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巨匠漫画家・ながやす巧、傑作『愛と誠』の裏にあったリアル純愛物語と画業60周年でも尽きぬ創作欲

2024年08月16日 13:10  リアルサウンド

リアルサウンド

『愛と誠』の表紙は1枚絵としても素晴らしい作品ばかり。ながやすの絵の高度な技法を見ることができる。
■ながやす巧、画業60周年を振り返る

 純愛漫画の金字塔である『愛と誠』の原画展が、2024年7月5日から8月20日まで、東京都世田谷区豪徳寺の「旧尾崎テオドラ邸」にて開催されている。


   梶原一騎(原作)、ながやす巧(漫画)という伝説のコンビで生み出された『愛と誠』は、不良少年の太賀誠と財閥令嬢の早乙女愛の純愛を描いた、日本漫画史に残る傑作である。さらには愛に想いを寄せる岩清水弘の「きみのためなら死ねる!」など、今でも語り継がれる名言を生み出したことでも有名だ。


  ながやすといえば、アシスタントを使わず、背景からモブキャラまですべてを1人で描き上げる漫画家としても知られている。その圧倒的な漫画表現は、後進の漫画家にも多大な影響を与えた。『はじめの一歩』の森川ジョージをはじめ、その執筆姿勢を敬愛する漫画家は数多い。


  今年はながやすにとって画業60周年という節目に当たり、6月13日に日本漫画家協会賞を受賞したばかりである。今回はながやす巧と、その創作活動を支え、執筆を間近で見てきた妻・永安福子に独占インタビュー。色褪せることのない名作の魅力と知られざるエピソードを深掘りした。


■『愛と誠』に登場する建築が興味深い

――ながやす巧先生の原画展は各地で開催されていますが、「旧尾崎テオドラ邸」で原画展を開催することになった決め手は、何だったのでしょうか。


福子:「旧尾崎テオドラ邸」の運営に関わっている三田紀房先生から、ぜひやってほしいとお申し出をいただいたことがきっかけです。


ながやす:三田先生にそこまでお願いされたら、協力しなければ……と思ったんですよ。


福子:たくさんの漫画家さんがこの館の保存を応援するため、資金を提供していたことを知り、私たちもお役に立てればいいと思い、ハイッと手を挙げました。でも、最初は主人の絵と洋館は合わないと考えていたんですよ(笑)。


――いえいえ、蓼科高原にある早乙女家の別荘は戦前に建てられた洋館の趣がありますし、座王家は純和風の大邸宅、早乙女家の自宅も上流階級に相応しいモダニズム住宅ですから、名建築での展示はお似合いだと思います。『愛と誠』では、登場人物が暮らす邸宅が家系のイメージを投影していて、世界観の演出に一役買っています。さて、ながやす先生は『壬生義士伝』の執筆の際、資料集めを入念になさったと伺っていますが、『愛と誠』の時も事前に調べ物をされたのでしょうか。


ながやす:いえ、『愛と誠』のときは時間がなくて、そこまで調べていませんね。なにぶん貧乏でしたから、お金持ちの家なんてどんなものか知らないんですよ(笑)。早乙女家は建売住宅のチラシを見て、これを豪華に描けばいいのかなと考え、描いたものです。あと、蓼科駅も本当はないんだよね。でも、原作には蓼科駅と書いてあるからイメージで駅舎を描いたのですが、後で読者からでたらめだと怒られてしまいました。


福子:梶原さんからは特に資料も来ないし、背景を具体的にこんなイメージで描いてほしいという指定がないんですよ。原作をもらうまで何が出てくるかわからないし、いつも時間がなくていっぱいいっぱいでした。


――なんと、そうなのですか!


