Text by 小林真梨子
Text by 廣田一馬
長井龍雪監督のオリジナル長編アニメーション映画『ふれる。』が現在公開中だ。
『ふれる。』は同じ島で育った幼馴染の秋と諒と優太が主人公のオリジナル長編アニメーション映画。島から連れてきた不思議な生き物「ふれる」が持つ力で結びつく3人は20歳になり東京・高田馬場で共同生活を始めるが、ある事件がきっかけとなり、友情が大きく揺れ動いていくというあらすじだ。
同作は秩父を舞台にした青春三部作『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。(以下、あの花)』『心が叫びたがってるんだ。(以下、ここさけ)』『空の青さを知る人よ(以下、空青)』の制作陣である長井龍雪、岡田麿里、田中将賀らによる最新作。
今回の記事では、長井監督と『あの花』からともに作品をつくってきた清水博之チーフプロデューサー(アニプレックス)にインタビュー。秩父三部作についてのエピソードや舞台を東京に移した今作での新たな挑戦、コミュニケーションについて二人が考えていることなどについて話を聞いた。
─お二人の出会いと『あの花』をつくることになったきっかけについて教えていただきたいです。
長井:『あの花』のきっかけ自体は、テレビの新しいアニメ放送枠で制作するオリジナル作品のコンペで岡田(麿里)さんが提出した企画が通りそうだという話があり、岡田さん起点で自分と田中(将賀)さんが呼ばれました。
長井龍雪
清水:当時3人は『とらドラ!』で一緒に制作をしていて、新作について岡田さんと相談するなかで長井監督と田中さんのお名前が挙がりました。『とらドラ!』も当時大評判だったので、ぜひということでお会いしました。
─プロデューサーの役割が想像しにくい読者の方もいるかと思うのですが、清水さんはどのような役割なのでしょうか?
清水:監督がクリエイティブの最終決定者で、プロデューサーはファイナンスも含めたその番組のビジネスの責任者です。大元の企画の立ち上げや、予算とか全体のルックみたいなビジネスもマーケティングを含めて最初のところからご一緒します。ただ、基本的にはオリジナル作品ですし、作品については現場を尊重して長井監督中心に決めてもらっています。
清水博之
清水:普通の現場と比べると長井監督の現場は直しもすごく少なくて、すごいスピードで仕上げてもらっているもののクオリティがすごく高いので、こちらがこうして教えて欲しいというお願いすることはほぼないですね。
─『あの花』は大ヒットしましたが、放送後の反響は想定と比べていかがでしたか?
長井:想定できないぐらいの反響でしたが、つくっているときはいつも通り制作するかたちで、実感がないまま過ぎていった印象で、いまでも連続して作品をつくらせてもらっていることが『あの花』からつながっているんだと感じています。当時はこんなに長くタイトルを出してもらえる作品になるとは思ってなかったです。
清水:2011年ぐらいのアニメはいまほど本数もなく、いわゆる美少女系の作品やメカ系の作品などがヒットしてる風潮でした。『あの花』は日常もの、青春ものみたいな作品で、アニメというよりドラマや映画で描くような内容だったんです。
だけど、それを実写でやればいいということではなく、長井監督の丁寧な演出や岡田さんのシナリオ、田中さんの絵によって、アニメだからこそ描けるファンタジー青春ものになったことが、いま思えばヒットの要因になったんだと思います。「こういうのがアニメでできるんだ!」みたいな。
もちろん作品が面白かったということもあると思うんですが、そのアプローチが斬新で良かったんじゃないかと思います。
─『ここさけ』『空青』はオリジナル映画として公開されていて、アニメシリーズとはまた違った苦労があったと思います。
長井:尺の使い方ですね。テレビシリーズで毎週積み上げていってストーリーをつくるのと、1本で見せきらなくちゃいけない映画の時間感覚の違いは大きいと思います。
『ここさけ』はめちゃめちゃ苦労しました。尺をすごい飛び出して、すごい切りましたね。テレビアニメはどんどん要素を詰め込んで流れをつくる発想で制作するので、それを映画でもやろうとして苦労しました。野球あり、ミュージカルありと当時やりたかったこと全部盛りみたいな感じだったので、最終的な引き算の仕方の難しさが大変だったと思います。
─ビジネス的にはテレビと劇場でどんな違いがあったのでしょうか?
