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『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が、働く現代人に刺さる理由。三宅香帆さんインタビュー

2024年07月10日 14:10  CINRA.NET

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Text by 生田綾
Text by 南麻理江

2021年の映画『花束みたいな恋をした』では、就職すると、かつて愛した本や漫画に目もくれなくなってしまった青年、麦(菅田将暉)が描かれた。なぜ、麦くんは本を読まなくなったのだろう―。

そんな疑問から生まれた一冊『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)が、発売1週間で10万部を突破し大きな話題となっている。

著者の三宅香帆さんと、読書を楽しむ余裕がなくなってしまった現代人の労働の問題と生活について、たっぷり語り合った。

―本著はタイトルの通り、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか?」という課題意識から、明治時代以降のヒット本の変遷を軸に、日本の労働観を総括されています。明治以降の労働史を知るのにすごく最適な一冊だと思いながら読みましたが、どんな経緯でご執筆をされたのでしょうか。

三宅香帆(以下、三宅):映画『花束みたいな恋をした』(2021)を観たことがきっかけになっていて、映画のなかで、まさに働きながら本が読めなくなる主人公が出てくるんです。

菅田将暉さん演じる麦くんという男の子が、大学時代は本や漫画、カルチャーがすごく好きだったのに、働きはじめるとパズドラみたいなスマホゲームしかできなくなってしまう。そのシーンを観て、自分自身もこういうときがあったと思ったんです。同世代の人たちが「あのシーンわかる。パズドラしかできない麦くんを見て自分かと思った」みたいな声を上げているのも見て、麦くんみたいな人たちに向けて、「本を読みたくなる本」を書けないかなと思ったのが原点でした。

そして、なぜ本が読めなくなるのかという問いを考えるうえで、いまの忙しさや働き方の問題がいつから始まったのか、日本人はなんでこんなに本を読めなくなるくらい忙しくなってしまっているのか、そういった問題を歴史から遡っていくかたちをとってみたんです。

―読んでみると労働史であり、働き方改革の本ですよね。その説明がないと、なぜ自分は本を読めなくなったのか腹落ちしないと思います。一番刺さったのは、「現代の人たちにとって読書はノイズである」という指摘でした。

三宅:私は、働いているときは本が読めなくなるけれど、代わりにSNSを見たり、スマホで何かを検索して情報を得るみたいなことはできたんです。働いていると単純に時間がないからと思われるかもしれないんですが、きっと本を読む「時間」自体はあると思うんです。

時間ではない何かがあるんだろうなと思ったときに、小説や人文書に比べ、ビジネス書や自己啓発書の売り上げは伸びているということの原因を分析するなかで、「ノイズ」という言葉が出てきました。

自分がスマホで検索するときは、ほしい情報だけを得られるのがいいところですよね。SNSもフォローしている人や、アルゴリズムで自分好みのものが出てくるとか、自分の想像しているもの以外のものは入ってこない。それがある意味インターネットのいいところだと思うんですが、読書の場合はちょっとそれと違っていると思います。

たとえば、なぜ働いていると本が読めなくなるのかという問いを知りたくなったら、その問いの答えをズバッと言ってくれるのではなく、明治時代の読書の話から始まったり、背景知識から説明されたりする。いま起きている世界の戦争のことを知りたいと思ったら、何日に爆撃が起きたみたいな話だけじゃなく、宗教的な背景から歴史的な背景まで本は説明してくれるんですよね。背景知識まで説明してくれるからすごく勉強にもなるんですが、忙しい人にとっては、それは「ノイズ」にもなりかねないという側面があるのだと思います。

―コンテンツが溢れかえっているなかで情報発信をするとき、簡潔に伝えたり、早く答えを出したりしないと読者が離脱してしまう、という状況とも戦わないといけないと思います。そのなかで、あえて大がかりに迂回をしていくようなスタイルでこの本を書かれているようにも感じました。

三宅:そうですよね。でも、やっぱり文章で面白いと思わせたいみたいなところがすごくありました。もちろん情報を提供したいという気持ちもありますが、それ以上に本の魅力自体を伝えたいという気持ちがあったと思います。歴史的な背景からちゃんと教えてくれたり、特に知りたいと思ってはいなかったけれど知ってみると面白い知識とか、そういうものを伝えてくれる読書に、自分自身がすごく影響を受けてきました。だから自分自身もそれを書きたいと思いますし、意外と受け入れてくれる人もいるんじゃないかなという、ちょっとした賭けみたいなところはありました。

