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「満身創痍だったのだと思います」旧友も心配する美智子さまのご体調と“隠遁”生活3か月の理由

2024年03月15日 11:00  週刊女性PRIME

週刊女性PRIME

上皇さま、美智子さま 8月23日、大日向開拓地(長野県軽井沢町)をご散策(写真/JMPA)

「約3か月間、美智子さまは国民にお姿を見せていません。昨年12月に上皇さまのお誕生日に際して宮内庁が公表した近影も、かなりお痩せになっている印象だったので、心配の声が聞こえてきます」(皇室ジャーナリスト)

美智子さまの最近のご体調

 上皇さまが在位中は、毎年2月ごろにおふたりで訪問されていた葉山御用邸だが、この2年は足を運ばれていない。最後に公にお出ましになられたのは'23年11月、皇宮警察音楽隊の創設70周年を記念する演奏会だ。

 美智子さまの最近のご体調について、上皇職関係者は、

「年齢によるところは大きいと思いますが、以前からご体調がよくなかったことは確かです。平成の終盤は、調子の悪い日は午後になると発熱されることもありました。その時点ですでに、満身創痍だったのだと思います」と語る。

 美智子さまは'19年、乳がんの摘出手術を受けられた。同年には心臓の弁に異常があり、血液の流れが悪くなっていることが判明。手術の必要はないものの、定期検診が必要に。'22年には右ふくらはぎに血栓が見つかるなど、数年前から万全とはいえない状態が続いている。

「加齢で足腰も弱ってきているはずですし、耳が遠くなられているという話も聞いたことがあります。おふたりでお出かけされた際にも、上皇さまを支えているようで、逆に美智子さまが支えられている印象も受けます。“できる限り上皇さまをお支えしたい”というお考えがあると思いますが、ご自分の体調がその思いに応えられていない状況なのかもしれません」(同・上皇職関係者)

 美智子さまと55年以上も交流がある、絵本編集者の末盛千枝子さんも、'23年6月を最後に直接はお会いできていないとしつつ、間接的に近況を知ったそうで、

「2月下旬、上皇ご夫妻とも親しく、宮城県気仙沼市で牡蠣と帆立の養殖をしている方から絵本についての相談がありました。その方が、美智子さまに絵本の相談をされたところ、“絵本のことは末盛さんに聞いたほうがいいわ”と言われたそうです。その絵本は人間と動物たちとの関わりについての絵本で、お孫さんが書いた作文を基にしていると話していました」(末盛さん、以下同) 

旧友も不安視する美智子さまの体調

 末盛さんも美智子さまのご体調を心配しているといい、

「私も83歳になり、時には補聴器をつけているのですが、美智子さまも補聴器を使っていらっしゃるようで、日常生活を送るだけでも大変でいらっしゃると思います。私が新著を出版する際、美智子さまにお送りしたいと思うのですが、“お読みになるのが大変なのでは”と逡巡しています。

 このお正月、能登半島地震の被災者を大変心配していらっしゃるだろうと思ったので、そのことも兼ねてお手紙を書きました。悲しみのさなかで、お気を使わせてしまうと申し訳ないので、“お返事はお気になさらないように”とひと言添えてお送りしました」

 元日に発生した能登半島地震も、美智子さまがお出ましにならない理由の一つなのかもしれない。

「被災状況にひどく心を痛められたようで、被災者を慮って外出を控えていらっしゃるそうです。平成に入った直後の'91年、長崎県の雲仙普賢岳で噴火が発生。上皇ご夫妻は約1か月後に被災地を訪れ、避難所や仮設住宅を回って被災者を励まされました。靴を脱いで膝をつき、被災者と同じ目線で言葉を交わされる“平成流”の始まりともいわれています。

 ほかにも、国内で起こった自然災害の被災地にはたびたび訪問され、心を砕かれています。今回も能登への思いは募っていると思いますが、天皇、皇后両陛下が被災地を訪れることが先だとお考えなのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)

美智子さまが、お出ましにならない理由

 常に国民に心を寄せられている美智子さまが、お出ましにならない理由はほかにもあると話すのは、象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院人文学研究科准教授の河西秀哉さん。

「コロナ禍が収束し、外出が可能になったころ、各メディアが上皇ご夫妻の近況を報じると、ネット上では《上皇ご夫妻って引退した人でしょ》とか《美智子さまは目立ちたがり屋だな》など、心ない言葉が散見されました。

 逆にお出ましが減ると、批判的な意見も少なくなる印象なので、そうした意味でも外出を控えている可能性はあります。以前は批判的な意見があったとしても、はね返すほどの気力があったと思いますが、今はそこまでの体力がないのかもしれません」(河西准教授、以下同)

 美智子さまのご体調が回復する糸口は、“国民と触れ合うこと”だという。

「美智子さまが皇后だった時代、週刊誌報道をきっかけにした誹謗中傷を受けて倒れてしまったり、『失声症』になったことがありました。しかし、そうした精神的につらい時期にも、“被災地には変わらず訪問し、心を寄せる”という姿勢でいらっしゃいました。被災者と触れ合い、被災者が喜んでくれることで、逆に美智子さまも救われている部分があったのでしょう。“国民に求められている”と認識することが、いちばんの回復材料だったのだと思います」

 美智子さまの“隠遁生活”が始まって3か月。国民がまた、お姿を拝見できる日はいつになるのだろうか。

「やはり国民が自分たちを求め、訪問先で歓迎してくれることが美智子さまにとって喜ばしいことなのだと思います。しかし、令和の時代となり、お出ましの機会が減る中で、外出すると誹謗中傷を受けてしまう悪循環になっており、美智子さまの“大きな活力の源”が失われているのかもしれません」

 “負のスパイラル”に陥っている美智子さま。早くお元気な姿を見たいという国民の思いは、はたして届いているのだろうか。

河西秀哉 名古屋大学大学院人文学研究科准教授。象徴天皇制を専門とし、『近代天皇制から象徴天皇制へ―「象徴」への道程』など著書多数