2023年12月25日に創立15周年を迎えたコミックナタリー。この15年間、Webメディアのあり方やマンガを取り巻く環境も大きく変わってきた。その中でマンガやアニメの情報を専門とするWebメディア・コミックナタリーはどのように変化したのだろうか?
【大きな画像をもっと見る】本記事では、コミックナタリーの15年間の変化を振り返るべく、創設当初から在籍している現編集長と編集部員へのインタビューを行った。インタビュアーは入社2年目の比較的若造なコミナタ編集部員。創設当時の思い出やこの15年間で印象に残っている出来事、これからのコミックナタリーに必要なことなどについて語ってもらった。インタビュー後半では2人の人生ベストマンガ3選についても聞いている。
取材・文 / 大湊京香
■ 登場人物
□ 坂本恵(サカモトメグミ)
コミックナタリー現編集長。関西のカルチャー雑誌・Lmagazine(京阪神エルマガジン社)の編集部を経て、2009年にナターシャに入社、コミックナタリー編集部に所属。2015年に2代目のコミックナタリー編集長に就任。
□ 淵上龍一(フチガミリュウイチ)
コミックナタリー編集部員。現在コミックナタリーに在籍している編集部員の中で最も古くから在籍しており、2008年にコミックナタリーの立ち上げに携わった。
■ マンガ専門媒体の存続は無理、そう言われ15年が経った
──淵上さんはコミックナタリーの創設当時から在籍していたとのことですが、どういった経緯で立ち上げに携わったのでしょうか。
淵上 当時のコミックナタリー編集長(唐木元)からmixiで「うちで働かないか?」といったメッセージが届いたことがきっかけです。コミックナタリー立ち上げの際にマンガに詳しいライターを探していたみたいで、もともと友達だった今の音楽ナタリー編集長が唐木さんに僕のことを紹介してくれたんですよね。
──2008年当時のSNSはmixiが主流でしたが、それで採用の連絡を取るというのはなかなかないですね。
淵上 そのときはナタリーって「ミュージックマシーン」(※)の人がやってるサイトでしょ?くらいの認識で。仕事になるのかなあみたいな不安もありなあなあに返事をしたんですけど、その後とある場所で唐木さんと会う機会がありまして。再び勧誘を受けたので一旦話だけは聞いてみようと会社へ向かったら、面接うんぬんではなく、もう僕が参加する前提で作業が進められていたんです(笑)。思い返すと、初対面のときの印象が重要だったのかもしれませんね。僕はその日、ユニクロと「うる星やつら」のコラボTシャツを着ていて、それに唐木さんが反応していたのをよく覚えています。「ユニクロからマンガのTシャツが出る」という情報をキャッチできている、つまりコミックナタリーの記者が行う仕事を自然体でやれていると判断されたんじゃないかと。お気に入りのマンガTシャツで気になるあの子に自己アピールみたいな(笑)。
(※)ナタリーの創設者の1人・大山卓也が個人で作った音楽ニュースサイト。
──立ち上げ当初は何人くらいで運用していたのでしょうか?
淵上 僕含めて4人くらいでした。それが今じゃ10人以上になって、成長を感じますね……。
──当時は音楽ナタリーも立ち上がって1年程度。ナタリー自体の知名度も低く、コミックナタリーも出版社やアニメ会社からの認知がゼロの状態からスタートしたと思いますが、どのように関係を築いていったのでしょうか。
淵上 最初はコミックナタリー立ち上げのご挨拶として地道に各出版社に挨拶回りをしていました。その中で当時「マンガを専門としたWeb媒体の存続は無理」と言われたこともありました。というのも、今ではWeb媒体向けの宣伝や広報の部署がある会社も多いですが、当時はそうした窓口もほぼなかったので、記事に使いたい素材があっても、都度問い合わせて対応してもらうなんて現実的じゃないと。紙媒体が中心の世界に突然インターネットの概念を持ったやつが転生してきて「普通に毎日更新したいだけだが?」って言い出すわけですよ。ものすごい面倒くさいことをお願いしていたと思います。
坂本 よく付き合ってくれましたよね、本当に。
淵上 そもそも出版社もマンガ専門のWeb媒体と仕事をしたことがないから、Web記事を作成するにあたりどのように進行していくのかわからなかったと思うんです。それをお互いが探り探り、話し合ってここまで来たような感じがします。
──そういった地道な働きかけが積み重なって今のコミックナタリーがあるんですね。
坂本 そうですね。企業からのプレスリリースもたくさん配信されるようになりましたが、コミックナタリー部員がマンガ雑誌を見て、新情報が掲載されていたら出版社に問い合わせるっていう基本的な流れは今も変わっていないと思います。
淵上 ナタリーのニュースはすべて社内の編集記者が書いているので、立ち上げ当時は雑誌の発売日、日付が変わったらすぐに書店に買いに行って、次回予告やカラーページなどを確認してましたよね。今は何かしら新たな情報が発表されたらすぐに公式サイトに反映されるじゃないですか。でも当時はそんなに充実してなかった。
──今では電子版も普及しているので、だいぶ楽になったんではないでしょうか。
淵上 めちゃめちゃ楽になった。でも例えば、単行本の帯情報は電子版だと気づくことができないので、今でも書店に行ってネタを拾うことは続けています。帯で解禁される情報も少なくないので。
坂本 そう思うとこの15年間で情報の出し方がだいぶ変わってきましたよね。
淵上 そうですね。今でこそ新たな情報は解禁時間が設定されていたりしますけど、当時はまだ出版社もそういった対応はしていなかったですし。だから書店に足を運んで、より早く情報を得るということが必要だったんですよね。
──コミックナタリー立ち上げ当初で印象に残っているエピソードはありますか?
