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『ぼくのお日さま』奥山大史監督インタビュー。ハンバートハンバートの楽曲、池松壮亮との出会いが与えたもの

2024年09月13日 18:10  CINRA.NET

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Text by 小林真梨子
Text by 生田綾

雪の降る地方の街を舞台に、すこし吃音のある少年とフィギュアスケートを学ぶ少女、選手になる夢を諦めたコーチのつながりを描く『ぼくのお日さま』が、9月13日に全国で公開される。

長編デビュー作となる『僕はイエス様が嫌い』で『第66回サンセバスチャン国際映画祭』最優秀新人監督賞を受賞した奥山大史(おくやま ひろし)による初の商業映画で、監督・撮影・脚本・編集と映画制作の一連の流れを自ら務めている。

フィギュアスケートを習っていた奥山自身の記憶も反映されている本作では、成長の過程にある子どもたちの心の機微と、淡くてもろい人間関係が美しい映像で紡ぎ出される。ハンバート ハンバートの楽曲“ぼくのお日さま”と、スケートのコーチ役を演じた池松壮亮との出会いを通して構想が固まっていったという本作について、奥山に聞いた。

(C)2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

―監督が子どものときに習っていたフィギュアスケートを作品の題材にしたのは、なぜでしょうか?

奥山大史(以下、奥山):自分が通っていた学校での体験をベースにした『僕はイエス様が嫌い』の次に何を作るか考えていたとき、原作がある作品の映画化の話をいただいたりもしたんですが、自分のなかにまだ初期衝動みたいものが残されているのではないか、という気もしていました。

20代のうちに商業映画を撮ることができるのであれば、そのタイミングを逃さず、自分のなかに残っているものを撮ってみようと思ったんです。それで撮りたいと思うものを書き出したんですが、上のほうに自分が経験していたフィギュアスケートがありました。

奥山大史:1996年東京都出身。長編映画初監督作『僕はイエス様が嫌い』(2019)が『第66回サンセバスチャン国際映画祭』最優秀新人監督賞に輝く。史上最年少受賞を記録したことで世界的に注目を浴びる。米津玄師“地球儀”のMVでは監督・撮影・編集を手がけた。エルメスのドキュメンタリーフィルム『HUMAN ODYSSEY』では総監督を務め、Netflixシリーズ『舞妓さんちのまかないさん』では5、6、7話の監督・脚本・編集を務めている。長編2作目となる映画『ぼくのお日さま』が、今年の『第77回カンヌ国際映画祭』オフィシャルセレクション部門へ日本から唯一出品された。

奥山:『イエス様』はワンシーンワンカットでフィックス撮影している、絵の動きが全然ない作品だったんですが、フィギュアスケートを題材にすることで、『イエス様』では描けなかった身体性や動いている絵を撮ってみたいという思いもありました。そういったチャレンジもできるだろうと思ったんです。

ただ、スケートをそのまま映画にすると自分の思い出再現映像になってしまい、それは人にとって見るに堪えないつまらないものになってしまう。どうすれば映画になるだろうと考えて、4年くらい経ってから、ハンバート ハンバートの“ぼくのお日さま”という曲に出会って。この「ぼく」を主人公にしてみようかと考えるようになり、池松壮亮さんにも出会って、だんだん作品の構想ができあがっていきました。

巡り合わせだと思いますが、“ぼくのお日さま”と池松さんと出会ったのはほぼ同じ時期で、そこからプロットをつくるまでは半年くらいのスパンでとても早く進みました。

―初期衝動というのは、ご自身の経験をベースにして作品をつくるという意味での衝動でしょうか?

