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『極悪女王』長与千種×白石和彌が語る。試合もプロレス技も演じたキャストたちは「毎日が戦いだった」

2024年09月28日 12:10  CINRA.NET

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Text by ISO
Text by 生田綾

1980年代に空前の女子プロレスブームを巻き起こした「最恐のヒール」、ダンプ松本を描いたドラマ『極悪女王』がNetflixで配信された。

ダンプ松本(松本香)役をゆりやんレトリィバァ、ダンプの宿敵で女性たちから圧倒的な人気を誇ったタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」の長与千種役を唐田えりか、ライオネス飛鳥役を剛力彩芽が演じている。もともとは「落ちこぼれ」であった香が、さまざまな葛藤や困難を経て悪名高いヒールに上り詰めるまでの物語を、すさまじい熱量で描いた作品だ。

長与千種本人がプロレススーパーバイザーとして参加し、リングシーンはほとんどすべてスタントなしで俳優らが演じたという。1980年代を再現したかのような本作は、いかにつくられたのか。撮影秘話や当時の知られざるエピソードもまじえながら、長与千種と白石和彌総監督が語った。

—白石総監督は80年代当時の女子プロレスについて「魂を削って試合をしているようだった」と語っていましたが、ダンプさんやクラッシュ・ギャルズのお二人にはどのような印象を抱かれていたんでしょうか?

白石和彌(以下、白石):単純に、なんでこんなに大変なことを毎週やっているんだろう…と。小学生時代にダンプさんVS長与さんの敗者髪切りデスマッチ(※)を見て、ここまできたらいつか殺し合うんじゃないかと本気で思っていましたね。

でも撮影前に関係者にリサーチを行ううち、みなさん本当にピュアに、青春を謳歌しながらプロレスをやっていたんだと知りました。命を燃やしながらあの時代を生きていたんだとあらためて感じましたし、何よりみんな本当に豊かで面白い人生を送っているんですよね。プロレスラーの方々は本当に面白い話の宝庫でした。

白石和彌:1974年生まれ、北海道出身。道内の映像技術系専門学校を卒業後の95年に上京し、中村幻児監督主催の映画塾に参加。講師の一人だった若松孝二に師事し、映画『17歳の風景 少年は何を見たのか』(05年)ほかの助監督を務め、行定勲、犬童一心の作品に参加。10年に『ロストパラダイス・イン・トーキョー』で長編監督デビューし(共同脚本も兼務)、第2作『凶悪』(13年)で新藤兼人賞金賞など多数受賞。『日本で一番悪い奴ら』(16年)で綾野剛、『彼女がその名を知らない鳥たち』(17年)で蒼井優、『孤狼の血』(18年)で役所広司と松坂桃李に日本アカデミー賞をもたらせ、自身も多数の監督賞を受賞。『止められるか、俺たちを』(18年)と『サニー/32』(同年)でも監督賞を受賞。群像の中の人間ドラマを得意とし、11月1日には名脚本家・笠松和夫の遺稿をもとにした『十一人の賊軍』が公開される。

—当事者である長与さんから見て、白石総監督が作り上げた『極悪女王』はいかがでしたか。

長与千種(以下、長与):昭和の時代からいまだに自分のなかで悶々としていたこともあったんですが、『極悪女王』ですべての答えが出たと感じました。現場で私たちを演じる皆さんを見ながら「そうだった。こういう気持ちだったんだ」と、日々かつての気持ちを思い起こしていましたね。完成したものを観たときの「これでやっと完結した…」という感覚はいまだ新鮮に覚えています。

白石和彌(以下、白石):ふふふ。

長与千種:1964年生まれ、長崎県出身。80年に全日本女子プロレス興業(全女)でデビューし、83年にライオネス飛鳥とクラッシュ・ギャルズを結成。男子プロレスの格闘技要素も取り入れて、空前の女子プロブームを巻き起こす。ヒール軍団・極悪同盟との死闘でファンを熱狂させたが、89年に最初の引退。つかこうへい作・監督、演出工藤栄一の作品の主演映画『リング・リング・リング 涙のチャンピオンベルト』のプロモーションを兼ねて93年、全女の創立25周年記念大会に特別出場。同年11月、JWPマットでフリーとして正式復帰。94年にGAEA JAPANを設立し、看板選手として新人育成にも尽力し脅威の新人を輩出した。05年に解散・引退。16年にMarvelous prowrestlingを設立し、代表と運営、さらにプロデューサーとして活躍している。

—監督も嬉しそうですね。長与さんはいまではダンプ松本さんとすっかり仲良しだそうですが、撮影中にダンプさんやライオネス飛鳥さんたちとやりとりはしていたんですか?

