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『虎に翼』でハ・ヨンスが好演する朝鮮半島からの留学生、崔香淑が示したもの。紡がれた「加害」の歴史

2024年09月26日 17:10  CINRA.NET

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Text by 生田綾

NHK連続テレビ小説『虎に翼』が、いよいよ9月27日に最終回を迎える。伊藤沙莉演じる主人公・寅子が女性として法曹の道を切り拓いていく姿が描かれたが、物語を通して、寅子が明律大学女子部でともに法律を学んだ同級生たちの「その後」も丁寧に描かれた。

そのうちの一人がハ・ヨンスが演じる朝鮮半島からの留学生、崔香淑(さい こうしゅく / チェ・ヒャンスク)だ。同級生から「ヒャンちゃん」と呼ばれ親しまれた香淑だが、第二次世界大戦へと進む日本で学ぶ過程でさまざまな困難に直面し、一時は弁護士の夢をあきらめた。その後は日本人と結婚し、日本名を名乗るようになる。

崔香淑という人物の存在から垣間見えるのは、植民地支配など、戦時中の日本の「加害」の歴史だ。ドラマが示したものは何だったのか、本作で朝鮮学生、朝鮮文化考証を担当し、近代朝鮮教育史を専門に研究する大阪産業大学の崔誠姫(チェ・ソンヒ)さんにインタビューで聞いた。

©NHK

―先生は朝鮮文化考証として、本作にどのように関わられたのでしょうか

崔誠姫(以下、崔):最初にお話をいただいたとき、『虎に翼』のおおよそのコンセプトと、朝鮮半島からの留学生を寅子の学友として登場させると聞きました。考証を引き受けることになったんですが、NHKのスタッフさんは事前にすごく調べてこられるので、私が一から調べるということはあまりなく、調べてきてくださったことに対して私が裏付けをするようなケースが多かったです。

たとえば、第18週ごろに描かれた金兄弟の事件に登場する手紙の内容などをスタッフの方と一緒に考えるようなかたちで関わりました。

戦後になると、香淑は複雑な状況に置かれた立場になって再登場します。Xでは香淑の国籍に関して誤った認識のコメントが投稿されることもあったんですが、GHQの方針や日本政府の通達を根拠にすると、内地(※編集部注……日本の本土のこと)の人と戦前に結婚している外地(※編集部注……朝鮮半島や台湾など、本土以外の日本領土のこと)出身の人は、内地の戸籍に入っているので、終戦後もそのまま「日本人」でありつづけました。

それに基づくと、香淑は汐見香子という「日本人」として日本で暮らしつづけていたことになり、そしてそれには何の問題もありません。このように資料を確認して考証する作業にも関わりました。

崔誠姫(チェ・ソンヒ)さん/撮影:李鳳仁

―香淑のように、朝鮮半島から本土に学びにくる学生は実際にどれくらいいたのでしょうか?

崔:寅子たちが大学女子部に通っていたのは1930年代ですが、1935年のデータでは、全体で7,292人の留学生がいました。そのうち男性は6,800人くらいです。

―男性のほうが圧倒的に多いんですね。

崔:そうですね。そして、法律を学ぶ男子学生はたくさんいましたが、女子の学生は非常に珍しいケースだと思います。

女子で多かったのは、東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)や奈良女子高等師範学校(奈良女子大の前身)への留学生です。当時、朝鮮半島には中等教員養成機関がなかったので、教員になるために日本に留学に来るということが選択肢の一つでした。次点が医師の養成です。

どれも朝鮮半島で学ぶことが難しく、男子でさえも留学することに高いハードルがありましたが、そのうえ女性が勉強するとなるともっとひどい状況だったと思います。

©NHK

―先ほど崔さんがおっしゃったように、香淑は、寅子の同僚である汐見圭と結婚したあと、汐見香子(しおみ きょうこ)という日本名を名乗るようになります。その背景を詳しくお伺いしてもいいでしょうか。

崔:日本は、1940年から朝鮮で「創氏改名」を実施しました。要するに、朝鮮式の姓と名前を日本風のものに変えさせるという通達で、表面上は強制力を伴わないということになっていますが、実際には強制的な制度でした。

