アニメ制作会社の社長やスタッフに、自社の歴史やこれまで手がけてきた作品について語ってもらう連載「アニメスタジオクロニクル」。多くの制作会社がひしめく現在のアニメ業界で、各社がどんな意図のもとで誕生し、いかにして独自性を磨いてきたのか。会社を代表する人物に、自身の経験とともに社の歴史を振り返ってもらうことで、各社の個性や強み、特色などに迫る。第12回に登場してもらったのは、ライデンフィルムの里見哲朗氏。「たくさんの作品を作る」「原作のある企画の受け皿になる」をコンセプトに、2012年に立ち上げたライデンフィルムは、年間10クール近くのアニメを制作する多作なアニメスタジオに成長した。そんな同社で、里見氏が掲げる「安定してアニメを作り続ける」という思いを聞いた。
【大きな画像をもっと見る】取材・文 / はるのおと 撮影 / ヨシダヤスシ
■ 多作と原作もの……設立時に構想した2つのコンセプト
ライデンフィルムの設立は2012年2月のこと。里見氏はそれまでバーナムスタジオという一人会社で「サムライチャンプルー」や「ロウきゅーぶ!」など多くの作品にプロデューサーや宣伝として関わっていた。
「フリーのプロデューサーとしていろんなところの仕事をしていたときに、以前から知り合いだったグッドスマイルカンパニーの安藝(貴範)社長から『そろそろ腰を据えてやらないか』と言われたんです。当時、安藝さんはTRIGGERやサンジゲン、Ordetといったアニメスタジオの相談に個別に乗っていて、それらをホールディングスとしてまとめようという思惑があって。それに協力してほしいと相談されたんです。その頃、サンジゲンの社長・松浦(裕暁)さんが手描きアニメに興味があって、新たにアニメスタジオを作ろうとしていたのでそこに僕も加わりました」
こうして里見氏が取締役として参加することになった新会社がライデンフィルムだ。同社は安藝氏が構想していたように、アニメスタジオ数社をまとめる形で設立されたウルトラスーパーピクチャーズの傘下となる。ライデンフィルム創設時にはどんな構想を描いていたのだろうか。
「当初からコンセプトとして存在していたのが『たくさんの作品を作る』ということ。そのために最初から複数の制作ラインを持つスタジオを作りたいという要望が安藝さんや松浦さんからありました。通常、アニメスタジオは1ラインでシリーズアニメの中の1話を受け持つグロス請けから始まり、徐々に規模を大きくしながら、シリーズ全体を請ける元請けスタジオになってラインを増やしていきます。それまでに最低5~6年はかかるので、いきなり複数ラインを動かすなんて機会はなかなかない。そんなチャンスに自分は惹かれました。
逆に自分がプレゼンしたのは、原作のある企画の受け皿になるようなスタジオになること。ウルトラスーパーピクチャーズの傘下にはオリジナル企画が本領となる色の強いスタジオが揃っていたので、クライアントのオーダーに沿ってアニメを制作できる場を作りたいと考えていました」
■ スタジオの名を一気に知らしめた「アルスラーン戦記」
里見氏が考えていた原作ものに強いスタジオというのは、近年まで続くライデンフィルムの特色となっている。その中で最大のターニングポイントとなった作品として、里見氏は2015年に放送された「アルスラーン戦記」の名を挙げた。それまでショートアニメを中心に手がけていた同社がチャレンジしたのは、「銀河英雄伝説」で知られる田中芳樹の小説を、「鋼の錬金術師」の荒川弘がコミカライズした作品を原作とする歴史ファンタジーだった。
「元請けを始めてすぐにいただいた企画で、いわゆる“日5枠”(TBS系列における日曜17時放送開始のアニメ枠のこと)の作品でした。講談社さんからお声がけいただいてうちが作ることになったんですけど、僕らにとっては願ってもないようなメジャーな枠だし、知名度のある原作のアニメ化で。そのおかげでスタジオの名前を多くの人に認知していただいて、のちの多くの仕事につながったんです。そして、これもたまたまですが『アルスラーン戦記』でうちに参加してくれた方々の働きがすごくよかった。彼らは今でもスタジオの中核として活躍してくれています。
そんなこともあって、講談社さんは僕らにとって特別なクライアントなんですよ。2014年からの『新劇場版 頭文字D』シリーズや『アルスラーン戦記』、それと同時期にやった『山田くんと7人の魔女』もそう。良好な関係を続けられたおかげで、『東京卍リベンジャーズ』をアニメ化する際にもうちを制作スタジオとして推してくれたんです。その期待に応えたいという思いもあって『東リベ』はがんばって制作しました」
「東京リベンジャーズ」は2021年に放送が始まり、のちにシリーズ化した同名マンガのアニメ化作品だ。その年最大級のヒット作となったのは多くの人がご存知だろう。現在もライデンフィルム社内にはキャラクターの特攻服がズラリと飾られており、同作のヒットによる強い影響を感じられた。