奥山:そうですね。創作するうえで、「つくりたい」と思う衝動は人によって違うと思いますが、自分は子どもの頃の思い出や想像を映像にしたいと思いました。

子どものときに考えていたけれど忘れてしまったことを思い出させるような映画にしたい、という気持ちがあるんです。自分は子どものころの記憶が比較的人よりも明確に残っているほうで、「あのとき何をした」といったことに限らず、「あのときあんなことをあんな風に考えていた」みたいなことをよく覚えているんです。もしかしたら皆さんも同じくらい覚えているかもしれないですが。

子どもってじつはめちゃくちゃ考えているし、大人が想像するよりも理解しているし、いろんな感情を持っています。だからそれを描きたいと思いました。同時に、自分自身も人並みの忙しさに呑まれていくうちに、当時の記憶を忘れはじめているという自覚もありました。これからどんどん忘れていくだろうという予感もあったので、覚えているうちに撮りたいという思いもありました。

―奥山さんは子どものころ、どんなことを考えているお子さんだったんですか。

奥山:『イエス様』のとき、自分が子どもの頃に感じていた気持ちを結構出したので、今回はフィギュアスケートを主にストーリーラインに反映しています。子どものころの記憶だと、たとえば「誰かを好きになる」ということ一つとっても、それが「憧れ」なのか、恋愛対象として「好き」なのか、友達に対する「こいつと一緒にいたいな」という気持ちと変わらないのかもしれないとか、よくわからない感じがありましたよね。そういった部分はもしかしたら反映されているかもしれません。

あとは建前が、すごく嫌だったという記憶があります。大人の、本人がいるところといないところで、言うことが全然違ったりするのとか、とにかく苦手で。さくらのお母さんは基本的に建前で話す人で、子どもから見たときの大人の嫌なところをうまく山田さんに演じてもらえたと思います。

……そんな子どもだったはずなんですが、いまは、めちゃくちゃ建前で生きています(笑)。

―年を重ねるとそうなってしまいますよね(笑)。

(C)2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

―作品に登場する三人(タクヤ、さくら、荒川)はそれぞれ孤独感があるという点で共通していますが、荒川は、仕事もあるし、パートナーもいるけれど、なんとなくちょっと浮いている存在です。どんな人物像をイメージしていましたか。

奥山:荒川役を演じている池松さんとは、レストランでご飯を食べているとき、一緒にいた方が偶然池松さんの知り合いで、ちらっとだけお話したことがありました。

『僕はイエス様が嫌い』が劇場公開はおろか、映画祭でも上映される前だったんですが、「イエス様、楽しみにしています」と言ってくださって。優しい人だなと思ったのと同時に、映画にすごく詳しい方なんだなと思って。池松さんのお芝居が好きだったので嬉しかったんですが、そのあと仕事のお話も持ちかけてくださって。

奥山:それをきっかけに再会してから、エルメスのドキュメンタリーを作ることになった際、池松さんにも被写体の1人になっていただきました。その時に池松さんの人となりが少し見えてきて、多少距離が近くなったから言える表現ですが、独特の倦怠感やどこか諦めている感じを纏っていて、それがとても魅力的に見えました。それを取り入れたいと思って書いたのが荒川というキャラクターです。

―どこか得体の知れない感じがしますよね。

奥山:何を考えているかわからないけど、とても真っ直ぐに、誰かを大切に思っている気持ちや、優しい気持ちが伝わってくる瞬間がある。けれど、やっぱり、なぜそこまでするのかわからない瞬間もある。そんな掴めそうで、なかなか掴めない感じがぼくにとっての荒川であり、池松さんです。

(C)2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS 

―荒川には同性のパートナーがいて、パートナーの五十嵐役を若葉竜也さんが演じています。さくらが二人の姿を見て取った行動は、物語のなかでターニングポイントとなっていますが、ショックな場面でもあると思います。当事者への無理解もですし、子どもの残酷さも感じましたが、さくらが取ってしまった行動についてはどう考えていましたか?

奥山:あの行動は、起承転結でいうところの転にあたると思います。映画の前半では、子どもながらの純粋さみたいなものを撮りたいと思いながら、後半ではその表裏一体にある、純粋ゆえの残虐性や残酷さも撮りたいと思っていました。それは『イエス様』のときも今回も変わっておらず、純粋すぎるゆえの残酷さを描くために一つひとつのセリフを考えていきました。

もう一つ考えていたことは、「みんなが仲良くなりました、幸せでした」みたいに、ピースが全部ハマって完成する映画は個人的にはあまり心に残らないんです。あと一歩で完成だったのにピースがバラバラになってしまったというほうが意外と心に残っているし、思い起こされたりする。あともう少しでやっと満足するところまでいけるぞ、というところで足元掬われるような出来事にあってどん底にいるような気分になる。そんなことが人生には良くあるじゃないですか。そんなことを考えながら、あの展開ができあがっていきました。

(C)2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS 

―タクヤは何があったかは結局わからない状態で、ある種、みんなから置いてけぼりにされてしまいます。主人公だけれど傍観者のような立場でもありますが、はじめから意図されていたのでしょうか?