長与:「半端じゃないよ」と彼女たちにいつも言ってましたよ。何がすごいって俳優ですよね。私も最初はどこまでやれるんだろうと心配していたんですけど、気付いたら妥協が嫌いな俳優ばかりが集まっていて。だから私もいつしかプロレスラーの真似ではなく、本物になれるんじゃないかなと思うようになりましたし、彼女たちもその意気込みで練習していました。

—俳優の方々は本当に見事でした。特に松本香がダンプ松本へ覚醒するゆりやんさんの変貌っぷりはすごすぎて。

白石:もちろん現実のダンプさんは、もっと多くの要因や流れのなかでヒールとして生きていくことを決めたんだと思います。でも、ドラマの短い時間で描くにはコントラストを高くパキッといったほうが見所になるだろうし、その落差はできるだけつくってほしいとゆりやんにお願いしました。

「芸人をやっていて周囲に置いていかれた気持ちになったことはある?」と聞いて、似た感情を一緒に探してみたり。彼女がダンプ松本としてヒールに覚醒するまで4~5か月撮影していましたから、それまでコツコツと役のなかの感情や疎外感を積み重ねていっていましたね。

ほぼ順撮りだったから、彼女のなかで暴れたいのになかなか暴れられないというストレスもあったと思いますよ。その溜まったものが一気に溢れ出て、あの演技が生まれたんじゃないかな。

—長与さんは自分を演じている唐田えりかさんや、ほかの俳優の皆さんを直近で見ていかがでしたか?

長与:徐々に自分がそこにいるかのように思えてきましたね。ライオネス飛鳥役の(剛力)彩芽ちゃんと一騎打ちの試合をやるシーンあたりからは特に。

私とダンプさんは実際に落ちこぼれで、ご飯をまともに食べられていなかったのも本当の話なんです。そういった姿を演じる彼女たちを見ながら、二人でリングの上に寝っ転がって「お金あったら何が食べたい?」って言い合ってたことを思い出したり。本当にあのときのまんまじゃんって。

白石:自分の人生を追体験するなんて普通ないですよね。印象的だったのが、冒頭のビューティ・ペアが歌うシーンを撮影中のこと。長与さんが現場に入ってきて、二人を見るなり大号泣してました(笑)。

長与:本当にあのまんまだったから。「目の前に当時のジャッキーさんとマキさんがいる!︎」って(笑)。お二人が揃っている姿って、私がプロレスラーになってからは見たことがないんですよ。そのころにはもう解散されていたので。

だから、“かけめぐる青春”を歌われていたのを見たときに「神がここに降臨したんだ……」って思わず感極まりましたね。ヤバいものを見たという気持ちになって、それからビューティ・ペアを演じるお二人とは喋りづらくなっちゃって…。

白石:あはは! 本人に見えちゃってる。

—今作の1970~80年代のつくりこみにも相当な徹底ぶりを感じましたが、白石監督はそのビジュアルや空気感をどのように形成していったのでしょうか?

白石:大きく寄与したのは美術、あと衣装とヘアスタイル。美術監督の今村力さんは、長与さんの映画デビュー作『リング・リング・リング 涙のチャンピオンベルト』(1993)でも美術を担当されていて。そこで彼は『極悪女王』で描いた時代の少しあとの全女(全日本女子プロレス)の事務所や道場を見ていたので、当時のビジュアルや空気感の形成は今村さんにかなり助けてもらいました。

かつ、俳優たちによるものも大きい。彼女たちは「Marvelous(マーベラス)」(長与が設立した女子プロレス団体)でドラマのためのプロレス練習をしていたというより、ほぼ入門に近いかたちでプロレスを教えてもらっていたんですよ。

