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【平成の名力士列伝:安美錦】関取在位史上1位タイ 数多のケガを強さの源にしてきた「稀代の業師」

2024年09月07日 07:30  webスポルティーバ

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 平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

 そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、度重なるケガにも負けず土俵を沸かせた安美錦を紹介する。

連載・平成の名力士列伝10:安美錦

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【横綱・貴乃花の現役最後の相手】

 類い稀な巧さとセンスが詰まった業師(わざし)ぶりで平成の土俵を沸かせた安美錦は、まさに相撲をやるために生まれてきたと言っても過言ではなかった。

 相撲どころの青森県出身で、保育園の文集にはすでに「大きくなったらお相撲さんになりたい」としたためていた。初めて廻しを締めたのは3歳の時。近所の相撲道場で青森県相撲連盟会長も務めた父親の英才指導を受け、「生まれたときから相撲取りになるものだと思っていた。相撲以外の職業は考えたこともなかった」と本人も語っている。

 入門から3年半の平成12(2000)年7月場所、21歳で新入幕を果たすと10勝をマークして敢闘賞を獲得。117キロの幕内最軽量ながら、頭をつけて相手に食い下がり、出し投げで崩して攻める取り口は好角家をも唸らせ、土俵際で回り込んで勝機を見いだすしぶとさも、若き相撲巧者の持ち味だった。

 再入幕の平成13(2001)年3月場所以降は幕内に定着し、1年後の3月場所で初の技能賞を獲得。平成15(2003)年1月場所には横綱・貴乃花への初挑戦で初金星を挙げ、この一番限りで引退した「平成の大横綱」最後の相手としても脚光を浴びた。

 その2場所後には11勝を挙げて2度目の技能賞を受賞。安美錦の土俵人生は順風満帆に見えた。だが、平成16(2004)年名古屋場所で右ヒザの前十字靭帯を断裂する大ケガを負って暗転する。医師からは手術を勧められたが、患部にメスを入れれば復帰までに半年以上を要することから、迷った末に26歳を目前にした年齢も考慮し、手術を回避。ケガとはうまく付き合っていくことを決意した。

 重傷をきっかけに、意識は大きく変わった。本格的に増量にも励み、取り口も変貌を遂げることになる。

「前は押し込まれて我慢してという相撲しか取れなかったけど、ヒザに負担をかけないように、前に出ようという意識になった。体も大きくなって踏み込みの圧も出てきた」

 1年後の平成17(2005)年9月場所には横綱・朝青龍を初めて撃破し、金星をゲット。さらにその翌年の9月場所は優勝戦線にも名を連ね、11勝で3度目の技能賞を獲得し、翌場所は新小結に昇進した。

 しかし、いいことばかりではなかった。過酷な増量は、苦痛も伴った。枕元にはおにぎりやハンバーガーなどを常備し、目が覚めては口の中に押し込んだ。体重は「届くとは思わなかった」という150キロを超え、もはや小兵の体型ではなくなった。155キロに到達すると首回りが太くなり、喉元を圧迫。食べ物がなかなか通らないばかりか、呼吸も苦しくなり、肝臓も異常をきたした。

「相撲的にはよかったけど、日常生活が苦しくなって、もう限界かなと」

 無理な増量はやめたが、相撲ぶりは業師というよりは、まずは立ち合いでしっかり当たって相手を押し込み、積極的に前に攻める力強い内容が目立ってきた。

【「ケガと一緒に強くなってやってこられた」】

 平成19(2007)年9月場所は新関脇で初日から8連勝。その後は5連敗と失速したが、10勝をマークすると「若いときより上(大関)を目指せると思えるようになった」と28歳にして確かな手ごたえをつかんだのだった。

 その後は三十路の大台に乗っても"上位キラー"として、三賞と三役の常連であり続けた。しかし、古傷の右ヒザを無意識に庇ううちに反対側の左ヒザも支障をきたすようになり、三役に返り咲いても勝ち越すことも難しくなってきた。

 平成26(2014)年7月場所は小結で3勝12敗と大きく負け越し。前年に前十字靭帯を部分断裂した左ヒザの状態が悪化し、両ヒザは"爆弾"を抱える状態になっていた。「独身だったら、引退していただろうね(笑)」と"引退危機"は入院時の身の回りの世話や病院、リハビリの送迎など、当時新婚だった夫人の献身的なサポートで乗りきると、直後の9月場所は10勝の好成績で実に約4年半ぶりの三賞となる技能賞を獲得した。劇的な復活を遂げたものの、相撲の神様は技能派の大ベテランに、さらなる試練を与えるのだった。

 平成28(2016)年5月場所2日目の栃ノ心戦で左アキレス腱を断裂。力士生命を大きく左右するピンチに襲われたが、心が折れることはなかった。わずか2場所の休場で同年9月場所には十両10枚目で土俵復帰。この場所から7場所を要して平成29(2017)年11月場所、昭和以降では史上最年長となる39歳0カ月で入幕を果たした。

 奇跡のカムバックを支えたのは、やはり家族の存在だった。この場所は千秋楽に千代翔馬を上手出し投げで降し、勝ち越しを決めると3年ぶりの三賞となる敢闘賞を受賞。普段は殊勲の星を挙げてもクールな男が「負けて泣くことはあっても、勝って泣いたことはなかった。この歳になってこんな経験ができるなんて、ありがたい。感謝しかない」と声を詰まらせた。

 何度も苦境から這い上がって来た"不死身の男"も、十両11枚目で迎えた令和元(2019)年7月場所2日目、寄り倒された際に右ヒザを負傷したことで引退を決意。40歳で土俵を降りたが、関取在位114場所は魁皇と並び、史上1位タイである。

 上位戦の土俵上では"ポーカーフェイス"を貫きながら、常に何かをやってくれそうな雰囲気を漂わせ、貴乃花、武蔵丸、朝青龍、白鵬、鶴竜と対戦した横綱すべてから金星を奪い、その数は8個。22年半もの現役生活の大半はケガとの闘いに終始したが、「ケガと一緒に強くなってやってこられた。ここまで相撲と向き合わせてくれたのは、ケガのおかげ。ケガにも感謝しています」と何ごともプラスに捉える芯の強さも、「稀代の業師」の長い相撲人生を支えていたのだった。

【Profile】安美錦竜児(あみにしき・りゅうじ)/昭和53(1978)年10月3日生まれ、青森県西津軽郡深浦町出身/本名:杉野森竜児/しこ名履歴:杉野森→安美錦/所属:伊勢ヶ濱部屋/初土俵:平成9(1997)年1月場所/引退場所:令和元 (2019)年7月場所/最高位:関脇