―自己啓発書の歴史についても綴られていて、三宅さんの自己啓発書に対する眼差しがすごく新鮮でした。『花束みたいな恋をした』では、書店の自己啓発書のコーナーに行った麦くんを、文芸好きの絹ちゃん(有村架純)は冷ややかな目で見る。この本の中でも、インテリ層が自己啓発的な雑誌に走る人をスンとした目で見るような描写が紹介されています。カルチャー好きやインテリ層が、自己啓発書を読むクラスターをどこか避けたり揶揄したりするような風潮は長らくあると思うんですが、三宅さんはそういう書き方をしていなくて、すごく目を覚まさせられるような感覚になりました。

三宅:私自身は小説が好きなんですが、明るい話がすごく好きなんです。ちょっと仕事で落ち込んでいるとき、明るい漫画や本を読んでいると頑張ろうという気持ちになったりします。そういった欲望は、自己啓発書に対して人々が求めているものと変わりがないんだろうなと前々から思っていたんです。

でも、一方で自己啓発書と自分が読んでる小説が同じジャンルなのかというと、そうなのだろうかと疑問に思ってもいる。もしそこに違いがあるとしたら何なんだろうと結構前から考えていたんですが、紐解いてみると、「インテリvs自己啓発」の歴史がずっと繰り返されていて、そろそろやめんかみたいな気持ちになってしまって(笑)。

―(一同笑)

三宅:やっぱり働いていると、「明日頑張ろう」と思えるものは大事だと思うんです。自己啓発書のような自分のテンションを上げてくれるような存在はやっぱり大事だとすごく思うんです。一方で、それだけじゃなくて、もっとノイズが入ってきたほうがいいとも思うので、働く人のテンションに寄り添うような小説とか本がもっと増えてほしいなと思います。

―働いてる人の気分に寄り添う小説は、具体的にどんなイメージですか?

三宅:『私たちの金曜日』(KADOKAWA)という働く女性をテーマにした短編小説のアンソロジーを読んだとき、働く女性をテーマにした小説って意外と少ないかもしれないと思ったんです。オフィスで働く女性や、仕事で役職がついて大変だけれど頑張ろうと思えるような女性の物語がこれからどんどん増えていってほしいし、需要があるんじゃないかと思います。

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―三宅さんは本を通して、「全身全霊で働く社会」から「半身で働く社会」を勧められています。私自身すごく仕事に一生懸命生きてきているんですが、仕事をアイデンティティに感じることに対して冷静になろうと思えたことは、この本からいただいたすごく素敵なギフトの一つでした。

三宅:嬉しいです。全身全霊で仕事をしている時期も当然あっていいと思うんですが、やっぱりどこかでバランスを崩しやすくなってしまうのではと思います。バーンアウトというか、体調や心身の健康を崩してしまう可能性もあるので、仕事は自分のすべてではないんだというか、「全身全霊でやらなくてもいいんだ」ということを覚えておくだけでも全然違うのかなと思うんです。

働き方って、いまの日本社会のなかですごく大きな問題なのに、その割に意外とまだまだ手がつけられていないのではないかと思っています。週5で働いて、残業もして、土日も疲れているから子育てどころか婚活もできない、みたいな話を友だちとよくしています。ハラスメントやメンタルヘルスの問題も、過労が原因になってしまう面があるんじゃないかと思います。

過労になってしまう前にちょっと休めるような状態の社会になってほしいなと私はすごく思うんですが、働き方についての考えって変えるのがすごく難しくて、「いまのままでいい」とみんなたぶん思っていないけど変えられていない、みたいな状態なのではないかと思います。

その意味で、少し上の世代からは働きながら趣味の本も読む生活なんて贅沢だよと思われるかもしれないんですが、私は働きながら本が読める社会のほうが、少子化とかメンタルヘルスとか、いろんな問題を解決していくのではってすごく思っているんです。

―上の世代からの「若いうちは忙しくて当然」みたいな眼差しってありがちだと思うんですが、それは全身全霊で頑張れる人と、全身全霊でケア労働してきた人という役割分担があって成り立っていたことでもありますよね。共働き世代が増えている時代で、新しい世代が頑張って伝えていくことが必要なのではないか、と思います。