボール部 アンテロープスに入団
ーなるほど。休みは無くなるけど、両立は可能なのですね。
桂:そうなんですけど、もちろん大会までの準備期間があるので。ZOOSの活動をストップせずに、選手として起用してくれるチームを探そうと思っていました。日本では前例がないし、できるわけがないと思っていたので、ヨーロッパでチームを探していたんです。実際にお誘いもいただいていたので。
ーヨーロッパと日本だとどう違うのでしょう?
桂:ヨーロッパはリーグもたくさんあるし、同じリーグのチームでも環境が全然違ったりもする。選択肢が日本より多様にあるので、私のライフスタイルとやりたいことを考えると、ヨーロッパのほうがいいだろうと思っていました。
だけど今年の夏、ヨーロッパでの試合を終えて帰国したときに、トヨタの方に練習に誘っていただいて。3、4日くらい練習生活をしてみて、トヨタの方々とお話しをして、面白いことになりそうだなと思えたんです。オファーをもらったとき純粋にワクワクしました。
ーその「ワクワク」の理由をもう少し具体的に聞いてもいいですか?
桂:まず今年のトヨタはチームメイトの半分がルーキーで、年齢的にも、ほとんどの選手が20代前半です。選手一人ひとりのポテンシャルを高く感じていますが、経験値などこれからの部分もあります。
ーなるほど。
桂:だからチームにとってすごくチャレンジングなシーズンになると思います。それにルーキーが多いからこそ、チャレンジの方向性もすごく面白そうだと思っていて。
一人ひとりのスキルを伸ばすことももちろん大事なんだけれども、それ以上に、いまのメンバー12人で、足し算ではなくどうやったら掛け算になるかを考える、みたいなチャレンジなんです。歯車がぴったり噛み合ったときに、奇跡的なことが起きるかもしれないって感じ。
私は、学生時代、3x3といろいろな環境でバスケをやってきて、やっぱりチャレンジャーであるほうが面白いんですよね。
桂:でもこれはちょっとズルいところもあると思っています。チャンピオンであり続ける難しさもわかるので。でも、いろいろな立場でバスケをやったうえで、限られた選手生活のなかでチャンピオンであり続けるより、挑戦者でいるほうが楽しいし、そういう環境を選び続けたいなって思っています。今回の決断の裏にもこういう思いがありました。
ー桂さんはインカレでMVPを獲得して5人制バスケチームへの参加が期待されているなかで、一度バスケを離れる道を選んでいます。社会に出て約10年、32歳のタイミングで5人制に戻ろうと思った理由を聞いてもいいですか?
桂:いままでいろいろなインタビューで「どうしてバスケから離れる決断をしたのか」と質問されるんですけど、その答えはずっと変わっていなくて。「バスケは大好きだけど、自分の価値観を変えるような出会いはもうないかも」と思ったからなんです。
例えば、WNBA(※)に挑戦した日本の選手は、当時、荻原美樹子さんと大神雄子さん、渡嘉敷来夢さんの3人で、ありがたいことに皆さんわりと身近な存在でした。荻原さんは大学時代の監督、大神さんと渡嘉敷さんは高校の先輩。自分が皆さんと同じところまでいけると思っていたわけではなかったけれど、日本の女子バスケの頂点とも言える方々にはもう出会ってしまったな、と。
桂:だから卒業後は商社に入って、その後、退職して自分でバスケチームを立ち上げてっていうことをやってきたのだけれども、社会に出て10年がたって「バスケがどうやったら上手くなるか」ということを考えるようになっていて。つまり、大学卒業当初とは価値観が変わってきたんだと思います。
ー10年かけて価値観が少しずつ変わっていったのだと思うのですが、その変化の理由を聞いてもいいですか。
桂:一言で言うと、いい意味で人生に期待しなくなったからかな、と。そう考えるようになった理由としては、ZOOSでワールドツアー優勝ができたという経験が大きいです。
日本代表にも選ばれず、国際試合で戦ったこともない、少し前まで会社員だった人間が急にチームをつくって、仲間を集めて、いろんな人たちに支援してもらえて。そのおかげで世界挑戦の2年目で「FIBA 3×3 Women’s Series」(※1)という大舞台で優勝ができた。
そのとき、ドイツ代表での出場機会を待っていた選手をチームメンバーとしてむかえた「Düsseldorf ZOOS」(※2)として挑んだのですが、決勝戦でドイツ代表に勝って優勝することができたんです。ドイツ代表のコールアップを待たずにZOOSを選んでくれたチームメンバーや、まだ私が何も持っていなかったときから信じて支援してくれた人たち、いろんな人たちとこの景色を見ることができて、語弊を恐れず言うなら人生で1番最高の瞬間でした。これから先にこれを超える幸せはないなって思ったんです。
ー登りきった感じがある?