「アニメを作ったら多くの人に観てほしいという思いはみんな持っているでしょうけど、なかなか難しいんですよ。今はアニメの本数がすごく多いし、作品を観られる環境が限られているケースもあったりして、いい作品だけどヒットしないことも増えています。
だからこそ『東京リベンジャーズ』もそうだし『アルスラーン戦記』もそうだったけど、一般の方にまで届くくらいのヒット作が生まれるのは単純にうれしい。それにアニメ業界に就職を希望される学生さんやクリエイターにもライデンフィルムの名前が響くんですよ。それがまたいいアニメを作るための力になる。そうした、みんなが観るアニメをコンスタントに作れているのは幸運ですね」
■ 制作ラインを作らず会社一体となってのアニメ制作
里見氏の目論見通り、ライデンフィルムは原作もののアニメを得意とするようになった。それでは「複数ラインによるアニメの大量生産」というもう1つのコンセプトはどうなったのか。その話題について、里見氏はまず2018年から2019年にかけて放送された佳作の名を出した。
「うちにとって初めての子供向け、しかも4クール作品として『レイトン ミステリー探偵社 ~カトリーのナゾトキファイル~』のオファーをいただきました。当時は、もともと作る予定だった作品がある中で追加して制作できるかどうか難しい状況でしたが、社内で一致団結してやってみようということになったんです。
そして『レイトン ミステリー探偵社 ~カトリーのナゾトキファイル~』に対応するためライデンフィルムの第二スタジオを立ち上げました。そこで社内のキャパが広がったおかげで、翌年以降より多くの作品を制作できるようになったんです。これもターニングポイントの1つですね」
その結果、ライデンフィルムは2022年には10クール、2023年には8クール分の30分アニメを制作するような多作型のスタジオとなる。もっともそれを実現するために現在では「複数ライン」という部分に変更が加わっていた。
「今は明確にラインを分けておらず、会社のみんなで作ろうという体制でやっています。ほかのスタジオのように『このラインがこのタイトルを作る』という感じではないんです。タイトルごとにチームはあるんですけど、その中のメンバー構成は流動的というか。会社全体で年間10クール分くらいは作るという目標を設定しています。
きちんとラインがあってアニメを作るスタイルを僕はよく文化祭で例えますけど、バーっと集まって徹夜でがんばって作って解散という感じなんですよね。そのほうがフィルムのクオリティや納期の徹底という面でメリットがあるかもしれません。
ただライン化してうまくいくタイトルもあれば、うまくいかないタイトルもあります。だから旧来のスタイルよりスタジオ全体を1ラインとみなし、みんなで補い合うスタイルのほうが長期的に安定してアニメを作れるんです。それはもしかしたら、いいアニメのいい部分を目減りさせてしまうかもしれないけど、悪いアニメを救うことになる。そうやって平均点を上げていくことが、ライデンフィルムが目指す『たくさんの作品を作る』という方向性に合っているんですよ」
■ ウルトラスーパーピクチャーズ傘下にいることの安心感
作品制作以外のターニングポイントは? この質問に、里見氏は「社員や外から見たらあまり変わってないように見えるかもしれないけど」と断りつつ自身の社長就任を挙げる。ライデンフィルムは創業以来、松浦氏が社長を務めていたが、2014年に里見氏へと交代した。
「社長になった頃はライデンフィルムが大きくなる一方でサンジゲンも元請けを始めたりしていて、松浦さんはそちらに専念したほうがよいだろうということになって。それで僕がライデンフィルムの社長に就任することになりました。
それまでは取締役ではあっても主にタイトルのプロデュースをやっていたので、バーナムスタジオの延長のような感覚でやれていました。でも社長になってからはタイトル単位ではなくスタジオ全体を見るようになった。これは僕にとって大きなターニングポイントでした。
と言っても社長になって、いろいろと変えたいと考えていたけど何もできていない。本当は納期や予算、社員の生活環境を含めて安定して物を作れるようにしたかったんですけど……社長だからって偉そうなことは何も言えません(笑)」
そう謙遜しながらも、引き続き多くの作品を世に出しながら大阪・京都や埼玉にスタジオを設立するなど辣腕を振るう里見氏。そんな彼にウルトラスーパーピクチャーズという会社の傘下にいることの意義を聞いてみた。
「僕のような傘下のスタジオの社長はウルトラスーパーピクチャーズの役員も兼ねているので、役員会や定例の会議なんかでお互いに顔を合わせる機会が多いんです。そこでいろいろな情報を共有し合っているし、技術面でも協力し合っています。例えばうちもCGセクションは持っているけどサンジゲンに手伝ってもらうこともあるし、共同で新しいソフトを購入したり、データベースの一部を共有したりもしている。同じビルの中にいるおかげで人の交流は途絶えてないので、ずっと変わらず仲良くやっています。