ながやす:もちろん、今だったら舞台になる場所に取材に行くと思いますし、資料を集めて描くと思います。ただ、当時はネットや資料集もなかったですから。原作を読んで必要なイメージをメモして「マガジン」の編集さんに伝え、撮ってきてもらった写真からイメージに近いものを選んだこともありますよ。


福子:早乙女家が愛の送迎に使う自家用車は、ちばてつや先生の作品中の車を真似して描きました。


■劇画なのに少女漫画タッチの場面も

――まだネットがなかった時代の漫画家の苦労がうかがえるエピソードですね。誠と愛が転校する花園実業高校は戦前の鉄筋コンクリート造の校舎を思わせる風格があります。新宿にあのような学校があったのでしょうか。


福子:古い本や写真を見て探したのかもしれないし、もしかすると、銀座の「泰明小学校」が参考になっているかもしれません。あそこを通ったとき、主人は「こんなところに学校があるんだ」と覗いていましたから。


ながやす:そうかもね。日比谷で映画を見た帰りに通っていたからね。


福子:映画を見たあとは帝国ホテルの近くで喫茶して、泰明小学校の前を通ることがありました。しょっちゅう見ていたので、頭の中にイメージが残っていたのかもしれませんね。


――高原由紀の愛読書、イワン・ツルゲーネフの『初恋』を描いた場面も魅力的です。まるで少女漫画のような繊細なタッチで洋館や人物を描いておられていますね。


ながやす:少女漫画を意識したわけではなくて、原作に書いてあることをイメージしながら描いたんです。すべてイメージですよ。洋館も、外国人の顔も、いろいろな映画を見たときの記憶を手繰りながら描いたものです。


福子:洋館といえば、マカロニ・ウエスタン(注:1960年代にイタリアで撮影された西部劇の総称)のバックにいろいろ古い家が出てくるんですよね。主人は『大草原の小さな家』も好きでしたし、その面影があると思います。


――ながやす先生の表現の多彩さを実感できる素晴らしい絵だと思います。


福子:あのシーンは、私も凄く好きなシーンです。展示会が決まった時、山下和美先生(注:旧尾崎テオドラ邸は漫画家の山下和美が中心になって保存活動が展開された)に「主人は劇画っぽい絵だけではなく、こういう絵も描くので、旧尾崎テオドラ邸に合うんじゃないですか」と提案したら、「いいじゃない!」と言ってくださいました。主人は本当になんでも描けるんですよ。『初恋』の場面なんて、このまま一本の漫画にしてもいいくらいです。


■ちばてつや先生のような絵が描きたかった

――先生は長崎県出身、熊本県育ちとうかがっています。子どもの頃から、絵を描くことはお好きだったのでしょうか。


ながやす:熊本に行ったのは5歳の頃で、ちょうど台風が来て、大洪水の日だったのを覚えています。絵を描き始めたのは、物心ついたころからです。小学校に入って卒業するまで、絵の展覧会に出品して、特選とか金賞をもらっていました。写生会でもみんなが風景を描く中、木の枝を描いたりしていましたね。絵具は賞品についてくるので、買う必要がありませんでした(笑)。


――漫画も熱心に読まれていたのですか。


ながやす:子どもの頃から漫画は読んでいて、『鉄腕アトム』や『鉄人28号』が大好きでした。夢中になって読みました。工作好きで、小学生や中学生の頃は戦艦大和をボール紙で作っていましたよ。


福子:そして、主人は中学生の時、ちばてつや先生の『ちかいの魔球』、そして『紫電改のタカ』を見て泣いてしまったんですよ。このとき、漫画家になろうと思ったそうです。


ながやす:それからもう、ちば先生の作品に心酔しましたね。絵柄も表現も大好きですし、作品の清潔感や、真面目で誠実なところが素晴らしい。僕もあんな風に描きたいなと思いました。


――ながやす先生は、ちば先生への尊敬の想いを公言しています。『愛と誠』の最初に登場する子ども時代の誠を見ると、ちば先生っぽいタッチを感じますね。


ながやす:はい。僕はちば先生に憧れて漫画家になったので、『愛と誠』でも、ちば先生の絵はだいぶ参考させていただきました。


福子:主人は、困ったときはちば先生の本を見て、同じようなシーンがないか探して使っていました。よく見ると、『あしたのジョー』で見たような風景もありますし、早乙女愛と白木葉子が、同じアングルでそっくりだったりするんですよ。


