Text by 川谷恭平
Text by 児玉浩宜
ロシアによるウクライナ軍事侵攻が3年目に突入。2024年の2月にカメラマンの児玉浩宜はウクライナを訪れ、若いスケーターたちのコミュニティを取材した。若者たちは、戦争中にもかかわらず、スケートボードに乗る。それは遊びではなく、彼らにとっての「自由」を示す意思表示だった。
そんなスケーターたちの姿に心を打たれた児玉が次に向かったのは、セルビアの首都ベオグラード。旧ユーゴスラビアを構成していたこの国で、奇しくもウクライナの敵国ロシアから来たスケーターたちと出会う。
私は数日前までウクライナのハルキウでスケートボードに乗る青年たちを撮影していた。戦時下でもスケボーを続ける彼らの姿に惹かれたのだが、ほかの都市のスケーター事情はどうなのだろうか。
私はウクライナを出国したあと、いくつかの国境を陸路で越え、セルビアの首都ベオグラードに到着した。
私は一日かけてスケーターの姿を探し歩いた。ようやくバスターミナル近くの広場で彼らの姿を見つけた。つい嬉しさのあまり声をかける。
「あなたたちは地元のスケーターですか?」
彼は一瞬答えに迷った顔をした。
「いや、俺はロシアから来てるんだ」
どういうことだろうか。気まずそうに彼は苦笑いをした。
「ここにいる皆もロシアから来たんだよ」
彼らはみなロシアから脱出した人々だった。
彼らによると、現在セルビアには非公式だがおよそ20万人のロシア人が暮らしている。そのほとんどが首都ベオグラードに集中しているという。ベオグラードの人口は約160万人だからかなりの割合である。その多くがロシアによるウクライナ全面侵攻以後、移り住んできた人々だ。
1年半前にここに来たというユーリ(34歳)は「ここにいる皆はスケボーが生きがいなんだ。ここで知り合って仲間になったんだよ」と話す。
彼らの年齢は20代から30代。テレグラム(メッセージアプリ)上には、セルビアに住むロシア人スケーターのグループチャットがあり、約80人が参加していると教えてくれた。
「あんな国にいたいと思えないよ。(ロシア軍への)動員があるからね。召集令状を受け取ってしまったら最後。戦死しても補償なんてない」
ロシア軍への動員は予備役兵が対象とされていた。だが、相次いで追加動員が発表されるなか、実際には対象条件は不透明さが増している。いつ徴兵が拡大するかわからない。
隣で聞いていた男性も同調するように言い放つ。「動員なんてクソくらえだ」
昨年、いったんロシアに戻ったことがあるというユーリ。彼の出身はロシア第二の都市、故郷のサンクトペテルブルクだ。
「表面上は何も起きてないような感じだよ。ただ異様なのは街全体の広告に、ロシア軍のプロパガンダがずらっと並んでる。でも具体的には何が起きてるのかわからない。そんな感じだ」
「この先どうなるんでしょうか?」
私の投げかけた質問にユーリはうんざりした表情で答える。
「いつ戦争が終わるかなんてわからない。政治が決めることだ。もしかしたら明日かも。でも10年後だってありえるだろう」
私は漠然とだが、ロシアを出た人々は「自分の国を変えたい」「反戦を訴えたい」と思っているのでは、と思っていた。しかし、それは当事者でない私の勝手な思いだった。これまでロシアで生きてきた彼らの意識は現実的だった。
「どうにもならないよ。プーチンはずっとプーチンだ。選挙をやっても何も変えられないんだ。完璧なシステムさ。何が起きても俺たちは『OK』と言うほかない。俺たちには最初から選択肢がないんだから」
彼らにはウクライナのスケーターたちが持つ切迫感とは異なった、行き先の見えない不安感と陰鬱さが漂っていた。
街に書かれた反NATO(北大西洋条約機構)や戦争反対のメッセージ
彼らのようなロシア国籍保持者が特別なビザを取得せずに一時滞在できる国は少ない。ロシア人の多くがジョージア、カザフスタン、トルコなどへと脱出したという報道を目にしたことがあったが、セルビアもそのうちの一つなのだろう。
