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服役も経験した元警察官の名物市長、決して忘れない「獄中での屈辱」 80歳を前に政治活動を再開した理由

2024年07月21日 09:40  弁護士ドットコム

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1980年代半ばから2000年代初め、和歌山市の名物市長として知られた旅田卓宗さん(79)。2003年に収賄と背任の容疑で逮捕され、服役も経験したが、2023年9月から政治活動を再開し、現在は和歌山市内で連日、辻立ちを行っている。もうすぐ80歳になろうとする中、なぜ再び政治の世界を目指すのか。(ルポライター・片岡健)


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●全国の高齢者に伝えたい「人生まだまだこれから」

6月のある日、和歌山市郊外の国道24号の交差点。黄色いTシャツに青いベストを羽織った旅田さんは、黄緑色の派手なのぼり旗を持った支援者の男性と一緒に立っていた。





演説はせず、ただひたすら行き交う車に手を振り、お辞儀している。信号待ち中に車の窓をあけ、声をかけてくれる人もたまにいたが、大半の車は旅田さんの前をただ通り過ぎていくだけだ。このような辻立ちを週6日、午前7時から午後3時まで行っているという。



79歳でこのような活動をするのは体力的に大変そうに思えたが、旅田さんは「おかげさまでまだ僕のことを覚えてくれている人もいます。ありがたいことです」と前向きだ。立候補を予定している具体的な選挙は、口に出すと「事前運動」になるため言えないという。和歌山市長選に出ると「噂」されるが、「『がんばります』とだけ言っておきます」と笑った。



有名な政治家が刑事裁判で実刑判決を受けて服役後、政界復帰した例は過去に色々ある。とはいえ、旅田さんほど高齢でそれを果たせば異例のことだ。その狙いをこう話した。



「全国の高齢者の皆さんに『人生まだまだこれからですよ。むしろこれから頑張りましょう』と伝えたいと思っているんです。それが今回のテーマの1つです」



高齢となった今だからこそ、再び政治活動をする意味があると考えているようだ。



●拘置所では幻覚症状に見舞われ、痙攣して意識を失ったことも

旅田さんの政治家人生は波乱万丈だった。



和歌山工業高校を卒業後、最初は和歌山県警で警察官として働いた。24歳の時に政治家を志して退職。市議や県議を務めたのち、41歳で和歌山市長に初当選した。



ゴミのポイ捨てを防止する条例を全国に先駆けて始めるなどした先見性や行動力、親しみやすい人柄で人気を博し、政党に頼ることなく通算で4期・13年も市長を務めた。一方、不倫を写真週刊誌に報道されるなどスキャンダルでも全国的な注目を集めた。



古巣の和歌山県警に収賄容疑と背任容疑で逮捕されたのは2003年のことだ。いずれの容疑についても一貫して無実を主張し、最高裁まで争ったが、2010年に懲役4年の実刑判決が確定した。



「今思い出しても、キツネにつままれたような気分です」



そう振り返る逮捕以来、獄中では被疑者、被告人として辛酸をなめさせられた。警察の留置場から拘置所に移送された初日、刑務官に性器や肛門を検査された屈辱は今も忘れられない。拘置所では、収容された部屋もひどい状態だったという。



「布団には寝小便のような跡があるし、畳は腐っていて、虫がはっていた。僕は虫が苦手なので、夜も寝られませんでした」



勾留が続く中、妻や娘の声が聞こえてくる幻覚症状に見舞われた。身体が痙攣し、意識を失ったこともあったという。



●刑務所の中庭に咲いたタンポポに救われた

実刑判決確定後に服役した刑務所では、当初、病棟に収容された受刑者たちの世話をする仕事についた。しかし、足にけがをして、この仕事が満足にできなくなった。



そこで担当刑務官に「足が痛くてもできる仕事に変えてもらえませんか」と相談したところ、「作業を拒否した」とみなされて戒告処分を受けた。弁明などまともに聞いてもらえなかった。その後についた洗濯係の仕事に不満はなかったが、刑務所生活の理不尽さを味わった。



