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フェラーリ「275GTB」は6億円? めくるめく高級車オークションの世界

2024年08月07日 12:31  マイナビニュース

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画像提供:マイナビニュース
1台あたり数千万円~数億円の希少車が集い、世界の大富豪が注目する「高級車オークション」。めったに足を踏み入れられない世界だが、日本で開催されるとの情報をつかんだので、プレビューデーに会場を偵察してきた。そこには、クルマ好きなら卒倒しかねないめくるめく空間が広がっていた。


どんなオークション?



株式会社BINGO(BH AUCTUION)は7月28日、「シティサーキット東京ベイ」(CITY CIRCUIT TOKYO BAY、東京都江東区)でオークションを開催した。



2017年に日本発信型の本格オークションハウスとして活動を開始したBINGO。それぞれの“個”が持つ価値を高いレベルでつないでいくことをテーマとし、希少価値の高い国内外のコレクタブルカーやレーシングカー、自動車パーツなどのオークションを行ってきた。



今回の会場には計31台の出品車両が集結。その中から最も高いクルマ、古いクルマ、気になったクルマをピックアップして紹介したい。オークションにはどんな人が参加するのかも聞いてきた。


フェラーリ275GTBはケタ違い!



出品車両には「Estimate」(落札予想金額)を記したステッカーが付いていて、どのくらいの金額で売買が成立するのかを想像することができた。出品車両の中でEstimateが最も高かったのが、1966年式のフェラーリ「275GTB」だ。


250GT系の後継モデルとして1964年のパリサロンでデビューした275は、ショートノーズの初期型が236台、1965年からロングノーズに変更された275GTBが206台、1966年にSOHCからDOHCエンジンに変更された275GTB/4が331台生産された。この個体は1966年製で、SOHCエンジンを搭載する275GTBの最後から2番目に生産された1台だという。


流麗なピニンファリーナデザインのスカリエッティ製スチールボディを纏うこの個体は、1966年9月にイタリア・ボローニャのオーナーのもとに納車。1970年代にカナダ、カリフォルニアへと渡り、1989年から1990年にかけては外装色をブルー、内装をタンカラーにするなど22.5万ドルという大規模なレストレーションを敢行した。



その後はスイスへ渡り、2014年にエンジン、ギアボックス、イグニッションなどの主要部分をオーバーホール。2016年には「フェラーリクラシケ」を獲得し、さらに10万ドルをかけて出荷時のシルバー外装色、ブラックレザーの内装に戻してある。



こうした高い水準で維持、メンテナンスが行われているだけでなく、ユーザーマニュアルやそれを入れるレザーカバー、車載工具、記録簿などの重要なアイテムがきちんとそろった由緒正しい個体であるため、落札予想金額は5億円~6億円となっていた。

戦後アルファロメオ初のロードカーを発見!



出品車両で最も古かったのは1947年式のアルファロメオ「6C 2500 Sport Fressia D’Oro」(スポルト フレッチア・ドーロ)。戦後アルファロメオが初めて販売したロードカーで、生産台数680台という希少なモデルだ。


その価値は、ボルテッロのアルファロメオ自社工場で手作業で生産されたモデルであること。他モデルも含め、ここでは2,200台しか生産されていない。それと、テレスコピックショックアブソーバーを備えたトーションバー式リアサスペンションや油圧ブレーキなど、当時としては革新的な技術が盛り込まれていているところも魅力だ。



映画『ゴッドファーザー』で、アル・パチーノ演ずるマイケル・コルレオーネがシチリア島に滞在した際、彼の妻に運転を教えたのがこの6C 2500(ボディは黒)だった。そのクルマ、裏切り者によって爆破されてしまうのだが、「なんともったいないことを!」と思ったのは筆者だけではないはずだ。



出品された個体の走行距離は4万827km。ブルーの外装塗装やメッキパーツに大きなサビは発生していない。ベージュの布張り内装に多少のシミが見られる程度で、メンテナンスが行き届いた状態だ。落札予想金額は2,000万円~2,200万円となっていた。

たくさんあるぞ! 気になったクルマたち



このほかに気になったモデルを順不同で紹介していきたい。


こうした超高級車のオークションに参加するのはどんなメンバーなのか。関係者に聞いてみると、やはり会社経営者やお医者さんなどでクルマのコレクターが多いそうだ。ただ、本気で購入する方はそれぞれのエージェントに任せるので、会場にご本人が参加することはないのだという。



原アキラ はらあきら 1983年、某通信社写真部に入社。カメラマン、デスクを経験後、デジタル部門で自動車を担当。週1本、年間50本の試乗記を約5年間執筆。現在フリーで各メディアに記事を発表中。試乗会、発表会に関わらず、自ら写真を撮影することを信条とする。 この著者の記事一覧はこちら(原アキラ)