実は住む人が増えている「東日本橋」エリア
中央区の「日本橋」エリアといえば、思いつくのはきらびやかなデパートなど商業施設だ。しかし、そこから徒歩圏内の人形町や東日本橋は、大型商業施設も少なく、比較的落ち着いた雰囲気がある。近年、低層マンションが増加し、2020年3月時点で3万942世帯、5万1662人だった人口は、2024年3月時点には3万3526世帯、5万4878人となっている。わずか4年で3200人以上も増えているのだが、このほとんどはマンション住人だろう。
先祖代々、人形町に暮らす男性は話す。
「新住民は漏れなく富裕層です。このエリアのマンションは湾岸のタワマンと同等か、それ以上の価格が当たり前です。そんな人たちが増えた結果、オシャレなパン屋やスイーツショップも目立つようになりました」
富裕層が移り住んでくる理由のひとつには「子供の教育」があるという。
「新住民が、このエリアに求めるのは教育です。久松小学校や日本橋小学校は都内では”名門”とされていますし、中学受験のための塾も数多く立地しています。とりわけSAPIX人形町校は講師の水準が高いそうで、そこに子供を通わせるために引っ越してきたという人もいます」
このエリアはもともとは、都内でも下町に属するエリアだ。しかし、現在の風景はよくイメージされる下町とは、ほど遠い。建物の多くはビルになっており一戸建てはほとんどみられない。オフィスビルやマンション。店舗を兼ねた雑居ビルなどが混在するエリアだ。それでいて、人口はそこそこいる。一時は人口減が見られたものの、再開発でマンションが増えたことで増加に転じた。取材で訪ねた平日の午後、地区の公園にはママ友が集い、遊ぶ子どもたちを見守りながら井戸端会議をしていた。
もっとも、ここは都内の一等地。マンションを購入できる層は一部の限られた人たちだけだ。それでいて、このエリアは「いまいち買い物が不便」という状況が長らく続いていた。交通の便はよく、エッジの効いた商店や飲食店もあるのだが、スーパーはいずれも小規模で、食材にバリエーションがなくなる。地元民に話を聞くと
「普段の買い物は不便すぎて、ネットスーパーの利用が当たり前だった」
ともいう。
オーケーの出店は、そんな生活を激変させる可能性がある。
そもそもオーケーは、かつて大田区エリアに本社があった激安スーパーである。筆者は以前、著書『これでいいのか大田区』を執筆するにあたり、しばらく大田区に住んでいたことがあった。当時、頻繁に買い物に利用していたオーケーの本社は京急線雑色駅近くのオーケーサガン店にあったことを覚えている(2016年に横浜市へ移転)。
実際に行ってみてびっくりの盛況っぷり
というわけで、3月21日、開店3日めの「オーケー日本橋久松町店」を訪れてみた。
事前に、地元の人からも少しばかり話を聞いていたが、みんな口にするのは
「広い、品揃えがいい、安い」
の3つ。
オーケーなんだから当然だろうとは思うが、これまでになかったタイプのスーパーが登場したことのインパクトは大きいようだ。
店舗のある日本橋久松町は、中小のオフィスビルやマンションが建ち並ぶエリアだ。町域の南側は公民館や警察署、小学校や幼稚園がまとまっている。訪れたのは、ちょうど幼稚園がお迎えの時間。かつては川だった細長い公園・久松児童遊園には大勢のママ友が集まり、井戸端会議に花を咲かせている。「この人たちの何割かは年収ウン千万世帯なのだろう……」などと横目で見ながら、目的地へ向かう。店舗が入居するのは、マンション「ビエラコート日本橋久松町」の1、2階部分だ。このマンションは11階建て1~2LDK主体の高級賃貸で、不動産サイトによれば月額家賃は14~22万円となかなかの物件である。
そんなマンションに入居しているオーケー、間口は決して広くないものの物件の醸し出すオーラなのか、いささか高級感を感じなくもない。そんな店には、ひっきりなしに買い物客が入っていて道を歩く人の数よりも多かった。
