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『ビニールハウス』主演キム・ソヒョン×イ・ソルヒ監督。「この映画には現在を生きる私たちの姿がある」

2024年03月15日 12:10  CINRA.NET

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Text by 後藤美波
Text by 稲垣貴俊

『パラサイト 半地下の家族』(2019年)をはじめ、優れたエンターテイメント性とシリアスな社会性を巧みに両立させる作品群が注目される韓国映画界から、ふたたび新たな野心作が届けられた。

映画『ビニールハウス』は、ソウル郊外のビニールハウスに暮らしている家政婦兼訪問介護士のムンジョンが、勤め先で認知症の老女を世話していたところ、思わぬ悲劇に見舞われる物語。老女の夫が盲目であることから、ムンジョンは事態の隠蔽を試みるが、彼女の運命は坂道を転がり落ちるように取り返しのつかない方向へと向かってゆく……。

予測不能のサスペンススリラーであり、同時に経済格差や介護といった現代の問題にも踏み込んだ本作は、『第27回釜山国際映画祭』で3冠を獲得。また、韓国では劇場公開後1週間で観客動員数1万人を突破した。

監督・脚本・編集は、本作が長編映画デビューとなった1994年生まれの新鋭イ・ソルヒ。自らの家族関係からインスパイアされ、衝撃の展開が連続する独創的な物語を描ききった。主人公のムンジョン役は、ドラマ『SKY キャッスル~上流階級の妻たち~』(2018~2019年)の入試コーディネーター役で知られるキム・ソヒョンが演じ、『第59回大鐘賞』の主演女優賞ほか、国内映画賞6冠に輝いている。

「言葉がなくともお互いにわかりあえた」――想像を絶するハードな状況を描いた一作ながら、ふたりは幸福なコラボレーションを実現できたという。創作や演技に対する取り組み方や、キャリアを超えた共同作業の裏側、そして社会に対するまなざしについてじっくりと聞いた。

―監督はご自身のおばあさんとお母さんの関係から本作のアイデアを着想されたそうですね。映画のなかでは、主人公ムンジョンの母親も登場しますが、ご自身の体験からどのように今回の脚本を完成させたのでしょうか?

イ・ソルヒ:最初は、祖母が認知症になり、母が介護をしている様子に興味を持ちました。もともと母はボランティアで人助けをしていたのですが、認知症になった自分の母親を介護することにはとても苦労していた――そんな母娘関係が、この映画の出発点になりました。

もっとも完成した映画は、親子関係ではなく、主人公のムンジョンと、彼女が訪問介護をしている女性の夫テガンの物語だと言えるように思います。当初は母娘の物語にしようと考えていましたが、親子や兄弟、家族を中心に描こうとすると、この映画のようなジャンルに仕上げるのは難しかった。そこで、ムンジョンと他人の物語を大枠としながら、そのなかに母娘の関係を盛り込むことにしました。

イ・ソルヒ
1994年生まれ。成均館大学校で視覚芸術を学んだ後、『パラサイト 半地下の家族』(2019)のポン・ジュノ監督や『スキャンダル』(2003)のイ・ジェヨン監督らを輩出した名門映画学校、韓国映画アカデミー(KAFA)で映画監督コースを専攻。初の短編映画『The End of That Summer』(2017)は『第18回大韓民国青少年映画祭』、『第14回堤川国際音楽映画祭』にて上映された。2021年には『Look-alike』(2020)が『第22回大邱インディペンデント短編映画祭』のコンペティション部門に、『Anthill』(2020)が『第26回釜山国際映画祭』のWide Angle部門にノミネートされ注目される。初の長編映画『ビニールハウス』(2022)は、『第27回釜山国際映画祭』でCGV賞、WATCHA賞、オーロラメディア賞を受賞し、新人監督としては異例の 3冠を達成。さらに『第44 回青龍映画賞』、『第59回大鐘賞映画祭』で新人監督賞にノミネートされた。

