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坂本龍一 追悼連載vol.12:『エスペラント』など、ニューエイジ的審美眼で新たに読み解く5作品

2024年04月23日 12:10  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by 門脇綱生

坂本龍一が発表した数々の音楽作品を紐解く連載「追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代」(記事一覧はこちら)。

第12回の書き手は、『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』の監修・編集を務めた門脇綱生。坂本龍一がリラクゼーションミュージックの類や、音楽による「癒やし」(*1)といった考え方を忌避していたことはよく知られるところだが、その残された多様かつ膨大な音楽を「ニューエイジ・リバイバル」以降の視点から新たに読み解くことができるとしたら……。

本稿では「ニューエイジ」という言葉につきまとう怪しげな部分を注意深く退けたうえで、ここ10年ほどの「ニューエイジ・リバイバル」の背景を概説しながら、筆者に5つの坂本龍一作品をピックアップしてもらった。本人自ら「達成感」(*2)を口にした傑作から、現在ではほとんど顧みられない作品まで、「ニュー・ニューエイジ」的審美眼から新たに光をあてる。

1993年生まれの私はリアルタイムでYellow Magic Orchestraを体験していない。坂本龍一の名前を初めて認知した時点で、すでに同氏は世界的な巨匠であり、マエストロであった。

お茶の間の私にまで届いた教授の最初の作品は、随分とベタではあるが、やはり子どものころに市販のピアノの楽譜で触れた“戦場のメリークリスマス”だろう。

映画の内容も、デヴィッド・シルヴィアンの名前すら知らないままこの曲を弾いていた記憶があるが、その出会いこそが、ここ数年の私が人生の音盤収集のテーマとしている「ニューエイジ」との最初の出会いに等しく、もしかするとここで私の現在はすでに運命づけられていたのかもしれないとさえ思う。

坂本龍一(さかもと りゅういち) / Photo by zakkubalan ©2022 Kab Inc.
1952年東京生まれ。1978年に『千のナイフ』でソロデビュー。同年、Yellow Magic Orchestra(YMO)を結成。散開後も多方面で活躍。2014年7月、中咽頭がんの罹患を発表したが、2015年、山田洋次監督作品『母と暮せば』とアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽制作で復帰を果した。2017年春には8年ぶりとなるソロアルバム『async』を発表。2023年3月28日、逝去。同年1月17日、71歳の誕生日にリリースされたアルバム『12』が遺作となった。

2010年代以降、「ニューエイジ・リバイバル」と呼ばれる世界的な運動がアンダーグラウンドな音楽界隈のミレニアル世代を席巻した。

2019年にシアトルのレーベル「Light in the Attic」が発表した日本のアンビエントや環境音楽、ニューエイジをコンパイルした編集盤『Kankyō Ongaku』は『グラミー賞』にノミネートされるほど話題を呼んだ。

「ニューエイジ」観について、私が影響を受けたインタビュー記事から2つ引用する。

ニューエイジについては、「新しいリスニング体験ができる時代」という意味で捉えている。いまのテクノロジー、技術的な進歩によって可能になった、自分たちの耳で捉えることのできるサウンドのテクスチャーとか新たな聴き方があると思う。たとえば、みんな車のなかで聴いたり家で聴いたりすると思うけれど、より良い音でより良いテクスチャーでその音を体験できる時代がいまはある。それがニューエイジだと、私は思っているよ。 - ele-king「interview with Laraaji ニューエイジの伝説かく語りき──ララージ、インタヴュー」より(*3)Leaving Recordsで私がやろうとしているのはニュー・エイジの革新、つまり現代に向けたニュー・エイジの新機軸と拡大です。 - Ableton「Matthewdavid:新しいニュー・エイジ」より(*4)これまで実に数十年にわたり、無視/忘却され、虐げられ、埋没していた、かつてジャンクとされた商業音楽から、民俗音楽、ジャズ、プログレ、電子音楽、そして「辺境音楽」と呼ばれたような未知なる自主盤までもが、読んで字のごとく「ニューエイジ」な審美眼のもとで新たな意味や価値、文脈を与えられ、更地から体系化されていくという壮大な編纂作業が、世界各地の先鋭的なミュージシャンやコレクター、再発レーベル、ディガーと呼ばれる人々の手によって行なわれてきた。

