Text by 生田綾
Text by 稲垣貴俊
Text by 廣田一馬
「メイ・ディセンバー(May December)」とは、親子ほど年齢の離れたカップルのこと。1990年代に起きた実際の事件にインスパイアされた映画『メイ・ディセンバー ゆれる真実』は、36歳の女性と13歳の少年の不倫騒動の「その後」に焦点を当てた物語だ。
かつて世間を騒がせた女性・グレイシーは、実刑判決のあと不倫相手の少年だったジョーとの子どもを獄中で出産し、出所後は彼と結婚した。事件から23年が経ち、ジョーは事件当時のグレイシーと同じ36歳に。ふたりは子どもたちと穏やかな生活を送っていた。
ところが、ふたりの事件が映画化されることが決定する。グレイシーを演じる女優・エリザベスが取材のために現れ、人びとの関係はふたたび動きはじめた。ふたりの関係は犯罪だったのか、それとも純愛だったのか。エリザベスがグレイシーに近づくにつれ、危うい「真実」が浮かび上がってくる。
『キャロル』(2015年)のトッド・ヘインズ監督のもとに集まったのは、グレイシー役のジュリアン・ムーアと、エリザベス役のナタリー・ポートマンという2大オスカー女優。プロデューサーを兼任するナタリーが、サミー・バーチによる脚本に惚れこんだことからこの作品は実現した。
過去と現在、現実と虚構、正義と悪、そして真実と嘘――。無数のレイヤーを行き来しながら展開する、あいまいで緊張感に満ちた物語の実相を、ポートマンはいかに読み解き、そしてどのように演じたのか。単独取材でじっくりと聞いた。
ロイター/アフロ
―あなたが脚本を読み、トッド・ヘインズ監督に送ったことからプロジェクトがスタートしたとお聞きしました。脚本を読まれた第一印象はいかがでしたか?
ナタリー・ポートマン(以下、ポートマン):この作品との出会いは、プロデューサーのジェシカ・エルバウムが脚本を送ってくれたことでした。
脚本を読んで圧倒されましたね。興味深い女性ふたりと男性ひとりが、とても繊細に描かれていましたし、芸術や演技、アイデンティティ、それらの中心にある人間関係についての問いかけが素晴らしく、また感動的だったんです。
私はずっとトッドと仕事をしたくて、過去に何度も企画を提案してきました。これまでは残念ながら興味を持ってもらえませんでしたが、今回は脚本を送ってすぐに「やりたい」と返事をもらえたんです。サミー・バーチの素晴らしい脚本のおかげですね。
ナタリー・ポートマン演じるエリザベスと、ジュリアン・ムーア演じるグレイシー。
―本作はグレイシーとエリザベスという、支配欲の強い女性ふたりの対決を描いた物語だと言えます。エリザベスは複数の顔をもつ多面的な人物ですが、実際にはどのような人間だと解釈しましたか。
ポートマン:私が惹かれたのは、まさに「女性ふたりの支配をめぐる争い」でした。グレイシーとエリザベスには、それぞれに自分の語りたい物語があり、どちらが語り手になるかをめぐって争うことになります。
エリザベスは芸術に執着し、芸術を通して真実を描くことにも執着している人。しかし、彼女のやりかたは他者の人生や感情を犠牲にすることにもなりかねません。
本作の大きな問いのひとつは、「実在の人物を描くとき、当事者の人生に影響を与えないことはできるのか?」ということです。ジャーナリストやドキュメンタリー作家も同じですが、他者を描くことは、対象となったその人の人生を変えてしまうこと。どれだけ距離を置いても、本人の物語に本質的なかたちで関わらざるをえません。
この映画が、実在の人物を描くことが本人たちに与える心理的影響をテーマにしているように、実在の人物を描くことは倫理的な問題をはらんでいるんです。
当時13歳だったジョー(チャールズ・メルトン)と出所後に結婚したグレイシー
―エリザベスは「道徳的にグレーな人間を演じることに惹かれる」と語ります。この映画、そしてエリザベスという役もまた、道徳的にグレーであることは確かですよね。
ポートマン:興味深いのは、「芸術は非道徳的なものであれ、最後には誰かの人生に影響を与える」と考える人が多いこと。つまり、本作は「芸術が本当の意味で非道徳的であることは可能なのか」という深い問題を投げかけてもいるのです。
この物語はあらゆる難問を提示しますが、何ひとつ教訓や答えを与えません。ある人物に感情移入していたら、その人物がいきなり驚くべき行動を取り、とたんに感情移入できなくなってしまう、その繰り返しです。
しかし、それは観客に敬意を払い、数々の難問にも向き合ってもらえるはずだと信頼することでもあります。
―この映画はかくもシリアスなテーマを内包していながら、同時にコミカルでもあり、笑っていいのか悪いのかがわからなくなる瞬間さえあります。本作のジャンルをどのように捉えていますか?
