Text by 山元翔一
Text by 山口こすも
Text by 青木絵美
Text by 門脇綱生
「『環境音楽』はよくわからないけど、日本のアーティストで好きな人はいます。いま思い出せるのは坂本龍一さんくらいですが、彼の音楽は本当に素晴らしいなと思います」
アナ・ロクサーヌはこう答える。「モダンニューエイジ」を提唱するロサンゼルスのレーベル「Leaving Records」からデビュー作を発表したアナ・ロクサーヌは、フィリピン系のカトリック教徒として育ち、インターセックス(※)であることを公表している音楽家だ。
この音楽家にとっては『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』(2019年)が『グラミー賞』最優秀ヒストリカル・アルバム部門にノミネートしたことも、あるいは近年のニューエイジ/アンビエント再評価すらも、どこか遠い場所での出来事なのかもしれない。取材を通じてそんな印象を受けた。
その夢見心地なサウンドは聴く者に一時の「安らぎ」をもたらすが、しかしそこには同時に、深い悲しみも存在しているのだという。アナ・ロクサーヌの音楽表現の背景にあるものは何なのか。『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』の監修・編集を務めた門脇綱生とともに話を聞いた。
アナ・ロクサーヌ
1987年生まれ、アメリカ合衆国カリフォルニア出身の音楽家。2015年、初めてのEP作品『~~~』をプライベート配布し、2019年に「Leaving Records」から再リリース。2020年にはフルアルバム『Because of a Flower』をシカゴの名門レーベル「Kranky」より発表。2023年10月、初来日公演が行なわれた。
門脇:あなたは『MTV』でアリシア・キーズのパフォーマンスを見て、歌うことに目覚めたそうですね。その後もカトリック教会や学校の聖歌隊への参加、ジャズシンガー志望としてのジャズスクールでの研鑽、大学卒業後のプログレ/マスロックバンドでの3年間の演奏、インド旅行で出会った北インド古典音楽の師匠との共同生活、そして、2013年に入学したミルズ・カレッジで受けたアカデミックな音楽教育に至るまで、あなたは実に多種多様な音楽的背景がありますよね。
長きにわたる音楽的研鑽を経て、実際に録音をはじめることとなったきっかけ、ソロミュージシャンとして活動していくことを決めたターニングポイントになった出来事などがあれば教えてください。
ロクサーヌ:昔から「いつかは自分の音楽をつくりたい」という夢はあったんです。でも私は、専門的な音楽教育を受けてきたから、自分で作曲できると信じるまでには本当に長い時間がかかりました。
特にジャズやクラシック、合唱音楽という分野から音楽を学びはじめると、ほかの人がつくった曲を演奏したり、再解釈したりするのが主流になってしまう。ミルズに行こうと決めて、そこで電子音楽について学んだり、スタジオレコーディングの方法を学んだことで、いろいろと実験的なことができるようになりました。
ロクサーヌ:その当時は、自分が何をやっているのか全然わからなかったけど、大学の教授たちは「何でもいいからつくってみなさい」と励ましてくれた。だから、学校というシステムが私にとっては役に立ったんだと思う。ほかの人がみんなそうとは限らないけれど。
門脇:Pitchforkでの『Because of a Flower』のレビュー(*1)や各所での発言を読んで、インターセックスについて知りました。“Take the Thorn, Leave the Rose”でカストラート(※)が主題に採られているように、インターセックスであることはあなたの作品の主題として、背景として深く検討されながら扱われていますね。それらについての思索や検討は、2020年の『Because of a Flower』の時期から、どのように変化/深化しましたか?