彼らがここセルビアを選ぶのには理由がある。先にも述べたビザの件に加え、現在セルビアはEU加盟を目指しながらもロシアとは歴史的に事実上、同盟関係にあるため、ロシアへの経済制裁には異を唱えている。
ロシア人スケーターの一人によると、ロシアからの移民は銀行間の送金に困ることなく、セルビアで生活を送ることができるのだという。実際、私が出会ったスケーターたちのほとんどがIT関係の仕事に従事するいわゆる高度人材である。彼らはセルビアで生活しながら、リモートワークでロシアの企業に勤めることが可能なのだ。
ベオグラードを流れるドナウ川
かつてユーゴスラビアだったセルビアは、これまで多くの紛争を経験してきた。なかでもコソボ紛争(※)は、自治州独立を巡って米国主導によるNATOの空爆という悲劇を引き起こした。
その空爆跡地がいまも街中に残されている。私はそのうちの一つ、空爆を受けた跡が残る国営テレビ局を訪れた。出入りしていたスタッフに声をかけられたので話を聞かせてもらった。
ロシアからの移民について聞くと、「私たちセルビア人はそもそも同じスラブ民族であり、同じ正教会の信仰という点でもつながりがあるんだ」と言う。ユーゴスラビア時代にソビエトとともに連邦国家による共産圏を担っていた側面もあるらしい。
「私も含めて多くの人はウクライナを支持しているが、じつはロシアを支持するセルビア人も一定数いるんだ」と言った。
「ウクライナの戦争はコソボ紛争に構図が似ているからね。セルビア国民にはNATO(北大西洋条約機構)に対する敵対意識が少なからずある。だからロシアの現体制を支持したくなるんだろう」
ため息をつきながら彼は続けた。「セルビアでもプーチン大統領を支持している人がいるんだ」
やや複雑な構図だが、セルビアで新たな生活を始めたロシア人たちが、プーチンを支持する「同志」と共存しなければならないのは皮肉である。
ウクライナ侵攻を支持するシンボル「Z」の落書き
翌日の昼過ぎ、広場に向かうとロングボードを楽しむ人の姿を見かけた。男性だけでなく女性の姿もある。セルビア人もロシア人も混ざり、簡単な英語でコミュニケーションを図っている。
「スケーターはスケーターだ。デッキ(板)に乗っていれば国籍は関係ない。それは疑いようのないことだ」
地元の青年はそう言いながら、ロシア人の見せるトリックに目を細める。
その寛容さに答えるようなかたちだろうか。郊外にあるスケートパークの一部が老朽化しており、その修復にロシアのスケーターたちが資金を出し合ったという。
ロシアのスケーターの一人は言った。
「セルビアの人たちには親切にしてもらって感謝している。彼らは兄弟のようなものですよ」
私がこのあいだまでウクライナのハルキウでスケボーに乗る青年たちを撮影していたと伝えると「彼らは危なくないのか?」とロシアのスケーターたちは真剣に心配をしている。
「どんな状況になっても彼らにはスケボーが必要なんだろうな」
「それこそがスケーターだ。さすがだな」と敬意を払っている。
戦争前はロシアのスケーターもウクライナに来ていたらしいね、と私が言うと、「そりゃそうだ。ハルキウはロシアの国境に近いだろ? あの辺は国境をまたがって親戚や家族がいるんだよ。もちろん友達だっているのが当たり前さ」と彼らは答えた。
シベリア出身のアンドレイ(32歳)は、地元の少年たちにスケボーのオーリー(ジャンプ)を教えていた。膝をつき、子どもにもわかるように簡単な英語を使う。
じつはアンドレイはここ数年、仕事が忙しくスケボーから離れていたのだが、セルビアにきたことがきっかけで再開した。
「このコミュニティが気に入ってね。仲間もできたから」と子どもたちに目を向ける。
だが、この即席のスケボー教室も長くは続かないだろう。彼は夏にはセルビアを出て、ほかの国へ移動することを考えている。
