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56人出馬の都知事選、目立ってしまった「報道の扱いが不平等」問題 テレビ局による「主要候補」選別の裏側とは

2024年07月09日 20:30  弁護士ドットコム

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過去最多の56人が出馬した東京都知事選は、現職の小池百合子氏の3選で幕を閉じた。「立候補した現職無敗の法則」を覆す候補は現れなかったが、SNSを駆使して若年層などにリーチした石丸伸二氏が蓮舫氏を上回り、2位につけたことに注目が集まっている。


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56人のうち、小池氏、蓮舫氏、田母神俊雄氏などは「主要候補」としてテレビや新聞もよく取り上げた。ただ、「泡沫」とも呼ばれてしまう候補者の中でも、無所属で知名度もなかった安野貴博氏が15万超の票を集めて5位につけたことは特筆に値すべきだろう。



そんな安野氏について、その妻はXで「選挙期間中に、夫がTVで取り上げられることは1秒もありませんでした」と投稿している。「主要メディア」とされるテレビは有権者にとって、有益な情報を提供できたと言えるだろうか。



「掲示板ジャック」が問題視された選挙システムの変化も求められている。テレビの選挙報道も変わるべき時がきたのではないか。



テレビがどのように「主要候補者」を選別し、選挙報道を通じて有権者に向き合っているのか。内情を明かしながら、あるべき姿を考えてみたい。(テレビプロデューサー・鎮目博道)



●都知事選の結果にザワつくテレビ関係者たち

都知事選で石丸伸二候補が2位の得票数を得たことに、テレビニュース関係者は多少ザワついている。選挙戦が始まったころには、ほぼすべてのニュース番組が「事実上、小池・蓮舫の一騎打ち」と予想していたからだ。



青天の霹靂の結果となり、しかも石丸氏は「マスメディアが当初まったく扱わなかった」などと既存メディアの報じ方にまで疑問を呈している。



テレビニュースが主要候補ばかりに放送時間を割くことを疑問視する「それ以外の候補者」は、どんな選挙でも存在する。そして、候補者ばかりでなく世間一般からも「メディアの偏った報道が、選挙結果に少なからず影響を与えている」という批判がよく聞かれる。



テレビはどうやって「主要候補」を決めているのか。テレビニュースで「詳しく報じる候補者」と「名前程度しか報じない候補者(泡沫候補)」を選別する基準はあるのだろうか。



●「主要候補」とする基準は新聞の動向を参考に?

結論から言うと、そうした明確な基準は存在しない。「どの程度の当選可能性があるのか」という視点で各社ごとに担当責任者が判断して決めている。



では、「名前しか報道しない泡沫候補」と判断されるのはどんなケースか。長年選挙報道に携わった経験のある人物に聞いてみると、次のような答えが返ってきた。



まず、いわゆる「ジバン」(地盤)、「カンバン」(看板・知名度)、「カバン」(鞄・資金力)がなく、これといった過去の実績もなく、後援者や組織もない候補者のほとんどは、まず泡沫候補と判断されるという。



それに加えて、公示(告示)後に実際に本人や関係者に取材をして、まったく集票のアテのない候補者も、泡沫候補と判断される。逆に、取材を通じて思わぬ組織票が見つかった場合には泡沫候補から外されるが、そんな例は実際にはあまりないそうだ。



そして、最近ではネットを通じた広がり、コメントやフォローの数なども判断材料にしているとのこと。



ただ、こうした取材を実際におこなっているのは、最近では取材する体力がある新聞社やNHKくらいで、民放各局にそこまでの余力はないそうだ。そこで、実際には各局は「新聞社の情報を参考に」して、誰を泡沫とみなすかを決めているのが実態だという。



●放送時間の制約…「すべての候補者を公平に扱うのは不可能」

こうした情勢分析に基づいて、テレビ各局は「候補の放送での扱い」を決めているわけだが、今回のように情勢判断にズレが出ると、不当に報道量が少なくなってしまうわけだ。



石丸氏には「元市長」としての実績もあり、それなりの支援者もいたので「泡沫」ではないが、主要メディアはネットでの選挙活動の広がりへの展望を見誤ったとも言えるだろう。



ただ、ネットでの支持の広がり、支持につく著名なインフルエンサーの登場を事前に予想することは難しいとも考えられ、過去の選挙と比較して「そもそも情報分析に基づいて主要候補と泡沫候補を決める」ことが困難になってきているとも言えそうだ。



さらに、既成政党や現在の政治状況への不満が高まる現在では、意外な候補者が急に支持され始めることも不思議ではなくなってきている。ネットやSNSの展開を背景に、加速度的に支持が広がるケースは今後もしばしばあるだろう。



そうなると、「選別せずに平等にすべての候補者を詳しく紹介するしかない」ということになってしまうわけだが、テレビ番組には「放送時間」という絶対的な制約がある。また、選挙報道にあたっては、放送法の「政治的公平」も課されている。



ニュース専門局が存在するような状況であれば、また話は違うのかもしれない。しかし、日本の地上波テレビは「さまざまな番組を編成する総合編成局」ばかりだ。候補者が大量の場合には、すべてを公平に扱うのはほぼ不可能と言ってよいだろう。



●中身のある選挙報道をしないことが「平等」?

「長時間の選挙特別番組」を流す方法も考えられるわけだが、営業の観点から民放の経営は成り立つのか、という問題もある。



地上波デジタルのチャンネルは「分割」することも可能だから、通常編成の裏側で別チャンネルを使って選挙報道を流すことも不可能ではない。地上波放送にこだわらず、全候補者の紹介動画をネット上で公開することも可能だろう。



しかし、いずれにしろ現在の民放の報道局の体制ではスタッフが足りなくなってしまうはずで、やはり物理的に難しいのだ。



そうやって有効な対策が打ち出せないと、現在のように「選挙期間中には中身のある選挙報道をしない」という、おかしな状況が一番の解決策になってしまう。



「不平等」であることを避けようとして、どの候補の主張も紹介しないことで「平等」に落ち着く。そうすれば、どの陣営からもクレームはこない。



しかし、選挙期間中に中身のある選挙報道をしないのに、開票速報や選挙が終わったあとにばかりいろいろな候補者の状況を詳しく報道するという状況は、誰が考えてもおかしすぎる。



●待ち受けるのは「テレビで放送されない候補こそ信頼に足る」と判断される世界

誰が考えてもおかしいなら、いったいどうすればいいのか。



実現性を度外視するなら、先ほどの対案のほかに「各局共同制作の選挙専門チャンネル運営」「各局で取材する候補者を分担」「もはや偏ってもいいから公平性を考えずに各局独自路線で報道」などかなり根本的で斬新な改革案を考えなければ、テレビの選挙報道が意味をなさなくなるのではないかと私は危惧している。



有益な情報を提供できない既成メディアの選挙報道が根本的な信頼を失いつつあるとすれば、このままだと「テレビニュースで大々的に放送されているような候補者は信頼できない。あまり放送されない候補者こそ信頼できる」ということにもなりえる。



そうした先には、ネット上の情報だけが信頼される状況が待っているし、すでにそのような状況になりつつあるようにも見える。それはそれで構わないのかもしれないが、テレビ各局は早急に議論を進めていくべきだろう。