Text by 佐伯享介
Text by 前田立
Text by 今川彩香
坂本龍一が逝去して3月で1年が経とうとしている。音楽活動で世界的な支持を集めた坂本は、非戦をはじめ、原発や環境問題にも心を寄せ、その運動にも積極的に関わってきたことでも知られている。
映画『坂本龍一 WAR AND PEACE 教授が遺した言葉たち』が、3月15日から開催される『TBSドキュメンタリー映画祭2024』で上映される。TBSの報道番組『筑紫哲也 NEWS23』で、ディレクターとして坂本を担当してきた金富隆さんが監督を務めた同作では、911同時多発テロ、アフガン攻撃、イラク戦争、そして東日本大震災が起きた激動の時代に、坂本がどう向き合っていたかを垣間見ることができる。
激動の時代に坂本と関わってきた金富監督は、坂本に何を感じ、映画で何を伝えようとしているのか。制作のきっかけをはじめ、坂本が社会的発信を強めたように感じる理由や、監督自身が受けた影響について聞いた。
―金富監督はなぜ報道の仕事を選び、TBSに入社されたのでしょうか。
金富:はじめは共同通信で約7年半、記者をしていました。取材で人の話を聞いて、世の中にまだ伝わっていないことや、隠されていることを伝えられたら面白いな、と思っていました。当時は活字で仕事をしていましたが、伝えられる情報が多い映像に興味を持ち始めました。
例えば、取材相手が沈黙をしたとします。それぞれの沈黙にも意味がありますよね。都合の悪いことを問われて黙っているのか、言いたいことがあるんだけど言えずにいるのか。活字だと、その表現が難しい。映像として撮影していると、その沈黙をそのまま表現できる。だから映像でやりたいなと思っているなかで、筑紫哲也さんの番組『筑紫哲也 NEWS23』で様々なドキュメンタリーがつくられていました。この番組で自分も何かやりたいと思いました。
TBSに運良く受かって、2~3年目で『NEWS23』に配属になり、2001年から約7年半、担当しました。
金富隆(かなとみ たかし)
1967年生まれ、福岡市出身。共同通信記者を経て1999年、TBS入社。社会部を経て2001~2008年、『筑紫哲也 NEWS23』をディレクターとして担当。2012年からは『サンデーモーニング』を担当し、現在制作プロデューサー。夏の終戦特別番組なども担当している。
―もともと『筑紫哲也 NEWS23』を見られていたのですね。なぜこの番組に惹かれたのでしょうか。
金富:この映画の時代ともリンクしますが、2001年に911同時多発テロがありました。それからアフガン侵攻、そしてイラク戦争。一つの番組、一つのメディアに戦争を止めるような力はありませんが、筑紫さんの番組は、戦争を伝えることや平和を訴えることについて、意識的な番組づくりをしていた気がします。
報道にとって戦争をどう伝えるかというのは、とても大きなテーマです。そのなかで、坂本龍一さんの担当をさせていただきました。自分が番組で担当した初めての企画の映像が、映画のなかにも登場します。
911同時テロの時、現場の近くにいた坂本さんは崩落するツインタワーを目撃。衝撃で音楽が作れなくなったという話をしています。戦争を止められない世界のなかで、音楽にできることは何だろうということを、坂本さんがすごく真摯に考えている様子が映されていますが、それが自分が初めて関わった企画での場面でした。
<TBSドキュメンタリー映画祭2024>ライフ・セレクション上映作品『坂本龍一 WAR AND PEACE 教授が遺した言葉たち』©TBS
―ニュースキャスター、そしてジャーナリストとして長年、第一線に立っていた筑紫哲也さんですが、坂本さんとはどういったご関係を築かれていたのでしょうか。
金富:坂本さんは、筑紫さんと深いお付き合いがありました。80年代の初め、筑紫さんが朝日新聞社にいた頃に『朝日ジャーナル』っていう伝説の雑誌があったんですね。「若者たちの神々」という企画を筑紫さんが編集長のときにやって、そのなかで坂本さんを取り上げたんです。
それからずっと長い信頼関係があって、筑紫哲也さんとのある種の絆のなかで坂本さんに『NEWS23』のテーマ曲をつくってもらっていました。私が加わる前です。あの映画でもエンディングで使っている“Put your hands up” という曲です。
筑紫さんは「アートや音楽もニュースだ、カルチャーもニュースなんだ」という考え方をされていました。カルチャーを考えていくことも時代を考えることで、それがニュースを考えるっていうことなんじゃないか、ということです。ニュース番組でしたが、バンドや映画、さまざまなクリエイターを取り上げていました。そのなかの大きな柱が、坂本龍一さんでした。
―今回の映画企画を立ち上げたきっかけ、動機はどういったものでしたか。
