Text by タケシタトモヒロ
Text by ISO
Text by 生田綾
町田そのこによる同名小説を原作とする映画『52ヘルツのクジラたち』が3月1日、公開された。
親から虐待を受けながら義父の介護を強いられ、自由を奪われた主人公・三島貴瑚(みしま きこ)役を、杉咲花が演じている。そんな貴瑚に手を差しのべ、物語の鍵を握るのがトランスジェンダー男性である「アンさん」こと岡田安吾(志尊淳)だ。
映画やドラマでのトランスジェンダーの描き方をめぐっては、当事者の俳優がキャスティングされる機会が少ないという現状や、非当事者が役を演じることで実像からかけ離れたイメージが広がり、誤った偏見を観客に植え付けてしまうといった問題などが指摘されてきた。当事者の監修やLGBTQ+インクルーシブディレクターが参加した本作でも、キャスティングや安吾の描き方をめぐり、さまざまな議論があったという。
本作の制作はどのように進められ、どんな話し合いがあったのか。自身の希望で脚本打ち合わせにも参加したという杉咲花と、LGBTQ+インクルーシブディレクターのミヤタ廉、そしてインティマシーコーディネーターの浅田智穂の鼎談を通じて探る。
©2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会
ー杉咲さんはこの物語のどのような部分に惹かれて、本作への出演を決められたのでしょうか?
杉咲花(以下、杉咲):正直、最初はお受けするかどうかとても迷っていたのですが、横山プロデューサーや成島監督とお会いして話し合いを重ねていくなかで、できる限り人々に寄り添った物語を作りたいという熱意を感じ、いまの自分たちにできることをやりきりたいと思いました。その他にも理由はいくつかあるのですが、脚本を読んだ母が『52ヘルツのクジラ』の存在や「人は望めば人生をやり直せる」という本作の持つテーマ性に共鳴していたことも大きかったです。
ー本作は虐待やヤングケアラー、トランスジェンダーに対する偏見など複雑に絡み合う社会問題を描く作品ですが、原作や脚本を読まれた際に作り手として気をつけようと思った点はありますか?
杉咲:私は現代社会を描く作品に携わるうえで、それが多様な生活者に届く可能性があるということをふまえて制作していくことが大事だと考えています。自分たちの生活の地続きとして、手触りを感じられる作品であってほしいという想いもあり、「現実で起きている困難な状況を隠すことはやめよう」という共通認識を念頭に、皆で人物像を深めていきました。
杉咲花
杉咲:また、物語をブラッシュアップすると同時に、どのように受け手に届けていくかも大切だと思っているんです。この作品では現代の社会をとりまく問題を扱うなかで、とても繊細でセンシティブな領域に踏み込んだ表現もあります。どうやってつくられた物語なのか、それをどう届けていきたいと考えているのか、作り手側の意識を伝えていく必要性も感じましたし、できるだけ安心した状態で映画館に来てもらうためにポスタービジュアルや宣伝方法にも丁寧に気を配ることや、公式サイトにトリガーウォーニングを掲載すること、パンフレットに用語集や相談窓口などを記載するなど、その方向性の議論を重ねていきましたよね。
浅田智穂(以下、浅田):皆さん熱意が凄かったですよね。杉咲さんのその思いがチームの共通認識だったので、普段だったらあまり口を出さないことにも私の意見を伝えることができる環境がありました。もちろんインティマシーコーディネーター(IC)としての役割をしっかり果たしたうえでですが。
浅田智穂
ー今回ICとLGBTQ+インクルーシブディレクター(ID)のお二方は、具体的にどのようなお仕事をされたのでしょうか?
浅田:ICは、まず脚本の中からインティマシーシーンだと思われるところをピックアップして、監督にヒアリングを行ないます。その内容について俳優の皆さんと一つずつ話をして、同意を得て、当日は同意を得た内容しか撮影しませんし、撮影中の皆さんのケアも行なう……というのが基本的な役割なのですが、『ファミリア』(2023)でもご一緒した成島出監督の意向で、今回は直しの段階から脚本を読ませていただくことができたんです。
脚本が完成する前から「貴瑚は性的なこと/身体的なことをどこまで、どのようにするか」を監督と杉咲さんとしっかりお話をして物語に反映していったというのがこれまでの仕事とは異なりましたね。
ー作品によって柔軟に役割を変えられているんですね。
浅田:日本では具体的なルールがない中でICをやっているので、求められたうえで私ができることなら何でもしたいと考えているんです。とても有意義な現場だったと思いますし、今後も自分ができることならなんでも協力して良い作品づくりをしていきたいです。
ミヤタ廉(以下、ミヤタ):本作にはトランスジェンダー男性の描き方について、俳優の若林佑真さんが監修に入っています。若林さんは脚本においては当事者の目線で気づきや違和感を細部にわたって制作陣に共有したり、重要なシーンでは現場にも立ち合い、安吾役を演じた志尊淳さんと二人三脚で役作りを行なったりしていました。
一方、僕は今回IDとして撮影には携わることはなく、主に脚本の制作に参加させていただきました。若林さんが監修として参加されるということを知る前でしたが、僕が参加すると決めた後に、トランスジェンダー男性の登場人物を描くことについてのプレゼンを行ないました。近年の映画作品の中でのトランスジェンダー男性のキャラクターが登場する作品について、それらが世間にどう評価されたのか、等もまとめまして。初回からとにかくお互いが納得するまで話し合いました。
ミヤタ廉
ー脚本にはどのように関わられたのでしょうか?