裁判で有罪が確定した罪を服役中も認めなかったため、仮釈放を許されず、満期まで服役した。この間、獄中で受けたガン検査で不安な結果が出たこともあり、死の恐怖を感じた時もあった。そんな中で救いになったのは、刑務所3階のトイレの窓から見えた中庭の景色だった。



「ある朝、中庭一面に黄色いタンポポの花が綺麗に咲いていたのに、夕方には草刈り機で全部刈られていたんです。『花にも命があるのになあ…』と思っていたら、1週間か10日くらい経った時、タンポポがまた中庭でぽつぽつと咲いていた。僕はそれを見て、人間は死んでも生まれ変われるのだと思い、死の恐怖が消えたんです」



服役中、刑務官とはうまく付き合えないこともあったが、受刑者たちとの関係は良好だったという。



「全然知らない人がそばにきて、『旅田さんですよね。自分も和歌山なんです。頑張ってください』などと声をかけてくれたりしていました。受刑者仲間はみんな、良くしてくれましたね」



再開した政治活動では、「誰でも一度や二度は失敗する。失敗しても人生はやり直せる」ということも世にアピールしたいという。その考えの背景には服役中の経験もあるようだ。



●「このまま死んでたまるか」という思いで政治活動を再開

服役中は再審で無罪判決を目指す考えもあったそうだ。しかし、出所後に前立腺ガンが発覚し、手術したために断念した。2015年から和歌山市の歓楽街アロチ(新内)のカラオケ喫茶で雇われ店長をしつつ、お客さんの人生相談に乗るようになった。





この間、2023年2月に公民権が回復し、再び立候補が可能になったが、当初は政治活動の再開など考えられなかった。気持ちが変わったのは、昨年(2023年)4月の誕生日で78歳になったのがきっかけだ。



「ぱっと目の前に80歳という年齢が浮かんできて、『もう死ぬ日が来るのを待つだけなのか…』と考えるようになったんです」



鬱々した気分が続く中、衆院の補欠選挙で当選した女性が挨拶に来てくれた。言葉を交わす中、「自分も共感を得られれば、また勝負できるのでは…」という思いが浮かんだ。



「カラオケ喫茶で色んな人の相談にのる中、和歌山は車社会なのにバスの便が少ないため、買い物や病院に行くのにもタクシーを使わざるをえず、大変だと聞いていました。市の人口も減っています。自分が情熱を注いできた街が消滅しかかっている中、『このまま死んでたまるか』という思いがわいてきたんです」



信頼できる人たちに政治活動の再開を相談したところ、誰もが「おもろいんちゃうか」と言ってくれた。「共感は得られる」と思い、再チャレンジを決めた。



●「旅田さんを見て、もう一度頑張ろうと思った」と涙を流した男性も



再開した政治活動では、お金をかけずに戦うこともテーマの1つという。



「政治が金、金、金の世界になっているので、選挙はお金をかけなくても戦えることを示したいんです。ただ、選挙にお金をかけないなら、そのぶん時間をかける必要があるので、立候補まで3年かけて準備しようと考えたんです。『それまで生きているのか』と笑われたりもしましたが」



裁判では、無実を訴えていたとはいえ、有罪判決を受け、服役もしたため、政治活動を再開すればブーイングを受ける可能性があると予想していた。しかし、いざ辻立ちを始めてみると、自分を批判する人はなかったという。



ある時、カラオケ喫茶に来てくれた男性が涙を流しながら語った言葉に胸を打たれた。



「その人は、『旅田さんが寒い中、街頭に立って頑張っている姿を見て、僕ももう一度頑張ろうと思いました』と言ってくれました。その人が病気なのか、商売に失敗したのか、何があったのかは聞きませんでした。しかし、自分の戦いは決して無駄ではなかったと思えました」



先のことを予想するのは難しい。ただ、自分が訴えたいことが広まっている手ごたえはあるようだ。