Text by 生田綾
現在放送中の大河ドラマ『光る君へ』で、中宮・藤原定子に仕える清少納言(ききょう)。才気煥発(かんぱつ)で自信に満ちあふれ、のちの紫式部である主人公・まひろの良き友人となるききょうは、物語のなかでも異彩な存在感を放っている。
和歌を愛し、夫や息子を捨ててでも、自らの志のため女房として宮中に出仕することを選んだききょう。定子に最後まで忠誠を誓い、一時は生きる気力をなくし、意気消沈する定子を励ますために『枕草子』を綴りはじめた。千年後も読み継がれる平安文学の誕生エピソードに、心を打たれた視聴者も多かったはずだ。
ききょう役を演じるファーストサマーウイカは、「考え方や表現の仕方が自分に近く、ここまで感情移入できる人はいない」と話す。『枕草子』誕生シーンや、ききょうというキャラクターの魅力について、合同インタビューで聞いた。
©️NHK
―『枕草子』が誕生する第21回「旅立ち」は大事なシーンがいくつもあったと思います。撮影を振り返って、どんな思いでしたか?
ファーストサマーウイカ(以下、ウイカ):あのシーンは『枕草子』の始まりではあるものの、同時に定子を取り巻く中関白家の没落にも差しかかっているので、複雑な気持ちでした。
ききょうは物語のなかでは異端というか、変わり者で、ある種浮いた存在だったと思います。そんなききょうがたった一人のために『枕草子』を書き始める。それは長い人生のなかでも一番の使命で、命懸けで書き始めたものだと思ったので、その緊張感はありました。
そのときのききょうは、とにかくなんとか中宮様に笑ってもらおう、気が紛れるものを書けたらいいなと思っているんですが、演者としては、これが千年後に人々を魅了する作品になる、という重荷を感じた回になりました。
―「春はあけぼの」と高畑さんが朗読されますが、あのシーンはどうご覧になりましたか?
ウイカ:あの回は原英輔さんが演出を務めているんですが、本当に紆余曲折あったシーンで、原文と現代語訳の2パターンを録ったんです。
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ウイカ:最初はききょうが読んだものを流そうという構想だったんですが、編集が終わる時期に、原監督から「あのシーンは定子の読みでいきたいと思います」と電話がありました。「それまで才気煥発で、快活に喋り立てていたようなききょうが、文字通り黙々と書いて定子さまに渡した。それを読んだ定子さまの声で再生したほうが、より内容が伝わるんじゃないか」とおっしゃっていて。わざわざ電話をいただいて、それを聞いたとき、辿り着かれた答えの素晴らしさと、シーンを想像して感動が止まらず鳥肌が立ち、「それしかないですね!」 と気持ちが昂りました。
実際の放送がどうなるのか楽しみにしていたんですが、第21回の予告で、「春はあけぼの」と読まれるシーンが入っていて。二人で背中合わせになって、「春は」は定子さまの声で、「あけぼの」は私の声だったんです。私が録ったものが使われたのはその予告のみだったんですが、初めてのコラボレーションですよね。「かっこいい!!」って(笑)。本当に、これだけでスピンオフをつくってくれないかなと思うくらいに。
そういった紆余曲折を経たシーンで、原さんは何日も頭を悩まされたと思うんですけれども、本当に素晴らしいですよね。原さんは同い年でもあるので非常に刺激を受けましたし、負けられない! とも思いました(笑)。とにかく本当に感慨深いものがありました。
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―初の大河ドラマで清少納言役を演じることが決まったときは、どう感じられましたか? 清少納言という人物をはじめはどう捉えていましたか。
ウイカ:役が決まる前、チーフ演出の中島由貴さん、制作統括の内田ゆきさん、そして脚本家の大石静さん―私は御三家と呼んでいますけど(笑)―と、面談みたいなものをさせていただいて。私は最終プレゼンみたいな気持ちで挑んだんですが、そのときは他愛もない話も含めていろんな話をして、(その後)決定の連絡をいただきました。
日本の教育を受けていたら、おそらく詳細は知らずとも清少納言という名前はみんな知っていると思います。印象的な女性の歴史上の人物はそこまで多くないと思いますが、そのなかでも紫式部のライバルと称される存在を、紫式部が主役のドラマで演じる。嬉しい気持ちでいっぱいだったんですが、そのことには度肝を抜かれたというか、驚きがなにより大きかったです。自分だったらかなり注目する配役ではあるので、吉高由里子さん演じる紫式部のお相手に不足ないようなキャラクターになるといいなと考えていました。
でも、役が決まってから『枕草子』や彼女に関わる本を読んで、考え方や表現の仕方が非常に自分に近い人物だなと思いました。「自分を見ているみたいなんですよね」というのは言い過ぎじゃないかもしれないと思えるくらい、親近感を持ってキャラクターと接しています。
それは大河ドラマで珍しいことかもしれないと思うんです。歴史上の人物を演じる方で、たとえば「家康、自分に似てるんですよね」っていう人はあまりいないと思うんです(笑)。ここまで感情移入できる人はいなくて、彼女を知れば知るほど、不安というものは消えていきました。
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―紫式部とはライバルというイメージですが、本作では友人のような関係でもあります。その設定についてはどう感じていますか?
