Text by 天野史彬
Text by 今川彩香
Text by Yoshio Nakaiso
今年1月、突然の解散を宣言したCHAI。公式発表では「CHAIがずっと発信してきた『セルフラブ』、なりたい自分になることをこれからも自分たちがかなえていくために、メンバーそれぞれの道を進むことにしました」と記した。そして3月12日、全国ツアー「CHAI JAPAN TOUR 2024『We The CHAI Tour!』」のファイナル公演が最後のライブとなった。
音源を物販で手売りしていたころから、何度もインタビューを通してCHAIに向き合ってきたライターの天野史彬がラストライブをレポート。これまでの軌跡を振り返りながら、4人が発信してきたメッセージ、そして解散について綴る。
2024年3月12日、東京・EX THEATER ROPPONGIで行なわれたライブをもってCHAIは解散した。その最後のライブは、メンバーが涙を見せる瞬間はあったものの、湿っぽくはない、とてもCHAIらしい清々しさに満ちたライブだった。
思えば、自然なことなのだ。決して短くはない年月を、まるで運命共同体のようにして活動を共にした仲間たちと、離れ離れになって、新たな道を行く。とあるバンドマンに取材をしたときのことで、なんとなく忘れがたい話がある。10年に及ぶ歳月をひとつのバンドで活動し続けてきた彼は、「10代の頃からの友人たちと、30代になろうかという今の今まで同じコミュニティで生きているということは、冷静に考えれば歪でおかしなことなんです」と言っていた。
生きていれば、人それぞれの生きる環境や考え方もお互いの距離感も変わっていくのは当然のこと。放っておけば自然と別の方向に向く人々の視線を、無理やり揃えようとすれば、そこには馴れ合いや癒着が生まれかねない。そのバンドマンは「続けること」だけが正義ではないことを知っていたし、そのうえで続けていくことに覚悟や、夢や、内省の先にあるなにかを見出している様子だった。
答えは人それぞれで、何が正しくて何が間違っているということもないのだ。ただ、それぞれに変わりゆくものと、守りたいものがある。CHAIの4人が見出した答えは「解散」だった。
今年1月にCHAI解散の報が飛び込んできたとき、理由も何もわからなかったけれど(それは今もそうなのだけど)、「CHAIらしいな」と思った。そして、理由も何もわからないまま直感的に「最初から最後までかっこいい人たちだ」と感じた。
CHAIの4人が、まるで新しい銀河の新しい惑星からやって来たかのように颯爽と私の前に現れたときのことは忘れられない。見たこともないような衣装をまとい、鮮烈で明確なイメージを音と言葉で奏でながらマナ、カナ、ユウキ、ユナの4人が世界に姿を現した頃、私はCINRAで何度も彼女たちにインタビューをした。
CHAIの4人は最初からクレバーで、まさにNEOかわいかった。CHAIの4人はつねにフランクだったし、でもそのフランクさのなかには、彼女たちにとっては恐らく凝り固まったものにも見えたであろう、日本の音楽やエンタメにまつわる社会(そこに私もいた)に対して「先手必勝!」と言わんばかりの攻防兼ね備えた態度があった。
最初にCHAI解散の報を見たとき、もうしばらくのあいだ取材などで会う機会はなくなっていたが、私はすぐに彼女たちのクレバーさと冷静さを内包した陽気な佇まいを思い出すことができた。
本格的に作品が全国流通する前、音源はライブの物販で手売りしていた時期に行なった最初のインタビューの時点で、CHAIは「NEOかわいい」というコンセプトを既に掲げていた。簡潔で、どことなくフューチャリスティックな感じのする英語と丸っこいひらがなの日本語がくっついた、新しい言葉による、新しいコンセプト。最初から彼女たちは手作りで、眼差しは明晰だった。
CHAIの4人が、とても自然な足取りで未来に向かって歩いていく姿が、EX THEATER ROPPONGI で“フューチャー”の演奏を聴いているときに見えたような気がした。衣装や作品は好きなように飾り立てるが、その根本にある自分たちの身の動かし方は自然なものであるべきだと、彼女たちはいつだって感じていたのではないかと思う。
