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「ゼルダの伝説 ティアキン」制作の舞台裏 「トーレルーフ」が生まれるきっかけとなった“3つのアイデア”

2024年08月28日 08:31  ITmedia NEWS

ITmedia NEWS

「トーレルーフ」の開発秘話が「CEDEC 2024」で明らかに

 任天堂の看板タイトル「ゼルダの伝説」シリーズ最新作「ティアーズ オブ ザ キングダム」(以下ティアキン)。2023年5月の発売以来、世界中のゲーマーを魅了し続けているこの大作だが、その中にある革新的な機能「トーレルーフ」の開発秘話が「CEDEC 2024」で明らかになった。


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 「トーレルーフ」は、主人公・リンクが天井を通り抜けて上に移動できる能力だ。この機能により、プレイヤーは建物や洞窟内での移動が格段に容易になった。一見単純な機能に思えるかもしれないが、この機能の実現には、複数の専門分野の技術と知恵を結集する必要があった。


 ゲーム内で洞窟や建物の探索をより自由に、そして楽しくするこの機能。その誕生の裏には、3人の専門家たちの努力と創意工夫が隠されていたのだ。


●地上、空、地下 複雑な地形の管理方法とは?


 トーレルーフ機能が生まれる以前から、開発チームではさまざまな技術的課題に取り組んでいた。これらの取り組みは、当初はそれぞれ独立した課題解決を目的としていたが、後にトーレルーフの実現に大きく貢献することになる。


 エンバイロメントプログラマーの朝倉淳さんはティアキンの開発において、ゲーム世界の3D表現をより効率的に行うための新たな手法の採用に取り組んだ。前作「ブレス オブ ザ ワイルド」では、2次元的な地形情報管理を担当。例えば、溶岩の近くで動物が不自然に出現しないよう、溶岩までの距離などの地形情報を2次元のテーブルデータとして管理していた。


 しかし、ティアキンでは、ゲーム世界が大きく立体化した。空島や地上、地底世界という階層構造を追加し、さらに複雑な構造の洞窟も登場。この3次元的な世界では、従来の2次元的な管理方法では対応が困難になった。


 そこで朝倉さんは、これらの立体的な環境を統一的に管理するため「ボクセルデータ構造」という技術を導入した。これは、3D空間を小さな立方体(ボクセル)の集合として表現する手法だ。


 朝倉さんのチームは、3Dソフトウェア「Houdini」を使い、ゲーム内の地形や建物の3Dモデルを取り込み、仮想的な光線(レイキャスト)を飛ばすことでプレイヤーが実際に移動できる場所を特定。その情報をボクセルの集合として効率的に管理できる形式に変換した。ボクセルにデータを格納することで、街道までの距離や樹木の密度などの情報を地上だけでなく、洞窟や空島といった立体的な環境でも一貫して管理できるようになった。


 加えて、地形コリジョンの裏側判定という、従来は困難だった処理も実現。これは、3D空間内のある地点が地形の表側(プレイヤーが通常アクセスできる側)にあるのか、裏側(通常はアクセスできない地形の内部や裏面)にあるのかを正確に判断する技術だ。この技術により、プレイヤーが地形の裏側に入り込んでしまうようなバグの防止や、複雑な洞窟などの3D環境でも正確に「内側」と「外側」を区別できるようになった。


 この手法により「一貫した地形情報へのアクセス手段」を提供することを実現。これは洞窟や空島を含む全ての環境で統一的に地形情報を参照でき、異なる環境間での挙動の不整合を防ぐことができた。


●「洞窟システム」で地形制作を自動化


 ゲーム内の地形制作を担当する、リードアーティストの竹原学さんは、ティアキンの開発で、前作の2.5倍の広さを持つ世界の制作に取り組んだ。竹原さんが直面した最大の課題は、この膨大な規模の地形を限られた人員でいかに効率的に制作するかということだ。しかし、単純にデータ制作を効率化するだけでは不十分だった。