清水:テレビアニメは原作の漫画が売れていたり、キャラクターにファンがいたりする前提で映像化することも多いですが、劇場オリジナルアニメの場合はまったく知らないキャラクターを皆さんに見ていただくので、最大でも2時間くらいの作品で感情移入できるのかとか、グッズが欲しくなるかとか、クリエイティブも宣伝も含めてすごく難しいと思います。
そのあたりは長井監督と岡田さん、田中さんの三位一体の関係性が非常によくできているんだと思います。
─長井監督の作品では、音楽と風景のみのシーンに尺が使われているのも印象的です。間の取り方などにこだわりはありますか?
長井:こだわりというより、観ている人たちのリズムを刻まなくちゃいけないと思っています。ずっと爆音で音楽を聴くと疲れますし、ある程度休符を打たないと楽しく最後まで見切ることができなくなってくるので、意識的に文章的な点を打つことはしています。
清水:それがお上手なんですよね。シナリオには書かれていない部分での監督のセンスというか、演出力というか……そこが僕はすごく好きです。映画っぽいですよね。
─『ふれる。』では秩父から飛び出して高田馬場を中心にストーリーが展開しますが、どのような経緯で舞台が決まったのでしょうか?
長井:前の作品で秩父は一回区切ろうというのはもともとありました。そういう意味で『空青』は秩父を肯定しつつ、秩父を出ていく人たちの話だったので、次は秩父からどこへ行くか、上京だねという話になりました。
高田馬場になったのは、学生街でもあるという位置づけの部分と、自分が上京した友達を訪ねて初めて東京に来たときに、その友達が西武新宿線の沿線に住んでいて、高田馬場に寄ったんですよね。その印象も頭の中にあったのかなと思います。
─秩父は聖地巡礼の定番スポットになりましたが、『あの花』制作時や今作では意識されたのでしょうか?
長井:『あの花』のときは全然意識してないどころか、そんなに早く特定されると思わず秩父の市役所の方に慌てて連絡しました。最初は戸惑いのほうが大きかったですが、秩父市さんが受け入れて対話してくださり、それ以降の良い関係をつくれたのでよかったです。
─今後は高田馬場にとどまらず、いろいろな場所が舞台になるのでしょうか?
長井:その予定です。むしろ秩父が舞台の作品をこんなにつくるとは思わなかったです(笑)。
清水:『あの花』の次の作品は別の場所でという話もあったのですが、長井監督がコンテとかシナリオに落とし込んだときに、主人公たちの動きの流れがどうしても想像できないと。秩父だとやっぱりわかるからということで、舞台を秩父に戻しました。ただ、秩父の方も喜んでくださったので逆によかったと思います。
長井:秩父はサイズ感がちょうど良いんです。街の中心が明確にあって、そこから放射状に街が広がっていき、盆地なので山で囲まれていて、箱庭感がすごくアニメに落とし込みやすいんだと思います。あとは当時『あの花』のおかげでイベントに呼んでいただいて秩父に行く機会が多くて、自分のなかで土地勘が出来上がってきたのもありますね。
─今作はコミュニケーションが大きなテーマのひとつだと思うのですが、どのように決まったのでしょうか?
長井:テーマ自体は岡田さんのほうから出てきたもので、コミュニケーションというよりは「上京」で起こる変化によって変わる関係性を描こうっていうのが最初にあったテーマです。
自分たち3人でつくるときはいつもコミュニケーションの話になってしまうのですが、そのなかに今回はSNSなどの現代的なテーマをちょっと盛り込んでみて、それらによって変化する関係性を「ふれる」が持つ不思議な能力を使って描きました。
清水:秩父三部作の主人公は高校生で、20歳以上の主人公は今回が初めてです。青年や社会人なってからのいろんな状況下での葛藤や友人関係、恋愛みたいな部分が今作の新境地だと思います。
幼馴染の秋(右)と諒(左)と優太(中央)
清水:最初の原案コンセプトを聞いたときからすごく面白いなと思いました。過去3作は女性がヒロインでしたが、今回は男性3人でいくのもすごく斬新だなと思いましたし、秩父三部作でやりきったからこその上京物語というのが腑に落ちました。
過去3作とは物語としてつながっていないですが、作り手も観客も成長して、主人公の年齢も成長していたり、テーマや長井監督の作家性は変わらなかったりという面で過去の作品との連続感を感じられますし、一方で新しい面も見せることができたと思っています。
─主人公のひとり、小野田秋は口下手で体が先に動いてしまうキャラクターです。『ここさけ』の主人公である成瀬順とも共通点があるように感じますが、描き分けで意識された部分はありますか?