ミヤタ:若林さんとともに、若林さんはトランス男性当事者という立場から、僕は性的マイノリティではあるものの、トランス男性当事者ではないので、知人友人を参考にしつつ、トランスジェンダーをめぐる表象のあり方や、マジョリティの観客の心の置き場も同時に想定しながら全体を俯瞰的に見て、いかに安吾の台詞や行動にリアリティを持たせていくのかを話し合い、監督たちに共有していきました。若林さんは当事者という立場から、そして自分は当事者ではないので、周りの人を参考にしつつ、客観的な立場から。原作で読むのと映像で見るのはまったく異なるということをふまえ、できるだけ人を傷つけない作品にしたいという思いがありましたし、同時にエンタメとしても成立しなくてはいけない。そのうえで、この物語が訴えたいことをどうすれば伝えられるのかを性的マイノリティ側の目線から判断していきました。
志尊淳が演じたトランスジェンダー男性の安吾
浅田:LGBTQ+の登場人物を描くときに、やはり当事者ではないとわからないことがたくさんあるので、当事者の意見が反映されることはとても重要だと思います。同時に当事者の意見を尊重しながら、エンタメであることも同時に意識して、包括的に考えるからこそLGBTQ+インクルーシブディレクターという名前なんですよね。
ミヤタ:『エゴイスト』でも鈴木亮平さん演じる浩輔のキャラクターがステレオタイプな描き方ではないかという声もあったんです。意見として真摯に受け止めつつ、僕らは浩輔がどのように生き、何を見て、どんな痛みを感じそのような人間になったかを想定したうえで、言葉遣いや所作を決めています。決して何も考えず「ゲイだから」、本作でいえば「トランス男性だから」と決めているわけではありません。IDを名乗り活動する以上は、性的マイノリティの人に信用してもらえるように提案をすることは勿論ですが、マジョリティのキャストやスタッフ、そして観客の皆様にも同じように信頼をしてもらえる提案の重要性を今回の現場であらためて強く感じました。
ー杉咲さんは今回初めてICとIDのいる作品に参加されたそうですが、お二人と仕事をしていかがでしたか?
杉咲:これまで俳優の身体的・精神的なケアを主な役割として現場にいてくださる方はいなかったので、浅田さんと過ごしたすべての時間が画期的でした。台詞ひとつひとつを追いかけてどの部分をインティマシーシーンにするかを映像資料を交えながら一緒に擦り合わせをしてくださったんです。
具体的にどこからがNGなのかを自分で決められて、できないことは「できない」と言っていいんだ、ということが驚きでした。「撮影当日でも俳優はノーと言える権利があるんです」と伝えられたとき、本当にびっくりして。
なによりICの本質的な役割は、俳優の味方としていてくださるだけでなく、作品を良くするための尽力だと感じたんです。本当に心強い存在でした。
浅田:ありがとうございます。
杉咲:ミヤタさんは知識や情報をもとに、一歩引いた客観的な視点から作品を捉えてくださっていました。ミヤタさんにしかない鋭さや厳しさがあって、何度もハッとさせられました。クィアな表象にとどまらず、作品をより多くの人に届けることを突き詰めてくれて。現場の在り方を変え、作品を掘り下げていってくださる姿勢を尊敬しています。お二人と同じ方向をみて一歩一歩を歩めた時間は本当に宝のようで、ありがたい日々でした。
浅田:我々の役割は、俳優が最高のパフォーマンスを出せるようにサポートすること。まだ出来て間もない仕事だからこそ、たくさんの可能性を秘めていると思うんです。特に、今回のように脚本が完成する前から作品に関われたことは私も光栄ですし、今後も制作チーム内でたくさんの議論が行なわれる、このような作品づくりが増えていくと良いなと思いますね。
杉咲:現場が建設的で健全になるんですよね。お二人が活躍できる場が増えていくためにも、ICやIDが必要だという認識がもっと広まってほしいと思います。
浅田:そうなると良いですよね。まだまだ邪魔者扱いされることがゼロではないなか、今回は成島監督が私やミヤタさんの意見にしっかりと耳を傾けてくれたので、本当に健全な現場だったと思います。
ーICやIDがいることで、俳優の皆さんがこれだけ安心して演じられるということはもっと知られてほしいですね。本作でトランスジェンダー監修として参加された若林さんは監修以外にどのようなお仕事をされていたんでしょうか?