――そうなんですか。後で探してみますね(笑)。


ながやす:でたらめもいいところですよね(笑)。でも、見て描いたというより、ちば先生が描いた女性が頭の中に入っているので、そうなってしまうんですよ。ちば先生が描く小さい女の子もかわいいですね。


福子:主人が描く女の子の基準は、ちば先生なんです。『ぶらりぶらぶら物語』に子どもが出てくるんですが、本当にかわいいですよ。


■ちばてつやの漫画は教科書

――私は『愛と誠』の登場人物のなかでは座王権太が好きなのですが、悪役として登場するのに愛嬌たっぷりで、ギャグ顔も面白くてかわいいですよね。作中で、もっともちば先生っぽい雰囲気が感じられるキャラだと思いました。


福子:そうだと思いますよ。権太は『のたり松太郎』の松太郎みたいなキャラなのです。わがままだけれど、どこか憎めない。私も権太は大好きなのですが、話が進むにつれて、どんどんかわいくなっていくのが魅力ですよね。


ながやす:最初は、お化けみたいな感じだったものね(笑)。


福子:主人は、ちば先生のようなキャラを描いてみたいと思って、かわいくしたのだと思います。権太がバラの花をくわえている絵があるのですが、その絵を見て、梶原さんがくすっと笑って「いいじゃないか」と言ったそうです。「ワイのお父ちゃんは政界の大物で黒幕や」と言うシーンにある、「赤、白、黒幕……」というセリフも、ちば先生っぽい感じを出そうと、主人が演出したのだと思います。一種の遊び心ですよね。


――ながやす先生にとって、ちば先生の作品はどのような存在なのですか。


ながやす:ちば先生の作品は、僕にとって教科書なのです。ちば先生の表現は素晴らしいんですよ。同じ顔をもう1コマ描いて、目だけ動かしてこっちを見るという表現があって、実にうまいなあ……とびっくりしました。


――ちば先生の作品と出合っていなかったら、絵柄も変わっていたかもしれませんね。


ながやす:全然違う漫画を描いていたかもしれない。小島剛夕さん、平田弘史さんのような、リアル系の絵に行っていたと思います。


福子:ちば先生の絵は、劇画じゃないのに、違ったリアルさがあります。ジョーの表情一つ見ても真に迫ってくるのが魅力ですよ。


■アシスタントを使わずに1人で描く

――『愛と誠』はながやす先生が23歳の時、連載が始まったそうですね。原作の梶原先生は大変なこだわりをもつ漫画原作者ですが、『愛と誠』の漫画家がながやす先生に決まった背景も知りたいです。


福子:梶原さんは、『愛と誠』はイメージに合う漫画家がいなくて、温めていた物語なのだそうです。ところが、主人の『その人は昔』を読んで、「こいつだ、こいつに描かせろ!」とおっしゃったそうなんですね。どうしても漫画家はながやす巧で、と指名されたそうです。そこで、編集長が話し合いに来たのですが、主人は別の漫画のネームを描いていたので、一度は断ったんです。でも、編集長は「ウンというまで来る」と言うんですよ。そこで、私は「ちば先生と同じ雑誌で一緒に連載できるし、梶原さんとの作品を結婚の記念のプレゼントにしてちょうだい」と主人にお願いしたのです。


――なんと!