ポートマン:コメディでありドラマでもあり、不安な要素もたくさんある――この映画を、ひとつのジャンルに分類できないところが好きですね。
けれども、トッドは音楽の使い方が巧みで、冒頭から「何かおかしい」とすぐにわかります。ごく普通に始まったかと思えば、音楽が不安を煽り、そして笑いを誘う。ホットドッグのくだりで「笑っていいんだ」と思えるし、みなさんも不安から解放されるんじゃないかと思います。
劇中で何度も使われるのは、映画『恋』(1971年)の音楽ですが、トッドはシーンごとに使う曲をあらかじめ決めているので、撮影前にセットでよく音楽を聴かせてくれました。だから場面のトーンをすぐに理解できたし、撮影のしかたを見ていても、たとえばワイドフレームであまり動きのない構図をつくっていると、「ああ、家族の不安を見せたいんだな」とわかりましたね。
トッド・ヘインズ監督
―エリザベスはグレイシーに接近し、だんだんと彼女に同化していきます。エリザベスの変化のプロセスはどのように構築しましたか?
ポートマン:トッドとたくさん話し合い、グレイシーのまねをしようと考えました。ただ、この映画は準備期間が短く、撮影に入るまでジュリアンがどんな演技をするのかもわからなかったので、最初はとても心配していたんです。
幸い、撮影はほぼ時系列順におこなわれたので、主に序盤のシーンから撮り進めることができました。バーベキューやドレスショップのシーンはかなり早い段階で撮った場面で、そのときエリザベスはグレイシーの舌足らずな話し方や動き方などのクセを研究していますが、じつは私自身もジュリアンの演技をリアルタイムで研究していたんですよ(笑)。
よく話し合ったのは、エリザベスは自分がグレイシーのまねをしている様子を、どれだけ本人に見せるのかということ。映画が進むにつれ、エリザベスはどんどんグレイシーに近づいていき、ひとりきりの場面では声色やクセなどすべてをまねようとします。
―映画を観ていると、現実のエリザベスと、グレイシーを演じる虚構のエリザベスの境目がどんどん曖昧になっていくのがわかります。エリザベスの「真実」と「嘘」を、どのように区別し、どのようにバランスを取りながら演じていましたか。
ポートマン:この映画は「演技」の多層性を描いています。それは女性が日常のあらゆる場面で求められることでもあり、たとえば映画の冒頭、エリザベスがバーベキューに現れて、「私は有名な女優なんかじゃないですよ、ただニコニコしてテレビに出ているだけの、皆さんと同じ人間なんですよ」というような振る舞いをしているのは明らかに「演技」ですよね。
一方、グレイシーが主婦としてあれこれと家事をして、夫にビールを飲ませるのも「演技」です。ならば、彼女たちが本当に自由でいられるのはいつなのか。
ポートマン:エリザベスの場合、それは演技をしているとき、つまり仮面をかぶっているときではないかと考えました。仮面をかぶり、自らの責任から解放されるときに最も自由になれるのではないかと。
―グレイシーに同化したエリザベスを演じるとき、ナタリーさんはグレイシーをまねるエリザベスを演じているのか、ほとんどグレイシーを演じている状態なのか、実際にはどちらが近いのでしょう?
ポートマン:この映画にはメタ的なところがあります。私、ナタリー・ポートマンはエリザベスという女優の役を演じているけれど、エリザベスはグレイシーという女性を演じるための研究をしていますよね。そして、グレイシーはジュリアン・ムーアという役者が演じているんです(笑)。
ジュリアンが面白がっていたのは、ケーキを焼くシーンのために、彼女が職人からケーキの焼き方を教わったこと。ジュリアンが職人から学んだことを、今度は私が学んでいる。そして、劇中でもエリザベスはグレイシーから学んでいます。そのように、「演技」のレイヤーが何層にも重なっているんです。
―本作のような作家性の強いドラマ作品から、『スター・ウォーズ』やマーベル映画まで、キャリアを通してあらゆるジャンルの映画に出演されています。企画を選ぶ基準はどこにあるのでしょうか?
ポートマン:ストーリーやキャラクターはもちろん重要ですが、私は監督を基準に考えることが多いですね。なぜなら映画をつくる過程や、そこでの経験にどんな関心を持てるかが、自分にとっては究極的に大切だから。その作品でどんな体験ができたのか、どんな意義深い経験になったのか、そして素晴らしい方々とともに、どのように物語やキャラクターを探求できたのかを私たちは思い出すわけです。
―俳優とプロデューサーを兼任することには、どんなやりがいや意義があるのでしょう?
ポートマン:私にとってプロデューサーの仕事は、「監督のビジョンを具現化する作業を助ける」という俳優の仕事の延長線上にあるもの。だから、俳優とプロデューサーを同時に務められるのは素晴らしいことです。
ただし、プロデューサーはより実践的な方法を取るので、今回も撮影場所やスケジュール、予算、出品する映画祭や配給元などについての話し合いを繰り返しました。ハリケーンのせいで屋外での撮影ができず、スケジュールを変更せざるをえないなど、いろいろな問題にも対処しましたね。プロデューサーのチームは心から尊敬する方々ばかりだったので、その一員に加われたことがとてもうれしく、本当に楽しい経験になりました。