Text by ISO
Text by 今川彩香
旅先で出合った人と意気投合し、その後も連絡を取り合うような仲になる——。そんな経験をしたことがある人は、意外と多いのかもしれない。映画『胸騒ぎ』は、夫婦と娘の3人家族がバカンスを楽しむなかで、同じような家族と仲を深めるところから始まる。旅行後、デンマークで暮らす主人公らの家族は、友人となったその家族から自宅に遊びに来るように誘われ、「断るのも悪いから」と国を越えてオランダへと向かう。その善意がどんな未来を呼ぶのかも知らずに。
日本公開に先駆けて、米ブラムハウス・プロダクションズがリメイク版を製作することも決定している本作。デンマーク出身のクリスチャン・タフドルップ監督は、実体験から着想を得てこの物語をつくりあげたのだという。この惨憺たるヒューマンホラーは一体何を示唆しているのだろうか? 監督にインタビューし、込めた思いをはじめ本作のテーマについて、たっぷりと語ってもらった。
─本作は監督の実体験に着想を得て制作した作品と伺いました。弟であるマッズさんと共同で脚本を執筆されていますが、どのようにして本作の物語をつくり上げていったのでしょうか。
クリスチャン・タフドルップ (以下、タフドルップ ):子どものころ、私と弟は両親に連れられて出会いの多い旅行をよくしていて、さまざまな国の人たちと友人になることがありました。そういう昔からの経験もベースにはありますが、本作のアイデアを思いついたきっかけは、妻と子どもと3人で行ったイタリア・トスカーナ旅行でした。そこで映画に登場するパトリック&カリン夫婦に似たオランダ人夫婦と出会ったんです。
夫に関しては名前もそのままなんですが、そこで彼らと仲良くなりました。そして旅行の3か月後くらいにオランダにある彼らの自宅に招待されたんです。それはお断りしたんですが、もし私たちが数日一緒に過ごしただけの家族に会いに行っていたら、その週末はどうなっていたのだろうか……といろいろ想像を膨らませました。
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タフドルップ:休日にトスカーナの美しい風景の中でワインを飲めば、友人になるのは簡単です。その友情は表面的なものだけど、良いものですよね。でも週末に知らない人たちの家に泊まるとなると……もしかすると最悪の経験になる可能性だってあります。そのアイデアはコメディにする余地もありましたが、とても不穏で不愉快なものに化ける可能性もあり、ホラー映画として書くのに最適だと思ったんです。
それがこの映画の出発点でした。私はこれまでホラー映画の経験がなく、気まずい状況を描く風刺的なコメディ映画を多く撮ってきました。そこで、いままで扱ってきたようなコメディ的な要素とホラーを融合すれば面白いものが生まれると思ったんです。
クリスチャン・タフドルップ (Christian Tafdrup)
1978年生まれ、コペンハーゲン出身の映画監督・俳優・脚本家。デンマーク国立舞台芸術学校2003年卒業。俳優として『第79回アカデミー賞』外国語映画賞にノミネートされた『アフター・ウェディング』(スサンネ・ビア監督)などに出演。映画監督としては、監督・脚本・主演を務めた短編『The Copier(英題)』でデビュー。⻑編映画デビュー作となる『Parents(英題)』では第34回デンマーク・アカデミー賞監督賞など数々の賞を受賞。⻑編2作目『A Horrible Woman(英題)』では国内外の映画賞を獲得するなど高い評価を受ける。『胸騒ぎ』は監督の⻑編3作品目。
─礼儀を重んじ、相手の立場を尊重することは本来美徳として考えられますが、そこに起因し起こる悲劇を描いたのはとても風刺的ですよね。
タフドルップ:とてもダークな風刺を効かせましたよ。私は作品で風刺を扱い慣れていて、かつ社会における人々の行動を探求するのが好きなんです。本作で描いた「礼儀正しくあることや、人を喜ばせようとすることは、実際にどれだけ自己犠牲を伴うのか」ということはとても興味深いテーマでした。
