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吉澤嘉代子にとって「魔女」とは何か。デビュー10 周年を迎えたいま、 あらためて聞く

2024年05月08日 18:10  CINRA.NET

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Text by 金子厚武
Text by 服部桃子
Text by 上村窓

今年(2024年)デビュー10周年を迎えた吉澤嘉代子が、デビュー日である5月14日に単独公演『吉澤嘉代子10周年記念公演 まだまだ魔女修行中。』をLINE CUBE SHIBUYAで開催する。少女時代に魔女に憧れ、魔女になるための修行をしていた吉澤は、その変身願望を曲づくりの原動力にして、この10年でたくさんの名曲を生み出してきた。小中学生時に不登校を経験した吉澤にとって、魔女修行は生きる術であり、いまも彼女はその頃の自分に向けて、その頃の自分と同じような感覚を持つすべての人に向けて、歌をつくり続けている。

そこで今回の取材ではあらためて「魔女」をキーワードに、この10年の歩みを振り返ってもらった。物語における魔女の描かれ方がときに時代の映し鏡となるように、吉澤も時代と向き合いながら、そのなかでいかにして普遍的な美しさや滑稽さを感じさせる楽曲を生み出してきたのか。そして、現代における言葉と心のあり方について、どのように考えているのか。そんなことをめぐる対話から、いまも魔法を信じ続ける吉澤嘉代子という表現者の軸にあるものを感じてもらいたい。

―まずは10周年記念公演の『まだまだ魔女修行中。』というタイトルに込めた想いを聞かせてください。

吉澤:この10年を振り返って、歌で食べてこられたことが奇跡のようだなと思っていて。10年間歌をつくって歌うことだけで暮らせたので、その感謝の気持ちが溢れているというか、感謝祭というか、いまはそんな状態なんですけど。

それで、今回のライブのセットリストを考えるなかで、自分が選ぶ曲は変身する曲ばかりだと思ったんです。子どもの頃からやりたいこととかつくりたいものが変わらず、曲のなかで主人公に変身するみたいなことをずっと続けてきて。私のなかで「魔女」は変身を意味しているんです。

それはずっと大事なテーマで、子ども時代の自分と、その周りにあったものたちをいまも引き連れてる感覚があるので、今回もみんなをおめでたい場所に連れて行きたいというか。なので、ふざけたタイトルなんですけど、でも真面目につけました。

吉澤嘉代子。1990年6月4日生まれ。埼玉県川口市鋳物工場街育ち。2014年にメジャーデビュー。2ndシングル“残ってる”がロングヒット。2023年11月15日に青春をテーマにした二部作の第一弾EP『若草』をリリースし、約3年振りとなる全国ツアーを開催。2024年3月20日に第二弾EP『六花』のリリースを予定しており、4月にはHall Tour 『六花』の開催が決定。5月14日にLINE CUBE SHIBUYAにて行なわれる『吉澤嘉代子10周年記念公演~まだまだ魔女修行中。~』を皮切りにアニバーサリーイヤーがスタートする。

―そもそもいつどういうきっかけで魔女に憧れて、魔女修行をするようになったのか、あらためて話していただけますか?

吉澤:最初どんなふうにお話したかなと思って、今朝、10年前に金子さんにしていただいたインタビューを読み返していたんですけど、そのときは「なんかわかんないけど、子どもの頃魔女にさらわれる夢を見て、それも理由としてあるのかな」みたいな感じで話していて。あれから10年経って、私、この話を口からテープを再生するみたいに話せるようになっていたんです。「どうして魔女になろうと思ったんですか?」「はい、なぜなら私は~」って、就活生みたいな感じ(笑)。

でも記事を読み返して、最初はもっとぼんやりしたものだったことを思い出せて、インタビューは貴重だなと思いました。もちろん(魔女修行を始めたのは)その夢がきっかけのひとつではあると思うんですけど、じゃあなんでそんな夢を見たのかというと、そういう存在をずっと欲していて、それが願望となって夢に現れたのかなって。