桂:自分らしいスタイルで優勝できて、自分らしく登りきることができたという感覚はありますね。本当に、縁とか運とかが奇跡的に噛み合わさってできた優勝だったので、特別な経験でした。その経験があったからこそ、それ以上の出会いや面白いものを追い求めるのではなく、純粋に「どうやったらバスケが上手くなれるだろう」と考えるようになりました。
ー追い求めていたものを掴んだからこそ、ご自身のコアの部分に戻ってきたんですね。
桂:そうですね。私が好きなのは間違いなくバスケで、しかも自分がプレーすることが好き。10年の経験を経てこの核の部分に、改めて立ち戻った感じです。
ー先ほど「自分らしいスタイルで優勝ができた」とお話しされていましたけど、ZOOSは桂さんの価値観やバスケのスタイルをかたちにしたものだと思います。ZOOSがどういった場所か、あらためて聞いてもいいですか?
桂:ZOOSのミッションは女性を取り巻くスポーツの環境をリデザインしていくことです。だからチームより先にリデザインされたい「人」があって、ZOOSがある。もちろんクラブチームの運営会社としての役割も担っているのだけれど、でもチームとして世界一になることや勝つことが最優先ではなくて。例えば、さっき話したワールドツアーにしても、「ワールドツアーにチャレンジするので集まってください」ではなく、チャレンジしたい4人が集まったからワールドツアーに出場した。
ZOOSのの「Zoo」は、古代ギリシャ語の"Zoion"が由来。「生きている」「生命体」といった意味を持つ。「ZOO」に複数形の「S」をつけてZOOSと名前をつけたとのこと。「多様な人生を受容しながら、みんなで生きていきたい」「集まることでより豊かになる。そんな生命体の繋がりを紡いでいきたい」という想いで2022年4月1日に始動した
桂:多様な人生があるなかで、そのまま自分を持ち寄って集うことで、より豊かになりたいと思っていて。だから、私がみんなに言うのは「自分の意思でここに来てね」ということです。物差しは自分で持ったうえで、選んで来てほしいというのはチームメンバーにも、ZOOSに関わってくれる方々に伝えています。
ー強制されるものではない、人生をよりプラスにするためにZOOSに来てほしいということですよね。どうしてそういうコンセプトのチームをつくろうと思ったんですか?
桂:ZOOSを立ち上げたのは29歳のとき。私は、結婚、出産、移住、転職といったライフイベントにこだわりがない人間なのですが、そんな私でも30を迎えるときに少し怯えたんです。「いま何をしたらいいんだろう」という焦りではなく、この先10年間ですごく変わる可能性を考えたときに、怯えた。
ーすごくわかります。自分の仕事も生活も体も大きな変化があるだろう、と想像して怖かったのを覚えています。
桂:特に女性は多くの人が感じる怯えだと思います。そういうときに、変わらず好きなものを好きで居られる環境があるのは、安心材料になるかもしれないと思ったんです。未来の自分に向けた「自分らしく生きていけば大丈夫だよ、ZOOSが解決してくれるよ」というメッセージでもあったかな。これはZOOSを2年半続けても変わらないメッセージです。ZOOSで世界が変わることはないかもしれないけれど、たまに背中を押したり、人を支えたりできる存在になりたいな、と思っています。
ーそういう思いとコンセプトがあるから、チーム運営だけでなくコミュニティづくりやアパレル展開もやっているんですね。
桂:そうですね。アパレルをつくるのも、コミュニティをつくるのも、すべてはコミュニケーションの手段だと思ってて。ZOOSの持つエネルギーやメッセージがあって、それを仲間や人々と交換するためにやっています。例えば、ZOOSのアパレルを着たら、ちょっと心が強くなる気がするとか前向きになるとか、そういうパワーになるといいなと思いながらすべての活動をしているんです。
ーコンセプトから活動までが一貫していて素敵です。これからZOOSで挑戦したいことややりたいことはありますか。
桂:まず、ZOOSの規模を大きくするつもりはありません。手の届く範囲の人たちと紡いでいきたいというのが前提としてあります。なので、こういうことやっていきたいというのはなくて、「やりたい人」が先だなと思っています。
もともと、誰に頼まれてつくり始めたものでもないし、あってもなくてもいいものだと思っています。そういう執着のなさは大事にしたくて。いまZOOSが存在し続けているのは、人々と共感し続けている証、心が踊るような場所である証だと思っているので、だからこそ例えばもしも不協和音があったらすぐに解散したい。
ZOOSの合言葉として「Always make sure that you’re happy」があるんです。やりたいならやろうっていう。この精神はこれからも変わらずに持ち続けるものだと思うし、私自身もそういうマインドで突き進みたいです。