2024年09月19日 18:01 ITmedia NEWS
「FIRE」(Financial Independence, Retire Early)という生き方は、2017年頃から米国で話題になり始めた。早期に人生所要金額を稼ぎきってしまい、さっさと退職してあとは好きなことをして自由に暮らす、というライフスタイルである。
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もともと米国は、長期休暇中はキャンピングカーで野山で暮らすとか、リタイアした夫婦が家を売り払って豪華客船で世界中を巡るとか、日本人には想像も付かない生き方をする人達が一定数実在しており、FIREも現実にあり得る話だろう。
一方日本でも2019年ぐらいからそうした生き方を理想とする人達も出てきており、どうやれば実現できるのか、さまざまな試行錯誤が行われているところである。
2023年5月にAlbaLinkが労働者500人を対象に調査した結果によれば、FIREしたいと考える人は全体の78%にものぼる。
その理由としては「仕事・会社から解放されたい」「時間を自由に使いたい」「好きなことをして暮らしたい」「面倒な人間関係から解放されたい」といった願望が並ぶ。ここから垣間見えるのは、仕事に対してのやりがいを見いだせず、本来のやりたいことを犠牲にしてただひたすら生きていくために労働力を提供しているという姿である。
とはいえ、FIREはあくまでも願望であり、実際に実現する人はごくごく少数だろうと考えられてきた。だが、その願望はある程度実現可能ではないかとするレポートが登場した。
●独身なら可能ではないか
みずほリサーチ&テクノロジーズが8月29日に公開した、「単身世帯化の日本経済への影響」というレポートがそれである。単身世帯、つまり結婚しない人は人生所要金額が低いため、比較的FIREを実現しやすいのではないか、そうなると社会はどうなるのか、といった予測を行ったものだ。
「世帯」とは、経済的に独立した1つの単位である。親と暮らす子供時代は、親の世帯の一員であるわけだが、経済的に独立して一人暮らしを始めると、それで1世帯増えるという事になる。単身者同士が結婚して所帯を構えると、2世帯が1世帯にまとまるので、減ることになる。
日本は人口減少に向けて一直線に進んでいる状態だが、総世帯数は増えている。つまり子供が大人になって経済的に独立することで単身世帯がどんどん増える一方、結婚しないので世帯数が減らない、というわけである。この傾向は、団塊の世代が平均寿命に到達する2035年頃まで続くと見られている。
単身世帯の大きな特徴は、とにかく生活にお金がかからないことだ。子供がいないので養育費がゼロだし、広い家も必要ない。遺産を残す動機もないので、自分1人で使いきる程度の資産があればそれでよい。AlbaLinkの調査では、FIREに必要な資金は1億円程度と見ている人が多いようだ。大卒男性の生涯賃金が2億7000万円程度といわれる中、50歳まで独身で働いて浪費もせずコツコツ1億円貯めてとっととリタイア、というライフプランは、まんざら無理でもないように思える。
レポートは、そうなった先を見通そうとしている。早期退職者が増えれば当然労働力は減少するわけだが、消費は維持される。そうなると多くのものは供給不足需要過多になるため、インフレ圧力となる。もちろん高齢化や少子化による労働力不足の上に乗る格好でFIREによる労働力不足が起こるわけだから、多くのことが政府や金融市場の現在の想定を超えてくることになる。
●FIREで不足する労働力はどう補う?