長井:順の方は機能的に喋るのが難しくて、トラウマなども設定していたので書きやすかったです。秋は言葉にして話すことが苦手で、「ふれる」の存在によって諒・優太と友情が成立した幼少期を過ごしたがゆえにいびつになっているという部分が土台として違うので、描き分けを意識することはなかったです。ただ、ちょっと難しいタイプの主人公ではあったので悩む部分もありました。
─具体的にどのような部分で悩みましたか?
長井:喋らない性格をどう表現するかなど、捉えどころが難しいキャラクターをお客さんにどういうふうに見てもらうかのバランスも難しかったですね。
でも、永瀬廉さんの声がついて「秋はこういうキャラクターだったのか」と自分のなかで折り合いがついて、好きなキャラクターになりました。
清水:主人公としてストレートなキャラクターではないから難しいですよね。珍しい主人公だと思います。少し暴力的なところやコミュニケーションレスな部分もあるんですが、一方で彼の芯の強さや友達を想う心や正義感が岡田さんの脚本と田中さんの絵、永瀬さんの声で表現されて、いい意味で主人公っぽくなったと思います。
─『あの花』から『ふれる。』まで、全作でファンタジー要素が織り込まれているのも特徴的ですが、長井監督のなかにこだわりなどはあるのでしょうか?
長井:いつも最初はもっとファンタジーの多い「アニメっぽい感じ」のアニメになりたいと思ってつくるんですが、結果的に地味に落ち着きます(笑)。
清水:地味ではないですよ全然(笑)。
長井:結局趣味というか、好きだからやってると思うんですけど、もうちょっとわかりやすいアニメっぽくなりたいなという想いがあるんです。最初はファンタジー要素もいっぱい入っているんですが、いつものかたちに落ち着きます(笑)。
清水:長井監督はファンタジーと現実の接着がすごいと思うんですよね。演出力が高く自然に接着されているので、展開についていけなくなることがないんだと思います。ただ、今作はこれまで以上に動きもありますし、新しい一面を楽しんでいただけると思います。
─「コミュニケーション」について改めるきっかけになる本作。SNSが発達したいまの社会では、「腹を割って話す」ような機会が減り、相手を傷つけないような上辺だけのコミュニケーションも増えていると思います。お二人は現代社会のコミュニケーションについて、どうお考えでしょうか?
長井:逆にそれはすごい良いことだと思っていて、本音なんて正直に言わなくてもいいじゃんって思います。もちろん言わなきゃいけないことは言わなきゃいけないですが、隠したまま付き合ってうまくいってるならそれでいいと思うところもあって。
建前でも気持ちよくみんなで生活できてれば良いじゃないですか? あえて「本心は違うんだろう」とか疑っても、そもそも本当って何だよみたいな気持ちにもなるし。本音だけをぶつけ合ってたら、それは喧嘩にしかならんよねと思うので、ちゃんと隠せるのが大人だとも思います。
清水:もちろん本音で話すことが大事なときもあるかもしれないですが、それがヘイトスピーチのような問題につながるようなこともあるし、人に対する配慮とかも含めてのコミュニケーションだと思います。
─最後に、これから見る方へのメッセージをお願いします。
清水:前作からの間隔は過去作と比べても一番空いてしまって、現場の皆さんの苦労も間近に見ていて、何より長井監督がこれまででもっとも苦労してつくった作品です。インタビュー中もお話ししたように、過去3作の良さも踏襲しながら主人公たちの設定やテーマ、舞台など長井組の新境地を見せているので、ぜひ劇場で見ていただけると嬉しく思います。
長井:スタッフ一同身を削ってつくっていいフィルムになったと思います。青年3人の友情という、いままでとは少し毛色の違う感じを楽しんでいただければと思いますので、よろしくお願いします。