おっしゃる通り、他者を尊重することは美徳ではありますが、それゆえに複雑さを伴います。例えば他人の家に招かれたとき、私たちはホストがこちらを喜ばせたがっていると信じているし、こちらも良いゲストでありたいと思いますよね。そうやって仲良くなりたいし、人に最高の自分を見せたい。
でも、もし誰かがそれを利用したらどうします? 私たちは受容の限界を知っているでしょうか? 多くの人々は自分の欠点や協調的でない部分を見せたがりません。自分が心地よいと感じる範囲の外に置かれたとしても、衝突を恐れて声を上げるのが怖いという人も多いのではないでしょうか。全員ではないですが、私の知るスカンジナビア諸国の人々も、無礼な態度を取ることに抵抗があり、不快な状況でも何も言えない人が多いです。本作は受容の限界がわからず、不愉快なことも見て見ぬふりをしてしまう人々を掘り下げた物語なのです。
主人公たちが体験する一つひとつの出来事について、「怖い」と「過剰反応」のどちらとも受け取れるバランスを目指しました。そこで気づいたのは、私たちが普段どれだけ自分の感情を信じず、自分を責めているかということでした。私自身も何か不愉快なことがあったとき、つい自分の責任にしてしまいます。脚本執筆時には、それはスカンジナビア諸国だけで共感されるローカルな考え方だと思っていたのですが、いざ世界中の人々に観てもらうと皆さん似たような内面性を語っていて、これはとても人間的でグローバルなテーマを描く映画であることを知りました。誰でもみんな、他者を尊重する良い人間でありたいと思っているのです。そこに重点を置かなければ、もっと楽で自分に忠実な人生を送れるのかもしれませんね。ともかく、この映画は私たちが自分自身のために立ち上がるまでにどれだけ物事が悪化するかを描いた悲劇なんです。
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─脚本があまりに無慈悲すぎて俳優たちに断られたという噂を耳にしたのですが……。
タフドルップ:本当の話ですよ。キャスティングはオランダのアムステルダムとデンマークのコペンハーゲンで行なったんですが、アムステルダムでは台本を読んでオーディションを受けたくないというオランダ人の俳優が続出したんです。ほかにもオーディションには来たけど、終わったあとに「第三章を変えてくれ。最後の20ページを変更して、希望のある結末にしよう」って脚本の修正を注文してくる俳優もいたりして。断ったみなさんは、たとえ演技でも子どもに危害を及ぼすことを恐れたのだと思います。ある俳優には「こんな役を演じて自分の子どもに何て言えばいいのか」と言われたこともありました。
コペンハーゲンでも同様で、オファーしていたデンマークの大物俳優にはことごとく断られました。そんななか、見つけたのがこれまで舞台中心に活躍していて、映像作品にはあまり出演することがなかった主演の2人です。彼らは脚本をとても気に入ってくれましたし、こういった作品は初めてということもあってやる気満々で参加してくれました。
やはり物議を醸す内容ですし、俳優のみなさんは葛藤したとは思います。もちろん俳優が断る権利はあるのですが、それでもここまで拒絶されるというのはちょっと驚きでした。でも俳優陣の中で役に入ることを一番楽しみにしていたのが、みんなが最も嫌がりそうなオランダ人夫婦役を演じたフェジャ・ファン・フェットとカリーナ・スムルダースでした。彼らは実の夫婦でもあるんです。
オランダ人夫婦役を演じたフェジャ・ファン・フェット(左)とカリーナ・スムルダース © 2021 Profile Pictures & OAK Motion Pictures
※以降、物語の重要なシーンに関する内容を含みます。あらかじめご了承ください。
─終盤のショッキングな場面は思わず目を覆いたくなりましたが、子役が演じる上で精神的な危険も伴ったのではないかと思います。その辺りはどのようにケアをされたのでしょうか。
