2024年06月07日 10:40 弁護士ドットコム
ホラーミステリーの名手が最新作の題材に選んだのは〈冤罪〉だった。作家・貴志祐介さんの長編『兎は薄氷に駆ける』(毎日新聞出版)。自動車整備工の日高英之は、叔父殺しの容疑で警察の暴力を伴う過酷な取り調べを受け、虚偽の自白調書に署名押印させられてしまう。だが公判廷では、彼と弁護人の巧みな戦術を駆使した逆襲が始まる——。
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作品を通じて伝えたかったのは、法の番人であるはずの警察や検察が暴走することの恐ろしさだという。貴志さんに話を聞いた。(ジャーナリスト・角谷正樹)
——新聞連載時に読ませていただいたときは、主人公の日高英之と本郷弁護士が巧みな戦術で検察を法廷でとっちめていく痛快なリーガルエンターテインメントだと感じましたが、単行本の帯には「現代日本のリアルホラー」というキャッチフレーズがついています。この作品はホラーとして書いたのですか。
いえいえ、全然ホラーという意識はなくて、帯を見て驚いたんですけど(笑)。でも、読んだ方からは「腑に落ちた」「これはまさにリアルな現代のホラーだな」という感想を多く聞きました。取り調べだけじゃなく、全く犯罪に身に覚えのない人間が、容易なことでは抜け出せない。突然日常の中に大穴が開いて、そこに落ち込んでしまうような怖さですね。
——そもそも冤罪をテーマにしようと思ったきっかけは。
せっかくの新聞連載なので、社会性のあるものを書きたいと思っていたんです。以前から冤罪事件というのはずっと繰り返し起こっていましたが、それが令和のこの時代になってもなくなっていないことに非常に衝撃を受けた。これは書き始めた後ですけど、大川原化工機事件とか、こんなことが本当に起こっていいんだろうかという非常に大きな疑問を感じたのが動機ですね。
——前半では日高が刑事の取り調べで暴力を振るわれたり、むりやり調書に署名させられたりしますが、実際にあった話を下敷きにしたのでしょうか。
特定の一つの冤罪事件を下敷きにしたというよりも、いろいろな事件の資料を見ると、大なり小なりこういうことをやっているんだなと。非常に取り調べ自体が恫喝的、威圧的であり、かつ、現代では目立たないようにソフトな暴力となっている。暴力というのは肉体的に傷つけることではなく、心を折ることが目的なわけですよね。そうすると、使い方によっては非常にソフトな、跡が残らないような暴力でも目的を達してしまう。それが非常に恐ろしいと思います。
——取り調べで刑事が日高に「あの弁護士を信用するな」みたいなことを言います。
警察は、時と場合によっては、そういう発言をすることもあるやに聞いています。警察にとってみれば、否認事件なんてもってのほかで、とにかく全部認めてサクサクと進めて情状酌量だけを訴えるのが良い弁護士なわけで、否認事件として徹底的に争うという弁護士は、警察の立場にするととんでもない人間ということになるんですね。ですからまず、被告人と弁護士の関係を断ち切って孤立無援の状態にして、それで落とすというのが警察のやり方なんだと思います。
——刑事が容疑者と信頼関係的なものを築いて自白へ誘導する。
これは立場こそ違え、いわゆるストックホルム症候群みたいなものだと思うんです。本来は人質と犯人って利害が反するわけですけど、いつの間にか取り込まれて共感してしまう。取り調べの刑事だって似たようなもんなわけですよね。容疑者からしてみれば、特に無実の場合は、刑事が完全に敵なわけです。無実の人間を罪に陥れようとして虚偽の自白を迫ってくる。にもかかわらず、非常に長時間一緒にいて、なだめすかしたり脅したり、いろんなことをされているうちに、だんだん精神的に依存してしまう。
——こういうひどい取り調べは一昔前のことかと思っていたら、最近も大川原化工機事件がありました。また、袴田事件の再審開始も注目を集めています。