「いつか王子さまが迎えに来てくれる」みたいな存在が、私にとっては魔女だった。そんなふうになにかを待ち焦がれることによって、子ども時代をどうにか過ごしていたんだろうなって。

―当時はまだ恥ずかしい過去というか、ある種のコンプレックスで、あまり引っ張り出したくない過去だったけど、そこから時間を経て、自分のなかで消化できたからこそ、面接のようにスラスラと喋れるようになったのかもしれないですね(笑)。

吉澤:そうですね。私の曲を聴いてくださった方がお手紙をくれて、そこに「自分も同じような子どもだった」とか「自分も同じような子どもだ」みたいなことを書いてくれていて。もともと私の歌はあの頃の自分みたいな人に届いてほしい気持ちがあるから、そういう反応があったことで、より整理してお話しできるようになったし、声もどんどん大きくなったんだと思います。

―「私も魔女修行してました / してます」みたいな手紙が届くようになったと。

吉澤:こういうお仕事でずっと自分のことを話していると、そういうこともあるんだなって。「魔女修行をしてた」っていう人はそんなにたくさんいるわけじゃないですけど、近しい気持ちを持っている人は老若男女問わずたくさんいる。私が本を読んで、いろんなキャラクターや物語と出会ってきたように、私の曲を聴いて、同じように感じてくださった方から感想をいただいたくことはすごく嬉しいです。

―当時の吉澤さんは学校に行けなかったりして、なかなか社会との接点が持てなかった。だからこそ、本を読んでそのなかのキャラクターや物語に自分を重ねて、違う自分になることがサバイブする手段だった。魔女はその象徴だったわけですよね。

吉澤:そうですね。決して優しいだけの存在ではなくて、夢のなかの魔女も恐ろしかったですし、物語のなかでも善か悪かわからないみたいな立ち位置で、そういうところも含めて魅力的だったんじゃないかな。夢で見た魔女はおばあさんだったんですけど、きらびやかな宝石をジャラジャラつけていて、厳しい感じの雰囲気を漂わせてました。

―小説や漫画やアニメのキャラクターだとどれに近いとかありましたか?

吉澤:いま思えばなんですけど、一緒に住んでいた私の祖母に似てたかもしれないです。ちょっと怖くて、空気がピシッとなる感じもあって。そういう雰囲気は夢に出てきた魔女と似ていたかも。

―その雰囲気に対して、ある種の憧れもあった?

吉澤:どうだったのかな……強くなりたいとはずっと思ってましたね。「子どもの頃は、何も怖いものがなかった」とか言ったりするじゃないですか。

でも私は子どもの頃から、子どもは怖いものだらけだと思っていたんです。いまでも怖いものはいっぱいあるんですけど、法と常識の範囲内で対処できるんじゃないかとか、お金で解決できるんじゃないかとか、なにかしらの解決方法が浮かぶんですけど、子どもの頃は得体の知れないものばかりで、自分がいかに無力かということも理解していたし、なにもかもが怖かった。魔女修行は生きる術でしたし、魔女は私にとってのスーパーヒーロー、ダークヒーローみたいな存在でした。

―特に梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』は吉澤さんの魔女観に大きな影響を与えたと以前からお話されていますよね。

吉澤:そうですね。魔女の夢を見てから魔女にまつわる作品を意識するようになって、『魔女の宅急便』もそうですし、『ハリーポッター』とか『キャスパー:マジカルウェンディ』とか。魔女の物語はよく見ていて、いろいろな魔女から自分のイメージがつくられていったと思うんですけど、『西の魔女が死んだ』は主人公のまいが小学生で、私と同じ不登校だったので、自分を重ねていたんだと思います。

私にとっての魔女のバイブルにもなっていますね。空を飛んだり、物を動かしたりするわけじゃなくても、日々のなかで感覚を磨いていく、それが魔女の修行だって、主人公のおばあちゃんが教えてくれるんです。「それなら私にもできるかも」と思って、魔女のなり方を自分で考えて、修業してました。

―実際にはホウキにまたがっても空は飛べないし、物を念力で壊したりはできないけど……。

吉澤:そういう修行もずっとやってたんですけどね(笑)。誰かの人生をひととき生きることで、現実逃避ではあるんですけど、でもそれがシェルターになっていて、そのときの自分にはすごく重要でした。

―その後シンガーソングライターとしてデビューして、魔女修業時代をモチーフとした楽曲も収録された『魔女図鑑』や『帚星図鑑』といった作品をリリースすることで、魔女に対する距離感はどのように変化していきましたか?