福子:そしたら、「おまえがそう言うならいいよ」と「結婚の記念のプレゼントにする」と主人が言ってくれて、引き受けることになりました。


ながやす:結婚したばかりでしたからね。それに、ちば先生と一緒に載るというのは楽しみでした。


――『愛と誠』の誕生の裏には、リアル『愛と誠』のような純愛物語があったわけですね。最後まで描き切ったのは、ながやす先生の奥様への強い愛があったというわけですか。


福子:主人は苦しい時でも、「おまえにプレゼントする作品だから手が抜けない」と言っていました。だから、最後まで一コマも手抜きがないのです。


――ながやす先生はアシスタントを使わずに漫画を描くことで有名です。しかし、いくら若いとはいえ、週刊連載を1人でこなすのは想像を絶する大変さだと思いますが。


ながやす:(1人で描くのは)当たり前だと思っていたけれどね。アシスタントを使わないのは、人がいると集中できないからです。僕は、集中しないと描けないんです。ただ、忙しかったですよ。寝る時間がないのは当たり前だし、突っ伏して机で1~2時間寝ては、起きて、描いていましたから。その週の原稿が終わったら布団でぐっすり寝るのですが、起きるころには原作が届いているので、すぐに原稿に取り掛かっていました。


福子:だから、髭も髪の毛も伸び放題で(笑)。当時は練馬区の南大泉町に住んでいて、最寄りは西武線の保谷駅でした。それなのに、連載中は池袋駅には1回しか行ったことがなくて、しかもその1回はサイン会だったんですよ。ちゃんとした写真を撮る時間もなく、近所の洋品店で買った服を着た写真しか残っていないんですよね。


ながやす:その頃は髪の毛もありました(笑)。忙しかったし、皮膚も弱かったので、髭は剃らないでそのままだったのです。


――ながやす先生、さすがにつらい時はアシスタントを頼んでくださいよ(笑)! 奥様も心配だったのではありませんか。


福子:私は主人が少しでも寝られるようにと思い、枠線、消しゴム、ベタまでは手伝っていたんですが、これなら誰でもできるんです。でも、絵は主人しか描けないですから。一度だけ、『牙走り』という作品を描いている時に編集さんが「ゴールデンウィーク前で締め切りが繰り上がったので間に合わない」と言って、神保町の旅館までタクシーで連れて行ったことがあるんですね。旅館には2人の漫画家さんが助っ人に来てくださっていて、背景を手伝ってくださったのですが、絵柄がまったく違う。完成した原稿を見て、「申し訳ない、手を入れさせてもらいます」と言って、ホワイトで背景を塗り潰して全部描き直していました。全部最初から一人でやったほうが早かったと思うのですが。


■“筆”は時短のテクニック!?

――ながやす先生の絵はペンタッチも魅力的です。筆で描かれた『愛と誠』の表紙絵は誠の男らしさが表現され、素晴らしいですよね。使用されている画材について知りたいです。


ながやす:Gペン、カブラペン、丸ペンですね。巻頭カラーや単行本の表紙など、カラー原稿は筆を使うことが多く、サクラ水彩で塗っています。


福子:実は、主人は時間がないときほど筆で描いているんです。『愛と誠』の10巻はそうですね。下描きをばっちり入れると鉛筆の線が残るので、アタリだけをつけて、筆で一気に描いていくのです。


――えっ!? この絵は時間がない中で描いたんですか!? 


福子:逆に、表紙絵をペンで描いているときは、十分に時間があるときですね。最後の16巻はきちんと描かなきゃと思って、時間をかけて丁寧に描いています。


ながやす:強いて挙げるなら、12巻の表紙が気に入っています。これも1時間もかからず、あっという間に筆で描きました。筆は勢いがつくし、速く描けるので重宝しますね。


――締切に追われながら絵を描いている、ながやす先生の姿が浮かんでくるようです。


福子:ある時、その週の原稿を上げてようやく寝られると思ったら、編集さんが「再来週にカラーの扉が付きますから、今日原稿をもらっていきたい」と言うんですよ。だから、20分くらいで描いたこともあります。そんな時はすべて筆です。今では絶対にできないですよ。


ながやす:再来週にはどんな話になるか、まだわからないでしょう。だから、内容と関係ない絵ばかりになってしまいました。『愛と誠』の文庫版が出る時は、内容に応じて、時間をかけて表紙を描きましたけれどね。