淵上 僕はまだオフィスが下北沢にあったときの採用面接をめちゃくちゃに覚えていますね……(※)。面接に来た人が待ち時間で緊張しないよう、なにか気が紛れるような音楽でもロビーに流そうってなって、アニメ「ドラえもん」でおなじみの「スネ夫が自慢話をするときに流れている曲」をエンドレスでかけていた。下北時代のオフィスは、社長の趣味で壁紙も藤子・F・不二雄のマンガの絵柄になっていたんですよ。就職面接っていう将来を懸けた大事な場面で「ドラえもん」の絵に囲まれながらあの音楽を聞かされるっていう、面接者は気が気じゃなかったでしょうね。
(※)現在、ナタリーは原宿にオフィスを構えている。
──非常にユニークですね……。坂本さんもその採用面接を受けていたんでしょうか。
坂本 私はコミックナタリーが立ち上がって半年くらい経った2009年7月末に面接を受けて入社しました。スネ夫の音楽はそのときはまだ流れていなかったです(笑)。当時、ナタリーのサイト上に採用募集のバナーがあったのですが、そこに“水飲み放題”って書かれていて。福利厚生としてウォーターサーバーが社内に置いてあるとかそういうことなのかなと思って面接に向かったら、面接部屋のテーブルに2Lのペットボトルの水がドンと置いてあって、しかもその水を「水飲み放題だからね!」と紙コップに注ぎ始めて差し出されたので「この会社なんなんだろう」と思って混乱しました。
淵上 「いいこと考えた」みたいな感じでやってたんですよ。悪気なく。
■ この15年で、1日に出す記事の数が10倍に
──コミックナタリーの15年間を振り返って、ターニングポイントはどこだと思いますか?
坂本 2017年12月にアニメの情報も紹介しはじめたのは、大きい転機だったと思います。それまでもマンガを原作としたアニメは扱っていましたが、それ以外のアニメも取り上げるためにアニメ専門の記者を雇用して。そういった影響もあって、私も今までより積極的にアニメを観るようになりましたね。
淵上 僕はもともとアニメもけっこう好きなんだけど、だからこそマンガとアニメを一緒に扱うことの難しさみたいなのを当初は気にしていましたね。アニメの面白がりかたってマンガと近いようでぜんぜん違う。だからアニメの記事って、マンガの記事を書くみたいには書けないんじゃないかという緊張感はありました。2017年を機にアニメの記事を書くことが増えて、7年かかってようやくアニメ業界のことも少しわかるようになったって感じですね。
──いろいろと変遷を辿ってきたコミックナタリーですが、この15年間で一番変わったことはなんだと思いますか?