長与さんから当時の話をいろいろと教えてもらっていたので、その環境が自然と当時の空気を醸成していたんだと思いますね。

—Marvelousで練習するうち、試合シーンの撮影がある際に「撮影に行ってくる」ではなく「試合に行ってくる」という会話を俳優同士でしていた、とゆりやんさんも語っていました。全員がそれくらい本気で入り込んでいたことが当時の空気感をつくったというのは何となくわかります。

白石:試合シーンに出ていない俳優は、だいたいセコンドにつくんですよ。そこで彼女たちは試合シーンを撮影している俳優に水を渡したり汗を拭いたり、本当にセコンド業をするんです。自分が試合する時にもサポートしてもらわなきゃいけないから。そこのチームワークがめちゃくちゃよくできていましたね。

—完全に本物じゃないですか。

白石:撮影日の朝に体育館に行くと、リング屋さんが組み立てを始めていて、リングができるとみんながウォームアップをするんです。それで少しすると「ぼちぼちお客さん入れます」ってエキストラの皆さんも入ってきて。その流れも本物みたいでしたね。そして長与さんは、そこでお客さんに挨拶して気合を入れてくれました。

長与:当時の試合をもう一度再現するためには、お客様の熱量が絶対に必要だったんです。あの当時のプロレスというのは我々クラッシュと極悪同盟(編注:ダンプ松本が率いたヒール軍団)、そしてレフェリーの三角関係ではなく、それをすさまじい熱量で応援してくれている主に女の子のファンたちも加えた四角の絶妙な関係でできていましたから。

お客様の熱気ある声が加わると、俳優……というか選手のみんなも試合にグッと入り込んでいけるかなと。 そのちょっとしたお手伝いをさせていただきました。

—試合シーンに挑む俳優の皆さんにもモチベーションを上げる話をしていたとか。

長与:プロダクションの人に怒られるかもしれないけど……なあなあになってしまうと良い作品はできないと思ったので、心を鬼にして言ったのは「痛いのは商売だよ。自分たちで選んだんだから、そのつもりでリングに上がっていきな」と。そして「私はここにいて、みんなとちゃんと見てるから」とも伝えました。そこはしっかり信頼関係ができていたので。

白石:モチベーションを上げつつも、撮影に時間がかかりすぎると怪我にもつながるから、ときには冷静になることを言ってくれていました。安全面だけでなく、体調やメンタルのケアまでやってくれて。監督がもう一人いるみたいでしたよ。

長与:これから試合があるってときに、プロレスラーは緊張感やいろんなことで体が徐々に赤くなることが多くて。でも、彼女たちの場合はそれが「目」に現れていましたね。プロレスラー役の俳優たちはメインキャスト以外も、みんな会場入りするときには飢えた目をしているんです。彼女たちの飢えた目が言葉よりも感情を物語っていました。

白石:たしかに「彼女たちの目の強さはうちのレスラーにも教えてあげたい」ってずっと言ってましたもんね。

長与:全員がライバル関係で、ほかの人より良いセリフが言いたいとかじゃなく、「誰よりも良い試合がしたい」って考えているんですよ。でも試合の撮影には怖さもあるし、長丁場だし、体力や精神力もいるし、たしかにそれくらい飢えてないとできないですよね。

—試合シーンのギラついた目は演技だけではなかったんですね。

白石:昨日まで道場でできた技が、いざ当日軽くやってみようとなったら、上手くいかない時もあるんです。

長与さんはつねづね「できないと思ったら絶対本番ではやらせないから」と言ってたので、これは厳しいかもな……と相談していたら、選手の子が「やれますから流れを変えないでください」とすごい表情でこちらを見てきたり。

長与:私は怪我は美学でも美徳でもないと思っているんです。できない技を本番でさせると怪我をしてしまうかもしれない。

最初はみんな頑なに「大丈夫です」って言うんですよね。だから、大丈夫じゃないことも正直に言えるよう信頼関係をつくっていきました。いままでいろんなプロレスの映画やドラマを見てきましたが、試合や技も俳優自身がやるということはほとんどなかったので、彼女たちにとっては毎日が戦いだったと思います。