ロクサーヌ:一番大きな変化は、自分のアイデンティティに対して、平穏な気持ちでいられるようになったことだと思う。なぜなら、自分がそのことを公表したり、それについて話したりする前は、そのことがとても重くのしかかり、他人とは共有できない重荷のように感じていたから。そしていま、そのテーマに触れた作品を発表したことで、自分の人生を前に進められるような感じがします。
ロクサーヌ:以前と比べれば、私がどういう人間なのかを、周りに理解してもらえるようになったから、自分は生きやすくなったし、より自然な状態でいられるようになったと思う。それが大きな変化だった。
いまでもよくわかっていない人もいるけれど、インターセックスについての個人的なストーリーを共有している人たちもいるし、いまは多くの情報が出回っていて、啓蒙活動も行なわれている(※)。そのおかげで認知度が全般的に高まってきているのを感じます。それはすごくよいことだし、私自身も嬉しく思っています。
門脇:たとえばドイツのある詩人にとって、詩の空間は唯一心安らげる空間だった、という記述を以前読んだことがあります。音楽はそれ以上に空間性が強く、あなたの音楽に強い安らぎを覚えているリスナーは多いと思います。
私はあなたの音楽から美しさに浸ること、安堵感、安心感、安らぎ、でもそれと相反するような残酷さが提示されることを感じました。そのあなたの音楽の時間や空間に浸ることから生まれる安らぎは、意図的に生み出されたものなのでしょうか? あなたも同時にその安らぎを覚えているのでしょうか。
ロクサーヌ:イエスでもありノーでもあります。自分の音楽から、安らぎというものが感じられるのはわかるし、それはある意味、ゆっくりとした音楽だから感じられるのだと思う。
ゆっくりとした音楽には、空間が豊富にあって、存在できる場所のように感じられる。それは自分でもたしかに感じられることですし、ほかの人たちも同じように感じられるんじゃないかな。それはとても素敵なことだと思いますが、それは完全に私の意図するところではないんです。
ロクサーヌ:私にとって音楽を書くこと、特にソロプロジェクトの曲は、自分の人生のなかで、すごく辛かったことを処理するための方法だと思っています。だから安らぎという一面もあるんだけど、カタルシスみたいなものでもあって、さらに言うと、深い悲しみのようなものでもあるんです。
自分で音楽をつくっていると、自分の音楽から聴こえてくる悲しみに圧倒されてしまうこともある。その感情が音楽に表れているんです。自分の表現には悲しみ以外何もないから音楽そのものに疲弊してしまうこともあるんですが、その空間では悲嘆に暮れることしかできないからこそ、休息所のようなものにもなるんです。
私は自分の音楽を、そういうものとしてとらえていますね。個人的には、アンビエントミュージックは、ただリラックスできる、ピースフルなサウンドだとは思っていません。少なくとも私にとっては、カタルシスというか、ヘビーなものを処理することを意味しているんです。
門脇:その安らぎや美しさも含めて、あなたにとって音楽を演奏すること、作品を制作することはどのような意味を持っているのでしょうか。
ロクサーヌ:そうですね……自分ひとりで曲を書いているとき、自分の感情や経験を処理することが一番の原動力になっていて、それが一番のインスピレーションになります。私にとって自分の感情を一番うまく伝える方法は、歌ったり、演奏することだからこそ、感情や経験が表現するためのツールになっている。陳腐に聞こえるかもしれないけれど、そういうものなんです。
だから『Because of a Flower』を出した直後は、とてもヘビーで、個人的な作品群が突然世に放たれてしまったということに、自分で圧倒されていたんです。それで次はまったく違うことをしたいと思ったんですよね。もっとライトで、もっと楽しいことを。
そのような背景があって、DJ Pythonのブライアン・ピニェイロとの出会いがありました。ブライアンなど、ほかの人と一緒に曲を書いていると、もう少し俯瞰したり、ほかのことについて考えたりすることができるから、自分だけのことではなくなるんですよね。
ロクサーヌ:いずれは私の音楽も自分の殻に閉じこもったヘビーなものにならないようにしたいんです。でも、これまでの私はそういう領域に魅了されてきた。そういうところに身を置くのが心地よく感じていたんです。
門脇:DJ PythonとのプロジェクトNatural Wonder Beauty Conceptの『ST』(2023年)は本当に素晴らしい作品でした。既存のグリッドに沿った「型にはまったリズム」からは明らかに逸脱しつつ、そのうえでビートに対する審美眼が鮮やかに提示されていて、そこにニューエイジ以降の電子音響が重なるといいますか。特にセルフタイトルのブレイクビーツの楽曲が素晴らしかったです。Natural Wonder Beauty Conceptはどのような経緯で結成されましたか?
ロクサーヌ:結構ランダムな感じでことが進んだんだけど……私はニューヨークに引っ越したばかりで、特に何も計画していなかったんですね。2020年当時、コロナのせいで何もかもがクレイジーな状況だったなかで私たちは、いろいろなプロジェクトのために一緒に作曲するようになったんです。
ロクサーヌ:たとえば、彼が取り組んでいたプロジェクトに、私がボーカルで参加することになったり、それがきっかけでさらに一緒に作曲するようになったり……ブライアンと一緒に作曲をはじめたときは、純粋に実験的な感じで、思いつくままに、あらゆる音楽をつくっていく感じで、それが楽しかった。
私とブライアンは、似たような音楽に影響を受けてきたということもあったし、反対に、自分がいままでやってきたスタイルとは別の影響を探求できたのもよかった。だから、彼とのプロジェクトは自由度がかなり高かったんです。
そうやって私たちが共作しているということを「Mexican Summer」が聞きつけて、私たちの活動に興味を持ってくれたみたい。スタジオに招いてくれて、アルバムの契約をオファーしてくれたんです。はじまりこそランダムな感じだったけど、結局のところはごく自然な流れでした。
門脇:アナ・ロクサーヌ名義のコンセプトなどとの明確な違い、あるいは共通している点はどこにあるのでしょうか?
