Text by 稲垣貴俊
Text by 今川彩香
ディズニー&ピクサーの人気作『インサイド・ヘッド』(2015年)が、9年の月日を経て帰ってきた。映画『インサイド・ヘッド2』では、ティーンエイジャーとなった少女・ライリーのもとに「感情の嵐」がやってくる。人生の転機を迎えた彼女は、経験したことのない感情を抑えきれず、やがて自分らしさを見失いはじめ……。
脳内の「司令部」にいるのは、前作から再登場するヨロコビやカナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリに加え、大人の感情であるシンパイやイイナー、ダリィ、ハズカシ。心理学の世界を愉快で楽しいストーリーに落とし込みつつ、最後には深い感動をもたらす作劇と演出が全世界で絶賛され、本作は『アナと雪の女王2』(2019年)を超えて、アニメーション映画として歴代最高のヒット作となった。
長編映画デビューとなったケルシー・マン監督は、ストーリー・スーパーバイザーを担当した『モンスターズ・ユニバーシティ』(2013年)以来11年ぶりの来日。前作『インサイド・ヘッド』にも携わったプロデューサーのマーク・ニールセンとともに、「日本のアニメーションを心から尊敬しているので、同じアニメーション作品でこの場所に来られたことが本当に嬉しい」と喜んだ。
「この映画を10代の頃に観たかった、いまの子どもたちがうらやましい」。マン監督にそう伝えたところ、「私もそう思います」と笑顔で答えてくれた。物語を着想したきっかけは、「自分は欠陥だらけで、愛や注目を受ける価値がない」と思い悩んでいた昔の自分自身だったという。
思春期のみならず、年齢やジェンダーを問わず誰にでも共通する複雑な人間心理を、ピクサーはいかにしてシンプルなエンターテインメントに仕上げたのか。創作と研究のコラボレーション、自由意志と感情の関係、そして大ヒットの理由を単独インタビューで聞いた。
7月に行なわれた来日ファンスクリーニング。右からプロデューサーのマーク・ニールセン、右から2番目がケルシー・マン監督
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―本作で初登場するシンパイは、「よりよいライリー」を目指して司令部の舵を取りますが、それゆえにヨロコビのライバルとなります。「喜び」と「心配」、2つの感情を対立させるアイデアはどのように生まれたのでしょうか?
ケルシー・マン(以下、マン):私たちは早くからシンパイを敵役として登場させようと考えていました。前作に続いて参加している専門家のひとり、(カリフォルニア大学)バークレー校のダッチャー・ケルトナー教授と話し合うなかで興味深かったのは、人間の「内なる戦い(内的葛藤)」という言葉。個人的にとても共感し、強い関心を持ちました。
前作のヨロコビとカナシミは、偶然の事故によって司令部の外へ放り出されましたが、今回は意図をもって追い出されます。実際に「心配」という感情にはそうした機能があり、本来は私たち自身を守るためのものにもかかわらず、いきすぎると自分自身を乗っ取ってしまう。そこで当初から、この映画は「乗っ取り」の物語だと考えていました。
ケルシー・マン
ノーザン・ミシガン大学で学び、コマーシャル・スタジオでアニメーションのキャリアを始め、カートゥーン・ネットワーク、ワーナー・ブラザース、ルーカスフィルム・アニメーションなどの会社でアニメーション、絵コンテ、演出などを手がけ、2009年にピクサー・アニメーション・スタジオ入社。『モンスターズ・ユニバーシティ』ではストーリー・スーパーバイザーを務め、『トイ・ストーリー3』にも参加。『モンスターズ・ユニバーシティ』の短編『モンスターズ・パーティ』では監督を担当。『アーロと少年』と『2分の1の魔法』ストーリー・スーパーバイザーを務めた。
―先ほどお名前の挙がったダッチャー・ケルトナー氏をはじめ、本作には複数の専門家が参加しています。彼らは創作のプロセスにどのように関わったのでしょうか?
マン:まだ私しか参加していなかったような時点から、ダッチャーには「ティーンエイジャーの脳内ではいったい何が起きているのか?」という話をしてもらい、さまざまな質問を投げかけました。
たとえば、「嫉妬と妬(ねた)みにはどんな違いがあるのか?」。そのころの私は両者の違いがわからなかったので、「まあ、一卵性双生児を見分けられる人はいないからね」なんてジョークを言っていたんですよ(笑)。
マーク・ニールセン(以下、ニールセン):創作の過程で疑問が生まれると、いつも彼に連絡を取っていたんです。
マン:そう、「いつでも連絡してください」と言ってもらえたから(笑)。あるとき、「嫉妬という感情にはどんな良い面があるの?」と尋ねたところ、素晴らしい研究結果が届いたので、すぐにイイナーのキャラクターに反映しました。誰かを「いいな」と思う嫉妬心には、「私もああなりたい」というかたちで自分の目標設定を助ける側面があるのです。
マーク・ニールセン
チコ州立大学でジャーナリズムを学んだ後、映画制作アシスタントとしてキャリアを積む。1996年にピクサー・アニメーション・スタジオに入社。モデリング、ライティングなどのスタッフとして『バグズ・ライフ』『トイ・ストーリー2』『モンスターズ・インク』『カーズ』に参加。 短編映画『メーターと恐怖の火の玉』でプロデューサーを務めるようになり、『カーズ2』『インサイド・ヘッド』でアソシエイト・プロデューサーを、『トイ・ストーリー4』ではプロデューサーを担当。ディズニー・プラスの短編シリーズ「フォーキーのコレって何?」のプロデュースも手がけている。
ニールセン:この映画ではもうひとり、作家で臨床心理学者のリサ・ダムール博士にも参加していただきました。彼女はティーンエイジャーや若い女性を研究してきた専門家でもあります(※1)。
マン:リサの本はとても素晴らしいんですよ。彼女にも、私とマーク、脚本家のメグ・レフォーヴ(※2)だけが関わっていた初期段階から加わってもらい、いろんな質問に答えていただきました。なぜ私たちは「心配」するのか、「心配」という感情はどのように働くのか……。より正確な物語になるよう、2人からはいろんな知識を教わりましたし、試写も何度か観てもらっています。
