Text by 山元翔一
Text by よろすず
坂本龍一が発表した数々の音楽作品を紐解く連載「追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代」(記事一覧はこちら)。
第10回の書き手は、Shuta Hiraki名義で音楽制作も行なうライターのよろすず。Alva Noto、Fennesz、クリストファー・ウィリッツ、テイラー・デュプリーとのコラボレーション作品群を2回に分けて取り上げる。
IDM/エレクトロニカを経てより抽象的な電子音楽へと手を伸ばしはじめた2000年代後半、坂本龍一は突如、文字どおり「現在進行形の音楽家」として私の前に姿を現した。
以降、リアルタイムでリリースされる作品を中心に、まばらではあるものの氏の作品を聴いてきた今となっても、やはり私にとって坂本龍一の音楽として真っ先に聴こえてくるのは、Alva Noto、Fennesz、クリストファー・ウィリッツ、テイラー・デュプリーとのコラボレーション作品におけるピアノであり、電子音/ノイズである。
坂本龍一(さかもと りゅういち) / Photo by zakkubalan ©2022 Kab Inc.
1952年東京生まれ。1978年に『千のナイフ』でソロデビュー。同年、Yellow Magic Orchestra(YMO)を結成。散開後も多方面で活躍。2014年7月、中咽頭がんの罹患を発表したが、2015年、山田洋次監督作品『母と暮せば』とアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽制作で復帰を果した。2017年春には8年ぶりとなるソロアルバム『async』を発表。2023年3月28日、逝去。同年1月17日、71歳の誕生日にリリースされたアルバム『12』が遺作となった。
これらのコラボレーションは坂本龍一のキャリアにおいては、ラップトップでの制作環境の普及によって90年代からグリッチ(※1)という象徴的な手法/サウンドを伴って現れてきた「エレクトロニカ以降の音楽家」との交流、とひとまず括ることができるだろう。
こうした新たな時代の音楽家たちの多くと坂本は、『CHASM』(2004年)とそのリミックス盤である『Bricolages』(2006年)にて、音楽的邂逅を果たしている。なお『CHASM』以前より交流があったAlva Notoとの最初の音楽的接点もそうであったように、この時点でのミュージシャンたちとの音楽的な関係は「リミックスの依頼」というものに留まっており、音響趣向はグリッド(※2)を保った楽曲構造をくすぐるように存在しているケースが多く見られた。
一方、ここで取り上げるAlva Noto、Fennesz、クリストファー・ウィリッツ、テイラー・デュプリーとの諸作は、『CHASM』~『Bricollages』における作曲者とリミキサーという立場での音楽的交流とは異なり、より対等に音を発し合い、深く関わろうとした軌跡ととらえられる。
これらのコラボレーションは私にとって甲乙がつけ難く、個々の作品の性質や2000年代以降の坂本の音楽的歩みを見通すべく、四者との共作をそれぞれピックアップして2回に分けて紹介していく。
坂本龍一とAlva Noto。2022年6月、『Vrioon (re-master)』リリース時のアーティスト写真
Alva Notoことカールステン・ニコライとの交流は、1998年に青山スパイラルホールで開催された『EXPERIMENTAL EXPRESS 1998』にて、池田亮司の紹介によってはじまった。
その後、まずは坂本がリミックスを依頼したことで音楽的なつながりが生まれ、互いにピアノと電子音のスケッチをやりとりする関係へと発展。その成果が2002年の『Vrioon』にはじまる一連の作品、『Insen』(2005年)、『revep』(2006年)、『utp_』(2009年)、『Summvs』(2011年)と続くいわゆる「V.I.R.U.Sシリーズ」となっていく。
この一連のコラボレーションでは(Ensemble Modernとの共演となった『utp_』はやや例外だが)、サイン波やホワイトノイズ、そしてグリッチやクリックノイズの使用によって音響情報の面にまでミニマリズムや微細かつ機械的操作を試み、その配列によって記号化されたミニマルテクノのごときサウンドを生み出すAlva Notoに対し、あっけなさすら感じてしまうほど素直に坂本はピアノを演奏している(*1)。
グリッチ以降の電子音響が楽器や声などの「アナログな要素」を導入する場合、ミュージックコンクレート(※)的な発想によって電子音と並置される場合が多い。しかしAlva Noto + Ryuichi Sakamotoにおいては、そのような方法が最低限といっていいほど非常に慎重に用いられており、両者の音は分離感を維持しながら時折控えめにトーンを共有する。