 重要なのは、ゲームの遊びに基づいたアート表現を想像し、最終的なゲーム体験にどう結び付くかをアーティスト自身が確認すること。竹原さんはこの課題に対して“効率化と創造性は対立概念ではない”と考え、2つを両立させる方法を模索した。その一例が200以上ある洞窟の制作プロセスだ。


 竹原さんのチームは、遊びの要素を手作業で設計しつつ、それ以外のアート要素の適用を自動化する「洞窟システム」を開発した。このシステムにより、レベルデザインとアート制作を並行して進めることが可能になり、作業効率が向上したという。


 洞窟システムの成功を受けて、このアプローチは他の地形制作にも展開。空島の自動3Dモデル生成や、地底の鍾乳洞の自動生成など、さまざまな場面で活用した結果、洞窟システムは費用対効果の高いソリューションとなった。


 さらに、この取り組みは副次的な効果も生んだ。当初は手作業にこだわっていたアーティストたちが、自ら自動化を提案するようになったのだ。これは、効率化の中でも大事なものを見落とさないように心掛けた結果でもあった。


●コログ1000体、裏世界の穴……地形デバッグも効率化


 地形のデバッグ効率化も重要な課題だった。例えば、ハイラル全土に1000体以上存在するコログの確認作業を効率化するため、コログ自動撮影システムを導入。これにより、地形変更の度に全てのコログを目視確認する必要がなくなり、作業時間が大幅に短縮できた。


 地形モデルの穴を見つけるための「穴探しツール」も開発。このツールは、プレイヤーが地形の裏側に入り込んでしまうような危険な穴を効率的に見つけ出すために設計したもので、これによってゲーム体験に重大な影響を与える大きな穴と、影響の少ない小さな穴を大まかに判別することが可能になった。竹原さんのチームは、限られたリソースを効果的に活用するため、ゲーム体験に支障を来す大きな穴の修正を優先した。


 竹原さんは、これらのツールの開発と活用により、ゲーム制作のサイクルをより多く回せるようになったと述べる。「大事なものをなくさないために、その手段を考え、創造する」ことの重要性を説き、効率化の背景には常に面白いゲームを作るという目的があることを強調した。さらに、チーム内の透明性が高まったことで、問題解決がよりスムーズになったと付け加えた。


●ティアキン開発に使ったツールたち


 ゲームの動作仕様の確認などを手掛ける仕事、QAエンジニアの大礒琢磨さんは、ティアキンの開発において、QAの役割を根本から見直した。従来の「バグのないゲームを目指す」アプローチから「面白くてバグがないゲーム」を目指す新たな方針を打ち出した。


 大礒さんは、良質なゲーム開発には「制作と確認のサイクル」と「バグ検出のサイクル」の両立が不可欠だと考え、新しいデバッグツールの開発に着手。「敵生成ツール」や「ワープツール」「オブジェクト情報表示ツール」「アイテム管理ツール」などを開発した。


 敵生成ツールでは、任意の場所に即座に特定の敵キャラクターを出現させられる。これにより、敵キャラクターの挙動やバランスのテストが迅速に行えるようになった。ワープツールは、広大なゲーム世界内の任意の場所への瞬時な移動を可能に。これにより、特定の場所のテストや確認作業が大幅な効率化に成功した。


 オブジェクト情報表示ツールを使うと、ゲーム内のオブジェクトに関する詳細情報(配置した担当者、配置日時、前作からの継続使用かどうかなど)をその場で確認できる。これにより、オブジェクトに関する問題が発生した際の迅速な対応が可能になった。


 アイテム管理ツールでは、ゲーム内のあらゆるアイテムを即座に入手したり、装備を自由に変更したりできる。これにより、特定のアイテムや装備状態に関するテストが容易になった。


●開発者とテスターの壁を取り払う


 これらのツールは当初、開発者向けに作ったが、大礒さんは、開発者とテスターの間にある「情報の隔たり」と「ツールの隔たり」という課題に着目。これらの隔たりを解消することで、テスターがより効果的にゲームの品質向上に貢献できると考えたのだ。


 そこで、これらの高度なデバッグツールをテスターにも提供することにした。具体的には、開発者が使用している各種ツールをテスターも使えるようにし、開発ウィキやチャットツール、タスク管理ツールなども共有。さらに、開発者同士のミーティングにもテスターを参加させ、最新の開発情報をリアルタイムで共有した。