坂本 特集やインタビュー記事の写真のクオリティが抜群に上がったかなと思います。当初はプロのカメラマンにあまり頼まず、編集記者の手で撮ることも多かったんです。岡田将生さんだったり、小野大輔さんだったりも撮影していて、恐れ多かった記憶。部員からもっと写真のクオリティをあげたいという声が上がり、部内の意識も上がっていった結果だと思います。
淵上 僕的には1日に出るニュース記事の本数と届くプレスリリースの量が格段に変わったと思ってて。15年前は1日に記事を10本ちょっと出せればいいほうだったんですよ。今では日によっては100本出るときもあるし、それだけ出してもまだ記事化しきれない情報量で、これってすごい進化だなと。
──私も入社当初は送られてくる情報の量に非常に驚きました。
淵上 こういった情報の流れができたのは、多少なりともコミックナタリーの存在があったからなんじゃないかと思っています。弊媒体みたいなマンガ専門のメディアがニュース記事を出してくれるなら、ちゃんとプレスリリースをまこうかってところも増えたと思うんですよね。僕らがニュースを出せる量が増えたのは、情報提供する側の人にもその意識ができたから。それによって今のマンガ業界が少しでも盛り上がってるように見えているのなら、15年間、この仕事をやってきた意味があるんじゃないでしょうか。
■ コミックナタリーは“マンガ読みの一里塚”でありたい
──コミックナタリーの編集記者として大事なことはなんだと思いますか。
淵上 やっぱりマンガやアニメが好きなことじゃないかな。プラス、編集者としては“なんでも面白がれる才能”が大事だと思ってて。自分が面白いって思ったら、やっぱり人に伝えたい。あれが面白かったよ、ここが面白いんだよって言いたくなる。面白がれたら、それがどう面白かったかのかを編集して伝える。コミックナタリーが取り上げるニュースのネタを僕らが作ることはできなくて、すでに世の中にある作品ありきの仕事だから、その中にある面白い要素を僕らが面白がって記事にするんですよね。
坂本 自分が面白がれていないとなかなかいい記事を書くことは難しいですもんね。
淵上 1つのマンガの中にもいろんな面白いポイントがある。作品が世に出てるってことは、その作品の編集者が面白いと思ってるとか、何かしらの称賛があって出されているものだし。その面白いポイントを僕らがそれぞれで面白がって、共有していく。そうすることで、みんながその面白がり方に気付いていくんだと思っています。この仕事を始めた当初、唐木さんからインタビューのコツとして言われたことがあって。それは「相手にちゃんと興味持つこと」。どうしても自分の趣味とは違うマンガについて話を聞かなきゃいけないこともある。それで「面白くないな」って思いながら話を聞いても、当たり前だけど面白くない。とにかく興味を持ち、自分がまず相手の話を面白がることが大事だと教えられました。
坂本 そう考えると仕事がきっかけでハマったものってたくさんありますね。取材をしたことで作品にハマって、そこから自分で知識を深掘っていって……。そういった好きなものについて、自分が書きたくて書いていたら結果としてそれを好きな人がコミックナタリーの読者になってくれた、みたいなこともありました。
──今後コミックナタリーはどのようなメディアでありたいですか。
坂本 最初はマンガ専門媒体だったけれども時代の変化に合わせてアニメや2.5次元舞台まで幅広く取り扱ってきたので、今後もニーズがあれば柔軟に変わっていけたらと思っています。もちろん真摯にマンガに向き合うところは変わりませんが。
淵上 会社としてはこの15年間で人数も増え、規模も大きくなって成長しましたけど、15年前の自由な感じは変わらずにやっていきたいですね。やりたいと思ったことはどんどんやっていけると思う環境ではあると思うので。
──根底のポリシーは変わらず、時代に合わせて柔軟に対応できるメディアでありたいと。
淵上 そうですね。あと坂本さんさ、「マンガ読みの一里塚」っていうコミックナタリーのキャッチコピー覚えてる?
坂本 ありましたね! 私が入社する前にできたものだと思うんですけど、あれ、なんだったんですか?(笑)
淵上 ちゃんとした意味はいまだにわからないんだけど(笑)、要するにコミックナタリーがマンガを読む人の第1歩を助けるみたいな意味だったと思うんですよ。一里塚って、旅をするときの目印として一里ごとに作られた塚のことで、旅の目的地だったり、休憩所だったり、そこに居合わせた人同士が出会う場所だったりとかして。それのマンガ版って思うとすごくいい言葉だと思うんです。だから、これからもマンガを楽しく読む、アニメを楽しく観る人生を送る中で助けになる場所というか、ここに来ればとりあえず大丈夫みたいな目印になったらいいですよね。もはや失われたキャッチコピーですけど(笑)、マンガやアニメを楽しむ人たちが「コミックナタリーがあってよかったな」って思ってくれるサイトになれたらなと思います。
坂本 マンガ・アニメについて調べるときに最初に訪れてくれるようなサイトを目指していきましょう!
■ そんなコミナタ部員の人生ベストマンガ3選は?
──そんなコミックナタリーを支えてきたおふたりの人物像に迫りたいと思います。コミックナタリーに所属しているというところで、人生ベストマンガ3選を教えてください。
坂本 やっぱり一番好きなのは海野つなみ作品かな。私が中学生くらいのときに、講談社からなかよしのお姉さん雑誌という位置づけでAmie(アミ)という雑誌が刊行されていて愛読していたんですけど、そこに掲載されていた「Telescope Diaries(テレスコープダイアリーズ)」でハマりました。大学生が謎の姉弟と同居する、ちょっとミステリーも入ったお話なんですけど、描かれている生活が今で言う“丁寧な暮らし”という感じで憧れましたね。30代の女性が主人公の「デイジー・ラック」も好きなんですけど、中学生で読んだときは「30代になったらこういう大人になるんだ……」と思って読んでました。
淵上 そういう大人になれました?
