先日、テレビをつけていると『GTO』の新作特番が放送されていた。主演はもちろん反町隆史。好評だったドラマ版の続編という形になり、旧キャストも数人続投するという形で話題になっていた。
とっくに完結した作品のその後を描くというのはなかなか勇気がいることだが、反町自身が今も男前なので、主役の鬼塚英吉も魅力のあるキャラのまま成立しており、好印象。ガラケーしか持ってないのにウーバーイーツみたいなバイトしてたのは整合性なくて笑ったけど。それじゃ宅配アプリ使えないでしょ(笑)。主題歌も新録してたし、気合いの入ったスペシャル版といった印象だった。
ところで、ドラマというものは必ず最終回がある。ハッピーエンドだとかビターエンドだとか、作品によって異なる。ただ、そういった数多ある最終回の中には、視聴者が「そういうの要らないんだよな」と思ってしまうような展開もある。(文:松本ミゾレ)
せっかくの最終回なのに本編中で長々と回想をやるな!
先日、ガールズちゃんねるに「ドラマの最終回に要らない展開や演出」なるトピックが立っていた。
トピックを立てた人物は「過去のシーンの長い振り返り」と書き込んでいる。尺合わせの回想に嫌気が差しているようだ。そういうドラマをいくつか目の当たりにしたのかな?
最終回のスタッフロールが流れてる後ろの方で、第1話からのダイジェストみたいな映像が流れているのをたまに見るけど、個人的にはあれはそんなに気にならないかな。最終回だけテーマ曲がほぼフルで流れる奴。で、終わったと思ったらさらに本編のちょっとした続きとかあって。最終回って感じがするよね。90年代のドラマに多かったような。
あくまで本編中に冗長な回想がだらだら流れないのであれば、こういう回想も全然いいよね。
他にも「こういう最終回の演出が苦手」とする書き込みは多く寄せられているので、ちょっと引用させていただきたい。
「残り物同士がくっつく」
「なんか途中全然主人公と関わらなかったのに今までのキャスト大集合するやつ(朝ドラに多い)」
「続きは映画館で」 「主題歌のアーティストを出す。別に求めてない」
たしかに何かのドラマの最終回でこんなのあったな……と思えるような例が挙がっている。
最終回の放送が終了したと思ったら半年以内に総集編とか劇場版の告知がなされるドラマとかも、結構萎える。数年前にちょっと世界観仕切り直してキャストだけ続投みたいなサスペンスドラマもあった。ドラマ本編観てない人も映画館に呼び込むには良い手かもしれないけど。
後はサブスクでスピンオフドラマが限定配信とか、そんな感じのものもある。それから、ずっと意地悪だった奴が最終回で物凄い善人に変身しちゃってるとかも、良くない。良くないよ。
主題歌を担当した人が本編にカメオ出演も、20年ぐらい前は良く見た。『TRICK』も第一シーズン最終話で鬼束ちひろが出ていた。僕はあのドラマが大好きでDVDも買ったんだけど、最終回のあのカメオ出演はなんかサブくて、未だに最後「月光」が流れ始めたら視聴を止めてしまう。「月光」は好きなんだけどね。
なんかこう、そういうサービス精神はいらないんだ、という感じで。続くシーズンではもうそのような仕掛けはなくなってたので、本当に良かったです!
『家康』ラストの現代の東京の街並み、意味不明すぎる
あと、ここ最近のドラマで一番「なんやこの最終回」と思ったのが、2023年大河ドラマの『どうする家康』。ぶっちぎりでこれである。そもそもつまらないドラマだったが、最後の最後で時系列無視してキャストを呼べるだけ呼んだ挙句、遠景に何故か現代の東京の街並みが映っているというどうでもいい演出が用意されていて。本当に意味が分からなかった。
家康が江戸を開拓した。だから今日の繁栄は彼のおかげ。それは分かる。でもその最終回の問題シーンは、彼の息子・信康が信長の娘である五徳と祝言を挙げる直前のシーンとして描かれているので、だとするとその頃の家康は江戸ではなく岡崎にいるんだよね。「そういうの気にせず楽しんで」みたいなことを制作者は思ってたんだろうけど、大河ドラマでそれやられても。岡崎から東京の街並みが見えますか? という話になってしまうのだ。
なんかこのドラマって本当に出来が悪かったけど、最終回のこれで本当に心の底から辟易してしまい、未だに思い返すだけで嫌な気持ちになる。
おっと話の筋がちょっとズレちゃいましたか。でもそういうこともありますね。最終回に要らない演出の話なので、ついつい。