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夫婦のあり方を考え直す。『1122』ドラマ化を機に原作者・渡辺ペコへ聞く、正解のない家族のかたち

2024年06月20日 13:10  CINRA.NET

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Text by 服部桃子
Text by 今川彩香

結婚や夫婦のあり方は本来人それぞれのはず。でも、どこか「こうあるべき」「これが幸せ」という定型が、世の中に漂っているのはなぜなのか。その定型から外れたとしたら、はたして幸せではないのだろうか?

そんな問いを突きつけてくるのが、漫画家・渡辺ペコが描いた『1122(いいふうふ)』。結婚7年目の仲良し夫婦、一子(いちこ)と二也(おとや)。セックスレスで子どもなし。そんな二人が選択したのは「婚外恋愛許可制(公認不倫)」。二也には、子どもを持つ既婚者の彼女(美月)がいて……。

結婚や夫婦のあり方を考えさせられるこの作品が、今泉力哉監督によって『1122 いいふうふ』としてドラマ化。今年(2024年)6月14日にPrime Videoにて世界独占配信がスタートした。主演を務めるのは、高畑充希(一子役)と岡田将生(二也役)だ。

2016年から2020年にかけて連載された漫画『1122』。2024年にドラマ化されることについて、いま原作者は何を思うか? また、結婚という制度についてあらためて感じることとは。渡辺ペコにインタビューを行なった。

ー『1122』の物語は、どのようなきっかけから着想されたのでしょうか?

渡辺ペコ:一言で言うと、結婚の社会的なイメージと、個人的な認識にずれがあったことが出発点です。

私の両親はずっと不仲で──のちに離婚するのですが──当時、私は子どもだったから、選んだ訳ではないのに、うまくいってないコミュニティのなかにいなければいけなかった。大人の幼稚なやり取りや態度をずっと見てきて、その不信感がベースにあったんです。

でも、成長してフィクションをいろいろ見ていると、世の中のイメージとして結婚はすごく良いもので、ひとつのゴールのように設定されていて。私が若い頃──つまり20年以上前は、いまよりもその感覚が強かった。よくわからなかったし、個人的にはちょっとした恐怖も感じていました。

さらに30代になって、友人知人、編集さんとお話しするなかで、仲の良いカップルや夫婦ほど、レス──性的なつながりがないっていうケースが散見されて。また当時、読売新聞の「発言小町」という読者の投稿サイトを見漁っていて、トピックを全部知ってると言えるぐらい読んでいたんです。「夫婦の悩み」が注目トピックで、そのなかでもレスの話っていうのは多くて。世間や社会を見たとき、年を取るほど相手に対して憎悪や嫌悪感を抱くような状況を感じることも多かった。

「すごく良いもの」で、一つの到達点とされる結婚なのに、蓋を開けるとうまくいっていない。この現状は何なんだろう、と。これをお話として描いてみたいって思ったんです。

『1122』 / 渡辺ペコ。あらすじ:妻・相原一子。夫・相原二也。結婚7年目の仲良し夫婦。セックスレス。子どもなし。そんな二人が選択したのは「婚外恋愛許可制(公認不倫)」だ。おとやには、いちこも公認の「恋人」美月がいる。美月との恋に夢中になるおとやを見て、性欲が凪の状態だったいちこに徐々に変化が。一方、家庭を顧みない夫・志朗との間の息子の育児にひとり悩む美月は、おとやとの不倫の恋にのめり込んでいく。そしてついにある「事件」が起こる……。 結婚をしたい人もしたくない人も、結婚を続ける人もやめた人も、「結婚」を考えるすべての人に届けたい――、30代夫婦のリアル・ライフ。((C)渡辺ペコ / 講談社)

ー『1122』連載のスタートは2016年と、いま(2024年)から約8年前、完結は約4年前ですね。時間が経ってからのドラマ化となりましたが、あらためて作品について発見や気づきはありましたか。

渡辺ペコ:フィクションで不倫をテーマにした作品はもともと多かったとは思うのですが、『1122』の連載が始まってから、夫婦間で新しい関係性を模索したり、性的なものをどう扱うかというところを描いた漫画や小説が増えてきたイメージがありました。私が最初っていうことではないのですが、当時は「新しいですね」と、よく言われた記憶があります。

でもいまは、すでにいろんなかたちで世の中に出ているので、「もう古いよ」って思われてしまったら残念だなって心配だったんです。でもかたちになったものを見たら、いまのドラマとしてちゃんと通用するなと思いました。その点は安心しましたし、お任せして良かったです。

一子(高畑充希)と二也(岡田将生)

ー「いまのドラマとして通用する」と感じられたのは、どういった部分でしょうか。

渡辺ペコ:新しい世界が立ち上がっているので、純粋に映像作品として面白い。俳優さんの力もすごく大きいと思います。生身の人たちが物語を繰り広げることで、普遍性を感じられるようにも思います。