ロクサーヌ:重なっている点は、テクスチャーだと思う。ブライアンの音楽は典型的なダンスミュージックとは違う感じがして、たくさんのレイヤーや要素が入っているところが好きなんです。アンビエントな雰囲気もある。
そして、もうひとつの重なっている点として、Natural Wonder Beauty Conceptの曲は抽象的な感じのものもあるけど、ヘビーでエモーショナルな曲も多い。それに扱っているテーマが、失恋や愛などといった、人生の普遍的なテーマに触れています。
ロクサーヌ:だから、この新しいプロジェクトは、比較的ライトなんだけれど、ヘビーでダークな一面も併せ持っている。あとは……とても実験的でダンスミュージックの要素もあるけれど、やっぱり、とても個人的で親密な感じがすると思います。私もブライアンも音楽の親密性というものを大切にしているから。
私のソロとの違いとしては、何よりNatural Wonder Beauty Conceptでは新鮮でおもしろいものをつくりたかったんです。自分たちが聴きたくて、まだ聴いたことのないような音楽をつくりたかったんだと思う。
Natural Wonder Beauty Conceptは基本的に友情関係から生まれたものなんですが、各自のソロプロジェクトには収まりきらないそれぞれのクリエイティビティや音楽的探究心の受け皿でもあったんです。
門脇:Natural Wonder Beauty Conceptでのお互いの役割はどのようなものだったのでしょうか。
ロクサーヌ:このプロジェクトのすごくよかった点は、お互いに特定の役割がなかったことだと思います。彼はリズム関連のことがすごく得意。私は、音楽の理論や構成などの知識が彼よりも豊富だと思う。彼は独学で音楽を学んできたからね。だから2人のあいだには、得意分野が混在していた。
でも決まった役割はなくて、ブライアンがメロディや歌詞、コードを書くこともあれば、私がリズムのアイデアを出すこともあるし、その逆もあった。だから、曲づくりのさまざまな要素に2人とも貢献していたんです。自分たちの潜在能力みたいなものを引き出すためのいいトレーニングになってよかったと思います。
ロクサーヌ:がんばってブライアンが歌っているのを見るは素敵だったし、私は彼自身の声を見つけるのを手伝いました。彼も私がもっと普段から作曲するようにと励ましてくれたから、すごく楽しいプロジェクトでした。
門脇:Natural Wonder Beauty Conceptの作品を聴いてあなたのクラブミュージックへの愛情を窺えました。どのようなアーティスト、作品を愛好されていますか?
ロクサーヌ:正直、クラブにもあまり行かないので、あんまりダンスミュージックを知らないんです。でもメロウなダンスミュージックが好きかな。Natural Wonder Beauty Conceptは1990年代のトリップホップとか、初期のBjorkとか、Portishead、Leilaといった私たちが好きな音楽からインスピレーションを得ています。
編集部:ではあなたの音楽、特にソロ名義の音楽で「リズム」にはどれくらいプライオリティを置いていますか?
ロクサーヌ:プライオリティはあまり高いほうではないと思うけど、自分の音楽には「リズムのようなもの」はあると思う。もしかしたらリズムとして知覚したり、すぐに聴き取ることはできないかもしれないけれど、「タイミング」みたいなものはあると思う。
正確なビートではないけれど、タイミングはある。私はフレーズとフレーズのあいだとか、タイミングを大切にしていますね。私にとってはそういうものがリズムのように感じられるけど、一般的なリズムとか、ビートということで見たらすごく引き伸ばされている状態だと思います。
リズムの要素としてパーカッションを使うことに関していうと、私はあまりパーカッションを使わないんだけど、もっと使ってみたいし、“Camille”では実験として初めてドラムマシーンを使いました。プライオリティとしては高くないけれど、今後はもっとリズムを追求していきたいと思っています。
門脇:ヒンドゥースターニー古典音楽の先生との生活やその音楽という体験、教会音楽を合唱というかたちで演奏していた体験、R&Bのディーヴァに対する愛情など、あなたの音楽的な来歴について記事で読みました。それら3つは具体的にあなたの音楽にどのような影響を与えていますか?