さて、間口の狭さに反して、売り場面積は約22坪(720平方メートル)で、これまでにエリアにはなかった「広い」店舗である。店舗は1、2階に分かれており、1階に惣菜や冷凍食品、飲料など、2階に肉魚野菜などの生鮮食品という、少し変わった配置になっている。おそらくは、周辺のオフィスワーカーの利用を念頭に置いた配置だと思われる。
そんな店でやっぱり目を見張るのは、オーケーならではの安さだ。
いくつか目に付いたものを記してみよう。まず卵は1パック165円(税抜き・以下同)だった。中央区ではどこでも1パック200円を切るものをみたことはない。飲み物も安い。例えばコーラのペットボトルは68円で販売されている(わたしの記憶の中での中央区最安は79円だ)。ちなみに、最安値のお茶のペットボトルは51円(税込)である。さらに納豆はよく見かけるタカノフーズの「おかめ納豆極小粒」が65円。子供たちが集っていたアイスクリーム棚を見ると、ハーゲンダッツの定番ミニカップは228円(希望小売価格は税込み351円)だった。
近所に激安スーパーがある人なら、「なにを今さら」と思う価格帯かもしれない。しかし、この場所が「お江戸の中心・日本橋」エリアだということを忘れてはならない。しかも、徒歩圏内の競合スーパーは小規模店がほとんど。正直なところ、これは中央区全体を揺るがす価格破壊だ。あたかも、個人商店しかなかった地方の田舎町にイオンモールができたレベルの衝撃である。
また、セレブが多い地域だと思っていたら、安くて美味しい惣菜もよく売れていた。オーケーで人気の「焼きたてピザ」は一つ残らず売り切れていた……(買おうと思っていたのだが、次に焼き上がるのは2時間後だったので諦めた)。客層も、主婦や老人、子供と様々だ。とにかく、地域を挙げてこの新しい店に興味津々という具合だ。
いったいどれだけ話題なのかと、近くの住民に話を聞いてみると……。
「もう住民の間では“オーケー行った?”が話題になっています。あっちこっちで、オーケーのレジ袋を持った人が歩いていますし」
「小学生の子供もオーケーの話題で持ちきりだそうです。“PayPayが使えないのでお金を持っていかなきゃ”(註:クレジットカードは使用可)とか盛り上がってますよ」
東京のど真ん中だが、住民の喜びぶりはもはや地方。というか、県庁所在地から車で1.5時間ぐらい離れたところに住んでいる人たちの「うちの近所にイオンができた!」に似ている。
この光景から見えてくるものはなんだろうか。このあたりのマンションは見た目は平凡でも1億円近い価格だ。つまり、住んでいるのはほとんどが「お金持ち」のはず。そんなエリアでも「激安スーパーが大賑わい」というのは、日本経済の停滞と将来への不安が色濃く反映されている気がしてならない。
実は進出じゃなくて、原点回帰?
ここまで、日本橋エリアに突如現れたオーケーのインパクトについて記してきたわけだが、最後にこれを書いておかなくてはならない。このオーケーの出店は「進出」ではなく実は「原点回帰」でもあるのだ。
というのも、実はオーケーの創業者である飯田勧氏は、日本橋馬喰町で酒卸売業を営む岡永商店(明治創業で現在は株式会社岡永となっている)の3男。この飯田勧氏が、アメリカに視察旅行に出た際に勢力を拡大していたスーパーマーケットに、発展の可能性を見て1958年に岡永商店の小売り部門として板橋区内にオープンしたのが、オーケーの原点なのである。ちなみに、長兄の飯田博氏は岡永会長兼日本名門酒会最高顧問、次兄の飯田保氏は居酒屋チェーンの天狗などを運営するテンアライドの創業者、末弟の飯田亮氏は警備サービスのセコム創業者と、そうそうたる面々だ。すごい。
つまり、オーケー日本橋久松町店の出店は、富裕層が多く住むエリアへの新規出店というだけでなく、創業者ゆかりの地への”凱旋”とも言えるのだ。新たな出店にこの場所が選ばれた理由には、単なるビジネス上の決断以上の想いが込められているのかもしれない。