—難しいから代役でいこうか……と言われていた「フライングニールキック」も、唐田さんが必死の思いで習得して試合で披露したと仰っていましたね。

長与:彼女も負けず嫌いで、最初はできなくて泣いてたんです。それでも眼前まで詰め寄ってきて、唇を震わせて大粒の涙を流しながら「やります」って。じゃあできるまで練習しようと頑張って習得したんですけど、どうせやるんだったらとことんやろうという姿がすごい良いなと思いましたね。

—そういう一人ひとりの努力が結びつき、団結して観客を魅せるものをつくりあげていくという点で、ある意味プロレス興行と映画・ドラマ製作は通じるところがありますよね。

白石:それはあらゆる部分において感じました。たくさんの共通点がありつつ、そのなかで新たな視点もあるからつくりながらいろんなヒントをもらっていましたよ。

特に間の取りかたとか、目の使いかたとか、芝居をすることとプロレスをすることはかなり通じるなと。厳しい世界で生き残るプロレスラーは、自分の生きかたや背景を見せるのが巧いですよね。その人自体がある種の物語だから見ていて学ぶことは多い。だから映画人にもプロレスファンはめっちゃ多いですよ。

※以降、物語の内容に関する記述があります。

全日本女子プロレスを創業した一族である松永兄弟の俊国役を斎藤工が演じる

—心の負の面や暴力性、そのなかに垣間見える人間愛といった白石監督らしさもありつつ、松永兄弟や父親など支配してきた男性たちへ女性たちが連帯し、逆襲し、解放されていく物語には新鮮さも感じました。このようなシスターフッド的な題材を撮るうえで意識したことはありますか?

白石:シスターフッドっぽい感じも出せれば良いなとは思っていましたけど、青春物語にしたいという意識のほうが強かったですね。それは長与さんやダンプさんたちの話を聞いたり、俳優たちが同じような努力をするのを見ていくなかでより顕著に思うようになりました。ドキュメンタリーに近い俳優たちのプロレスを見ているだけで、きっと誰かの応援歌になるだろうと。

—自分たちの歴史がこのように男性支配から抗う物語として描かれて、長与さんは当事者としていかがでした?

長与:全女は松永会長のウルトラワンマンで、プロレスラーを掌の上で転がすのが本当に上手だったんですよ。私は詐欺師だと思っているんですが、彼もモンスターだから、本物のモンスターをつくることができたんでしょうね。

互いに「あいつらがこういうふうに言ってるぞ」と、いとも容易く憎み合うよう仕向けられて、支配されて、男社会で賭けの対象にされて。でも最後の最後には私たちを支配できなかったんですよね。最後の試合であるダンプさんの引退試合は会社の意向をまったく無視して、何か言われても「やかましいよ!」って跳ね返して、自分たちがやりたかった自分たちの試合をやったんです。だから、『極悪女王』はきちんと私たちの感情を描いてくれているなと思いました。

白石:もちろんドラマのようにリングサイドで松永兄弟を殴ったりはなかったですが、それをかたちにしたのが最後の場面ですよね。でも長与さんはこうして松永兄弟を詐欺師だとか言ってますけど、好きか嫌いかで言うと大好きなんですよ。

—あれだけ酷い扱いを受けたのに?

白石:話を聞いているとみんなそうなんです。ダンプさんも「あの人は最低だ」と言いながら、結局みんな好きが溢れ出していて。面白い関係性ですよね。

長与:会長のお墓参りに行ったときも、お墓の前にドカっと座って暑いなか2時間くらい文句を垂れていましたから。そのときに「あ、私この人のことが好きなんだな」と思いました(笑)。

会長の松永高司役を演じた村上淳

白石:好きじゃないとそんな文句も出てこないですもんね。

長与:自分たち昭和55年(1980年)に入門した選手は、当初彼らから「ハズレ」って言われていたんですよ。「ハズレの55年組じゃメシを食えない」って口癖のように言われていたのが頭のなかにずっと残っていて、いつか反乱起こしてやると。それで最後に彼らの意向をすべて無視したんです。でもそういう自分たちのことを、会社の人も嫌いではなくて、最後は「仕方ねぇな」と笑ってるんですよ。酷いこともされたけど、すごく深い信頼関係もあった。

白石:なんだかんだでもう一人の親ですよね。

長与:そうだと思います。

—物語のハイライトとも言えるのが敗者髪切りデスマッチですよね。実際の映像を観たのですが、最初の影武者登場から髪切りシーンまでかなり緻密に再現されていて仰天しました。