ミヤタ:若林さんは監督やプロデューサーと東京レインボープライドに参加したり、志尊さんと一緒にトランス男性が経営しているお店にお邪魔して当事者の方たちとお話しする機会を設けたりしていました。若林さん自身も役者なので脚本に関して非常に感度が高くて、気になる部分は徹底的に監督とお話していました。彼なくしてこの作品は完成しなかったのではないかと思います。
ー今回、トランスジェンダーの表象をめぐって監督やプロデューサーとはどのようなお話をされたのでしょうか?
杉咲:つねに軸としてあったのは、「一人でも多くの観客が居場所を感じられる作品であってほしい」ということでした。これまでの映像作品において多くの痛みを背負わされてきた歴史を持つ当事者がいるなかで、やっぱりその表象は変わっていかなければいけないという思いが私の根底にあって。
例えば、性的マイノリティの悲劇的な物語を見ながら涙してしまうとき、それは自分のジェンダーやセクシュアリティについて悩んだり、世間の偏見や差別に傷ついたり、生死を脅かされるような経験をしたことがない安全圏にたまたまいたということからきているのかもしれないと思うんです。私はそれを容易に感動と呼んではいけないと思っていて。当事者たちの境遇を“消費”してしまっているかもしれないという恐れを抱いています。
どうやって話したらいいかすごく迷っているんですが……本作では、安吾がトランス男性であることを種明かし的に描く構造にはするべきではないと思っていました。だから、それを宣伝で明かすかについては監督やプロデューサー、宣伝部をはじめとする制作の中心に携わる方々と何度も議論を重ねました。人のアイデンティティは、物語を盛り上げるために消費する「ネタ」ではないのではないかと。だからこそ、時として言われるような「ネタバレ」として扱ってしまうことを見つめ直したい気持ちがあって。
ー安吾がトランスジェンダーであることが序盤でわかるのは原作との違いですし、キャスティングが発表される宣伝の段階でも、安吾がトランスジェンダー男性であることが明かされていました。そこは大きな変化ですよね。
浅田:今回は私も議論にも参加させてもらったのですが、その点は撮影準備の期間から議論を重ねた点でした。なぜそれが大切なのかを何度も話し合って、最終的には一番良いと思うかたちになったと思います。
ミヤタ:熱い議論も多くありましたが、成島監督がつねに理解したいという姿勢でいてくれたのでとても話しやすかったですね。だからこそ最後までやっていけたんだと思います。
浅田:それは大きいですよね。議論すらできない監督もいますし。成島監督はICを『ファミリア』で入れて、今回また依頼してくださったということがまず私は嬉しかったです。
杉咲:ICが入ることで、確認ごとや新しいルールなどが増えていきます。そこにはもちろん時間や労力も比例するわけで。でもその時間が物語を制作していくうえで重要なことであると認識されたから浅田さんをもう一度必要とされたのではないかと想像して。私は、そんな監督のことを心から信頼していました。
ーミヤタさんにとってLGBTQ+インクルーシブディレクターの作品は『エゴイスト』、『ストレンジ』に続き3度目となりますが、作り手側の意識の変化は感じましたか?
ミヤタ:制作現場には、数多くの人物が関わっているので、いろいろな人がいます。性的マイノリティに限ったことではないですが、世の中の変化について驚くほど無関心な人もいらっしゃいます。
制作陣も宣伝も、慣れないことで、このように必要に応じた監修をしっかり入れて丁寧に制作することに「これは正解なのか?」「興行収入に繋がるのか?」など不安になることもあると思います。
でもそのあと、主にSNSを通して観客の反応を見ることで世の中が変化していることを実感されてもいるようです。
杉咲:私も含め、制作陣がもっと努力をしていくべきですよね。当事者の声や日々変わりゆく価値観にアンテナを張っていかないと、現代を描いた物語にリアリティは感じられないと思うんです。
ー今回の鼎談は、杉咲さんの声がけから実現しました。杉咲さんがそのように考え、発信したいと思ったきっかけは何でしょうか?