結局、一般人の立場からして一番やりきれないと思うのは、警察や検察が過ちを認めないということなんですよね。検察官だって人の子ですから、間違いを犯すことはあるわけですよ。現に袴田事件なんかは間違いであることがほぼ証明されている。にもかかわらず、無謬(むびゅう)性という神話を守るために、まだ争う。間違っていたって、今さら後には引けないと。やりきって押しつぶしてしまえばこっちの勝ちだという、そういう怖さを感じますね。
——組織防衛の論理で動いているんですね。
いや、検察官が検察庁の利益を優先するのはある意味で当然なんですが、実は検察の利益にもなってないんじゃないかと思うんですよね。ここまで意地を張り続けるというのは。間違いを潔く認めて改めてくれれば、それこそ国民の信頼はもっと増すと思うんですけど。検察庁の利益よりも個人のメンツとかプライドを優先させているんじゃないかという気がしてしまいます。
——執筆にあたり刑事裁判の取材などは。
傍聴に行ったのはだいぶ前のことで、それはオウム関係の裁判だったんですけど、実際に見ると、フィクションの世界とはだいぶ違うなと感じました。ドラマとかはもちろん尺があるので凝縮されていて、1回の公判で次々と爆弾証言が飛び出したりと展開が速いですけど、実際には本当に遅々として進まないなと。だからそれに耐える忍耐力も、被告人には無実の場合には求められるのかと思います。
——物語の後半は公判の描写が中心になります。弁護側が有罪とされる証拠を次々に崩していき、検察側をやりこめていく場面は痛快でした。
裁判ものは昔から書きたいと思っていました。現代におけるリアルな戦いなわけですよね。普通に起き得る合法的な戦いで、しかもそれが言葉の戦いである。だからこれは小説家としては一度はチャレンジしてみたいなという気がしました。
ただ、こういうふうに弁護側が検察側を出し抜くというのは、ある種ファンタジーに近いかなという気がします。あまりにも証拠からして圧倒的に検察側が優位なようにできているんですね。訴追側がすべての証拠を握っていて、どれを出すか出さないか、すべて向こうが決める。その中で弁護士さんは本当に孤軍奮闘されていらっしゃいますけど、ごくまれに、独自に証拠を見つけて無罪判決を勝ち取ったりする方は、本当に超人的だなと思います。
——物語の中では、裁判官がちゃんと被告弁護側の言い分に耳を傾け、時には検察官を指弾したり、取り調べに当たった刑事を証人尋問で追及したりする場面もあり、裁判官が理想的な姿で描かれていると感じました。
これもやっぱり、ある種のファンタジーですよね。裁判官は中立でいてほしい、あくまで謙虚に証拠に目を通して、耳を傾けて欲しいと。現実には、もちろんそういう方はいらっしゃるんですけど、やっぱり警察と同じぐらいとまではいかないですけど、かなり検察とズブズブの方もいらっしゃる。正しいことを言っていても、検察に忖度(そんたく)をして認めてもらえない。
一番おかしいと思うのは、いわゆる人質司法です。いろんな罪状で別件逮捕、別件逮捕していくのも問題なんですけど、その後、起訴が決まっても保釈しないことがある。保釈というのは本来しないといけないものですよね、条文を見ても。特段の場合に限って保釈しないことができると。ところが実際には、どう考えても証拠隠滅なんてないだろうという事件でも、ずっと保釈しないで獄中にとどめ置く。これはやっぱりまずいんじゃないかと思います。
——大川原化工機事件でも起訴後勾留が続きました。
あれなんか、本当に人の心があるのかというような裁判官の判断だと思います。被告とされた人の1人は、ガンにかかっていた。それが分かった段階で保釈して、いったい何の不都合があるのか。きちんとした医療も受けられて、延命できた可能性も十分あったにもかかわらず、嫌がらせのような勾留を続けることによって、死に至らしめてしまった。あれは国家による殺人と言っても過言ではない。
