仕事はできる人のところへ集まりやすいといわれるが、限度がある。埼玉県の40代後半男性(素材・化学・食品・医薬品技術職/年収1500万円)は、就職氷河期の1999年に就職した医薬・化学メーカーの研究職で、ブラックすぎる労働を経験したそうだ。
男性は大学院までの研究分野とは違う分野に配属されたにもかかわらず、10年で「新製品創出などの成果も出し、生涯年収以上の利益を会社にもたらした」という、やり手だった。30代半ばで課長職に就き、「難しい課題こそ矢面に立ち、事業を支えてきた」と自負を語る。しかし、それから15年は
「どんなに成果を出しても給与は上がらず」
だったという。(文:福岡ちはや)
「君を異動させると仕事が回らないから動かせないな」と昇給すらしてもらえず
当時、上司にあたる部長職が2、3年でコロコロと入れ替わるため、部長の引き継ぎ時には「不明点は彼に聞いてくれ」と男性が名指しされ、新任部長に仕事を教える始末だった。その後さらにエスカレートし、「部長は私の提案に押印するか、連名で発表するような状況」にまでなったという。男性は、
「信頼されればされるほど依頼事項は増え、何もわからない、決められない異動部長たちの相談ごと、依頼ごとも増える。(中略)仕事量は倍増どころではなく、在宅ワーク環境が整った今日、土日は家で仕事が当たり前。深夜・早朝勤務は当然で、毎週1日以上は徹夜して業務に当たらざるを得ない」
と当時の苦労を語った。それでも仕事ぶりが評価され昇給・昇進できていたなら報われただろうが、男性がもらうのは
「仕事はできる人に集まる」
「君はよくやっている」
「君を異動させると仕事が回らないから動かせないな」
という言葉ばかり。理不尽なことに、何度業績を訴えても「若いから」「単身赴任していないから」などと言われ、働けど働けど「基本給は変わらないまま」だったという。
「なぜ、そんな状況でいつまでもその会社にいるのか?」と問われ気付く
男性は仕事内容と給与が見合わないまま、「何も決めない上司、上役に不満を持ちながら、社内外で自分を頼ってくる人たちと『自分がやらねば』の責任感のもと働き続けた」そうだ。コロナ禍で在宅ワーク環境が整ってしまったため、
「会社で仕事、帰宅して仕事、土日も仕事。毎週徹夜。有休取得しても出先のホテルで仕事」
とブラック労働に拍車がかかり、男性はストレスをため込んでいった。これだけ休む間もなく働いては、いつ病気になってもおかしくない。しかし、会社の上司や役員は男性のハードワークを黙認していたらしく、「昔はみんなそうやったんだ」と言い、男性に「勤務記録の改竄」を指示してきたという。男性は、
「その頃には23時でも2時でも満腹にしないと寝付けない状態が続き、20キロ以上体重増加。高血圧となり、イライラする毎日であった。家族、特に共稼ぎで小さいころから面倒を見ていた子どもたちが、その頃には父の顔色をうかがって近寄ってこなくなっていた」
と振り返る。しかも、男性がハードワークをこなす一方で「同期入社たちが部長昇進し始め」たため、男性は「暗い気持ちと体調不良を実感」するばかりだったそうだ。
しかし、あるとき男性に転機が訪れる。内情をよく知る取引先から「なぜ、そんな状況でいつまでもその会社にいるのか?」と質問されたのだ。男性は「そうだな」と目を覚まし、48歳で「あっという間に転職」に成功したという。現在は年収1500万円となっている。
「社外の知人からは『あのままでは早死にしたかもしれないね』と言われ、ストレスが減って家族との時間も増えたため、子どもたちとも笑顔で過ごせるようになった」
こう語る男性。大量の仕事をさせるばかりで相応の評価をしない会社には、早く見切りをつけたほうがいいだろう。
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