福子:でも、原画展では単行本の表紙や連載当時の扉が並ぶでしょう。だから、時間をかけていない絵ばかり展示されることになってしまうんですよ。


――時間をかけずに、あれほどのクオリティの絵を描いてしまうながやす先生の画力に圧倒されてしまいます。しかもデジタルではなく、すべてアナログですからね。


ながやす:機械で描くのは、よくわからないんですよね。手描きしか自分は知らないですから。


■好きな俳優は原田芳雄

――ながやす先生の描く漫画を読んでいると、一本の映画を見ているようです。間の取り方も見事ですし、描くキャラクターはすべて映画の登場人物に思えます。



ながやす:いろいろな映画を見てきましたから、映画の影響は大きいですね。おっしゃるように、僕は登場人物を映画みたいに描きたいんです。俳優では原田芳雄さんが好きですね。


――原田芳雄さん、かっこいいですよね。


福子:『愛と誠』の序盤で、誠がボクシング部の部長と決闘する場面があります。誠が剣山でパンチを受け止めるシーンを描いているとき、ごはんを食べましょうと、主人を呼んだんです。そして、テレビをつけたら、画面いっぱいに原田さんの顔がアップで写りました。気づいたら、2人で立ったまま見入ってしまったんですよね。


ながやす:いい顔だなあ……と思ったんです。原田さんの家に行った時は、ご本人を前に、じっと顔を見てしまったこともあります。原田さんに見てもらいたくて、切り抜いた写真のスクラップを持っていったくらいですよ。


――原田さんを参考に描いたキャラはいますか。


ながやす:誠はそうですよ。原田さんを若くした感じで誠のイメージを作っていきました。総じて、僕の漫画の主人公は原田さんの面影が表れていますね。ちなみに、早乙女愛のヘアスタイルは「わたしの彼は左きき」の麻丘めぐみさんのお姫様カットを参考にしました。


福子:『Dr.クマひげ』の国分徹郎もイメージは原田さんです。


ながやす:でも、『愛と誠』が映画になると決まって、西城秀樹さんに会ったら、誠の顔がだんだん秀樹みたいになっていきました(笑)。


――言われてみると、後半の誠は西城秀樹さんの雰囲気をまとっていますね。


福子:そういえば、早乙女愛役をオーディションで選ぶとき、秀樹さんが主人に「太賀誠って僕に似ていますよね」と言いました。主人が、「だって、映画化が決まってからは君の写真を見て描いたから」と言ったら、秀樹さんは「やっぱりそうか~!」と大喜びでしたよ。映画は3本とも秀樹さんにやってほしかったですね。


ながやす:僕は登場人物を作るとき、俳優なら誰がいいのかと考えて、イメージを当てはめるのです。原稿中は頭の中で俳優さんが動いていて、その光景を絵にしているのです。『壬生義士伝』の吉村貫一郎は加藤剛さんのイメージですし、斎藤一は原田芳雄さんのイメージですね。



■イメージをもとに自分の世界を創る

――ながやす先生が描く背景もため息が出るほど美しいのですが、『愛と誠』や『鉄道員』の雪の描き方には感動しました。


ながやす:『鉄道員』はとても楽しく描けましたね。浅田次郎先生の原作は読むだけでワーッとイメージが浮かんできましたから。


福子:“雪のながやす”と言われていますから、雪を描いた原稿は本当にきれいですよ。


――風景は取材で撮影した写真などを参考にして描いているんですか。


ながやす:『鉄道員』の駅は栗山駅をイメージの参考にしているのですが、いろいろなイメージを組み合わたので細部は違っていますから、具体的なモデルがないといえます。


福子:作中に登場するステンドグラスも、炭鉱の山と太陽を組み合わせてデザインを創り上げているんですよ。


――ながやす先生が描けないものなんて、あるんですか。


ながやす:駅のシーンなど、いっぱい人が出てくると困っちゃうんですよね。あと、ビルとかは苦手なんですよ。きちんとパースをとって描かないといけないでしょう。定規を使うとどうしても線が硬くなってしまう。海とか、自然のものはフリーハンドで自由に描けるので楽しいですよね。


