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左脚複雑骨折の庵野秀明氏、移動は車いす「なるべく歩く距離を減らしたい」 長時間の立ちはNGに

2024年10月06日 21:39  ORICON NEWS

ORICON NEWS

庵野秀明氏 (C)ORICON NewS inc.
 『エヴァンゲリオン』シリーズなどで知られる庵野秀明氏(64)が6日、都内で自身が企画・プロデュースによる一夜限りのスペシャル上映イベント『「宇宙戦艦ヤマト」50周年記念上映』に司会として登壇。7月末に「左脚複雑骨折」で入院したことを公表して以降は初の公の場に登場した。

【動画】”歩いて”登壇した庵野秀明

 この日は『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』などでメカニックデザインを担当しし、『宇宙戦艦ヤマト2199』の監督を務めた出渕裕氏、アニメ・特撮研究家の氷川竜介氏とトークイベントを実施した。出渕氏と氷川氏から骨折について問われると庵野氏は「長時間立っているのがつらい」と説明。出渕氏は「さっきまで(『電人ザボーガー』の)悪之宮博士か、(『仮面ライダー』の)死神博士みたいな状態で車いすだった」と裏側が明かされると、庵野氏は「なるべく歩く距離を減らしたい」と話していた。そして庵野氏は「そんな個人的なことはどうでもいいんですよ」と苦笑いで次の話題に。この日上映された8mm版について「カタカタという音を入れるか迷った」というマニアックなこだわりを語っていた。

 庵野氏が代表を務めるアニメ製作会社カラーは7月31日に公式サイトで「2024年8月に、庵野秀明が登壇致します催事をいくつか予定しておりましたが、この度、左脚複雑骨折の為、しばらく入院する運びとなり、出演を辞退させていただくこととなりました」とし、「関係者とファンの皆様には御心配と御迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。しばらくの間、治療に専念させて頂くことをお許し下さい」と伝えていた。

 1974年10月6日午後7時30分。後に多くの作品・クリエイターに影響を与えた一隻の艦が発進。その名は『宇宙戦艦ヤマト』。まだアニメーションが「テレビまんが」と呼ばれた時代、わずか26話の作品は多くの視聴者に衝撃を与え、社会現象となり、今もなお多くの人々に愛され続けている。そして、その航海は今年50周年を迎えた。本企画は、「『宇宙戦艦ヤマト』との出会いがなければ、自分の今の人生はなかったと思います」と語る庵野秀明氏企画・プロデュースの元で企画された上映イベントとなる。

 上映作品1本目は、テレビシリーズ第1話「SOS地球!! 甦れ宇宙戦艦ヤマト」を1974年10月6日19時30分のテレビ放送開始から、ちょうど50年の2024年同日同時刻に上映。そして、幻の8mmフィルム版『宇宙戦艦ヤマト』全3部作を一挙上映致。8mmフィルム版はテレビシリーズの再編集版という点で1977年公開の『宇宙戦艦ヤマト 劇場版』と同様だが、その編集は劇場版とは異なり、新規ナレーションも使用した、知る人ぞ知る『ヤマト』。そんな幻の作品を初めて劇場で公開した。


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