ニールセン:それから、ティーンエイジャーの少女たちにも関わってもらいました。我々が10代の少女でない以上、彼女たちも専門家ですよね(笑)。3年間にわたり、およそ4か月ごとに映画を観てもらい、物語に真実味があるか、感情の動きやキャラクターの友人関係にリアリティを感じられるかなど、それぞれの考えを聞きながら創作を進めていったんです。
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―「抑圧」や「否認」といった言葉がせりふのなかにも出てくるように、本作が扱うのは本格的な心理学の世界です。目には見えない「心」の動きをビジュアル化する上で、どのような課題がありましたか。
ニールセン:最大のチャレンジは「ジブンラシサ」の花(筆者注:原語ではThe sense of self=自意識)でした。自意識はどんな見た目をしていて、欠点があるときや、あるいは健全かつ健康なときはどのように見えるのかを考える必要があったんです。
映画には「ヨロコビ」と「シンパイ」のバージョン、そしてあと1種類を含む、3つの「ジブンラシサ」の花が登場します。いかにそれらをスクリーン上で表現すべきかと、アート&デザインのチーム、また技術チームと協力しながら、製作期間の大半を費やして検討しました。
マン:『インサイド・ヘッド』の世界で遊ぶことには、楽しさもあれば大きな困難もあります。それは「どのようにでも描ける」からで、前作の「思い出」にせよ、今回の「ジブンラシサ」の花や「信念の泉」にせよ、複雑なアイデアを取り入れたときでさえ、それらをどのように描いてもいいんです。
しかし、そうすると「いったいどこから手をつければいいんだ?」と思うんですよね(笑)。自意識や信念とはどのようなものか、とにかく試行錯誤を繰り返しました。前作の挑戦を発展させることができて嬉しいです。
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―主人公のライリーは、ヨロコビやカナシミ、シンパイといった感情に突き動かされて行動しているように見えます。神経伝達物質が人間を動かしているのだとしたら、彼女の自由意志はどこにあるのでしょうか。感情と意志の関係をどのように考えましたか?
マン:まさに、そのポイントは私たちがよく話し合ったことでした。結論から言えば、「司令部の操作盤はライリーに感情を抱かせるものであって、彼女をコントロールするものではない」ということです。
ライリーは決して操り人形ではありません。たとえば怒りを感じたとき、その感情にどう対処するかは彼女が決めること。怒鳴るにせよ、そうでないにせよ、行動は彼女の決断によるものであって、怒りの感情が「こう動け」と告げることはないんです。その原則はアニメーターやチーム全体にもきちんと伝えていました。
ニールセン:専門家の助言も私たちの理解を深めてくれました。人間の感情は、その時々の感じ方や行動に「一票」を投じるものですが、それは数あるうちの一票であるべき。頭のなかに取締役会があるとしたら、そのうちの一席であり、決定票ではないはずです。
マン:劇中には良い例があり、ヨロコビやシンパイが司令部の操作盤からアイデアを入力したあとには、ライリーがそれを受け入れるかどうかの短い間があります。その短い間によってライリーの自由意志を表現しようと考えました。
あくまでも操作盤はライリーに何かを感じさせるものにすぎず、決定するのは彼女自身。前作でピート・ドクター(※)が描いたことを、私たちはただ引き継いだだけだとも言えると思います。
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―いま、私たちは先行きの見えない「不安」や「心配」の時代を生きています。そんななか、本作は「心配」という感情を描き、時代の精神や人々の無意識に触れたことで、世界的な大ヒットとなったのかもしれません。世界的な成功の理由を、おふたりはどのように考えていますか?
ニールセン:おそらくいくつもの要因がありますが、いまおっしゃったことは最も大きな理由のひとつだと思います。現在の私たちがいかに「心配」し、そして自らの「心配」について語り合っているか……。
9年前、『インサイド・ヘッド』は人生における「悲しみ」とその価値に関する深いメッセージを描き、大きなインパクトを与えました。ですから、現在の観客があの世界に戻り、いまのライリーが何と戦うのかを見たがっていたところもあるでしょう。「楽しいエンターテインメントを見たい、同時に自分自身や自分の気持ちについても学べたらいいな」と。前作『インサイド・ヘッド』と、作品に対する皆さんの愛情も成功の一因だと思います。
マン:私も同意見です。もうひとつ付け加えるとしたら、それはこの映画が、多くの人々が感じていること、しかし実際には語りにくいことを正面から描いているからかもしれません。「私もそう思っていたけれど、口にするのは怖かった」ということを代弁しているところがあると思うんです。
『インサイド・ヘッド』の世界には、そうしたテーマを誰もが共感できるよう、普遍的なかたちで表現できる力があります。世界中の方々が本作に反応してくださいましたが、「普遍的」とは、私たちには数え切れないほどの違いがあるけれど、互いに似ている部分もたくさんあるということ。人間にはさまざまな感情があり、だからこそ類似点と相違点を見つけられる。それはとても美しいことだと思います。
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[参考資料]
・The Inside Story of 'Inside Out 2's New Emotions (Exclusive)
・Pixar’s Kelsey Mann on How Research Informed ‘Inside Out 2’