ウイカ:まず事実として、『紫式部日記』のなかに清少納言の悪口が書かれているので、まひろとききょうの関係性はある程度ネタバレされているんですよね。だからこそギャップを持たせて、最初は近づけておこうという大石先生のアイデアは本当に物凄いなと思いました。
実際は友達というより、若干の先輩後輩感がありますよね。圧が強めの先輩と、基本的に苦笑いしてくれる後輩みたいな……(笑)。その関係がひっくり返って、最後にああいう言葉を残すまでになるのは、どこかで崩れてしまうということなので。
まひろが強くなっていくのか、ききょうが崩れるのか、私自身もまだわからなくて。でも、悪いのはだいたい道長なんですよね(笑)。もちろんききょう目線から見た世界ですが、道長のせいで清少納言というか、定子さまたちは大変な目に遭っていますから。
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―圧が強めの先輩と苦笑いする後輩というのは納得感がありますが、ききょうはまひろのどんなところに魅力を感じたと思いますか?
ウイカ:ききょうは自尊心もあり、自分の実力や得手不得手というのを把握しながら、表に出さないようにできるタイプだと思います。そして、空気を読みながらあえてぶち壊すことを選択できる人間だと解釈しているんですが、まひろには自分が持っていないものがあると気づいたんだと思います。
私は二人の違いを「剛」と「柔」だと思っているんですが、感性や物事の考え方が両極にいるからこそ惹かれあったんだと思います。まひろも苦笑いだったかもしれないですけど(笑)、この人面白いなと、興味深く接していたんだと思うんですね。
ききょうは、大抵の人間から自分の言うことにポカンとされたり、むしろまわりをある種、見下しているところもある。「こいつらに言ってもわかんない」みたいに。まひろは、「この子はできる子」と認めた唯一の存在だったからこそ、友だちのような感覚で受け入れたんだと思います。
ただ一方で、この時代の女性には少なかったであろう、己の知識を活かして、広い世界で自分を試したいという野心や行動力がある点は共通していて、そこもお互い感じて惹かれ合ったのではと考えました。
だから尊敬もしているし、仲間でいてほしいから足しげく通って一方的に喋って……ということを続けていたんじゃないかなと思います。
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―先ほど、ききょうを「異端な存在」とおっしゃっていました。第14回「星落ちてなお」では、ききょうがまひろに「私は私の志のために、夫を捨てようと思いますの」「私は私のために生きたいのです」と伝えるシーンがあります。印象的なセリフで、自立していて、芯の強さも感じました。
ウイカ:清少納言は、実際は元夫とも交流が深くあったり、藤原斉信(金田哲)との関係があったり、意外と恋には奔放だったという説もあります。
『光る君へ』では描かれませんでしたが、百人一首には行成に宛てた歌も残っていますしね。
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ウイカ:「夫を捨てる」というのは『光る君へ』バージョンの解釈でもあると思うんですが、ききょうという人物はそういうキャラクターだと定義したということですよね。自分の信念を曲げず、野望や野心を優先する選択をとること自体がきっとまず異端だったと思うんです。
現代でもキャリアを重視する女性が増えていますけれど、すごく現代的ですよね。別に家庭をいらないと思っているわけじゃなくて、「家庭もほしいけど、そのために何かを諦めなきゃいけないなら、私はこれをやりたい」という選択ができる。
流れにただ身を任せないというか、自分で切り開いていくというききょうの姿勢は、その時代には異端であったと思うし、まわりの評価を顧みずにそれを公言できる強さにも、まひろは感化されていたんだと思います。こういう生き方があるんだと影響を与えている。
まひろの物語なので、一つの指標というか、モデルケースとしてききょうをそういうキャラクターに置いたとも解釈できますが、そこはとても賛同するというか……。まさに私自身そういう生き方をしてきて、博打な人生を歩んできているので、自分の手で運命や人生を切り開いていくということにはとても親近感が湧きます。
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―そんな、ききょうにとって重要な人物であるまひろ役の吉高由里子さんとの共演はいかがですか?