あと法務や財務、人事などの部署をウルトラスーパーピクチャーズ内で傘下の会社が共有化しているのも助かっています。もちろんライデンフィルム内にもそういったバックオフィス的な部署はありますけど、だいぶウルトラスーパーピクチャーズに任せられていて、僕たちはアニメ制作に専念できています。仲間がいるのもそうだし、制作に集中しやすい環境だし安心感はすごくあります」
■ 普通の人が一生アニメを作れるような会社に
2020年代に入り、ライデンフィルムは原作ものだけでなくオリジナル作品も手がけている。「リーマンズクラブ」や「永久少年 Eternal Boys」といった作品だ。
「その前にも『LOST SONG』なんかも制作しましたが、あの企画は持ち込まれたものでした。でも企画を作る段階から参加したそれらはライデンフィルムのオリジナルアニメと言ってもいいと思います。
『リーマンズクラブ』は、バドミントンの試合をずっと放送しているテレビ朝日さんから『何か1本作りませんか?』とお声がけいただきました。過去にバドミントンアニメの『はねバド!』を制作していたのを知っていてくださったんです。『永久少年 Eternal Boys』はポリゴン・ピクチュアズさんの“おっさんアイドルもの”というコンセプトが先にあってフジテレビさんからうちに声がかかりました」
里見氏はこうしたオリジナル作品の制作について「やっぱり原作ものとは違う楽しさがある。余力があるうちは今後も一定のペースで作っていきたい」という。ライデンフィルム設立当初のコンセプトに、変化が生まれているようだ。
「今は1年で10クール分を目標に制作していますが、当面はこれ以上増やそうとは考えていません。これまでは作ることだけで手一杯で、数を増やすことはできたけど徐々にいろんなほころびや歪みが出てきています。そもそもアニメ制作現場の人材なんてそんなにすぐ育つものではなく、畑を5年や10年耕してようやく収穫……くらいのものなのに、とにかく作品を作ろうと慌て過ぎていた。だからしばらくは今までと同様に作り続けながらも、不具合が起きているところに補正をかけつつ、制作体制を充実させていく時期だと思っています」
ライデンフィルムの今後の課題として、生産性の向上を挙げる里見氏。彼がそれを解決するにあたって注目するものがAIだ。
「AIって情報量が少ないもののほうがコントロールしやすそうじゃないですか。だからまず小説が書けるようになり、マンガが描けるようになり、最後に映像が作れるようになるのかなって。もしかしたら逆に情報量が多い媒体のほうが分析しやすくて作りやすいのかもしれませんが、それでも当面はアニメ制作では部分的にしか使えないんじゃないかなと思っています。
ただアニメ制作に直接的に関わらない分野では、まさにAIを利用しようとしています。例えば稟議や領収書など社内のルールをまとめた分厚いマニュアルはすでにありますが、そこから欲しい情報を探すのは手間だし時間がかかるんですよね。だからChatGPTに質問して必要な情報を回答してもらうようにできないかという話を最近もしていました。いろんな情報をAIに教えなきゃいけないからすぐに使えるわけではないけど、そういったふうに生産性を上げるためにどんなうまい使い方があるかは今後も研究していきたいです」
やや形は変わりながらも継承されている、ライデンフィルムのコンセプトである安定した作品作り。里見氏はそれがアニメ業界に抱かれる悪いイメージの刷新にもつながると考えている。
「世間には『アニメ業界はブラック』というイメージがありますが、どうすればそのイメージを変えていけるか。それにはどんどん人が辞めていくような環境を変えないことにはしょうがない。それを実現できると、安定して一生アニメ作りをやっていける人も出てくる。宮崎駿さんや鈴木敏夫さん、丸山正雄さんなんかはいまだに現役ですけど、ああいった化け物みたいな人たちは置いておいて(笑)。普通の人が、アニメを作りながら普通のライフサイクルを過ごしていけるような会社にしていきたいんです」
■ 里見哲朗(サトミテツロウ)
1974年10月7日生まれ、東京出身。ライデンフィルム代表取締役、バーナムスタジオ代表取締役社長、ウルトラスーパーピクチャーズ取締役。2003年にバーナムスタジオ設立したのち、2012年にサンジゲン社長の松浦裕暁氏、岩城忠雄プロデューサーとともに、ウルトラスーパーピクチャーズ傘下ライデンフィルムを設立する。「アルスラーン戦記」「テラフォーマーズ」「うしおととら」「はねバド!」などを手がける。2014年にライデンフィルムの社長に就任した。