ドラマのなかで、圭が寅子に香淑のことを話す際、「自分との結婚をきっかけに名前を変えた」というセリフがあり、改名したことを匂わせています。香淑役を演じたハ・ヨンスさんのインタビュー(*1)で、ヨンスさんは「ヒャンスクは創氏改名をしなかった」と述べていました。自分の国に対して愛情があり、創氏改名には抵抗していたけれども、圭さんと結婚したことで、彼女は決断をしなくてはならなかったのだと思います。

内地の戸籍に入ることになって、日本では夫婦別姓もありえないので、その時点で汐見の姓になることは確定する。そこで汐見香淑(しおみ こうしゅく)と名乗ることもできたわけですが、彼女はそこで「汐見香子」と名前も変えるという決断をしたのだと思います。

―創氏改名は、日本と朝鮮に住む人々を同じにしようという「同化政策」の一環として行なわれたのでしょうか?

崔:そうですね。1940年はまだ朝鮮に徴兵制が施行されていませんでしたが、ゆくゆくの徴兵制に向けての政策でもありました。

私の名字は崔ですが、母は「長」といいます。そして、母方の祖母の字も異なります。韓国では結婚しても女性の姓は変わらず、子どもは父方の姓を名乗ります。もちろんみんな家族ですが、名字が違うんです。日本式の氏をつくり家族の関係を明確にすることによって、日本の「イエ制度」に朝鮮人を組み込んでいく目的が強くあったといえます。

―なるほど。そして、表向きは強制ではないとしながらも、実質強制的な制度であったと。

崔:私は朝鮮半島の留学生や中等教育の研究をしているんですが、当時、学校は創氏改名を奨励する場になっていました。朝鮮人の先生たちが率先して日本名を名乗るようにして、先生が率先して変更するから君たちもやりなさい、という場所にもなっていたんじゃないかと想像がつきますよね。

©NHK

―香淑のキャラクターや彼女に関する描写について、印象に残っていることはありますか?

崔:芯がしっかりしたブレない女性だと思っています。物語を通して香淑はすごく難しい選択をたくさんしていますよね。

例えば、特高警察に兄が思想犯の疑いをかけられてしまい、香淑も脅されて、自分の目標だった弁護士になるという夢をあきらめて朝鮮半島に帰ります。そのあと日本に戻ってくるという決断もものすごく重たいものだと思うんです。

日本の敗戦によって植民地支配が終わり、おそらくそのときには圭と結婚をしているはずですが、やはり当時の歴史を振り返ると、日本の敗戦によって家族が引き裂かれるケースというのは非常に多くありました。それでも香淑は自分の民族を捨ててまで日本に来ることを選び、その決断はすごく難しいと思うんですが、彼女自身がしっかりした芯を持っているからこそできるのだと思います。その強さは非常に印象に残っていますね。

―香淑は、ともに法律を学ぶ寅子とは異なる状況に置かれていることも伝わってきます。

崔:「共亜事件」(帝人事件を元にしたとみられる)で寅子のお父さんは逮捕されて、無罪が確定します。それによって寅子は大学で勉強しつづけることが可能になりました。一方、民族が違う香淑は兄が逮捕されて、その容疑が晴れるというところまでは寅子と同じ状況ですが、香淑はそれがマイナスになって高等試験をあきらめざるをえなくなりました。

似たようなシチュエーションでも、「あきらめなければいけない人」と「あきらめずに済む人」という対比がすごくはっきりと描かれていたと思います。

後半にも、寅子の義理の娘・のどかと、香淑の娘の薫でもその対比を感じました。のどかは、何やかんやあったけれども、ちゃんと自分が結婚したいと思った人と結婚する。けれど薫は、出自によって恋人から別れを告げられてしまいます。

―話を聞いていると、ドラマを通して日本による植民地支配の非対称性があらゆる場面に散りばめられていると感じました。劇中では関東大震災での朝鮮人虐殺についても言及がありますが、戦前日本の「加害」の部分にもスポットを当てていることについて、どのように感じられますか。