坂本 な、なれたと思いたい(笑)。自分の原点になった作品という意味では、小学生のときになかよしの妹雑誌・るんるん(講談社)で連載されていた小坂理絵先生の「セキホクジャーナル」。高校の新聞部の話なんですけど、これがきっかけで幼いながらにマスコミ業界に憧れたんだなと思います。あとはただひたすらに望月花梨先生の作品が大好きです。少女マンガばっかりになってしまった。
──淵上さんのベストマンガ3選はどうでしょう。
淵上 まず挙げたいのは坂田靖子先生の作品ですかね。日常に隣接してちょっと不思議なことが起こる話がすごい好きなんですけど、そのきっかけがたぶん坂田先生の作品なんですよね。「バジル氏の優雅な生活」みたいな現実が舞台でミステリー調の作品もいいけど、「星食い」みたいなSFとかおとぎ話的な話は原風景になっている。いま好んで読んでいるマンガも、そういった要素を含んだものが多い気がしますね。
──かなり影響を受けた作家さんなんですね。
淵上 あと那州雪絵先生の「ここはグリーン・ウッド」。自分の世代の作品ではないんですが、親や姉がマンガ好きなこともあって家に少女マンガもたくさんあったので、その影響で読んでいました。グリーン・ウッドと呼ばれている曲者揃いの男子寮が舞台で、そこに入った高校生の男の子が寮の先輩たちにからかわれながら、だんだんその寮になじんでいき、楽しい高校生活を送る話なんですけど……小学生のときに読んだので、高校生になるとそういう楽しいことが待っている!と憧れてたんですよね。まったくそんな高校生にはならなかったんですけど、ナタリーに入ったことである意味、似たような体験できたのかなと(笑)。
──というと……?
淵上 癖の強い人たちに囲まれて、初めての仕事を覚えながら毎日夢中で過ごすっていうのが、さっき言った憧れに近い感じがしていて。失われた青春を取り戻す、みたいな。
──なるほど。
淵上 あと似たようなところで言うとゆうきまさみ先生の「究極超人あ~る」。光画部という写真部みたいな部活が舞台で、その光画部にアンドロイドの生徒が入ってきたことから始まるさわがしい高校生活の話ですね。「グリーン・ウッド」と同じくらい好きなんですけど、現実に憧れたという意味で「グリーン・ウッド」のほうを挙げました。3つ目はちょっと悩んだんだけど、吉野朔実さんの「瞳子」かな。
坂本 いいマンガばっかりですね。
淵上 「瞳子」は就職もせずぶらぶらしている女の子・瞳子を主人公にした話で、ささいなことでお母さんに反発したり、かと思えばそんな自分が一番愚かであることも理解していたり、益体もない人間の心の機微にすごく感じ入るところがある。特に「好きなものが同じより、嫌いなものが同じ方がいい気がする」ってセリフは印象的で。吉野さんの作品はどれも好きで「瞳子」が一番かはわからないんですが、「好きなものが同じより、嫌いなものが同じ方がいい気がする」のことを折に触れて思い出すから、大事なマンガなんじゃないだろうかと思って選びました。
──ちなみに今日はもう1冊持ってきているみたいですよね……?
淵上 もう1つ迷った作品があったので持ってきちゃいました。小田扉先生の短編集「こさめちゃん」に収録されている「話田家」ですね。お母さんが死んじゃったところから始まる話なんですよ。で、弟がお兄ちゃんに「お母さんが死んでもあんまり悲しそうじゃないよね」って言うんですよね。そしたらお兄ちゃんは「あまり悲しみすぎても良くないし、何事もなかったようにしても母さんに悪い。だから適度に悲しもう。5、6時間に1度悲しむんだ」って。これがすごいわかるというか。人が死んじゃったときとか不幸なことがあったときに、悲しみすぎても悲しまなさすぎても嘘くさくなってしまうというか。そういう普段言葉にできないモヤモヤとしたことをすごい描いてくれている、すごい作品なんです。
坂本 マンガ紹介が止まらない止まらない。さすが、1年間、
「今日は何の日?」コラムを続けただけありますね。
淵上 記念日に合わせてマンガを紹介するって企画で、難しかったけどやってて楽しかったですね。興味ない記念日をマンガにこじつけて面白がる……僕の話した「コミックナタリーの仕事に大事なこと」フル稼働(笑)。