そのなかでよりアーティスティックな音楽聴取視点として再考され、新時代の審美眼として新たに位置づけられた「ニューエイジ」のリバイバルは、既存の音楽ジャンルや様式の枠組みに囚われず、世界各地の失われた名盤たちを掘り起こしていくうえで重要な運動だ。

「ニューエイジ・ミュージック」とは何か。それを語るのは難しいが言葉にしていこう。

まず、ニューエイジ音楽の始祖について。文化的起源としてヒッピー文化をルーツに持ち、ギリシャ系米国人のヤソスと、ジャズミュージシャン出身のスティーヴン・ハルパーンの2名が時を同じくして原初の「ニューエイジ・ミュージシャン」として知られている。

ヤソスのデビューアルバム『Inter-Dimensional Music』(1975年)で確認できる原初のニューエイジ像は、ブライアン・イーノが提唱したアンビエントミュージックとも似た姿ではあるが、ハルパーンの同年作『Christening For Listening (A Soundtrack for Every Body)』では、一部ジャズファンクが収録されていたり(※)と、必ずしもアンビエントというフォーマットに収まっていたわけでもなかった。

多くのニューエイジ音楽もまた、必ずしも音楽様式を強く規定されていたものではなかった。ニューエイジ思想を信仰・実践する者による音楽が「ニューエイジ・ミュージック」であるとするなら、パンクやブルース、メタルも「ニューエイジ」足り得るかもしれないし、実際にニューエイジ思想ありきの「ピュア・ニューエイジ」を取り上げた世界初のディスクガイド書籍として、『Music from the Hearts of Space Guide』という本が1981年に出版されている。

また、これらのジャンルに該当するミュージシャンの作品やアーティスト自身が、必ずしもニューエイジムーブメントとの関連性を持っているとは限らないことにも注意したい。

1976年にはウィリアム・アッカーマンの主宰する「Windham Hill Records」の登場により、数々の著名作家が誕生し、いよいよニューエイジは大衆化しはじめる。

その後はカリフォルニア州マウンテンビューのタワーレコードにおける「ニューエイジ」コーナーの設置、1986年の『グラミー賞』ニューエイジ部門創設などを経て、そのありようは顕著に商業音楽へと変貌していった。その結果ニューエイジは、一般的に「ヒーリング(癒やし系)」や「アコースティック」「スピリチュアル」といった雑多なイメージで語られがちな、あまりにも広大かつぼんやりとした枠組みへとその姿を変えていくこととなる。

「ニューエイジ・ミュージック」が包括している音楽ジャンルや様式は実に広範であり、プログレッシブロックからシンセサイザーなどを用いた電子音楽、前衛音楽、アンビエント、ジャズ、フュージョン、ミニマルミュージック、ワールドミュージック、クラシックにまで及ぶ。

そこに本来のニューエイジ思想とは関係のなかったものも多く含めて、スピリチュアル、宗教的な要素やエコ、ニューサイエンスといったものが極めて複雑かつ幾重にも入り込んだ結果、切り離せないものとなり、さらにはニューエイジの世界的な商業展開を経て、多くの音楽マニアからは「一笑に付される俗物」と化していた。

そんな旧来の「ニューエイジ・ミュージック」を、ミレニアル世代以降のよりフラットな音楽視点から見つめ直し、「新しいニューエイジ」として再デザインされたのが現代のリバイバルの中核となる「ニュー・ニューエイジ」(※)の姿である。より洗練された空気感、崇高や幽遠を愛であげた、新時代的な審美眼を軸に、長いあいだ埋もれていた知られざる名作が掘り起こされている。

坂本龍一はこれまで、より旧来的な、一般的には商業音楽として消費されてきた「ニューエイジ」に対しては、一定の距離があった。Oneohtrix Point Neverなど、「ニュー・ニューエイジ」にも位置づけられる近年の電子音楽作家とはコラボレーションも行なっているものの、坂本はニューエイジ的なものに対する嫌悪感を以下のように語っていた。

