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東京国立博物館『内藤礼 生まれておいで 生きておいで』レポ。縄文の土製品から、生と死に思いをはせる

2024年08月14日 19:10  CINRA.NET

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Text by 今川彩香

東京国立博物館で、美術家・内藤礼の個展『内藤礼 生まれておいで 生きておいで』が開催されている。

「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」をテーマに制作している内藤が、収蔵品をはじめ建築空間、そして歴史に向き合った本展。150年の歴史を持つ東京国立博物館で、新作をはじめ、約100点が公開された。

報道陣向けの内覧会で内藤は「これまでも持ち続けていた問いは、東博という場であったからこそ深く感じ、考えることができたと思うのです」と語った。

会期は9月23日まで。内覧会での内藤の言葉を交えながら、本展をレポートする。

誰だろう

この地上に生きた いのちと 母というはざま

そして ここには 生の内と外にゆきわたる 何かがあった

みなが はなつ 声 みちて

そうおもうほど わたしは生だった

—内藤礼
- (『内藤礼 生まれておいで 生きておいで』チラシより引用)内藤は1961年広島県生まれで、現在は東京を拠点に活動している。「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」をテーマに制作しており、その作品制作において「生と死」は分別できないものとして問われているという。

150年の歴史を持つ東京国立博物館には、約12万件の収蔵品がある。報道陣向けに開かれた内覧会で内藤は、本展は、それらの収蔵品のひとつである縄文時代の『土版』との出会いから始まったと語った。

内藤が作品について考えていると、その『土版』と内藤の作品『死者のための枕』、そして「それらを成り立たせている何か」から「生まれておいで、生きておいで」という呼びかけを感じとったのだという。内藤は、「その声は生の外から、こちら生の内に向けて送られている力であり、慈悲であると私は思いました」と語った。

本展では『土版』のほかにも、内藤の作品に内包されるようなかたちで、同館の収蔵品が展示されている。例えば注文主など、つくり手以外の意図が制作に大きく関与する以前につくられた、縄文時代の土製品が中心に選ばれているという。

本展を担当した東京国立博物館 学芸企画部 上席研究員・広報室長の鬼頭智美は、「今回内藤が東京国立博物館とその収蔵品、建築空間、歴史と向き合って生まれた作品を、新作を含め、約100点公開」と説明した。

内藤礼『死者のための枕』2023年 シルクオーガンジー、糸 撮影:畠山直哉

本展は同館内の3か所(平成館企画展示室、本館特別5室、本館1階ラウンジ)で構成されている。途中、同館の常設展示を巡りながら、回遊するかたちとなっている。

「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」第1会場  撮影:畠山直哉

平成館企画展示室にあたる第一会場には、まず特設された通路をくぐって入室する。この部屋の正面に、制作のきっかけとなった縄文時代の『土版』がある。鬼頭の説明によると、「ケースのなかが生の外、ケースの外は生の内」なのだという。『土版』は、母を思わせる女性の胴体を表した土製品で、豊穣や多産を願ってつくられたと考えられている。

第二会場の本館特別5室では、これまでもさまざまな企画展が開かれてきた。今回は、内藤の求めに応じて、長年閉ざされていたという大開口のシャッターが解放され、自然光が降り注ぐ空間となっていた。同館に勤め始めて数十年という鬼頭も、シャッターが開けられた状態を見たのは今回が初めてという。さらにカーペットと仮設壁も取り払われ、建築当初の「裸の空間」が現れていた。

「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」第2会場 撮影:畠山直哉

生まれたままの姿になった空間には、いくつかの小さなガラスケースが地に置かれている。そのなかには、同館で今回初公開という獣骨や、猪形、猿形などの土製品が収められている。その周りには木の枝や石、絵画が配置されていた。

内藤はそれら獣骨や土製品について、かつて生きていた動物たち、そして土製品をつくった人々、それを見た人もまた「生の内のものたちに呼びかけていると、私には思えてなりません」と話していた。

天井から吊り下がっている『母型』は、内藤が現場での制作に入ってから発想したものだという。現場でこの規模の新作を作り始めるのは初めての経験だったそうだ。

壁面には、絵画の連作である『color beginning / breath』が展示されている。これは、入り口から入って左側(西側)の壁から始まり、その続きが9月から始まる銀座メゾンエルメス フォーラムの個展で展示される。そして、右側(東側)にある連作は、銀座メゾンエルメス フォーラムで展示される連作から続いているものだという。2会場にまたがる構想も、今回が初めてのことだという。

第三会場となる本館1階ラウンジには、重ねたガラス瓶の上に水を満たした『母型』が展示されている。この作品は、生の内と外の往還を表したものだという。

内藤礼『母型』展示風景 2024年 水、ガラス瓶 撮影:畠山直哉

歴史資料などを収蔵する博物館を遠い時代のものと感じ、現代の自分たちとは縁遠い存在に感じている人は少なくないのかもしれない。しかし鬼頭は、博物館の収蔵品を「かつて生きた人の証」としたうえで、「本展を通じて、この地上で生きた人——かつて生きた人たちと、現代を生きる私たちとの間に通じる精神世界や、想像の力を感じてほしい」とした。

「死は、かつての生」と語った内藤。その「かつての生」を、いま生きているものと同じように実感することはできるだろうか、という問いを、自分自身に向けたいとした。そのうえで、ただ1人の自分の「生」を感じ、また「私ではない他の生があるという安堵と幸福を感じることができたら」と話した。

数年前、内藤と建築家・西沢立衛による「豊島美術館」(香川県)を訪れたことがある。同館には、今回展示されている『母型』と同じ作品タイトルである『母型』(2010年)が展示されている。それは、美術館のいたるところから湧き出す水、つまり「泉」であった。冷たいコンクリートに身を横たえ、泉が湧き出し、水が流れていくのをただただ見た。光が揺れる静謐な空間のなかで、「母型」という名前を付けた意味について考えた時間を鮮明に覚えている。今回展示されている『母型』を見て、数年前の記憶といまがつながったように感じた。

今回、(仕事としては良くないことだが)この展覧会を文字に起こすことをためらい、掲載までにずいぶん時間がかかってしまった。内藤の作品を包む自然光、人の動く空気に応じて揺れる風船と毛糸玉。チカチカと輝くガラスビーズ。千年以上の時を超えて、ガラスケースに収まる土製品。そして企画展会場に向かう際に見る常設展示は、かつて生きた人々の証なのだとあらためて感じた。生と死の往還、そしていまは「生のうち」にいる私—— 。個のちっぽけさと壮大さに、思いをはせた。会期中にもう一度、足を運んでみようと思う。