タフドルップ:子役と仕事をするときは、つねに細心の注意を払わなければいけません。特にこのような内容の作品の場合は、子どもたちにとって良い経験となるよう最善の努力をする必要があります。そのためにまず大切なのは、親にも作品の意図を理解してもらい、このような演技を受け入れられる子どもをキャスティングすることです。その点、本作でキャスティングしたアグネス役のリーヴァ・フォシュベリは、この映画が映画であることを完全に認識しており、演じることをとても楽しんでくれました。
ただこれはわれわれのミスなのですが、撮影スケジュールの関係で、本作でいちばんショッキングなシーンが彼女の演技初日になってしまったんです。彼女はとても恥ずかしがり屋でうまく演じられず、車の中で泣いていました。そしてこの場面を別の日に移そうと決めて、もっと簡単な場面から始めました。それは映画撮影において重要で、特に子どもたちが演じる際は簡単な場面から始めなければいけません。
そして彼女が演技に慣れてきた後は、例の場面も何の問題もなく撮り終えることができました。その場面を撮影するセットに行っても、まったく恐怖を感じている様子はありませんでした。あの場面はスタジオとロケ地で撮影したものを組み合わせていて、クローズアップのシーンは、リーヴァと口もとがそっくりな29歳の女性に演じてもらいました。そんな風にリーヴァには出来る限り負担をかけないようにしたんです。撮影の様子は子ども向けの演劇のようで彼女はとても楽しんでいましたが、私としては狙い通りの作品になるのか不安を感じていました。でも編集を始めて適切な音楽や照明を加えていくと、それはとても恐ろしい場面になりました。映画ではどんなおぞましいシーンも、撮影時も同様だとは限りません。
この映画の撮影はリーヴァにとってとても良い経験になったと思いますが、現在おそらく13歳の彼女はまだこの映画を見ていません(※)。だから彼女は自分がどんな映画の一部になっているのか、まだよくわかっていないと思います。
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─パトリックがラストに放った「君が差し出したんだ」という言葉の重みが凄まじいですが、あの台詞にはどのような意図が込められているのでしょうか?
タフドルップ:それは、この物語の根幹となる台詞です。パトリックたちはお金を盗みたいからとか、子どもを奪いたいから非道な行動をしたわけではありません。彼らにとってはこれは「どこまでやれば主人公のビャアンたちは私たちを止めるのか」というテストであり、ゲームなのです。
結局ビャアンたちは最後まで止めることをしなかった。ビャアンたちは自ら墓穴を掘り、終わりに向かって突き進んだのです。彼らには自分自身のために立ち上がる勇気も、闘う勇気もありませんでした。だから、その結末はある意味で彼ら自身が招いたことだという物語の真意を伝えるために付け加えた台詞です。彼らは去ることもできたのにそうしなかった。それは危険信号を無視し、自分のために立ち上がらなかったことへの批判の言葉なのです。
そういう意図を込めて書いた台詞ではあるのですが、本当は台本から外そうと思っていたんです。でも配給会社から入れた方が良いと言われました。というのも映画の内容を1、2行に集約するような、あるいは観客に私たちが何を言いたいのかの方向性を示すことは、ときに大いに役に立つからです。それが「君が差し出したんだ」という台詞がある理由ですね。
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─聖書のレビ記では異教の神=モレクに子どもを捧げることは石打ち刑に値すると記されていて、本作のラストはそれを暗示したものと受け取りました。その他にも冒頭のホテルの絵画や音楽、エンドロールなど、聖書や神話的なイメージが随所に挿入されていますが、それはなぜでしょうか?