ぼくがヒーリング・ミュージックを嫌いなのは、単純に音が悪いとかパターン化された音楽でクオリティが低いとか、あげればいろいろあるんですが、もっと深いところで、音楽が聞いている人間にどれくらい影響を及ぼしうるのかということに対して不注意、といいますか……。 - 『ユリイカ2009年4月臨時増刊号 総特集=坂本龍一』P.28より(※)さらには「ああいう音楽が流れていると、ガッと立ちあがって、バッと電源を抜きに行きたくなってしまう(笑)」(*5)といった発言などから垣間見えるように、ニューエイジに対して批判的なスタンスを取ってきた坂本龍一だが、闘病する父の透析の時間のためのヒーリング音楽を捧げたこともある。坂本の父・坂本一亀は息子が生み出したその音楽に「きれいな音だ」と感嘆の言葉を残した(*6)。

そんな坂本の音楽をリバイバル以降の更新されたニューエイジの空気感からとらえ直していくことで、不思議と彼自身の作品からニューエイジ的審美眼に合致するものが浮かび上がってきた。ここからは5つのアルバムをピックアップして、坂本龍一とニューエイジについて考えていく。

1978年7月、キャリアのごく最初期にあった坂本龍一が、YMOの一員として、そしてソロミュージシャンとして世に出る直前に、ニューエイジ的な聴取スタイルと合致する作品をつくりあげていた事実は、恐らくその希少性と作品の性質のためにあまり知られていない。

当時のNASAの宇宙開発関連のナレーションやニュース音声のためのバックグラウンドミュージックとしての効果音や音楽を手がけた『宇宙~人類の夢と希望~』は、坂本龍一のデビュー直前、裏方仕事に近い形で発表された企画盤的録音だった。そのため大々的にジャケットにクレジットされることもなく、ひっそりとライナーの隅にその名が載っている。

本作では、作曲からシンセサイザーによる演奏までを教授が担当。大部分は、ダイアログや効果音から構成された内容となっており、モートン・サボトニックやニック・パスカルなどの初期電子音楽的な色彩が強い実験的な作風だ。

A面には、電子音楽の先駆者であるジョー・ミークの60年代のヒット曲“Telstar”のカバーも挿入されており、テクノポップ以降の坂本龍一の展開を思い起こさせる、そのキャリアを眺めるうえでも重要な一枚。単独でのCD/アナログ再発は未だになされていないが、『Year Book 1971-1979』(2016年)には本作の編集版“宇宙”が収録されている(*7)。

『Year Book 1971-1979』アートワーク(詳細を見る)

前衛舞踏家のモリサ・フェンレイへと捧げられたサウンドトラック作品で、「架空の民族音楽」こと『エスペラント』も本稿における重要な作品。『千のナイフ』(1978年)や『音楽図鑑』(1984年)といった作品と同様に、近年のオブスキュア/レフトフィールドな音楽視点から再評価されることも多い80年代屈指の傑作だ。

本作は坂本龍一のアイロニカルな世界観の真骨頂であり、「Vanity Records」(※)作品にも通じるシンセの反復による痙攣するようなミニマルシンセサウンドや初期テクノ、立体的な電子音などを中心とした、都心部的かつ洗練されたサウンドが展開される。

「架空の民族音楽」というテーマから真っ先に思い浮かぶ「罠」——ノスタルジックかつ祝祭的で、スピリチュアルに倒錯したサウンドを巧みに避けながら、有機と無機を配合し、よりモダンに、そして論理的にアップデートしている。また『縄文頌』(1984年)や『Virgo Indigo』(1986年)など、優れたニューエイジ作品を残しているパーカッショニストのYAS-KAZが参加していることもまた見逃せないポイントだ。