ウイカ:吉高由里子さんはすべて受け止めてくれながらも、どんな返しをするんだろうという予測できなさがあって、圧倒的だと思います。目が覚めるようなお芝居をされている由里子さんと、定子役の充希さんから受け取って、全力で返せるだけ返すという感じです。
でも、由里子さんは「何も考えてないよ~」みたいな感じで言うんですよね。それが天才で天才で、最高です。「飲みに行こうよ~」ってすぐ言ってくれますし(笑)、誰に対しても分け隔てなく、本当に素晴らしい座長だと思います。
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―清少納言は『枕草子』で定子さまの光の部分を書きました。影を書かずに光だけを書くということについて、どう思われますか。
ウイカ:もちろん、まひろの「影を描いた方が面白い」という言葉もわかるんですよね。
『枕草子』を通して清少納言のキャラクターを読み解こうとしたとき、初めはそこで書かれた文章をそのまま受け取ったんですが、2回目、3回目は疑いながら読んだんですね。彼女は、観察眼が優れていて良くも悪くもストレートに表現しますが、自身のことを語る時はコンプレックスをオープンにして、謙遜しがち、自分下げをする時があるなと私は感じました。
皆さんもそうだと思うんですけど、SNSとかで文章を書くとき、ええかっこしいをするというか、ちょっとおしゃれに締めてみたり、カッコつけたり、文章は何か一枚纏う瞬間があると思うんです。そのときに作家性というものが出てくると思いますが、清少納言は真正面から書いていないこともたくさんあって、紫式部はそれを見抜いていた、このドラマのように二人が対面することがなかったとしたら、『枕草子』でそれを察したり、噂から判断したのかなと思います。
だから、まひろの言うこともわかる。けど、そもそも定子さまを元気づけるために書いた『枕草子』で、定子さまに起きた悲しいことを書くことは最初のテーマからそれているし、私がこの時代にいてもききょうの選択をとったんじゃないかと思います。
定子さまを「推し」というふうに解釈していますが、裏側を見たくない、見せない人もいますよね。どれだけ歯を食いしばって悲しい思いをしてきたか、私は知っているけれども、彼女は表に出さない。その見せなかった部分をなぜ書き残さないといけないんだろう、そんなことはできない、と思いました。
そして、高畑充希さんも常々そのように演じられていて。目の奥に見える本心や揺らぎはあったんですが、それを書き残すのは野暮なんじゃないかと思いました。
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―ききょうは、伊周が『枕草子』を宮中に広めようとすることを最初は嫌がりますよね。ただ第29回「母として」ではむしろききょうさんが積極的に宮中でお披露目くださいと言いますよね。そこの心境の変化はどういったものがあったんでしょうか。
ウイカ:そうですね。伊周、マジでいらんことをするんだよな、二人だけの宝物にしようと思ったのに、という心の叫びは感じていて(笑)。
ただ、定子さまという存在が消えてしまったら、彼女があれだけ耐えた人生は何も意味を持たなくなってしまうのではないかと、没落していく中関白家を見て体感したのではないか思います。あれだけ「皇子を産め、皇子を産め」と言われて、まさに命を懸けて守ろうとした子どもたちが、力を持てなくなるかもしれない。彼女の生きた証がなくなってしまうかもしれない。
それが一番解せなくて、その最後に託された使命を誰がやるのかとなったとき、兄弟にはもう任せていられないと(笑)。一条天皇の心を定子さまにずっと引き止めておけばきっと大丈夫だろうと考えて、これが最後の頼みの綱、定子と一条天皇をつなぐ鎖になればいい、と思っていたのではないかと思います。
『枕草子』は途中から役割が変わったんじゃないかと。いかに定子さまが凄かったのかということを書き残すという使命に変わり、それが自分ができる最後の使命だと悟ったんだと思います。