人質司法も、それが世論の大きな非難を浴びてるような状況であれば、だんだんなくなっていくんでしょうけど。
カルロス・ゴーン氏の事件では、国際的に人質司法が注目を浴びて、日本のイメージが下がったと思います。しかし、長期間の勾留に対する世論の反発はなかった。それは非常に危険なことだと思います。誰かを罰したいという欲求のままに国民が行動していくと、いつかそれがまた自分に降りかかってしまうのでは。
——本格的な法廷ものをお書きになったのは、今作が初めてですね。
そうですね。たとえばSFなんかで架空の法廷みたいなものを書いたことはあったんですが、それだと好きなように書けばいいわけですね、現実の法廷というのはやはり、ましてやシステム自体に疑問を投げかけている本なんで、あまり現実と遊離したことを書くと説得力がなくなってしまう。そこに神経を使う必要は感じました。
——このようなリーガルサスペンスものを今後も書いてみたいと思いますか。
また挑戦したいと思いました。裁判はある意味、人生を懸けた戦いでありつつ、それが言葉と論理によって行われるわけですよね。そして証拠がないとそれは説得力を持たない。囲碁や将棋やチェスのようなゲーム性もありながら、裁きの場というのが、誤解を呼ぶ表現かもしれませんけど、宗教的な儀式のような、そういう厳粛な場でもあると思うんですよ。だから小説に書く場合は、いろいろ法廷以外のことも描いた上で、最後にそこで白黒が凝縮されるという作りというのは、非常にドラマチックなものになるんじゃないかという気がしています。
——法廷を小説やドラマにすると、動きが少なく、言葉のやりとりだけになってくるので、やりづらいということはありませんか。
基本的に小説というのは言葉で世界を紡いでいくので、検察官が事件当時のことを述べたら、読者はそこに連れて行かれるわけですよね。地の文と同じで。ですからそういう意味では、活字の方が法廷ものには向いているのかなと思います。
最近、ドラマなどで法廷もの、特に冤罪をテーマにしたものが非常に多いのは、そういう一つの流れが来ているのかな、世論の関心が高まって、これではいけないという見方が大きくなっているのかなと思います。
ドラマなどでは検察を批判的に描いているものが多いですよね。検察は本当に大変な仕事をされていますし、当然検察がいなければ日本の治安は保てないわけで、日々こうやって平和に暮らしていけるのは警察、検察のおかげだと思うんです。ただ、そこが100%信頼できないというのは、国民としては生きた心地がしない。それだけの負託を負って仕事をされているんだということを、検察、警察の方には考えていただきたいと思います。
——世間で裁判もの、法廷ものに関心が高まっているのは、現実に冤罪事件が続発したことも影響しているんでしょうか。
袴田事件というのは本当に古いタイプの冤罪事件で、弱者、警察にとって都合のいい人間が犯人に仕立てあげられた。それに対して、大川原化工機事件やプレサンスコーポレーション事件は、警察が普段あまり手を出さないような人たちをターゲットにして、むしろそういうターゲットをあげることによってトロフィーになる、実績になるという野心が引き起こした事件なのかなと思います。だから上級国民といえども安閑としていられない、非常に恐ろしい状況になりつつあるのかなという気がしています。
——大川原化工機事件では、まさに公安警察がそうした野心で、法解釈をねじ曲げてまで不当な逮捕に踏み切りました。
国家権力が暴走してしまうと、これほど恐ろしいことはない。われわれは普段、犯罪が凶悪化してその被害者になるんじゃないかという恐ろしさを感じているわけですが、実は治安自体はそんなに悪化しているわけじゃない。刑法犯の認知件数はずっと減っています。
それよりもむしろ、本来は法の番人、正義の味方であるはずの警察や検察の人たちが、もちろんほんの一部の方々ですけど、道を踏み外してしまう恐ろしさというのは、これこそまさにリアルホラーだなと思います。