このつかず離れずな距離感は、Alva Notoが坂本のピアノの音色にすでに息づいているデジタルなサウンドとの親和性を聴き取り、それをクリアな状態で届けようと試みた結果と筆者には感じられる。
坂本はAlva Notoに対して自身の音素材を「好きに料理して」もらうために差し出したようだが、それらはAlva Notoからこれまでにない耳の働きを引き出したのではないだろうか。その影響はたとえば、Alva Notoが後の『Xerrox』シリーズで披露するハーモニーを前景化させた作風に色濃く表れているように感じられる(※)。
またそれ以前のAlva Notoの作品、たとえば『Prototypes』(2000年)や『Transform』(2001年)と比べても、低域の比重が抑えられ、拍動がやや希薄化されているなど変化が見られる。
何より電子音によるミニマルデザイン然とした音場にピアノという古典的な楽器が素の状態で加わった、という面で、坂本とのコラボレーションは彼のキャリアにとって新たなフェーズを感じさせるものでもあっただろう。
余談だが、2002年にはAlva Notoと非常に共通項の多いアーティストの池田亮司も楽器(弦楽)による作品『Op.』を発表しており、極限的にミニマルな電子音響に次なる一手が求められたタイミングであったことが窺える。
また、坂本にとってもこのコラボレーションは印象的な耳の変化をもたらしたようで、そのことは後年のインタビュー(*2)でも語られている。
実際、「ピアノと電子音」という枠組み自体は、『Vrioon』と同じく2002年に坂本がリリースした『COMICA』と通じるものであるが、シンセとピアノが互いに寄り添いながら移ろっていく『COMICA』に比べ、『Vrioon』にはピアノと電子音が響きを浸し合わずに進行していくようなクールさがある。
Alva Noto + Ryuichi Sakamotoの実現は、両者のサウンドにそれぞれの近作とは明らかに異なる妙味が結実しただけでなく、互いのその後の活動にも大きく影響を及ぼす、正にターニングポイントといえる理想的なコラボレーションだったのではないだろうか。
ラップトップとギターを主に扱うオーストリアの音楽家Fenneszとのコラボレーションについては、2作目(アルバムとしては初)のリリースとなった『cendre』を紹介したい。
Fenneszと坂本は2004年11月にローマで行なわれた『Romaeuropa Festival 2004』で初共演を果たし、以降、音楽的交流を深めていくこととなる(※)。そこから3年後の2007年、『cendre』をリリース。初共演は互いにラップトップを用いてのものだったが、本作では坂本は主にピアノを演奏している。
制作はFenneszから送られてきた電子音のトラックに、坂本が即興のピアノ演奏を加える、という手順でほぼ進められている(※)。
そのためか坂本が先にピアノのスケッチを送り、Alva Notoが編集し、組み立てるといった手順であった『Vrioon』などに比べ、自由なタイム感で和音を落とし、曲によっては予め書かれたもののようなリフレイン、ひと続きの展開を持ったフレーズを発するなど、坂本のピアニストとしての資質が作品の全面に表れている(*3)。
しかしながら、Fenneszの生む電子音響も単なる背景音やノイズに留まっているわけではない。Fenneszの音楽性については、坂本が「ロマンティック」と評したことが語り草となっているが、ここでは電子音に潜む彼のそのような傾向が、坂本のピアノに対し見事な牽引性を発揮している。前述したような、ここでの坂本のピアノのある種の饒舌さや、ドビュッシーの前奏曲集なども想起させるその官能的な色合いは、間違いなくFenneszのサウンドが引き出したものだろう(*4)。
また本作における坂本の演奏は、Fenneszのサウンドから類推した調性を意識しているように聴こえる一方、ラップトップを用いたエディットによって雑音性が加味されたFenneszの電子音響は、音程が淡く滲んでいる。
その結果、ギターの「フレット」やピアノの「鍵盤」によってもたらされる12音の厳格さが希薄となり、ピアノと電子音の調性による結びつきが後退しているように感じられる時間(たとえば“trace”の中盤以降)があるのも耳に新しい。
ピアノと電子音/シンセサイザーという組み合わせは「アンビエント」というジャンルに限ってもありふれたもので、「坂本龍一によるアンビエントな作品」と聞くと、正にこの組み合わせによる作品(たとえば『COMICA』や遺作となった『12』)を思い浮かべる方も多いかもしれない。
しかし本作ほど、ピアノの奔放な音程の移ろいと「間」の表現を両立させながら、静謐でロマンティックな時間が流れる作品は稀有であろう。