金富:私が坂本さんを担当していたのは2001~2008年ごろで、たくさん撮らせてもらったなかで、まだ伝えきれてないものがあると思っていました。例えば、番組のなかで視聴者が戦争についての詩を寄せてくれた場面で、あらためて映像を見返すと、坂本さんが正面から視聴者の思いを受け止めようとしていたことがわかります。
たくさん撮影させていただきました。しかし密着というより、ある一時期を垣間見た、と言うのかな。その坂本さんの姿を、自分なりに伝えたいという気持ちが大きかったんです。
それと、坂本さんが亡くなられたときに、これは他局ですけれど、追悼の特別番組を見て、僕らTBSの人間にできることは何だろうと考えました。いままで番組のテーマ曲をつくってもらったり、大きな特番を一緒にやらせてもらったり、TBSとしてもとてもお世話になっていました。お返しできるとしたらやっぱり、何かをつくることなんだろうなと思いました。
自分自身が本当に若く未熟なディレクターでしたが、よく付き合っていただいたなという思いもありました。まだ世の中に出せてないものを出すということが、TBSの我々、あるいは自分個人としてもできることなのかな、と思ったんです。
―ガザ侵攻やウクライナ侵攻が起きている現在、このような状況で上映するという意義があるように思いますが、どう考えていますか。
金富:僕らは「どうすれば多くの人に見てもらえるんだろう」ということを考えています。例えば今のテレビの世界では、ガザ侵攻について「日本の視聴者の関心は高いとは言えず、視聴率が取れない」とみなされ、大きく取り上げられない傾向があります。しかし、これほど重大なことが世界で起きているのに伝えなくていいのか。届くやり方を探さないといけない。
平和を求める側こそが、もっと工夫しないといけないよね、と。取材の中で坂本さんは、そういうことも語っておられました。その言葉はいまの、こういった状況のなかで響く言葉だと思いますね。テレビ制作者の1人としても、やっぱり考えないといけない言葉だなと思う。
でも「あんまり関心がないよ」という人に「なんで関心がないんだ!」と言っても、仕方がないところもありますよね。人それぞれ、自分自身の生活で大事なこともあります。伝える側こそが、伝え方を考えながら、「これは見ないといけないことだな」という気持ちになってもらわないといけない。工夫が必要なんでしょう。
―映画を制作するにあたり、膨大な量の映像を見返されたと聞きました。気付きや強めた思いはありましたか。
金富:坂本さんの戦争と平和に対する思いや、世の中で起こる理不尽に対しての憤りをあらためて感じました。911のあとには、大量破壊兵器があるとしてアメリカはイラクに攻め込んだ。だけどなかった。そこで多くの人の命が失われました。そういったことへの強い憤りや、こんなに理不尽なことが起こってしまう、という強い思いの部分ですね。
坂本さんが亡くなられたあとも、戦争のきな臭い感じがどんどん世界中に広がっていると思います。ガザ侵攻でも、ほとんど虐殺のように近いようなことがいま行なわれるようになっている。ウクライナ侵攻でもブチャの虐殺がありましたが、「虐殺」という言葉は我々からすると、歴史上の戦争を語る言葉のように思っていたら、現在進行形で行なわれています。歯止めがなくなったような、底が抜けたような状況です。
もし坂本さんが生きていたら、現在の「虐殺」についてどんなことを述べただろうとも思いますが、きっと映画の中でおっしゃったような言葉やメッセージを、ご自身で発されていたんじゃないかなと考えています。
坂本さんが戦争に対して抱いていた憤りは、いまの世界でも聞かれるべき言葉だと思いますし、いまでも説得力を持つ言葉だと思いました。
もう一方で、坂本さんの「思索」ともいうのでしょうか。なぜ人間同士が戦い合うんだろうとか、戦い合う・殺し合う人間って何だろう、といった、深い部分の興味関心もあったんだろうとも感じました。その両面が坂本さんなのかな、と思いました。
―映画では、監督がおっしゃるような坂本さんの言葉に焦点があたる一方で、坂本さんが作曲された音楽の演奏シーンもたくさん登場しますね。
金富:たとえば“ZERO LANDMINE”という地雷ゼロを祈る曲があるのですが、それを2001年、ものすごい豪華なメンバーで演奏している映像も使用しています。あのとき、あの歌詞の切実な感じっていうのは、いまのこのガザ侵攻が行なわれているなかでも、胸をつかまれるようなとても良い音楽と歌詞だと思います。
あのすごいメンバーで演奏している映像もじつは、TBSにしかないんです。あの番組でたった一度だけ演奏されたものだから。
細野晴臣さん、高橋幸宏さん、それから小山田圭吾さん、山本ムーグさんという豪華なメンバーで、“WAR AND PEACE”っていう曲の日本語版もやりました。坂本さんだけじゃなくて幸宏さんも亡くなってしまいましたけど、日本語版が演奏されたのも、あれが唯一だったんじゃないかな。