―キム・ソヒョンさんは脚本に魅了されて出演を決断されたそうですが、第一印象はいかがでしたか。

キム・ソヒョン:俳優にとってはシナリオが何よりも⼤事です。俳優になって30年、これまで作品の規模にはこだわらず仕事を続けてきました。不思議なことに、私は自分自身や過去の経験が物語に溶け込んでいるような作品に出会うことが多く、この『ビニールハウス』の脚本を読んだときも「これは私の物語だ」と思いました。それくらい、ムンジョンと過去の⾃分が重なるところがあった。悲しい物語ではありますが、ムンジョンに希望や夢を伝えたい、私が彼女を抱きしめて癒やしてあげたいと感じたんです。

そうした個人的な思いを横においても、この映画には現在を生きている私たちの姿があります。不条理があふれる社会のなかで、決して経験する必要のないことが描かれている。本来ならば個人ではなく、国が責任を持って解決すべき、公的制度によってケアすべきことがたくさんあるわけですが、それが実現しないのであれば、自分自身が地に足をつけ、懸命に人生に何かを見出しながら前に進むしかありません。とても苦しいことですが、それでも「なんとか自分をケアしながら前進しよう」と伝えたい気持ちもありました。

キム・ソヒョン
1973年10月28日、韓国、江原道江陵市生まれ。1994年、KBS公開採用タレントとしてデビュー。ドラマ『妻の誘惑』(2008-09)、『ラスト・チャンス!~愛と勝利のアッセンブリー~』(2015)などを経て、『SKY キャッスル~上流階級の妻たち~』(2018-19)の入試コーディネーター役で大ブレイク。同作では2019年の『第55回百想芸術大賞』のTV部門で女性最優秀演技賞にノミネートされた。その他の出演作に『悪女/AKUJO』(2017/チョン・ビョンギル監督)、ドラマでは『誰も知らない』(2020)、『Mine』(2021)など。さらに角田光代原作で、宮沢りえ主演の同名映画のドラマ版リメイク『紙の月』(2023)の主役を演じる。本作『ビニールハウス』では、『第59回大鐘賞』、『第32回釜日映画賞』、『第43回韓国映画評論家協会賞』、『第43回黄金撮影賞』で主演女優賞を受賞し、韓国主演女優賞4冠に加え、『第13回美しい芸術家賞』独立映画芸術家賞、『第31回大韓民国文化芸能大賞』最優秀賞受賞の、計6冠の快挙を成し遂げた。

―ムンジョンは貧しく、入院している母の世話もしながら、唯一の希望である息子と離れて暮らし、さらに悲劇的な展開に巻き込まれていきます。非常に苦しい状況を生きている女性ですが、どのような点にご自身と重なる部分を見出したのでしょうか。ムンジョンを演じるというのは、ご自身にとってどんな経験でしたか?

キム・ソヒョン:私は過去、ビニールハウスではないですが、半地下やオクタッパン(※)で暮らしていたことがあります。しかし、生活環境にかかわらず――どんなに裕福な暮らしをしていても――その先の希望や夢を抱けないのなら、それは死んでいるのも同じだとも思うんです。幸いにも私の場合は、そのような暮らしのなかでも夢や希望があったからこそ前に進むことができました。

だからこそムンジョンという役には、私自身の経験や思いがたくさん溶け込んでいるように思います。過去の自分に出会えたように感じましたし、この役柄を演じるためには現在と未来の私自身にも向き合わなければいけなかった。私個人としても、また俳優としても、過去・現在・未来のキム・ソヒョンに出会えたような体験でした。

『ビニールハウス』場面カット © 2022 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED

―監督はソヒョンさんをキャスティングしたとき、いまおっしゃったような個人的背景が重なることを予想していたのでしょうか?

イ・ソルヒ:『ビニールハウス』は予算の少ないインディペンデント映画なので、そもそも当初はキム・ソヒョンさんに出ていただけると思っていませんでした。また、カリスマ性のある、都市的なイメージの役者さんだと思っていたので、ムンジョンに重なる部分があると聞いたときは驚きましたね。

もちろん貧しい生活や悲しい経験をしたからといって、そうした感情をすべて知っているとは限らないわけですが、ソヒョンさんはムンジョンの背景や、言葉にできないほど細やかな感情をことごとく演じきってくださいました。目の前でムンジョンをつくりあげてくださるのを見ながら、監督としては「こうしたい」「ああしたい」という新しいイメージがどんどん湧いてきましたね。

『ビニールハウス』場面カット © 2022 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED

―ソヒョンさんも「現在を生きている私たちの姿が描かれている」とおっしゃいましたが、本作には経済格差や介護、性暴力といった現代の問題が織り込まれています。脚本を書きはじめる時点で、本作ではそうした問題に切り込みたいと考えていましたか?

