オタクをこじらせたまま、40歳になった。順調に行けば僕は60までに死ぬので(生命線がその辺で切れているし、不摂生だし、年々立ち眩みの頻度も増えている)、ぼちぼち終活を意識し始めている。基本的に財産らしい財産は有しておらず、あるのは怪獣人形とかガンプラとか、そんなのばかり。
その大半は市場価値が現時点ではほぼほぼ無価値なものだが、恐らく30年後、40年後、50年後……いずれは高騰するものもあるはず。見立てが正しければ、の話だけど。
そんな中で最近、「これらコレクションをいつまでも保有しているべきでもないのかもな」と思うようになった。手元にあるフィギュアや書籍なんかは、オークションで数万ぐらいに競り上がるものもわずかながら存在している。ところがそんなモノに限って、大して思い入れがない。
おじさんになって結局目を引くアイテムとは何か? と振り返ると、子供の頃に死んだ祖父に買ってもらった安い怪獣ソフビぐらいのもの。あとは友達にもらった無価値な量産品とかね。もうなんか、そういうものだけ手元に残して、後はささっと処分してもいいように思えてきた。(文:松本ミゾレ)
二束三文で買い叩かれる事態を防ぐために……
10代の頃からオタクをしていると、それなりに他のオタクとも知り合うわけだが、自分より年上のオタクたちがこの頃、病気がちになったり、老々介護をスタートさせたり、それこそ死んでしまうことも増えてきた。
そして、オタクというのは莫大なコレクションを抱えたまま死にがち。残された遺族がいるならまだマシなほうで、ホビーオフなんかに売ってもらえば、市場に貴重品が出回って誰かの手にわたり、それから何十年も残ることになる。
しかし、しかるべきルートで売却すれば葬式代どころではない金額になるのに、その辺の中古買取を利用したために買い叩かれてしまった、ってケースもあるだろう。
実際、そういったことを見聞きすることが2回か3回あったので、自分のコレクションの大半を、実は既に多数処分しはじめている。一山いくらのものはまとめてオークションに出したり、友達に押し付けたりして。
そしてまだ手元にあるモノについては、貴重品だったり将来的に価値が高くなると目されるアイテムの目録を書いている最中である。これなら僕が突然死んでも、誰かがその価値に気付いて適切な方法で譲渡ないし販売することができるはず。現代は便利なもので、目録に関しては、クラウドサービスで友人と共有することを検討している。売却先候補のURLも追記とかできるし。
そうこうしている間にも僕は日に日に老いていっているので、あんまり悠長にはやってられない。というか、これはとんでもない数のアイテムを蒐集するオタクなら全員早めにやっておくことだ。
もしも国内随一のコレクションを保有する人が独身で死んで、所蔵品が業者に廃棄されちゃったら、そのジャンルの損失は計り知れない。オタクが1人2人消えても問題はないけど、後世に残る“当時品”は1つでも多く現存するに限る。
繰り返しになるが、死後、委託された業者がまとめてゴミとして処分しては、目も当てられない。
蒐集も後のことを考えてコンパクトに楽しむ
それこそ20代から30代前半にかけては、とにかく集めるフィギュアにもこだわっていた。高額な完成品フィギュアとか、限定●体のソフビとか、そういう感じの。でも、これをやってて思ったのは「楽しくねえ!」であった。
やっぱりフィギュアはブリスターから出してガシガシ遊んでなんぼ。でもそれをやると価値が下がる。若い頃の僕は、そのジレンマにかなり苦しんだ。で、結局未開封のまま腐らせていた。
今年に入り、そういった勿体ない所有物は、全部開封して思う存分いじくり回した。遊ぶだけじゃなく、リペイントまでして価値を下落させた。そうして、まとめて安く売り払ってしまった。すると何ともスッキリしたのである。
手放すには惜しいモノも、手放してしまえばもうどうでも良くなる。だけど、根がオタクで蒐集癖もある僕は、そうは言っても何かを集めずにはいられない。そこで最近になってから、お菓子のおまけのシールを集めるようになった。これなら嵩張らない。ファイルに収納すれば本棚さえあればいいだけの話。
そして今更シールなんてそんなに高騰しないはずなので、いざとなったら燃えるゴミで出すか、欲しい人に譲ればいいので集めていて気楽なのだ。
人生は有限。さらに言えば、死ぬ瞬間まで体と頭がしっかり動くという保証もない。いつかはコレクターも蒐集を引退しなければならず、しかもそのXデーはいつかも分からない。
終活。それも所持している貴重品の目録作成は、オタクなら絶対に頭が元気なうちにやっておくべきだ。