23年以降、AIが広く社会に浸透し始めた事で、一定の労働力となり得るという見方がされるようになってきた。一方で人間の仕事が奪われるといった懸念もなくならないわけだが、仕事というのは人間の社会的責任において判断することが求められるものであることから、完全にAIが取って代わるわけではないというのが今のところの平均的な意見だろう。
すなわち、人間には耐えられない単純作業の繰り返しや、非人間的な労働環境下での作業はAIなりAI搭載マシンに取って代わることはあり得るが、その成果を受け取って評価に載せるのは人間の仕事、つまりAI管理が人間の仕事になる、というわけである。
この考え方は理にかなっていると思うが、FIREによる労働力不足にAIで対応できるかという視点で見ると、そこは無理と考えるべきだろう。もともとFIRE可能な人は、AIで代替可能な単純作業に従事している層ではなく、企業管理職、不動産経営者、あるいはヒット作品を持つ芸術家や芸能人といった、ハイリスクな仕事をしてきた層である。その人達の個人の能力や、そういう星の下に生まれた的な資質に依存している仕事は、そもそもAIで代替可能だとは考えられていない。
一方で、今後労働力が余る年代がある。60歳や65歳で定年を迎えたものの、老後を労働せずに暮らせるほどの資産が築けなかった層である。あるいは55歳前後で役職定年を迎えて大幅に給与が下がり、転職したがっている層も加えてもいいだろう。そういう人達は、若いときと同じようなスピード感で働けるわけではなく、健康面で問題を抱えているケースもあり、無理はさせられないが、FIREで抜けた穴を埋める人材となり得る。
だがこのロジックには、大きな問題がある。定年しても働かなければならない人達の大半は、結婚して子供を作り、苦労しながら社会に送り出したために自分の資産を築けなかったとも言える層である。その人達が、独身で金を貯めて早期退職し、あとは好きなことをやって生きていける人達に変わって働き続けるというわけだ。
若い人の瞳には、どちらが魅力的な人生に映るだろうか。結婚しない方が全然楽じゃないかということがわかってしまったら、誰が今後高いハードルを乗り越えて恋愛して結婚して子孫を残そうとするだろうか。
つまりFIREが可能な世の中になれば、少子化は従来のカーブよりもより急激に進行する可能性が高くなる。いくらAIで労働力をカバーしようとしても、国の人数が減るということが避けられなければ、極端な話、あと100年もしないうちに国家としての消滅や解体、他国との併合といった悲観的な未来も視野に入れざるを得ない。この懸念は、インフレの比ではない。
●少子化の抜本的原因
国を上げての少子化解消策は、もはや待ったなしの状況にある。その一方で、都内に住む独身女性が地方に移住婚すれば60万円支給という政策が批判を浴び、撤回を余儀なくされた。「女性の人生を過小評価している」という。もっともな意見である。
ただこの政策には前段がある。もともと2019年から男女問わず、地方に移住して就業や起業した単身者には、最大60万円を支給していたのだ。ただ女性の場合は結婚して専業主婦になったり、すでに妊娠していて働けない状態では支給できないので、じゃあ女性に限り「就業や起業」という条件を外して支給しようじゃないかという、制度拡張の話だったのだ。それがまるで、女性は60万円で地方に行って子供を産めみたいな見え方になったことで、世論が暴走した感は否めない。
確かに首都圏一極集中と少子化問題は、密接な関係がある。高コストな生活を維持するのに精いっぱいで、結婚する余裕が持てないというのは1つの説得力のあるシナリオだ。だがそれを単純に「裏返し」にして、地方移住すれば結婚できて子供が増えるという事になるかといえば、そうはならんやろという話である。
少子化、さらに言えば非婚化に歯止めをかけるロジックは、みずほリサーチ&テクノロジーズのレポートにヒントがあるのではないか。文中には「話がややこしくなるので、ここではざっくりと『労働にやりがいはない』と仮定する」として、労働へのやりがいという問題を射程圏内の外側に置いている。
だがこのややこしい部分に、隠されたキーがある。つまり仕事にやりがいがあれば、誰もさっさと金を貯めて仕事なんか辞めてやるみたいな考え方にはならないのである。さらにやりがいを持って働いている人は、人間的にも魅力的で輝いており、恋愛対象にもなりやすいと考えられないだろうか。少なくとも男女問わず、1日もはやく辞めてやるという気持ちでいやいや金のために働いている人を、生涯のパートナーとしては選ばないだろう。
つまりすごく単純な話、みんながそれぞれにやりがいのある仕事に就いて輝いていれば、非婚化や少子化には進まないという仮定は成り立つのではないか。ならば社会が取り組むべきは、「人」と「やりがいのある仕事」のマッチングだろう。やりがいとはそれこそ人によりけり千差万別であり、ある人にはつまらない仕事でも別の人にはやりがいを感じることは十分にあり得る。
だからこそ、学生が最初に就職する際の間口は、成績学歴にこだわらず広くあるべきだし、社会人にはさまざまな転職のチャンスがあるべきだし、同じ社内でもさまざまなジャンルや部署へのトライや副業、社内起業を推奨するべきだ。
現時点での転職は、割のいい仕事へ逃げるという傾向が強く表れすぎており、「やりがい」というパラメータ化できない部分が見過ごされている。まあ、やりがいを強調する転職エージェントほど怪しく見えるという傾向は避けられないところであり、そこがなかなか現実と相いれないところではあるのだが、FIRE希望者の今の仕事への絶望感は、少なくとも「裏返し」にしないとかわいそう過ぎる。
昔のカリスマ経営者が、面白くない仕事でもみんな我慢してやってきたんだ、というのは正論かもしれないが、もうそれでは人生が報われないし、組織を信じて頑張れない世の中になった。非婚化・少子化は、そういう結果ではないのだろうか。