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豊田章男氏も祝福? 日産「NISMO」が40周年! 今後の展望は

2024年09月18日 18:40  マイナビニュース

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画像提供:マイナビニュース
日産自動車と日産モータースポーツ&カスタマイズは9月17日、「NISMO」ブランド誕生40周年を祝う記念式典を開催した。レセプションには長谷見昌弘、星野一義の両レジェンドのほか、マッチこと近藤真彦氏やトヨタ自動車会長の豊田章男氏らも祝福に駆けつけた。


日産の内田社長は何を語った?



登壇した日産自動車の内田誠社長は、「日産は創業当時から、他のやらないことをやるという精神でモータースポーツに挑戦してきましたが、それを体現するのがNISMOです。この40年間、各国のエキサイティングなモータースポーツの世界で、独自性にあふれる革新的な技術を鍛え、ワクワクするドライビングでファンの心を動かしてきました。今年は柱のひとつであるフォーミュラeのレースが日本で初開催され、またロンドンでの最終戦ではラウンド優勝を果たすことができました。来シーズンからは日産の電動化技術がより本格的になり、さらに進化を遂げる予定です」と挨拶。また、「もうひとつの柱であるスーパーGTでは各チームがしのぎを削っていますが、社会や環境のニーズに合わせてモータースポーツを取り巻く環境が大きく変化しており、カーボンニュートラル燃料の使用などに対応を進めていく必要があります」と今後の展開を示唆した。


次にサプライズゲストとして登壇したのが、トヨタ自動車の豊田章男会長だ。「実はトヨタ会長としての招待状は来ておらず、本日はSTMO(一般社団法人スーパー耐久未来機構)理事長として招待を受けました」と会場を笑わせた後、「スーパー耐久はNISMOさん、日産さんに支えていただいたと言っても過言でないと思います。現在はトヨタ、スバル、ホンダなど各チームにサブブランドができていますが、その流れを作ったのが日産。参加型レースの先駆者として未来を作り、引っ張っていただきたいなと思っています」と想いを語った。


NISMOの片桐隆夫社長は、「皆様の支援のもと、ルマンやデイトナ24時間、国内トップカテゴリーのレースで幾度となくチャンピオンや表彰台を獲得してまいりました。今後もフォーミュラeとスーパーGT500クラスというワークス活動二本柱でさらなる飛躍を目指します。NISMOロードカーについてもアリアNISMOが間もなくヨーロッパで発売される予定で、それを皮切りにグローバルでのNISMOラインアップを広げていく予定です」とした。


レジェンドドライバーが夢の共演



この後のトークセッションでは長谷見昌弘、星野一義というNISMOの両レジェンドをはじめ、マッチやNISMOの現役ドライバーらが登壇。星野氏は1985年のWECジャパンを振り返り、豪雨の中でトップチェッカーを受けた場面を「もう帰りたいと思ったけれども、難波社長(NISMOの初代社長)から、『星野、チャンスだから行け』って言われて、もう水の上を魚のように走れた」と語った。


近藤氏は、「日産マーチを駆って富士フレッシュマンレースでデビューしたのが1984年で、NISMOの創業と同じ年でした」と話し、後方の画面に映し出された星野氏との記念写真を見て照れまくりだった。

「後輩ドライバーにアドバイスを」と振られた長谷見氏は、「とにかくドライバーとして失敗しないで、ゴールの時は1台でも前に行くということを考えてほしい」と述べた。



一方の星野氏は「失敗があるからいい。限界を越えないで金魚のフンみたいに前について行ってもダメ。プロなんだから。ぼくと長谷見さんなんか、予選の時は目があっても口を聞かなかった。どっちもトップを取りたいんだから」と正反対の意見。プロドライバーの厳しさを語ってくれた。


会場となった日産本社のギャラリーには、ステージ上の「日産フォーミュラe(gen3)」や「Z NISMO GT500 (2024)」などの現行レーシングカーをはじめ、1990年に星野一義選手が乗ったブルーの「スカイラインGT-R グループA カルソニック (BNR32型)」や、1992年にデイトナ24時間レースで総合優勝した「ニッサンR91CP」、1998年にルマン24時間レースで総合3位となった「ニッサンR390GT1」などの歴代レースカー、さらには「フェアレディZバージョンNISMO タイプ380RS」「NISMO400R」「NISMO270R」「ノート オーラNISMO」などのNISMOロードカーが展示され、はなやいだ雰囲気となった。この特別展示は10月15日(火)まで開催中。12月1日には富士スピードウェイを舞台に40周年を記念した「NISMOフェスティバル」を行う予定だ。


原アキラ はらあきら 1983年、某通信社写真部に入社。カメラマン、デスクを経験後、デジタル部門で自動車を担当。週1本、年間50本の試乗記を約5年間執筆。現在フリーで各メディアに記事を発表中。試乗会、発表会に関わらず、自ら写真を撮影することを信条とする。 この著者の記事一覧はこちら(原アキラ)