一度だけ撮影にお邪魔したとき立ち会ったのが、一子(高畑充希)と礼くん(吉野北人)がカフェで話していて、おとやん(二也=岡田将生)が偶然それを見てしまう場面だったんですね。何年も前だから、自分で描いているのに忘れていて(笑)岡田さんが──おとやんが一子に何も声をかけず、ふいって行ってしまうから、びっくりしちゃって。何か言えばいいのに、挨拶しないんだ、とか心配になってしまいました(笑)。

ー漫画では二也の傷ついた顔がクローズアップされるために怖さは感じなかったのですが、岡田さんが演じられていると迫力が増していたかもしれませんね。

渡辺ペコ:そうですね。ドラマの最初の一子とおとやんが会話をしているシーンでは、二人とも仲が良くてすごくかわいい。でも岡田さんがあまりにも優しいから、逆に何か起こりそうで恐ろしいという感想も聞きました(笑)。

ーそれぞれのキャラクター像について教えてください。主人公の一子と二也夫婦と、美月と志朗夫婦が対照的に描かれているように感じます。発言小町でのリサーチやまわりの方への取材が、それぞれの登場人物像につながっているのでしょうか?

渡辺ペコ:一子と二也は、自分の感覚や、まわりにいる同世代の友人知人のカップルのイメージと地続きだったので描きやすかったです。美月と志朗は、私が思う古い結婚、夫婦のイメージで、ある意味「王道」とでもいうのでしょうか。そうしようと思ったわけではなかったのですが、配置としては対照的になったかと思います。

ー例えば食事のシーンで、志朗が美月に栓抜きさえも持ってこさせるような場面がありますね。志朗の亭主関白のような要素は、意図してつくられたのでしょうか?

渡辺ペコ:定型のイメージとは言ったんですけど、私のまわりには実際にはあんまりいなかったんです。しかし『1122』を描いていた当時、発言小町などのメディアを見ていると、パワーバランスとして夫のほうが強くて、お互いが無意識のうちに役割を務めているような──妻がかいがいしく、夫のお世話を焼くような──夫婦が多いんだな、と思ったんですよね。それこそ「主人」呼びとか。そういう、染みついてしまっている不平等さみたいなものは、意識して描きました。

志朗(高良健吾)と美月(⻄野七瀬)

ー美月と志朗夫婦は、物語が進むにつれて志朗の意識が変化し、いい方向に関係性が変わっていきますね。もともとそうしようと思われていたのでしょうか?

渡辺ペコ:それぞれの夫婦がどうなるかっていうのは、最初はかっちり決めてはなかったと思います。別れてもいいなとか、これは別れるんじゃないかなとか思いながら描いていたときもあったかと。ストーリー上、志朗が変わっていく過程は必要なことだったと思うので、わかりやすくエピソードや言動で提示することには気をつけていました。

でも、どちらかというと私がやりたかったのは、いわゆる「奥さん」──夫婦のあいだで力が弱いほうが、強くなっていく……というか、強さをちゃんと相手に出していく場面を描くこと。夫に何か言われて終わりではなくて、しっかりと言葉で伝える、抵抗する、反論するっていうのを意識的にやりました。

ーある事件が起こったあとに、美月が志朗に対話を促し続ける場面は印象的でした。それぞれ描き終えられてから、主要人物の四人(一子、二也、美月、志朗)に対してどんな思いを持たれましたか。

渡辺ペコ:描いてるときは近すぎてよくわからなかったんですけど、ドラマを見たり、原作を読み返したりすると、タイプの違う夫婦をわかりやすく配置できたかな、と感じました。

あと、私は女性に強くいてほしいというか、強く出てほしいっていうのがあるみたいで。ドラマをひととおり見せていただいてあらためて思ったのですが、あんまり男性から好かれない感じっていうか(笑)、口が減らないっていうのかな……女性が結構強気だなって。自分の意思をあらためて感じましたね。

嫌な感じに見える人もいるかもしれないのですが、現状、女性が黙ってしまうことがまだ多いと思うんです。そこで負けないでほしいという気持ちが、すごくあるんだと思います。

ー物語には、登場人物たちの親も描かれていますね。特に、一子とそのお母さんの関係性には、グロテスクな部分も混じっているように感じました。家族を描くうえで、良好な関係だけでなく、歪さを交えて描かれるということは意識されているところなのでしょうか。

渡辺ペコ:そもそも家族というコミュニティが、ちょっとグロテスクだと私は思っていて。一方で、意識や工夫次第ではうまく運用できる場合もあるんじゃないかとも思っています。ただ、そうはできていない家族やパートナー同士の関係も、たくさんある。

自分自身も歪んだコミュニティのなかで育ってきたから、安定していて信頼できる家族や親がいる──ホームがあるっていうことは、その人にとっての強みだと思っていて。それはとても尊いことで、いいかたちでそれを描くことももちろん物語なのですが、私はそのホームが揺らいでいる、少し脆弱な人のほうが気になるんですよね。強いホームを持ってない人は、どうやって生きていけばいいんだろうっていうのは常に想定しています。