「戦争が終わらない限り、故郷に戻るつもりはない」と彼は言った。
20時を過ぎると地元のスケーターたちは帰っていった。
広場には行くあてのないロシアのスケーターだけになる。座り込んでそれぞれが、ぽつりぽつりと話しはじめる。
アンドレイはこれまでのことを教えてくれた。彼はここに来るまでジョージアに滞在していたが、居心地は決して良くはなかった。
「表面上は優しく接してくれるけれどね。だけどジョージア人はロシア語が話せるのに、私には英語を使おうとするんだ。街の至るところに『ロシア人は出て行け』と落書きされていたよ」
ジョージア人の気持ちも理解できるとアンドレイは言う。
2008年に勃発したロシアによるジョージア侵攻。ロシア軍が勝利し、結果的にジョージアの領土のおよそ2割を占拠するというかたちで終結した過去がある。
「決して皆がロシア人を嫌っているわけじゃない。人それぞれだから」
いろいろあったのだろう。過去のことはあまり思い出したくないという。母国のこれまでの暴略という歴史に、国を出てさまよう彼らもまた苦しめられている。
ユーリと同じくサンクトペテルブルク出身のヴィクトル(33歳)は、ロシア人がセルビアに滞在できる条件を教えてくれた。
彼らが滞在を認められているのは30日。月に一度、国外に出る必要がある。
「俺たちみたいなロシア人向けにツアー業者があるんだ。隣国のボスニア・ヘルツェゴビナの国境まで行ってパスポートにスタンプを押してもらう」
ヴィクトルはすでにそれを12回繰り返している。だが、それもいつまで続けられるのかわからない。セルビアで会社を設立すれば、一時滞在許可として半年から1年ほど滞在できるが、そのためにはある程度の資金がいる。
先行きの見えない状況に気持ちは落ち着かないが、スケボーに乗っていればすべてを忘れて没頭できる。寂しい思いをしても、ここに来れば仲間に会える。
ヴィクトルはロシアへの未練が断ち切れない様子で、故郷について語ってくれる。
「ロシアのスケーターコミュニティはかなり大きい。スケートパークもたくさんあるし、それぞれの街で風景が全く違うから楽しかったよ」
これからについて彼に聞くと、「小さな本屋をやるのが夢なんだ。俺は本が好きだから」
「どんな本を売るの? 好きな本は何?」と私の質問に「子ども向けの本も売りたいけれど、『ライ麦畑でつかまえて』もいいな。一番好きな本なんだ。ほら、タトゥーだって入れてる」
そういって彼がズボンの裾をあげると、膝にはたしかにあの印象的な赤い表紙のイラストが彫られている。
私は唸ってしまった。『ライ麦畑でつかまえて』は主人公が成長する過程で、世の中の欺瞞に鬱屈していく物語だ。彼はこれまでいた故郷の社会に公正さが期待できなかったから、国を出たのだろうか。
「ロシアで本屋をやるってこと?」
「それはわからない……」
私の質問にヴィクトルは沈黙してしまった。彼は将来、本を売ることで、母国に疑問を投げかけようと考えているのだろうか。それは戦争が終わらない限りきっと厳しい道になるだろう。
夜遅くに広場に現れたステファン(28歳)は、終わりの見えない戦争に悩んでいる様子だった。
彼はロシアの首都モスクワを出てすでに2年間をここで過ごしている。あと1年住み続ければ市民権が取れる。その先はどうするのか。答えは出ていない。
いつまでここにいるべきなのか。それともここに根を張るべきなのか。
「一つ言えることは、俺たちはお客さまじゃないんだ。ここはあくまでセルビアの土地なんだよ。言葉も学ぶべきだし、地元の人たちに敬意をもって接しなければならない」
ステファンは故郷から持ってきた傷だらけのスケボーに足をかけながら言った。
「でも受け入れてもらえるなら、セルビアのためになることをしたい」
ユニセフ「ウクライナ緊急募金」を見る(サイトを開く)、「UNHCR」支援サイトを見る(サイトを開く)