だからこの映画は、報道マンが見た坂本龍一さん、といった感じの映画ではありますが、音楽ファンが見ても「おっ」と思ってもらえるような映画ではないかと思っています。そういった面でも、楽しんでもらえたらなと思います。
―貴重な映像ですね。映画を見た人に対して考えてほしいことや、こういうアクションにつながってほしいなど、思っていることはありますか。
金富:そうですね、なくはないんですけど……。やっぱり、音楽も味わってほしいですよね。映画の途中に、“千のナイフ”という曲のリハーサル映像を使わせてもらったのですが、それはこれまでまったく使っていない映像です。
埃まみれになりながら、眠っていたテープを掘り起こして出してきたものです。まだあるはずだ、と映像を探すと、紹介したいものが増えていきました。
坂本さんの言葉に注目した映画ですが、音楽と一緒になるから、伝わるものがより大きいのかなとも思います。僕みたいなつくり手が何か言うよりも、見てもらったほうがいいのかなっていう気もする。感じてほしいですね。
―監督も音楽がお好きですか。
金富:そうですね。The Rolling Stonesも好きでしたし、ブルースみたいな音楽も好きだし、ちょっとギターを弾いてみたりしたこともありました。大学の軽音部みたいなところで、そこでプロになった友人もいるんですよ。
坂本さんについても、大ファンでした。小学校6年生ぐらいからのファンだったので、担当になった際は、めちゃくちゃに緊張しました。でもほら、取材のなかでファンであることを持ち出すと良くないじゃないですか。取材者ではなくなっちゃうので、なるべくファンであることは出さないようにしていましたね。でもたぶん、出てたと思うんですけど。
―映画の紹介文には「音楽家はなぜ社会的発信を強めたか」とありますが、監督はなぜだと思いますか。
金富:それについては映画を見た方に考えてもらえればいいなと思います。でも、自分が撮ったものを見返して思ったのは、当時から坂本さんの言葉の熱さは変わってないということでした。
逆に世の中のほうが変わったから、坂本さんが言葉を強めたように見えた……つまり、坂本さんが変わったように見えたのかな、という気もしています。
坂本さんは90年代後半ぐらいから気候変動についても語っています。「温暖化で大変なことになるよ」と言っていたのですが、たぶんね、我々も含めてその意味がよくわからなかったんですよね。世の中の受け止めとして「いくら何でもそんなことないんじゃない?」といったような。でも、ここ2~3年の夏の暑さを見ると、どう見ても変じゃないですか。
だから、あのときに坂本さんが訴えていたことは正しかったと、いまになって良く分かる。情報のキャッチと、危機感の持ち方が早かったのだと思います。
<TBSドキュメンタリー映画祭2024>ライフ・セレクション上映作品『坂本龍一 WAR AND PEACE 教授が遺した言葉たち』©TBS
―個人的には、坂本さんは言葉と音楽の両方で社会へメッセージを放っていたのではないかと、映画を拝見して感じました。あらためて、監督の仕事の軸や、この映画をつくられた軸を言葉にしていただけますか。
金富:僕は、比較的硬いニュースを扱う番組を担当してきました。いまでも『サンデーモーニング』という番組で、見てもらうためにどんな工夫をすればいいかと、ずっと考えています。社会的意義があるから、ニュースはそのまま流せばいいという考え方もあるかもしれません。しかし、若い人にももっと見てもらいたい。そのために工夫をしています。
VTRの構成をはじめ、工夫してうまくいくこともあれば、うまくいかないこともあります。坂本さんの言葉で言うと「届く言葉を探さないといけない」と思います。「平和を求める側こそがいろいろなことを考え、どうしたら人に伝わるかを考えないといけない」とおっしゃっていたことは、自分自身のテーマとしても考えるところでしたね。
金富:坂本さんというフィルターを通したら戦争のことをもっと伝えられるかもしれないと、どこかで思ったのかもしれないですね。坂本さんの言葉だったら、みんな聞いてくれるかもしれない、と。
時代の人だった。だから我々はTBSとして多くの人が入れ替わり立ち替わり、坂本さんと一緒に何かつくれないかっていうことを考え、そして坂本さんにも応えていただいたのかな、と思います。
本当はエンディングを、さまざまな人の証言も取材しようかなと思っていました。でもつくりながら、やる必要ないなと思ったんです。過去に撮影した坂本さんの言葉を伝えて、次の世代につながっているっていう雰囲気にして。あとは、見てくださった人に考えていただくのがいいのかな、と思いました。