畑正憲(ムツゴロウ)監督・脚本の映画『子猫物語』(1986年)のサウンドトラックアルバム。本作は、ゲルニカやハルメンズ(※1)などでの活動も知られる上野耕路、おしゃれTV(※2)にも参加した作曲家の野見祐二、ショコラータ(※3)のメンバーでキーボード奏者の渡辺蕗子、おしゃれTVのボーカリストの吉永敬子といった豪華面々を迎えて制作された。

アルバム全曲を坂本龍一が手がけているわけではないが、そのキャリア中でもオーセンティックなニューエイジ像にど真ん中の内容。教授の作品のなかでも屈指に出音が愛らしく、まさにこれぞ「猫ビエント」(猫ジャケ+アンビエント)の傑作ではないか。

坂本龍一、上野耕路、野見祐二、渡辺蕗子『子猫物語』アートワーク(詳細を見る)

吉永敬子が歌唱を担当したテーマ曲“子猫物語(ヴォーカル・ヴァージョン)”もまた、作詞・大貫妙子、作曲・坂本龍一、編曲・坂本龍一&野見祐二と実に豪華布陣によるテクノ歌謡の名曲だ。

2023年、4Kリマスター版の上映が行なわれたガイナックス制作SFアニメ映画『オネアミスの翼』(1987年公開)のオリジナルサウンドトラック盤。『戦場のメリークリスマス』や『子猫物語』に続く、坂本龍一によるサウンドトラック作品としては3枚目にあたる作品だ。

坂本龍一がサウンドプロデュースを手がけ、コンポーザー/アレンジャー/演奏者として、『子猫物語』に引き続き上野耕路と野見祐二、そしてパール兄弟(※1)の窪田晴男が起用。一部トラックにはマライア(※2)の清水靖晃や矢代恒彦(パール兄弟)、星野正らもゲスト演奏で参加している。

歌舞伎音楽や鎮魂歌、ガムラン音楽、クラシック、中近東の音楽など、さまざまな要素を取り入れたネオクラシカル / ニューエイジサウンドを中心に、トライバルかつ実験的な人力テクノまで、実に喚起的でアトモスフェリックな内容にまとめあげられた傑作だ。ラストを飾る“Fade”で天を切り裂いて轟く、清水靖晃の第四世界的なサックスの響きたるや至上。

坂本龍一『オネアミスの翼』アートワーク(詳細を見る)

「緊急地震速報音」の作者としても有名で、近年そのアンビエント/環境音楽作品が世界的な再評価を浴びた日本の音楽家・小久保隆。同氏が坂本龍一作品の共同プロデュースを手がけた事実は意外と知られていないはずだ。

本作には1990年4月1日から9月30日にかけて、大阪で開催された国際博覧会『国際花と緑の博覧会』にて、世界初の光だけのパビリオン「ひかりファンタジー電力館」のために坂本龍一が委嘱制作した9編の組曲を収録。招待客にのみ配られ、ほとんど一般流通のなかったノベルティ作品で、未だにストリーミング配信やCD/アナログ再発は行なわれていない。

坂本龍一作品のなかでもかなり強く「ヒーリング」「スピリチュアル」に傾倒したような内容で、幻想的かつ神秘的な心象風景から亜熱帯風のディストピア音楽まで、雄大な物語が息づく、まさに失われたシンセニューエイジの傑作アルバムだ。

近年の「ニュー・ニューエイジ」以降の視点から解釈可能な作品を実際に生み出してきた坂本龍一であるが、旧来的なニューエイジとの一定の距離感は保ちながらも、キャリアにおいて多くニューエイジ的な作品制作にも取り込み、よりメタ的な視点から傑出した解像度の作品群を生み出していることは上記の作品などからも明らかだろう。

父の闘病に際して、初めてヒーリングを実践しようとしたときのことを振り返るうえで、坂本は『skmt 坂本龍一とは誰か』でこうも語っている。

単に快い、緊張をなくした状態を持続させるのって、一種のウラの緊張っていう状態が必要なんです。純粋っていうか、シンプルに近いんだけどそれがつまらないんだよ(笑)。人間レベルの知性の満足にとどまらない、本当に天使がつくったような音楽をね……。 - 『skmt 坂本龍一とは誰か』P.115より