 大礒さんは、単にツールや情報へのアクセスを提供するだけでなく、テスターがこれらを適切に使いこなせるよう、ハンズオン資料も提供した。必要に応じて、Houdiniなどの有償ライセンスのツールも提供できるよう環境を整えた。


 この取り組みにより、テスターはより深いゲーム理解のもとでテストを行えるようになった。結果として、単なるバグ報告だけでなく、ゲームプレイの改善提案や、開発者が見落としていた問題点の指摘など、より質の高いフィードバックが可能になった。


 さらに、この協力体制は予想以上の効果をもたらした。テスターからは「チームの一員という意識を持てるようになった」という前向きな声が聞かれたのだ。これは、開発者とテスターが同じ視点から、同じ目標に向かってゲーム制作に取り組めるようになったことを意味している。


●「トーレルーフ」に結実した3つの取り組み


 ティアキンに搭載した独創的な機能「トーレルーフ」。この機能の誕生は、ここまで紹介してきた3人の専門家の独立した取り組みが予期せず融合した結果だった。アイデアが生まれたきっかけはテストプレイ中に浮上した「プレイヤーが洞窟の奥まで探索した後、歩いて引き返すのが面倒」という問題が指摘されたことだ。


 この問題に対処するため、開発チームはデバッグツールの一つ「指定場所へ即座にワープする機能」に着目。「プレイヤーがこの機能を使えれば面白いのではないか」。この発想がトーレルーフの始まりだった。


 しかし、単純なワープ機能では、ゲームバランスを崩す恐れがあった。そこで、天井を通り抜けて上に移動するというアイデアが挙がった。これなら、プレイヤーの探索意欲を損なうことなく、スムーズな移動を実現できる。


 このアイデアを技術的に可能にしたのが、朝倉さんが開発したボクセルデータ構造だった。3D空間全体をボクセルで表現していたことで「プレイヤーが到達可能な床」を高速かつ正確に判定できる状態が整っていた。トーレルーフの基本的なメカニズムを確立した。


 しかし、新たな課題が浮上。地形の裏側に残された、コリジョン(CGモデルが衝突したときの判定をする領域)の小さな穴の問題だ。朝倉さんはこの問題に頭を悩ませた。これらの小さな穴を放置すれば、プレイヤーが意図しない場所に侵入したり、ゲームの進行を妨げるバグが発生する可能性があったからだ。


 この問題に役立ったのが竹原さんのチームが開発した穴探しツールだ。しかし、このツールには限界があった。穴の大まかな位置は特定できても、具体的な修正には人の手が必要だったのだ。さらに穴の原因は複数の要素が絡み合っており、単純な自動修正は困難だった。


 また、穴探しツールを使うはHoudiniのスキルが必要で、誰もが扱えるわけではなかった。そもそも人手不足のため見送っていた数千もの小さな穴を、今回修正する必要が生じたのだ。竹原さんは、地形に詳しくHoudiniのスキルを持つ人材が必要と考えたが専門性の高い人材の確保と適切な配置は容易ではなかった。この状況に、竹原さんは頭を悩ませていた。


 突破口となったのは、大礒さんのQAチームが整えた開発チームとテスターチームの協力体制だった。大礒さんのチームは、テスターにも高度なデバッグツールの使用権限を与え、開発者との情報共有を促進する仕組みを既に構築していた。ゲーム内の地形に精通し、有償ツールのHoudiniも扱えるテスターが多くそろっていたのだ。


 テスターたちは新たに与えられたツールを駆使して効率的に問題箇所を特定し、詳細な報告を行った。開発者はその情報を基に、的確かつ迅速に修正を行うことができた。


 こうして、朝倉さんのボクセルデータ技術、竹原さんの効率的な地形制作と穴探しツール、大礒さんのQAプロセス革新と情報共有文化が見事に融合し、トーレルーフが誕生。この機能は、単なる移動手段の一つにとどまらず、ティアキンのゲーム体験を大きく豊かにする要素となった。