つねに大胆ではあるが、虚勢はなかったCHAIのスタンスは、最後のライブまで一貫していた。彼女たちは当たり前のように、ひとつのステージにファンキーなバンドサウンドとエッジの立ったポップサウンドを並べ、ダイナミックな楽器の演奏とチャーミングな振り付けのダンスを並べてみせた。
CHAIの4人がその手で磨き上げ、そして日本のみならず世界の人々の前で披露し続けてきたライブパフォーマンスは完璧だった。ストイックであり、キメるところはビシッとキメ、でも柔らかくて自由な、そのライブパフォーマンス。ラストライブといえども序盤に“ラムのラブソング”をカバーした物販紹介があり、ダブルアンコールはぶーぶーとブーイングをまき散らす“ぎゃらんぶー”と、この日2回目の演奏となったアグレッシヴな“N.E.O.”で締め括られた。「湿っぽいさよならはしないよ」というバンドの強い意志を感じる終わり方だった。
最初のフルアルバムのタイトルでもあり、たくさんのイメージやメッセージを重ねられてきたピンクの色の奇抜な衣装に身を包んで始まったライブだが、終演に辿り着く頃にはステージ上のCHAIの4人はとてもフラットなTシャツ姿になっていた。
そして終演時にはステージの背後に「NEOかわいいの五訓」が掲げられた。
1、人と違う自分こそ愛せよ
2、いつだって自分に正直に生きよ
3、ネガティブな自分も愛してよし
4、なりたい自分を生きてよし
5、自分のNEOかわいさを疑うべからず - 「NEOかわいいの五訓」目を背けるということではなく、なんでもかんでも受け入れるということでもなく、でもそのうえで、「否定」ではなく「肯定」の力で世界とコミュニケーションを取り続けたCHAIの言葉だ。
ライブの終盤、メンバーひとりずつが想いを語った場面で、カナは「これからも一緒に生きましょう。私たちはずっと一緒にいる」と言っていた。
ユナは「CHAIの概念や作品はずっと残っていく。みんながつらいときでも楽しいときでも、お守りになるものだと思う」と言い、ユウキも「音楽はずっとずっと残るものだから。また思い出したときに聴いてほしい。楽しいときも悲しいときも自分が嫌になるときも、それでも『自分100パーセントでいいんだ』ということがCHAIで伝えたかったこと」と語った。
マナもまた「NEOかわいいベイビーズたちが、メンバーが、スタッフが、私と一緒にCHAIを生きてきてくれた。感じてきたみんなからの思いも、勇気も、愛も、コンプレックスも、目が小さいことを『これがかわいいんだ』と大声で叫んだ言葉がみんなに伝わったことも、本当に嬉しい。CHAIの音楽は生き続けるし、NEOかわいいは生き続ける。これからも一緒に生きていこう」と伝えた。
人と人が、人と音楽が、人とメッセージが、人と記憶が、一緒に生きる力。それは、CHAIが世界中を駆け巡り、多くの人々と音楽や友愛を交わし合った、その豊かな活動を通して見出した大切なことのひとつだったのだろう。
この夜をきっかけに離れ離れになるはずの最後のライブで、それでもCHAIは「一緒に生きる」ことを、過去ではなく未来に向けた言葉として発していた。直接手が触れる距離にいなくても一緒に生きることはできる。そういう関係性を、距離を、この先の未来で生み出していくんだと、CHAIの4人は伝えたかったのかもしれない。
ユナはCHAIの音楽を「お守り」と言っていた。ある意味では、4人はCHAIを守ること以上に、それぞれがそれぞれの場所でCHAIに守られることを選んだのかもしれない。「守られる」なんて言うと受動的な態度のように思われるかもしれないが、能動的な態度として、人は音楽や、誰かの面影や、言葉や、ふとした瞬間に蘇る記憶に「守られ合う」ことができるということを、CHAIが最後まで失うことのなかったその温かく優しい空気の中で感じた。潰してしまうほどにそのお守りを力いっぱいに握り続けてしまっては意味ないが、意固地になにかを守り続けようとすることではなく、そのなにかに守られてみること。そうやって1歩外に歩き出すこともまた、ひとつのしなやかな勇気なのだと思う。
「今日はCHAIの門出。NEOかわいいベイビーズたちの門出。すごく明るい未来!」──ライブ中にそう叫んだマナの声が、いまでも、何度でもこだまする。