吉澤:『箒星図鑑』は私が曲をつくるうえでつねに大事にしている少女時代をパッケージした、あとにも先にもない特別なアルバムという感覚が自分のなかではあって。

以前は魔女の話をすると「不思議な人」として扱われることも多くて、「やっぱり言わなきゃよかった」とか「みんなが思ってるよりも大事なものなんだけどな」と思うことも多かったので、自分語りは恥ずかしくて苦しいことでもあったけど、でもきっと意味のあることだと思っていました。

―『箒星図鑑』に収録されている“ストッキング”は『魔女の宅急便』をモチーフにして、〈少女のころ窓辺に腰掛け唱えた 信じる魔法を思い出せたら〉と歌い、魔女修業時代の自分と大人になった自分がつながる様子を描いた特別な一曲だと思います。“ストッキング”に対する現在の吉澤さんの想いを聞かせてください。

吉澤:それまでいろいろなものから逃げてきた人生でしたけど、『箒星図鑑』をリリースする頃は「腹を決めなきゃいけないときが来た」と思ったんです。レコーディングでは、自分がどうしたいかを演奏してくれるミュージシャンに伝えなくちゃいけないし、「こういうふうに自分を売ってほしい」とか「こういうことは嫌だ」っていうのも、自分から言わないと、思っていなかったほうに進んでしまうこともある。「ミュージシャンって、こんなに人とやり取りしなきゃいけない仕事だったんだ」って、あとから知りました。

それまで、ミュージシャンはそんなに人と関わらなくてもやっていける仕事だって、なぜか勘違いしてたんですよね。でも全然そんなことはなくて、その状況になったときに、「痛いこともかゆいこともかかってこい!」みたいな、そんな決意が“ストッキング”にはあるのかなと。

―魔女への憧れ自体はいまも変わらずにあると思うんですけど、物語における魔女の描かれ方が時代によって変化するように、吉澤さんのなかの「魔女像」にも変化はありますか?

吉澤:どうなんでしょうね……、いまの自分は優しい魔女になりたいと思っています。じゃあ「優しい」とはなんだろう? っていうのをすごく考えるんですけど、自分が痛みを受けて、どれだけいろいろな言葉や視線に毒されたとしても、それでも美しいものを書き続けること。その強さが優しさというか……GLAYの歌詞にもありましたけど、「引き受ける強さ」みたいなものが歌を歌う人には必要だと思っています。

―「魔女狩り」という言葉があるように、魔女は力を持った女性の象徴としても捉えられることがあって、時代によっては迫害を受ける対象だったりもします。そういった魔女像に対して、吉澤さんなりに思うことはありますか?

吉澤:魔女狩りって、声を上げる人に対する敵意とか、それを抑圧したいという願望から生まれたんじゃないかなと思っていて、それは現代でもまだ、ずっと続いている感覚だと思います。SNSを開いたら、いまでも簡単に目に入りますよね。誰か声を上げる人に対して、その事実がなかったことにされたり、嘘つき呼ばわりされたり、どれだけ証拠を揃えても認めてもらえなかったり、そういうことが平気である。

性犯罪に対しても、セカンドレイプというか、よく見るのは「(被害者側が)隙を見せてたんじゃないか」とか「そっちが誘ったんじゃないか」とか。「まさか、そんな視点があるんだ」と思ってしまうんですけど、でもきっと、そういうものが残ったまま、これまでの社会があったんだろうなっていうのは思っていて。

なので、自分たちの世代というか、いま生きている大人たちで少しずつ、みんなが生きやすい未来をつくっていきたいという気持ちはずっとあります。子どもたちに、より良い健やかな社会で生きていってもらうために、いまみんなで頑張らなきゃいけないんじゃないかなって。

―いまお話ししてくれたことが、歌をつくって歌うことのひとつの原動力にもなっている?