白石:時間的にすべて再現するわけにもいかず、多少ギュッとする必要はあったんです。ただその熱量は再現したかったので、可能な限り流れは守ったうえで長与さんに試合の見せ方のアドバイスをもらいながら進めていきました。

髪を切るシーンは始めたらやり切るしかないから、撮影直前まで少しでもおかしなことがないか、長与さんはじめみんなで指差し確認しながら慎重に挑みました。

長与:一回きりのことなのでみんなピリピリしていて。経験したことのない緊張感でしたね。

白石:でも長与さんが一番どっしりしていましたよ。その直前の試合の見え方を長与さんに「大丈夫ですかね?」って尋ねたら静かにコクリ……と頷いて。安心感がすごかった。

—撮影のときはずっと長与さんとご一緒されていたんですか?

白石:いつも隣にいてくれました。プロレスだけでなく、演技についても「このシーンのときにどういうことを考えていました?」とか疑問に思ったことを教えてもらったりしていましたよ。

長与:それを演者の方に伝えると、俳優のみんなはすぐ頭の中で消化して演技に反映してくれました。

白石:長与さんが天才なんです。お芝居のことも「私が行ってきて良いですか?」って唐田さんに直接アドバイスしてくれたり。演じる本人に言われるほうが俺が言うよりずっと説得力がある(笑)。アドバイスも的確だから、映画監督もできそうだなと思って、長与さんに何か撮りたいネタないですかって聞いたりしていました。

長与:面白いネタはいっぱいありますよ。当時は最高で、年間310試合やっていましたね。

白石:正気の沙汰じゃない!

長与:あるときは営業が沖縄でダブルブッキングしちゃって。同じ時間に違う場所で全女が試合をやってるんですよ。第1試合目の子が終わったらすぐ別の場所にタクシーで飛ばして、別の場所ではその子が到着するまで試合を引き延ばさなきゃいけない。それで着いたらすぐ試合して、次の人が到着するまでその子もひたすら試合するとか。あれは大変でした。

白石:『ニュー・シネマ・パラダイス』みたい(笑)。「隣町からフィルムがまだ来ないぞ!」って。

長与:あと全女がお金があるからって、8,000万円するベンツの2階建てのバスを買ったんです。窓が開かない仕様だったんですが、そのくせ冷房がよく壊れてたから頭にきちゃって。窓を蹴破ろうとゴンゴン蹴りまくってたら会長が「長与、それだけはやめろ」って(笑)。

白石:そりゃそうだ。

長与:でも私は「こんなポンコツ買いやがってー!」と怒り心頭で。ある冬の日には、雪深いところでスリップしてまったく動かなくなったこともあったんです。次の試合時間も迫っているし、どうしよう……となっているとき、会社が私たちに言ったのは、「車をヒッチハイクして会場まで乗っけていってもらえ」ですよ? 嘘みたいですけど。

ただヒッチハイクしてみてもなかなか車は止まってくれないんです。それで仕方なく相方と顔を押し出して「クラッシュ・ギャルズです!」ってアピールしてたら乗っけてくれて。着いても選手は私たち二人しかいなくて、お客さんはすでにリングを囲んで待っていて。

—絶対絶命だ。

長与:だから私たち……全力で歌いましたよ。これはもう歌しかないと思って。

白石:わはは! エピソードの宝庫ってこういうことですよ。掘れば掘るほど出てくる(笑)。

長与:『極悪女王』は私たちの物語をすごく格好良くつくってくれているし、観たうえでいろんな思いを馳せる方がいると思います。ただ、描かれていないサイドストーリーも信じられないことばかりで。「この会社はなんて最低なんだ」って思われるような(笑)。

白石:でもやっぱ会社のことが嫌いになれない感じが伝わってきますよね。アイツらはヒッチハイクで行かせやがって……と言いつつ、良い思い出としてニコニコ語っているあたり。

—日本中を熱狂させていた大スターがまさかそんな風に扱われていたとは…。

長与:世間にとってはスターでしたけど、会社からはそう思われていなかったので。最低ですよ(笑)。

—そのサイドストーリーでスピンオフや番外編もつくれそうですね。期待しています!