Text by 生田綾
8月26日に配信したPodcast番組『聞くCINRA』で、先の都知事選に出馬した安野たかひろさんと、安野さんを支えた「チーム安野」の一員である黒岩里奈さんにご出演いただいた。AIエンジニア、起業家、SF作家という「三足のわらじ」を履きながら、「テクノロジーで誰も取り残さない東京」をモットーに立候補し、15万票以上を獲得、5位という結果で注目を集めたお二人だ。
出演をオファーしたのは、安野さんと「チーム安野」の選挙戦の取り組みや、発信しているメッセージに新しさと勢いを感じたからだった。
「デジタル・デモクラシー(民主主義)」を掲げ、デジタルを通して集まった意見をもとに、選挙期間中もマニフェストは更新されていった。建設的な批判は除くと前置きしたうえで、支援者には「他の候補者やその支援者をおとしめるような発信・行動」は控えてほしい、と発信していた。
安野さんは番組の中で、「私たちは100%正しいと思っていない。むしろ足りない部分はみんなで考えていこう、と言えた」チームだった、と振り返ったが、エラーがあることを前提にまずは推進していくこと、エラーや足りないところがあったらアップデートすれば良いという姿勢には、エンジニアである安野さんのルーツを感じ、強い好感を持った。
番組では、「チーム安野」のこうした取り組みや、イデオロギーや党派性についても聞いている。信条や思想が、保守かリベラルか、右か左かという二元論でラベリングされてしまうことにも言及があり、とても興味深い内容になっていると思うので、ぜひたくさんの人に聞いていただけると嬉しい。9月2日配信回では、作家と編集者である二人に、小説について聞いている。
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収録を反芻しているとき、Xで、朝日新聞のコラム記事(*1)が話題になっていた。
作家の星野智幸さんによるコラムで、『言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル』というタイトルがつけられている。有料記事なのだが、チャンスがあればぜひ全文を読んでみてほしい。記事の中で星野さんは、「リベラルな考え方の人たちは『正義』に依存している」と指摘し、リベラルは個人主義であるはずなのに、「正義」に依存するために個人であることを捨てている、と書いていた。
このコラムをめぐり、賛否を含めてさまざまな意見が交わされている。私としては書かれていることに「それは違うのでは」と思う部分もあれば、同意する部分もあった。
とくに、星野さんがこのコラムを書くに至った理由について、とても共感した。星野さんは、政治や社会を語る言葉が単に「消費財」の役割しか果たさず、分断をむしろ加速させていると感じるのだという。
100%できているとはまったく思わないが、私自身は、政治や社会に関心を持つ人がもっと増えて、いまある社会問題に目を向けてほしいと思いながら、記事を書いたり発信したりしている。でも、「届いている」範囲が限定されている、という感覚がある。半径5メートルから、もっと広がって日本に住んでいるありとあらゆる人に届いてほしいと思っているが、なかなか難しい。無関心層、自分と考えや信条が違う人にも届けたいが、「届けられている」と胸を張って言える自信はない。
カルチャー×ソーシャルをテーマにした『聞くCINRA』では、エンタメのこと、社会課題のことについてゲストと楽しくおしゃべりをしているが、あるときMCの南さんから、「マイクロアグレッションとか、ミソジニー(※)とか、番組の中で知らない用語や横文字がいきなり出てきて、ついていけない」とリスナーから言われた、と聞いた。自分が話すことや何気なく使っている言葉に、わざわざ耳を傾けてくれた人の心を遠ざけてしまうものがないかということには自覚的でいたい。
「分断」とは、「信条や主義主張の違い」というわかりやすく大きなレイヤーだけではなく、この人と好きなものが違うとか、この人の使っている言葉がわからないとか、そんな小さなレイヤーの「すれ違い」が積み重なり、お互いを知ろうとする歩み寄りがなくなることで、深まるおそれもあるのではないか、と思う。
そういう意味で、星野さんのコラムはあらためて分断に目を向け、立ち止まって考えるきっかけを与えてくれる記事だと思うが、記事に対してはリベラル派の一部から、リベラルの「自省」を促すこの言説そのものを受け入れないような批判もあると感じる。都知事選でも、国政選挙でも、リベラル派が支持を広げられない、勝てないという事実はあるのだから、「届いていない人がたくさんいる」という事実は何度でも顧みられるべきで、何度でも深く考えられるべきなのではないか、と思うのだけれど……。
Podcastの都知事選回を聞き返しながら、コラムの反応を見ながら、そんなことを考えた。メディアにいる人間としては、分断を埋める発信を模索したいし、あらゆる意見を持つ人と話し、その人との対話を、世の中に届けていきたいと思う。