吉澤:うーん……でもそれはちょっと違うかもしれないです。私がやっていきたいことというか、私ができることは、世の中のムードを変えるとかそういうことではなくて、世のなかからはじかれた人たちの逃げ場所をつくることだと思っていて。おこがましいかもしれないけれど、戦って敗れた人、戦えなかった人たちの受け皿になれたらと思ってます。

そのためにも、自分がやりたい音楽は浮世離れしたものでありたいというか、社会に関係しない場所にあるユートピアとして提供したいです。やっぱり自分が子どもの頃に救われたことを、自分も音楽で体現したい気持ちがありますね。

―『屋根獣』までのアルバム三部作をつくり終えて、次の『女優姉妹』に収録された“ミューズ”では〈魔法は永遠じゃない 大切なとき思い出せない でも 言葉は永遠だって 何も変わらず生きているって〉と歌われていました。あの曲に対する現在の想いを話していただけますか?

吉澤:ライブに来てくれたお客さんはその日魔法にかかったような気持ちで帰ってくれたとしても、翌日にはその魔法はとけちゃうかもしれない。私は、魔法って確実にあると思っているんですけど、強いものではないと思っていて……強い力を発揮するときもあるんですけど、すごく曖昧なもので、簡単にとけちゃったりする。

だけど言葉は記号なので、この宇宙のどこかにある限り、ずっと時代を超えていけるというか、保存がきくものだと思っていて。「言葉は魔法ではないけど永遠」で、だからこそ自分がずっと執着しているんだろうなと思います。

―先ほどSNSの話もありましたが、この10年は言葉というものがいかに凶器になり得るかということをまざまざと実感させられるような10年でもあったように思います。吉澤さんは言葉を扱う人間として、いまどんなことを大切にしたいと思っていますか?

吉澤:この10年間で何度も言葉に心臓を刺されて、おそらく私も刺し返してきて、自分も傷ついたし、他人も傷つけてきたという自覚はあります。言葉は心を壊す刃物になりうるものですが、それはやっぱり言葉が記号だからこそだと思うんです。

そもそも、言葉が生まれる前に気持ちがあると思うんですけど、その気持ちを言葉に当てはめていったときに、それが本当の気持ちとは違う言葉になってしまうことって、誰しも経験があると思うんですね。例えば、「寂しい」という気持ちが「許さない」という言葉になってしまったり。

言葉というのは記号だからこそ、気持ちを100%描き切ることはできない。その矛盾と余白はつねに心に留めておかないといけないと思うし、そのためにも私のつくるものはフィクションでなければいけない。私は、つくり物の力を信じています。

―フィクションであればそこに自分を投影して、自分なりに解釈できる余白がある。

吉澤:そうですね。だけど完全に自分自身ではないっていうか、はっきりとした線引きがあって、その安全なラインがあるからこそ楽しめる。想像力の豊かな人だと、怖い映画を見たら「私も死んじゃうかも」と思うこともあるかもしれない。でも「あくまでつくり物だからね」っていう注釈というか、「これがそのままあなたの人生の話ではないですよ」っていうラインを、自分が曲をつくるうえでは常に設けてるつもりです。

―昨年11月にリリースされた『若草』と、今年3月にリリースされた『六花』は「青春」をテーマとした二部作になっています。今日ここまで話してきた魔女の話と結びつく部分はありますか?