杉咲:以前にも、LGBTQ+表象について議論が起こる現場で仕事をしたことがありました。そのときにシスジェンダー・異性愛が前提となる社会規範に対して、自分は疑問を抱いていたんだという感覚が輪郭をなしたんです。そこから少し経ったタイミングで本作のオファーをいただき、使命のようなものを感じたといいますか。
私は、これまで日本の映像作品で傷つけられてしまった経験がある人に、もう少しだけ作り手を信じてみようと思ってほしいんです。できることなら作品が一人でも多くの心や誰かを癒したり、安心させられるものになってほしいという気持ちがあります。『エゴイスト』を観てミヤタさんの存在を知って、当事者や専門性のある方と一緒につくりあげていくことがもっと広まってほしいと思いましたし、良い影響を少しでも広げていきたいという思いでした。
浅田:日本では知名度のある方はなかなか政治的な発信ができないじゃないですか。そんな風潮のなかで、杉咲さんがしっかり意見を持って発言してくれることはとても意義のあることだと思います。
ミヤタ:今回お話をいただいたときに、正直お引き受けするか、かなり悩みました。原作者であります町田そのこさんの揺るぎないメッセージは心強く受け入れつつ、映像という世界線で表したとき、誰かのトラウマを呼び起こす可能性もある。そうした人をなるべく出さぬよう多方面から提案していく役割を担うことがはたして僕にできるのか? と。答えが出せぬまま杉咲さんと初めてお会いして、矢面に立つ杉咲さんの覚悟がどれだけのものかが伝わってきて、これは断れないし、今後たくさんのLGBTQ+のキャラクターが登場する作品がつくられていくことを願う身として、断ってはいけないと思いました。
ー皆さんはハリウッドにおけるトランスジェンダーの誤った表象の歴史と変遷についてのドキュメンタリー『トランスジェンダーとハリウッド』(2020)はご覧になりましたか?
全員:はい。
ーその作品で、当事者の方が「メディアで重要なのは、情報源を増やすためにもっと多様なトランスジェンダーを描くこと」だと語っていました。そういう意味で本作の意義は大きいと感じる一方、トランスジェンダー男性を当事者の俳優が演じていないことに関しては間違いなく議論を呼ぶと思うのですが。
杉咲:そこは議論になって然るべきだと思います。本作に限らず、より広く作品を届けるために知名度のある俳優の起用が必要という制作側の意見をよく耳にするんですね。
オファーをいただいた段階で、安吾のキャスティングにおいて当事者が演じることは選択肢のなかにあるのか、確認しました。たしかにキャスティングの影響力という点には納得する部分もあります。でもそもそも影響力を持つ俳優のなかに、なぜ当事者が含まれてないのかを見つめ直す必要がありますよね。それは当事者に実力がないのではなく、業界や社会が活躍できる環境を整えてこなかったからで。それは自分も含めた制作側が重く受け止めていくべきことだと思うんです。そしてこれからは当事者が活躍する場を増やしていかなくてはいけないと思います。
一方で、自分のなかで変化を感じた部分も本作にはあって。これまでの映像作品では、例えばトランス女性役をシス男性が演じることが多かったと思うのですが、トランス女性を知らない人からすると“男性の女装”という偏見を助長してしまいかねない危険性がありますよね。
そういった意味で、本作のトランス男性をシス男性が演じるということは、一歩だけ進んだアプローチなのではないかと感じています。そして、批判を受けることも理解したうえで、自分が演じる意味があるかを葛藤した末に、安吾という役を引き受けた志尊くんに対して、私は敬意を抱いています。佑真くんと志尊くんが緻密な話し合いを重ねながら安吾をつくり上げる姿には感銘を受けましたし、この映画の根幹を支えてくれたように感じていました。
ー当事者起用が進まないという現状がありながらも、主人公のトランスジェンダー女性を当事者オーディションで抜擢した東海林毅(しょうじ つよし)監督の『片袖の魚』(2021)といった短編映画も誕生し、反響を呼んでいます。
ミヤタ:今回でいえば志尊さんと若林さんが二人三脚で作り上げた安吾というキャラクター構築は、本当に素晴らしかったし、志尊さんが演じたことがとてもよかったと思っています。
初めての打ち合わせの際に、なぜ安吾役が当事者俳優ではないのか? と監督とプロデューサーに尋ねました。決して志尊さんのキャスティングに不満や不安があって聞いたのではなく、当事者俳優の起用について、どう考えているのか? は安吾というキャラクターをともに考えていくにあたり、重要なことと繋がっているように思えていたので、考えや思いはきちんと知っておきたかったのです。