イ・ソルヒ:この映画は私にとって初めての長編であり、インディペンデント映画なので、自分がやりたいことをたくさんできる機会でした。しかし、当初から社会問題を描きたい、鋭く批判したいという意図はなかったんです。最終的には憂鬱で残酷な、惨憺たる物語になりましたが、それは当時の私自身が反映された結果だと思います。

実際、観客の方々から「憂鬱な映画ですね」と言われることも多いんです。ただでさえ人生はつらいことや大変なことばかりだから、映画を観る2時間くらいは気分を楽にしたい、幸せな気持ちになりたいという方は多いのでしょう。実際、私自身もそんなふうに感じることはあります。

けれどもこの映画は、そのような考えが多いなか、残酷かつ憂鬱な内容だったからこそ皆さんに注目していただけたのかもしれません。そして、皆さんの心に強烈な印象を残せたのなら、それは私が監督としての仕事を全うできたということなのだと思います。

―韓国の女性監督には、『同じ下着を着るふたりの女』(2021年)のキム・セイン監督が同世代にいらっしゃいます。ともに長編デビュー作で、ダークな家族の物語を通じて社会的なテーマを表現されていますが、ご自身の世代が共有する価値観はあると思いますか?

イ・ソルヒ:『同じ下着を着るふたりの女』のキム・セイン監督も、ご自身の家族関係、母と娘の関係から映画づくりをスタートさせていますよね。それは私も同じで、母親と娘の関係がアイデアのきっかけでした。私のような若い世代の女性監督には、個人的なところから映画をつくろうとしているところがあるのかもしれません。

─監督ご自身が影響を受けた映画監督はいますか?

イ・ソルヒ:韓国で一番尊敬している映画監督はイ・チャンドン監督で、特に『ポエトリー アグネスの詩』(2010年)は大好きな作品です。そのほか、ポン・ジュノ監督やパク・チャヌク監督も大好きですし、海外ならデヴィッド・フィンチャー監督やリン・ラムジー監督。彼らの作品を毎日順番に観ているくらい、とても大きな影響を受けています。

イ・ソルヒ監督とキム・ソヒョン ©masumi kojima  

―ソヒョンさんと監督のあいだには世代の違いもありますが、映画をつくるなかでお互いの共通点を発見する、または異なる部分を理解していくようなプロセスはありましたか?

キム・ソヒョン:実のところ、監督が私よりもずっと歳が若いとは思えないんです。それどころか、私のほうが妹みたいだとさえ思うほど(笑)。「まだ20代なのか」という先入観を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、私は脚本を読み、彼女がこの年齢で『ビニールハウス』という作品を書いたことに驚かされました。

正直に言うと、出演のオファーをいただいたときは逃げ出したい気持ちもありました。描かれていることが手に取るように理解できたからこそ怖かったし、精神的に大変な役柄になることも想像できたので、やりたい気持ちと逃げ出したい気持ちが半分ずつあったのです。

けれど監督にお会いしたとき、「私よりもはるかにいろんなことを知っている方だ、多くを語らずともわかり合える相手だ」と感じました。監督も同じ思いでいてくれていると思えたので、撮影中もお互いを信頼し合うことができた。監督は私に役柄を預けてくださったし、私も監督を信じて委ねられたのです。

だから映画が完成するまで、監督と深い話し合いをしたことはほとんどありませんでした。それでもこの映画で描こうとしていることや、ムンジョンという役には、お互いのなかに共通の認識があったように思います。言葉もないままにわかり合うことができて、そのまま映画をつくりあげることができた――そんな、魔法のような共同作業でした。

イ・ソルヒ監督とキム・ソヒョン ©masumi kojima