奥山:自然とそうなっていった部分もありますが、あるとすれば、『イエス様』はほぼ主人公の視点で進んでいく作品だったんですが、振り返ると大人の視点があまりにも少なかった。お母さんや先生はどう思っていたか、主人公から見たものでしかなく、あの映画はそれでよかったと思っているんですが、次に映画をつくるときは大人から見た子どもの視点を描いてみたいとも思っていました。

そこへの挑戦は初めてだったので脚本はすごく苦労しました。これは三人の視点が交錯していく物語だから主人公が見えていないことがあってもいいのかとか、そのバランス感覚は撮影中も編集中も悩んでいましたね。

―以前インタビューで、『マカオ国際映画祭』で審査委員長の陳凱歌(チェン・カイコー)監督が語った、「1作目を撮るのは意外に簡単だ」という言葉に言及されていました。1作目を超える作品をつくらなければならない、と。

奥山:映画祭が終わったあとに言われたんです。「君たちはこれで満足しているだろう。ただ、頭のなかでずっとつくりたかったものを作品にしたのだから、1作目が面白いのは当然だ。2作目、そして3作目をつくり、ああもうこれ以上やるものがないぞとなってから面白いものをつくるのがプロだ」という話をしていて。やば、と思いました(笑)。

―そのプレッシャーと向き合いながら2作目をつくられたんですね。

奥山:自分では1作目をやり切った感もあって、そのあとは、つくりたいものをなるべく出さないようにしよう、創作意欲を溜めておこう、映画のために温存しておかないと、という不思議な焦燥感もありました。

ただ、『ぼくのお日さま』でもう一度撮りきれた気がしたので、いまはもう少し外に求めてみようかなという気になっています。具体的に言うと、原作ものにも挑戦してみたいですし、今回池松さんから何か一緒にやろうと声をかけてくださったこともそうですが、巡ってくる機会を大事に丁寧に取り入れていくことが、やはり大事なんじゃないかと思っています。

―奥山さんは脚本、監督、撮影、編集を全部一人でやられていますが、今後もそのスタイルで作品をつくられるんでしょうか。

奥山:映画以外のCMやMVでは撮影はお任せすることが多いんですが、映画ではしばらく続けていくんじゃないかなと思います。

ただ、今回、編集はじつは一人じゃなくて、フランスのエディターさんにも入ってもらって、その方の力をすごく借りました。撮影に関してもBカメで堀越優美さんに入っていただいています。映画においては誰かに任せきるという選択は積極的には選ばないと思いますが、人の力を借りたほうが映画が面白くなると信じたときは、そっちに飛び込むべきだと思っています。

(C)2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS 

―一人ですべて担うのは本当に大変だと思いますが、そうされるのはなぜでしょうか?

奥山:「一人でなるべくやりたい」という気持ちがあるわけではありません。自分よりも素晴らしいカメラマンはこの国にもたくさんいるし、脚本でも編集でもそうだと思っています。

ただ映画の場合は、脚本を自分で書いた以上、その作品については自分が一番考えている時間が長いはずで、だからこそ撮りたい画はしっかり浮かんでいるはずだし、撮った画のどこを使うべきかも自分が一番わかっているはず。つまり、作品に対して愛情を自分が一番捧げることができるはずだという信念で突き進んできました。客観的な視点がなくならないように人の意見を取り入れながらになりますが、自分で書いた脚本を映像化するなら、できることはなるべく自分でやったほうが、良くも悪くも角が取れていない、原石のようなものが作れるといまのところは考えていますね。