吉澤:同じ物語のパラレルワールドみたいな感覚がありますね。「少女時代」をテーマにしたいなと思ったので、10年を経てもう一度『箒星図鑑』をつくったみたいな感覚はあります。でも、すごく内省的だった魔女修行をしている少女と、この二作で描いた青春を謳歌している少女は自分のなかでは真逆で。同じテーマ、同じ景色を扱いながらも、いま書いてみたいこと、書けるかもしれないことを詰め込んだのが『若草』と『六花』でした。

昔は青春に対して薄暗い気持ちしかなかったんですけど、この10年でたくさん曲をリリースすることによって、いっぱい背負っていた荷物をひとつずつ置いてきたような感覚で、それがいいことなのか悪いことなのかはわからないですけど、それによってまったく違う物語ができました。

―かつての執着を手放すことができたことによって、きっと心が軽くなって、筆致も深まったんじゃないかと思います。

吉澤:荷物を置いていくことによって、もっともっと深い自分の問題と向き合うことにもなるし、そうやって前に進んでいく感じがします。

人生の傷をきれいに忘れられる人もいると思うんですけど、私はそれを1個ずつつまみ出して、やらなくてもいいのにひたすら向き合うみたいな、修行みたいなことをせずにはいられない。音楽をつくるのはいつも苦しいし、厄介な性分だと思うんですけど、でもそれをずっとしてきてますね。

―そこは魔女修行と地続きというか、魔女修行が当時の吉澤さんの人生をサバイブする術だったように、音楽をつくり続けることはある種の修行であり、人生をサバイブする術だっていう、それ自体は変わっていないのかもしれないですね。

吉澤:そうですね。時間をかけて自分の胸のなかを歌にすることによって、やっと「こういうふうにだったら生きていけるかも」って見つけられたのが音楽だったので、それを見つけることができて、なおかつそれを受け入れてくれる人と、協力をしてくれる仲間ができて、本当にラッキーです。

―“氷菓子”では〈「僕は魔法使いなんかじゃない」〉と歌われていますが、これは映画『アイスクリームフィーバー』の監督の千原徹也さんの言葉の引用だそうですね。

吉澤:そうなんです。これは「簡単な気持ちで魔法という言葉を使うな」っていう、自分への戒めでもあるんですけど、以前、「千原さんがどんな人かを一言で言うなら」みたいな質問をされたときに、「私をビジュアル面でいろんな姿に変身させてくれる魔法使いのような人です」と答えたんですね。

でもそのあとに千原さんの本のなかで「僕は魔法使いなんかじゃない」っていう一文を見つけて、「これは私が言ったことに対する答えだろうな」と思って。当然ではあるんですけど、千原さんも一生懸命生きてる人間なんだなと思ったので、それを歌にしました。

―今日の取材ではたくさん「魔法」という言葉を使っちゃいましたけど、吉澤さんが簡単な気持ちでこの言葉を使っているわけではないと、再確認できた気がします。

吉澤:音楽は空間魔法だと思っていて、その場所を支配することができる。ライブに行かなくても、暮らしのなかのBGMや効果音が演出としていろんなイメージをコントロールしているじゃないですか。それは本当に魔法というか、人だけがかかってしまうまやかしのようなものだなと思っているので、それを使っている自分は、魔法使いと同じことをしてると思ってます。

―かつての吉澤さんのように魔女修行をしていたり、何者かになりたいと思っていたりする子どもはいまもたくさんいると思うし、「自分は本当はこうじゃなくて」というある種の変身願望を抱えている人は20代でも30代でももっと上でもたくさんいると思います。最後にそういった人たちに向けてメッセージをいただけますか?

吉澤:そうですね……いつも綺麗な場所にいてほしいです。環境によって人は変わっていってしまうから、この場所にいたいと思う場所と、一緒にいたいと思う人と、お気に入りのものを集めて暮らしてほしい。

でも人生そういかないときもきっとあるから、そのときは腹を決めて、自分の意思でそれを集めて欲しいですね。「勝ち取る」っていうと言葉が強いですけど、手に入れてほしいです。私もなにか迷うことがあったときには、これからも自分が美しいと思うほうを選択していきたいです。