一子は、いろいろ思うところがあったとしても、おとやんを頼りにして、甘えていて、依存している。それをたぶんおとやんも、わかって受け入れている。例えば一子のホームが安定していれば、あっさり別れることもあったんじゃないかなって私は思います。一子は、お母さんとの関係が不安定だから、簡単にはおとやんとのつながりを切れないところがあった。何か親的なものを、恋人やパートナーに求めてしまうような側面もあると思うんですよね。そういうところも含めて描きたかったんだなと、ドラマを見て思いました。

※以降、物語の重要なシーンに関する内容を含みます。あらかじめご了承ください。

ー『1122』は、制度としての結婚がテーマだと思いますが、最終話では婚姻という契約を手放した一子と二也が、新しい関係をつくっていこうとする姿が描かれますね。この帰結には、どのような意図が込められているのでしょうか。

渡辺ペコ:先ほども少し触れましたが、初めからそうしようって決めていたわけではなくて、いろいろ描いていたら、やっぱり離婚することになっちゃった。私は、別れ──つまり離婚という選択も全然悪くないとは思っているんですよね。

でも、物語として考えたときに、もうちょっと頑張ってみようと思って。担当さんとも話して、一子とおとやんがここから(離婚して別々に暮らすようになってから)、それでも戻ろうとするなら何が必要かっていうことを、すごく頑張って考えた気がします。そのためにはウルトラCが必要かなって。その二人のかたちは結婚ではなくてもいいのかなと思ったんですよね。

制度が先にあるのではなくて、結局はその人と一緒にいたいかどうか──つまり生活をともにしたい、一緒に生きていきたいという思いが本来は主のはずなので、そこに戻ったんだなって。いま振り返ってみると、そこまで描けて良かったです。

ー新しい関係性をつくっていこうとする一子と二也に、希望を感じた読者も多かったのではないかと思います。それを描かれたあとで、ペコ先生の婚姻制度に対する考え方について変化はあったのでしょうか?

渡辺ペコ:『1122』を描いているときに結構考えたので、あらためて日常的に考えるっていうことはあまりないのですが、人の話や関連する報道を見聞きしたときには、結婚とは独特で「強い」制度だな、とは思います。

私の想像ではあるのですが、いまの若い人たちはそのへんをちゃんと理解していて、ともに暮らすにあたり良いパートナーを考える、探す、みたいな意識が強い印象があります。ちょっと前は社会や世間が目をくらませてくるっていうんですかね……。恋愛の帰結のような扱い方をしたりとか、本来であればスタートなのだから落ち着いて取り組んでいく大事なときなのに結婚式で大金を使わせるだとか、新婚旅行で子どもつくっちゃえみたいな「ノリ」のようなものとか、冷静さを失わせる仕組みがいっぱいあったんだなって、振り返ってみると恐ろしく感じます。

ー薄れてきているかもしれませんが、そういった社会や世間の雰囲気のようなものはまだあるように感じます。『1122』に限らずですが、先生は社会的な課題、例えばジェンダーの問題などを敏感にキャッチして、物語に落とし込まれていると思います。それはどうしてでしょうか?

渡辺ペコ:そうですね……社会的な問題が先にあるっていうよりは、人間同士の話を描こうとしたときに、私が気になっていたものが要素として一緒に出てくる場合が多いですかね。気になるから特定の社会問題を扱う、みたいなことはしていなくて。

物語って人間の感情で動く部分が大きいと思うのですが、感情だから何でもありになりすぎると、自分としてはあんまり面白くないというか、興味が続かないんですよね。社会のなかで生きてる人、つまり、その人と社会との擦り合わせや軋轢を描くと、自分の関心が続くんです。

ーそれは人間を描くとき、いまある社会的な課題から切り離せない存在であるから、ということでしょうか。

渡辺ペコ:すべての人が社会のなかで生きていて、例えば「自分は強く参加をしてない」と感じていたとしても、薄いながらも社会とのつき合いがあるはずで。私自身、自分のクリエイティビティから作品が生まれているというふうには思っていなくて。社会のなかに生きている一人の人間がつくるものだから、必ずいまの社会が反映されている。

だから何か描くとき、社会のどういう要素が出てくるかっていうのが、ちょっと楽しみでもあるんです。独創性や創造性より、自分に関していえば、この時代、この社会の一員として生きている自分がつくるものっていうところが大事だと思っていますね。

ー社会が変化し続けるなか、いま現在のタイミングで『1122』がドラマ化されることについては、あらためて何を思われますか。

渡辺ペコ:私が関心を持って描いていたときから時間が経っていますが、社会的な問題は一気に変わるものではないですよね。先ほども、二番煎じのように受け取られてしまう懸念をお話しましたが、問題が完全に解決した世界は訪れてないから、波のように何度も作品が生まれてもいいのかなって。別の方々が、別のかたちにして、社会に放ってくださった。それも必要あってのことなのかなと思っています。