福子:『壬生義士伝』では、農村の風景や茅葺屋根の家などを描いていますが、具体的なモデルはなくて、主人がその世界に入って頭の中で作り上げた風景なのです。


――そっくりそのまま描くわけではないのですね。


ながやす:舞台になる場所に取材に行って、例えば道幅などは参考にしますが、周りにある家を頭の中で消して、当時(江戸時代)のイメージを当てはめていくのです。


福子:主人が描いている姿を見ると、自分の世界を作っていると思います。私は役得ですよ、近くで完成した原稿を見れるのですから。波を描いても、馬を描いても、自動車も描いても上手い。この人はなんでも、自分のものにしてしまうんですよ。


■創作を支えてくれた妻に感謝

――先生は『壬生義士伝』の途中に脳卒中を発症し、中断を挟みながらも漫画を描き続けました。


ながやす:ちなみに、西城秀樹さんと同じ病院に入院したんです。病気をしたからこそ、生きているうちに描き上げたいと思えました。完結した時はほっとしましたよ。


福子:初期のうちに様子がおかしいと気付けたのは、本当に幸運だったと思います。入院は4回に及び、その間には「まんだらけ」で『愛と誠』の原画が販売される騒動もあって、精神的に追い込まれたこともあります。そうした騒動を乗り越え、無事に完結させることができた時は、私も本当に嬉しかったですね。


――ながやす先生は今年、日本漫画家協会から表彰された際も、奥様への感謝の言葉を口にされました。


ながやす:本当に感謝していますよ。ありがとうという感じです。


福子:50年も夫婦でいると、兄弟のような感じですね。特別な気持ちというよりも、自分の一部のような感じで一緒に暮らしています。なきゃいけない、あって当たり前と言いますか(笑)。


――そして、絵を描くことが楽しいという思いが、ながやす先生の創作の根底にあるように思います。


ながやす:漫画を描くことが楽しいんですよ。そして、実は絵を描くより、原作のストーリーを構成する作業がもっと楽しいのです。毎回、物語の世界の中で主人公や登場人物のひとコマひとコマが、まるで生きて動いているように見えてくるのです。感情移入して本人になりきって描いていますよ。


福子:描き始めると夢中ですよ。だから、今は仕事をしていないから一番しんどいと言っています。何もしないのは、生きていないのと一緒だと。しんどいと言いながらも、描いているときが一番楽しいんですから。


ながやす:最近は、フィギュアを集めたり、模型を作ったりすることも楽しんでいます。市販のフィギュアを改造するのも大好きですね。ただ、趣味の一環でも絵を描いていますが、仕事じゃないと気持ちが入らない。頼まれて一枚の絵を描いたのですが、やっぱりコマを割って、漫画を描きたいですね。


『ながやす巧「愛と誠」の世界展』イベント情報
<第53回日本漫画家協会賞・文部科学大臣賞/画業60周年/連載開始50周年記念>
『ながやす巧「愛と誠」の世界展』
開催期間:2024年8月20日(水)まで
営業時間:10:00 - 18:00(最終入館 17:30)※毎週木曜休館
開催場所:旧尾崎テオドラ邸(〒154-0021東京都世田谷区豪徳寺2丁目30-16)
入館料:① 入館料(ギャラリー観覧料含む)… 1000円(税込)
    ② アフタヌーンティー付き入館料(ギャラリー観覧料含む)… 5950円(税込)
    ③ 喫茶室席のみ予約付き入館料 … 1000円(税込)
    ④ 当日券 … 1500円(税込)
    ※全館キャッシュレス決済のみ可能となります。現金での精算はできません。
    (クレジットカード・交通系IC・PayPayなどがお使いいただけます。)
    ※ ①・②・③は「チケットぴあ」にて事前チケットを販売。
    ※ 当日券は利用者の来店状況により入館・喫茶室のご案内ができない場合があります。
ホームページ:https://ozakitheodora.com/
※ 詳しくは公式HP「チケット購入ページ」をご確認ください。