タフドルップ:私にとって本作は冒険のようなものでした。ホラーというジャンルは、往々にして崇高な雰囲気をまといます。初期段階の脚本では、主人公たちはナイフで刺されたり、銃で撃たれる予定でした。でもそれだとホラーではなく、犯罪映画のようになってしまった。でも、ギリシャ演劇やオペラ、神話などを素材として考え始めた途端、納得のいくものになりました。これは寓話や聖書、神話のある種の冒険と捉えるべきと考えたら、すべてがうまくはまったのです。
本作を観た人から「警察はどこにいるんだ、犯人たちは刑務所に行かないのか」などという質問をされることもありましたが、私にとってはそんなことはどうでもよかったんです。興味があったのは、冒険を語ることだったのですから。神話的なものや聖書的なものに関連づけられる内容ですが、私は決して宗教について主張したかったわけでも、批判したかったわけでもありません。ただ人類の包括的なテーマについて、物語をつくりたかっただけなのです。
また、本作のテーマのひとつが「罰」です。ビャアンたちは何もしていないがために罰せられました。石打ちについてはいろんな解釈の余地がありますが、私にとってはただの大袈裟な表現なのです。昔ながらの殺され方を現代風にアレンジしたものとも言えますね(笑)。その描写は本作のジャンルと密接に関係しています。ホラーでは、大袈裟でスケールが大きなものや、この世のものを超越しているものさえも描くことができます。だから私は(大袈裟な)石打ちを選んだんです。でも何かを具体的に批判する意図はありません。私は人間の本質とは何か、人間が見て見ぬふりをしたときに何が起こるのかを伝えたいんです。そこには観客が自分なりの解釈を加える余地もあります。
© 2021 Profile Pictures & OAK Motion Pictures
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─本作からはデンマーク人監督であるラース・フォン・トリアーや、『ファニーゲーム』を撮ったミヒャエル・ハネケの影響を感じますね。
ラース・フォン・トリアーは大きなインスピレーションの源であり、いちばんの憧れです! じつは10代の頃にラースが立ち上げた映画製作会社ツェントローパで働き、彼の作品に携わったこともありました。たぐいまれなる才能を持った彼の作品テーマや、物議を醸すような物事の捉え方には大きな影響を受けていると思いますし、間違いなく私をつくりあげた存在です。
ハネケも昔から好きな監督です。今回あらためて『ファニーゲーム』(1997年)について調べてみましたが、面白いことに『胸騒ぎ』とは逆の話なんですよね。『ファニーゲーム』では訪問者がベルを鳴らし、休暇を過ごしている家族を閉じ込めて拷問します。一方で『胸騒ぎ』の家族には施錠されたドアはなく、ロープで縛られてもおらず、いつでも逃げることができます。ただ去ることもできたのに、そうしません。そういった意味で『ファニーゲーム』と本作は決定的に違う映画だと思っています。でもトリアーとハネケの二人に影響を受けたのは間違いありませんね。
あとはリューベン・オストルンド監督の『フレンチアルプスで起きたこと』(2014年)という素晴らしい作品にも影響を受けました。本作は『フレンチアルプスで起きたこと』と『ファニーゲーム』を組み合わせた作品でもありますね。前者のとても滑稽で風刺的な要素と、後者のとても残酷で暴力的な要素が混ざり合った作品なんです。
思えばトリアーやハネケのような私が憧れる監督たちは、冷酷な筆致の監督が多いんですよね。彼らは非常に独創的な作家で、キャラクターに対する温かみを感じさせません。一方、私は自分の作品のキャラクターに共感し、愛着を感じているんです。そういうこともあり、本作は残酷でシニカルではあるけれど、それと同時にとても人間味のある映画になっているかと思います。
─最後に、本作で主人公たちを追い詰めるオランダ人夫婦の描き方は強烈でしたが、オランダでの反応はいかがでしたか?
オランダ人はとてもユーモラスで、細胞に皮肉が刻み込まれているので、オランダ人とデンマーク人はすごく気が合うんです。私たちはバカンスでオランダ人と会うたびに同じようなブラックユーモアを共有します。そういった国民性もありオランダの観客には楽しんでもらえたと聞きました。邪悪なオランダ人と、地獄のようなオランダというような描き方が気に入ってくれたそうです。
じつは面白い出来事があって、本作は韓国の映画祭(富川国際ファンタスティック映画祭)で賞を獲得したんですが、そのときに「他国をからかいつつ、どうやって物議を醸すことを避けられたのか」という興味深い質問をされたんです。私は上手く答えることができなかったのですが、それは文化の違いによるものなのかもしれません。北欧の人々は互いにからかい合うことを楽しみ、気分を害することはないと考えているからです。私たちの国ではちょっとしたじゃれあいのようなものも、深刻な関係性を持つ他の国々では冗談で済ませることができないかもしれませんね。ただ実際のところ、本作をあまり楽しんでいない人が大勢いることも知っています。だから果たして本作が物議を醸すことを避けられたのかはわかりませんけどね。
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