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急遽レッドブルRB18を託された角田裕毅「来年のことは最終戦が終われば見えてくる」現状は“集中とリセットの繰り返し”

2024年07月18日 12:10  AUTOSPORT web

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オープンフェイスタイプのヘルメットにゴーグルを合わせ、レッドブルRB18をドライブした角田裕毅
 ホンダのブースが急に騒がしくなったのは、2024年グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの最終日、間もなく角田裕毅がホンダRA272に乗って2回目のヒルクライムに臨むという午後2時頃のことだった。

 今年はホンダがF1デビューを飾ってから、ちょうど60年目にあたる節目の年。そこで、1965年メキシコGPでホンダに歴史的な初勝利をもたらしたRA272を角田が駆り、レッドブル・ホンダが初めてタイトルを勝ち取ったレッドブルRB16Bにセルジオ・ペレスが搭乗。さらに2輪のMotoGPマシンであるRC213V(ステファン・ブラドル)、1959年にホンダとして初めて2輪の世界GPに挑んだRC142(中野真矢)を走らせることで、2輪と4輪で長く世界のトップに挑み続けてきたホンダの歴史を祝福する計画だったのである (カッコ内は2輪マシンを走らせたライダー)。

 しかし、RB16Bにトラブルが発生したため、ペレスは急遽RB18のステアリングを握ることになったのだが、イベントの進行が遅れた影響で、結果的にペレスはRB18を走らせることなく会場を立ち去ってしまう。そこで、これに慌てたレッドブル側は、ホンダに「角田を貸して欲しい」と要請したのである。

 実は、レッドブルには「チーム関係者以外がF1マシンを走らせてはならない」というルールがある。これを厳格に適用すれば角田にもRB18を走らせる資格はないのだが、事態が事態だけに、超法規的措置で角田選手にの矢が立てられたのだ。

 これで頭を痛めることになったのが、ホンダだった。RB18を出走させるのはホンダのF1参戦60周年を祝うことが目的。しかし、角田選手をレッドブルに貸し出さなければ、そもそもRB18を走らせることができない。幸い、ホンダにはRA272を操ることのできるドライバーがもうひとりいた。それは、四半世紀にわたりRA272を始めとするホンダ・コレクションホール所蔵マシンをテストしてきた宮城光。ホンダの元ワークスライダーでもある宮城は、前日にこのグッドウッドでRA272を走らせたばかり。つまり、宮城以上に安心してRA272のステアリングを預けられる人物はほかにいなかったのである。

 そこで、苦渋の決断ではあったものの、ホンダは角田をレッドブル側に貸し出すことを決める。

 この後、ホンダとレッドブルの両陣営は、予定になかったドライバーを乗せるための準備に追われることとなった。

 とりわけ大変だったのがレッドブルで、シートを準備し、ドライビングポジションを調整するのは並大抵のことではなかったはず。さらにいえば、ドライバーが扱う操作系もレッドブルとRBとでは異なるので、角田はこれも習得しなければならなかった。オープンフェイス・タイプのヘルメットにゴーグルを組み合わせ、クラシックなデザインのレーシングスーツを着ていたのも、角田がレッドブルをドライブする予定がなかったことの証明といえる。それにしても、ヘイロー付きのF1マシンをオープンフェイス・ヘルメットで操ったドライバーは、おそらく角田選手が史上初だろう。

 こうしてRA272、RB18、RC142、RC213Vの4台は無事にグッドウッドのヒルクライム・コースを走行することができたが、気になるのは、やはり角田とペレス選手の去就である。

 そもそも、レッドブルのF1マシンを走らせる予定があったにもかかわらず、それを無視する格好で空港に向かったペレスには「レッドブルから解雇の方針がすでに伝えられているのだろう」との噂が真しやかに囁かれることとなった。

 ただし、その真相は不明である。

 ちなみに、無理を押してペレス選手が家路を急いだのは、予約してあったプライベートジェットの離陸時間が迫っているためだったとの情報があった。いずれにせよ、この一事をもって「ペレス解雇」を確信するのは早計に過ぎるだろう。

 では、いっぽうの角田はどうか?

 私は、RA272でヒルクライムに臨んだ1回目の走行を終えたばかりの角田にインタビューする機会を得た。そこで来季のことを訊ねると、こんな答えが返ってきた。

「来年は、どうなんだろう、まだ全然考えていないですね。いまは1戦1戦に集中しているし、ハンガリーGPのことで頭はいっぱいです。きっと、最終戦のアブダビGPが終わったら見えてくると思うので、それまでは1戦1戦、集中とリセットの繰り返しですね」

 ちなみに、角田がRB18をスタートさせたのは午後4時が迫ったころのこと。本来は午後3時半にグッドウッドを出発して飛行機に乗る予定だった角田は、ヒルクライムのゴール付近にたどり着くと、そのまま空港に向けて移動を開始した。復路もドライバーがマシンを走らせるのが基本のグッドウッドでこれは異例のこと。主人を失ったRB18は、メカニックのひとりがステアリングを握り、エンジンも始動しないまま惰性で坂を下っていくこととなった。