Text by 生田綾
俳優の伊藤沙莉さんが主演を務めるNHK連続テレビ小説『虎に翼』が話題だ。日本初の女性弁護士・三淵嘉子さんの実話をもとに、主人公である寅子が、男性主体の法曹界で道なき道を切り開いていく姿を描く。
5月31日まで放送された第9週で物語は一つのターニングポイントを迎え、第10週から新たに「裁判官編」がスタートした。終戦を迎え、夫や兄、父を失った寅子だったが、日本国憲法を読んだことで一度挫折した仕事に再度挑戦することを選択する。
SNSでは毎朝放送されるたび、感想合戦が繰り広げられているが、そのなかにはやはり、寅子ら女性たちが置かれたあまりにも過酷な状況に思いを馳せるものが少なくない。戦前の明治民法では、妻は法律上「無能力者」とされてしまい、財産は夫に管理され、働くにも夫の許可が必要だったという。たとえ法律用語だとしても「無能力」という言葉にはギョッとする。
そんな自由も人権も保障されていない社会の荒波を、寅子は「はて?」という疑問符を持って突き進んでいく。物語が始まってからずっとだ。
第1話、両親からお見合いを強制されるも、「なぜ自分はここにいるのか」と腑に落ちない顔を浮かべる寅子は、結婚が「良いもの」だとどうしても思えない。「先生とかお医者さんとか、職業婦人になる道だって本当はあるわけでしょう。私は、女の人の一番の幸せは結婚って決めつけられるのがどうしても納得できないのかもしれない」と親友の花江(森田望智)に投げかけるも、「トラちゃんってそんなお子ちゃまだったの?」と返されてしまい、「はて?」と言う。あるいは見合い相手に向かって社会情勢に関する自身の意見を熱弁し、「分をわきまえなさい。女のくせに生意気な」と言われ、「はて?」となる。
こんな調子で、寅子は社会的規範を強制されたり、理不尽でおかしなことや腹落ちしないことに直面したりすると、「はて?」と投げかけ、話し合いを展開しようとする。おかしいと思ったことを流さない、スルーしないという寅子の姿勢は、実現することが難しいからこそ新鮮だし、ワクワクする。
しかし、第8週からは寅子の挫折が描かれ、寅子は口癖である「はて?」をほとんど言わなくなってしまった。
その挫折には、寅子を法曹界に引き入れ、女性の地位向上の理解者であったように見えた穂高先生(小林薫)による「仕打ち」も大きかっただろう。第8週の38話、妊娠していた寅子は多忙により仕事中、倒れてしまい、見舞いに来た穂高先生からこう言われてしまう。
「仕事なんかしている場合じゃないだろう。結婚した以上、君の第一の務めはなんだね? 子を産み、良き母になることじゃないのかね?」。寅子は、自分が立ち止まると女性が法曹界に携わる道が途絶えてしまうと話すも、穂高先生は「世の中そう簡単には変わらんよ。『雨垂れ石を穿つ』だよ佐田くん。君の犠牲は決して無駄にはならない」と諭そうとする。子を産み、育てながらも働ける環境をつくろうという意識はそこには一切ない。最も信頼する人物の一人である恩師からの言葉に、寅子はいたく打ちのめされただろう。
仕事を辞め、戦争が激化していく中で、「はて?」と言えなくなってしまった寅子だったが、そこで希望を与えたのが夫である優三(仲野太賀)の言葉や、基本的人権や「法の下の平等」を定めた日本国憲法であった。
優三は寅子の代わりに「はて?」と言い、「トラちゃんができるのは、トラちゃんの好きに生きることです」と、社会的な規範にとらわれず自由に生きることを後押しした。
社会に根付く理不尽で不公平な制度や価値観、それによる抑圧、困難、わかりあえなさ。それを描きながらも、変化と希望を描き、前に進む活力を与えてくれるこのドラマに、私はとても勇気づけられている。
本作の魅力は尽きないが、個人的に『虎に翼』の最も好きなところは、この物語が私たちが生きる社会でいま起きていることと「地続き」の問題を描いていることだ。
第9週45話。父・直言(岡部たかし)が亡くなり、弟の直明(三山凌輝)は猪爪家の家計を支えるために勉学の道を諦めて働くことを選ぶが、寅子は進学することを勧める。「僕は猪爪家の男としてこの家の大黒柱にならないと」と話す直明に、寅子は「そんなものならなくていい。新しい憲法の話をしたでしょう。男も女も平等なの。男だからってあなたが全部背負わなくていい。そういう時代は終わったの」と伝える。
しかし、私たちはいまもまだ「そういう時代」に生きており、道半ばだ。共働きこそ当たり前になり、価値観は変わりつつあるが、いまもまだ男性に経済力が求められ、女性が家事や育児の役割を担うことを期待される風潮は根強い。
第10週47話では、司法省で働き始めた寅子の元に、政治学の権威である神保教授(木場勝己)が登場する。その教授は「家制度」を廃止しようとする民法改正案に大層ご立腹で、「我が国の家族観を、この国を破滅させる気かな?」「家族と家族が手を取り合う必要があるいま、家制度や戸主がなくなってしまったら大変なことになる」と威圧する。
伝統的な価値観をもって、多様な選択肢を阻もうとするバックラッシュはいまも顕在する問題だ。たとえば結婚したときに夫婦で別の名字も選べるようにする選択的夫婦別姓や、同性婚について、あらゆる報道媒体の世論調査で賛成が過半数を上回る結果が出ているにもかかわらず、岸田総理は「家族観や価値観、そして社会が変わってしまう課題」だとしてなかなか議論は進まない(*1)。
別姓に関してよく挙げられる意見が「家族の一体感がなくなる」といったものだが、名字が同じであればそれだけで、「一体感」が生まれるということだろうか。そもそも「一体感」とは何だろう? 同性婚ができるようになると、どう社会が変わるというのだろう? 抽象的な説明にとどまり、多くの人が納得するような具体的な回答は示されていないと思うのだが、それでも「伝統的価値観」はいまもまだ鉛のように重く社会に根付き、変化を阻んでいる。
ちなみに岸田総理は現職に就く前、自民党内では選択的夫婦別姓に賛成する議員の一人で、2021年に党内の有志でつくられた「選択的夫婦別姓氏制度を早期に実現する議連」の呼びかけ人でもあった。党のトップになった途端に慎重派へと変わる姿を目にすると、大きな組織のなかで改革を進めることがいかに困難であるか身に沁みる。
『虎に翼』を見ていると、いまも現在進行形で起きているさまざまな出来事に、私は思いを巡らせてしまう。そんな人もきっと多いだろう。このドラマを通して、いまある問題に目を向けるきっかけが広がったり、いろいろな意見が活発にかわされたりする機会が増えてほしいと思う。