崔:『らんまん』でも朝鮮人差別を匂わせるような場面が出てきましたが、今回のようにここまではっきりと描かれたことにびっくりしています。

役名はついていませんでしたが、終戦直後に寅子が闇市に行き、焼き鳥を包んだ新聞を渡した女将さん役は、在日コリアンの方がやっている演劇集団「タルオルム」の団長の金民樹(キム・ミンス)さんが演じていました。絶妙な朝鮮語訛りの日本語で寅子に包み紙を渡していて、そこに新憲法が書かれているというのも、すごくドラマチックな展開だったと思います。

朝鮮人の問題だけじゃなくとも、当時、そこにいたはずの人たち、実際にあったことを朝ドラで取り上げることの意味はすごく大きいと思います。

©NHK

―終盤では、香淑と娘の薫の衝突が描かれました。薫は、母親が自分の出自を隠していたことに対して、香淑を責めます。こうした親子の関係性をどうご覧になりましたか。

崔:母親の香淑が子どもである薫を守るために必死で自分の出自を隠していました。しかし、薫はまず最初に全否定しますよね。「自分の生まれた国が、自分の血が恥ずかしいと思っていたということ? それは安全な場所に加害者の側に立っていままでずっと見て見ぬふりをしてきたということじゃない」と、かなり辛辣なことを言っていました。

あのあたりのセリフも見させていただいたんですが、学生運動の時代ですし、ありえることだなと思いました。香淑はすごくショックだったと思いますし、一方で薫も、お母さんを傷つけてしまったこともですが、20年くらいずっと自分の出自が隠されていたことにショックや戸惑いもあったと思います。

薫はよく多岐川の部屋にこもっていましたが、薫にとって、多岐川はおじいちゃんみたいで、安心できる存在なのかなと思いました。あの二人のあいだで何か会話があったのかなと私は想像しているんですが、薫が香淑のお兄さんを日本に呼んだのは、自分のルーツをちゃんと知りたいという気持ちがあったからだと思います。

そして、自分のために母が家族を捨てたんだったら、自分が家族をつながなければいけない、という娘なりの使命感もあったのではないかと思います。

故郷を捨てた香淑は絶対に自分から連絡はできないと思います。一連の話では、家族の断絶と再会が描かれていましたが、そのなかで家族を中和させてくれた存在が香淑の娘である薫でした。私自身もですが、在日朝鮮人の方たちには、ああいった家族の離散や断絶というものを経験している方がたくさんいるので、すごくいいシーンで思い出すだけで泣きそうになってしまいます。

―最終的に香淑は司法試験に合格し、広島や長崎で原爆被害に遭った外国人の支援をするために弁護士事務所を立ち上げることになります。そして、香淑と結婚した圭は裁判官を辞めて、香淑をサポートすることを決めます。

崔:原爆裁判のあと、朝鮮人や外国人被爆者の支援につなげるというのは、「こうきたか」と思いました。新潟赴任編で、圭は香淑について、「ありのままの彼女でいられるために何ができるのか、まだ答えの糸口さえ見つけられていない」と話していたんですが、その結果がここに結びついたのもすごく良かったと思いました。

原爆投下が国際法違反であるとした画期的な判決文を読んだ圭が、その後、被爆者の支援をしたいという香淑を支えるために裁判官を辞めるわけです。薫との和解の仕方もですが、圭が香淑が自分らしくある道を取り戻させたいと言っていたことが、ちゃんと回収されていると思いました。

©NHK

―『虎に翼』の反響をどう感じていますか?

崔:放送にあわせてXに投稿をしているんですが、本当にたくさんの反応があります。

たとえばですが、『虎に翼』や私のポストなどをきっかけに、法律や朝鮮半島の歴史、様々な差別やマイノリティの問題について関心を持って、「透明化」された人たちに思いを寄せ、寄り添える人が一人でも増えればみんなが幸せになれると思います。ヒャンちゃんの言葉じゃないですけど、きっと最後はいいほうに流れていくと感じます。