ロクサーヌ:教会の合唱音楽は、音楽とスピリチュアリティに初めて触れるきっかけでした。自分という人間を形成するものになったと思う。
ロクサーヌ:私は敬虔なカトリック信者ではなかったけれど、いつも教会音楽に触れていたし、そこに美しいものをたくさん感じていた。R&Bのディーヴァたちからは、歌で感情を伝えるとはどういうことか、また、ボーカルパフォーマンスの迫力や、反対に脆弱性みたいなものを、幼い頃に教わったと思います。
インドに滞在したことで、自分が知らなかった音楽構成について学ぶことができました。それまで私は、西洋主体の音楽教育を受けてきたからまったく違う音楽の考え方を学んだことで、音楽の見方も大きく変わりました。そのことが、ある意味、橋渡し的な役割をしてくれたというか、インド音楽には、神や、スピリチュアルなものと深いつながりがあるということを学んだんです。
ラブソングにでさえ、スピリチュアルな要素が感じられる。インド音楽は、「beloved(愛するもの、最愛のもの)」について歌っているものが多いから。だから、スピリチュアリティ、音楽の美しさ、ディーヴァ的な力強さの3つはすべて、私のなかでつながりあっているし、自分が情熱や興味を感じるものなんです。
門脇:あなたの作品では「声」が美しく響いていて、その背景は多様かつ複雑で、同時に深く検討されていることも感じられます。ぜひあなたの「声」についての考えを教えてほしいです。
ロクサーヌ:そうね……声というものは、信じられないほど素晴らしい楽器だと思います。実験音楽やエレクトロニックミュージックの世界では、声というものが過小評価されていると思う。声には幅広いニュアンスや繊細さがあるし、感情を伝えるための強力な媒介だと思う。そしてもっとも人間的な楽器だと思います。
人が歌っているとき、その人の身体が楽器の役割をしていますよね。それって、本当に自分を曝け出している状態だと思うんです。そうやって無防備な状態を曝け出して、自分の身を委ねているからこそ迫力が感じられる。私は脆弱であることは、真の強さだと思うんです。
ロクサーヌ:世の中には、インストゥルメンタルの音楽がたくさんあるけれど、それらは結局のところ、自分の身体とは離れたところからつくられているものです。たとえば何か変な音がすれば、「私のせいじゃなくて、楽器のせい」といえる。でも、声に関しては、純粋に「私」であり、私だけの声であり、私特有のサウンド。それって、すごく個人的なことだと思う。
私たちは、声をたやすく認識することができます。さまざまな要素やレイヤーが入っている音楽でも、そこに声がわずかでも入っていたら、私たちはちゃんと聴き取ることができるし、感じることができる。だから声は、すごく興味深い楽器だと思う。だから私は声を使うのが大好きなんです。
昔からボーカルが入っている音楽が大好きで、音楽を聴いているときはいつもボーカリストを研究しています。アリアナ・グランデもそう。彼女の音楽を聴いているときは、ボーカルの研究をしています。
ロクサーヌ:もちろん音楽としても好きなんだけど、彼女がどんなことをやっているのかとか、ほかのボーカリストがどんなことをやっているのかなどを分析している。そうすることによって、自分が何をやりたいのかが見えてくるんです。
編集部:スピリチュアリティ、非西洋的な音楽の考え方、そして声の表現が深くつながりあうあなたの音楽表現について、「響き」という観点から話してもらうことはできますでしょうか。
ロクサーヌ:自分にとって最高な思い出のひとつに、大学時代に聖歌隊で教会のツアーをした経験があるんです。近所の教会を訪れて、地元の人たちの前で歌を披露するというもの。
そういう古い教会で歌を歌ったということは、自分という人間を形成する体験になったし、そこで感じた「響き」を、リバーブやディレイを使って自分の音楽で再現したいと思っているんです。美しい大聖堂の、洞窟のような空間での響きですよね。
ロクサーヌ:なんて説明したらいいのかな……私はあんまり教会には行かないんだけど、最近ではもっと教会で時間を過ごすようにしているんです。
教会って、音楽を体験するには本当に美しい場所だと思うし、自分の人生について考え、熟考することもできる。自分の状況を振り返って、感謝の気持ちを見出し、物事に対して理解を深められる場所でもあるから。
編集部:たとえば“In a Small Valley”における会話の声、波の音といった環境音の導入、波音は同じく“It's a Rainy Day On The Cosmic Shore”などでも聴けます。おそらく後者の曲の波音はシンセサイザーで再現されたものですよね。こういったあなたの楽曲からは、日常生活や自然と音楽の距離をより近い視点でとらえようとする意図が感じられるのですが、このようなアプローチをとった理由について教えてください。
ロクサーヌ:私は、シンプルなものに美しさを感じるんです。日常にあるシンプルなものに。でも、毎日の生活のなかで、私たちはそういうものを見落としてしまっていることが多い。私は、自分自身の世界にのめり込んでいることが多いんだけど、通常では見過ごされがちな、些細なことや、繊細なことに焦点を当てるのが好きなんです。そこに美しさを感じられるから。
日常生活でもシンプルなことに強く心を打たれるときが多い。だからその感覚を音楽に取り入れたいと思って、歌詞を書くときも、最小限の、具体的なフィーリングに焦点を当てるようにしています。シンプルなものであればあるほど、より普遍的に感じられると思う。より共感しやすいというか。
こういったアプローチをとる理由を説明するなら……私は音楽を通じて日常のなかに美しさやシンプルさを、無意味なもののなかに意味を見出そうとしているんじゃないかな。