Text by 今川彩香
20世紀を代表するアーティストであるルイーズ・ブルジョワ。2010年、98歳でその人生の幕を閉じるまで、家族との関係や「母性」、父との確執などをテーマに作品をつくり続けた。
森美術館(六本木)で、9月25日に開幕した『ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ』では、約100点の作品が展示され、彼女の軌跡を辿ることができる。
2度の世界大戦、大切な人との死別、うつ病など、度重なる逆境を生き抜き、まさに「地獄」をくぐってきたブルジョワ。その生涯とは、どんなものだったのだろう? 同展をもとに、ブルジョワの生涯について、ほんの一部をまとめてみたい。
自身の版画作品《聖セバスティアヌス》(1992年)の前に立つルイーズ・ブルジョワ。ブルックリンのスタジオにて。1993年 撮影:Philipp Hugues Bonan 画像提供:イーストン財団(ニューヨーク)
1911年12月25日、フランス・パリに生まれたルイーズ・ブルジョワ。両親はパリのサンジェルマン大通りで、タペストリーの販売店兼修復工房を営んでおり、ブルジョワは3人きょうだい(姉1人、弟1人)の次女だった。庭付きの広い屋敷で暮らし、裕福な生活を送っていたという。まもなく1914年には第一次世界対戦が始まり、従軍した伯父が戦死している。
彼女の父親は、家族に対してひどく横暴だったという。伝統的な家族観を持って支配的に振る舞い、例えば女性として生まれたブルジョワに、世継ぎとして役に立たないというような言動を繰り返すなどしていた。そのうえ、彼はブルジョワらのために雇われた家庭教師と不倫関係にあり、母親をはじめブルジョワらきょうだいもそのことに気が付いていたのだという。
ブルジョワの母親は1932年、ブルジョワが20歳のときに死去する。母親は1918年にスペイン風邪と思われる病気にかかってから長く患っており、ブルジョワはその介護を続けていた。ちなみに、1922~32年は母の療養のために冬季は南仏に滞在し、そこでブルジョワはピエール・ボナールと出会い、親交を深めたという。
この複雑な家庭環境で、幼いブルジョワは見捨てられた、裏切られたというトラウマが植え付けられてしまった。それは母の死によってより深いものとなり、のちの作品に昇華されていく。
そして、ブルジョワは母の死から川で自殺を図るも、父親によって助けられる。
同年、ソルボンヌ大学数学科に入学し、学びはじめるがまもなく断念。その後、パリ国立高等美術学校、エコール・デュ・ルーヴル、アカデミー・ドゥ・ラ・グランド・ショミエールで学びながら、フェルナン・レジェに師事した。
このころ、父が営むタペストリー店の一角に小さな画廊を開き、そこでのちの夫となるアメリカ人美術史家、ロバート・ゴールドウォーターと出会う。ふたりは1938年9月に結婚し、ブルジョワは10月にはニューヨークへ移住した。
会場風景 Installation view Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful. Mori Art Museum, Tokyo, 2024 ©︎ The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.
1939年には孤児を養子として迎え、1940年に出産。さらに翌年1941年、息子を出産している。3人の子どもは、全員が男児だった。
しかし、ナチス占領下のフランスに家族を残してニューヨークに移住した罪悪感や不安に苛まれるようになるブルジョワ。このころに制作した作品は、フランスの思い出に基づくものがほとんどなのだという。1945年、ニューヨークのギャラリーで初めての個展『ルイーズ・ブルジョワ絵画展』を開く。
父親は1948年5月~7月、生涯にただ一度、ニューヨークを訪れている。その際ブルジョワとふたりで、カナダまで自動車で長旅をしたという。そして1951年、父が死去。その後、ブルジョワは重いうつ状態となり、治療を受け始めた。
1953年、個展『ルイーズ・ブルジョワ:彫刻のための素描と彫刻』が開催されるも、そのあと約10年間、新作の個展が開かれることはなかった。
会場風景 Installation view Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful. Mori Art Museum, Tokyo, 2024 ©︎ The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.
1964年、ニューヨークのギャラリーがブルジョワの個展を開く。
ブルジョワ自身はフェミニスト・アーティストを名乗ることはなかったというが、1970年ごろから、フェミニズム運動に関わり始め、展覧会をはじめ慈善活動、抗議デモに参加している。
1973年、夫のロバート・ゴールドウォーターが65歳で死去。ブルジョワ62歳のときだった。
その後も個展などで作品発表を続け、1982年、ニューヨーク近代美術館で『ルイーズ・ブルジョワ:回顧展』が開かれ、その後もシカゴ現代美術館などを巡回。ニューヨーク近代美術館が女性彫刻家の回顧展を初めて催したことで、ブルジョワへの注目を集めることとなった。
さらに1989年には初めてのヨーロッパでの個展、1993年には『ヴェネチア・ビエンナーレ』のアメリカ館の代表となる。その後、1995年にパリ・ポンピドゥセンター、1997年に横浜美術館、2000年にロンドンのテート・モダンなどで個展を開催した。クモのモチーフで繰り返し作品を制作したのは1990年半ばから2000年代後半ごろ。
晩年まで作品制作を続け、ブルジョワは2010年5月31日、ニューヨークにて死去。98歳だった。没後も世界中の美術館で個展が開かれている。
会場風景 Installation view Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful. Mori Art Museum, Tokyo, 2024 ©︎ The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.