私は、当事者俳優の起用については俳優さんのカミングアウトの問題などを考えると「厳密に当事者俳優を必ず起用しなければいけない」とまでは考えていません。
いまは欧米でもいろいろなスタンスが提案されつつある。しかし、当事者の表象も、当事者俳優が活躍できる機会も少ないのが現状で、その背景には業界や社会の不平等の問題があると思います。当事者俳優を上映規模感の大小に関わらず、映画の主役レベルで起用できるという事は選択肢の一つとして日本でできるように実現しなければいけない。
日本の映画業界はそれを可能にするための過渡期にあると考えています。まずは、LGBTQ+の表象や物語が多様に数多く創られることがそれを実現するための第一歩だと思っています。
浅田:私もこの作品の依頼をいただいたとき、一番最初に「トランスジェンダーを演じられるのは当事者の方ですか」と確認しました。結果的に志尊さんが演じられて素晴らしい作品になりました。ただ、この規模の作品で当事者の俳優が演じる準備が日本の映画業界ではまだ出来ていないという状況は残念です。
その点に関しては、ハリウッドから4、5年は遅れている気がします。『トランスジェンダーとハリウッド』に登場する俳優は皆さんトランスジェンダー当事者でしたが、いまの日本はあのようなドキュメンタリーがつくられる段階ではない。その差が埋まってくれれば良いなと思います。
ーハリウッドでもこの数年で大きく変わりましたよね。『トランスジェンダーとハリウッド』ではトランス役がいつも悲劇的な最後を迎えることを指摘されていましたが、トランス女性を当事者が演じる『エニシング・イズ・ポッシブル』(2022)というティーンのラブコメも生まれたり、悲劇ではない物語が語られだした印象を受けます。
※以降、物語の重要なシーンに関する内容を含みます。あらかじめご了承ください。
ー本作の安吾は最終的に自死という結末を迎えます。ハリウッドでは前向きな作品がつくられているなかで、本当にこの展開でなければいけないのかと疑問に感じる人が、自分も含めたくさんいるのではないかと思います。この点も物議を醸すと考えますが、いかがでしょうか。
杉咲:私も安吾の悲劇的描写は議論を呼ぶと思っています。先ほども話しましたが、これまで多くの映像作品で性的マイノリティの命を道具のように利用して、過度な痛みや罪を背負わせてきた歴史があって。
私は小さいとき、例えば「オカマ」や「レズ」「ホモ」などといった性的マイノリティに対する侮蔑的な言葉をテレビを通して知りましたし、時にそれは笑ったり馬鹿にしてもいいものだという認識のなかで育ってきました。それがどれほど当事者を傷つけて、置き去りにしてるのかを考えもせずに。それを無邪気に笑えるのは特権を持っているマジョリティの人たちだけですよね。そうやって映画やドラマ、テレビの業界が偏見を助長してきたということをしっかりと考え、反省しないといけないと思うんです。
性的マイノリティの人が、本人が望むまま誰にも邪魔をされず、当たり前に生きている姿がこの先一つでも多く描かれてほしいと思っています。
でも一方で、安吾が劇中で受けたような経験をしてきた方というのも、現実にはまだいるのではないかと思っています。古い価値観によって起こる出来事に焦点を当てることも映画の役割だと私は思うんです。ただそれを描くことはすごく繊細な領域に踏み込むということでもあるので、実態を注視することが必要だと感じます。今回監修に入ってくれた佑真くんは、心を痛めながらも当事者の目線から作品に寄り添って、物語に深く入り込んでいってくださいました。その覚悟に、心からの尊敬と感謝を抱いています。
私は『52ヘルツのクジラたち』が、時代のなかで“乗り越えられていく”作品になってほしいと願っています。歴史として振り返った時に、当時はまだここで悩んでいたんだ、こんな苦しみがあったんだと知る過渡期の作品として。未来ではこんな悲劇が語られることのないように、歴史の1ページとしてこの物語が生まれたと信じたいんです。
浅田:トランス男性が映像作品で描かれること自体が少なかったと思うので、その点では本作はこれまでにない作品だと思っています。
ー確かに世界的にもトランス男性が描かれることは少ないですよね。透明化されているなかで、トランス男性の物語を描く意義は大きいと思います。
浅田:今回安吾さんに起きてしまったことはたしかに悲劇であるのですが、その背景にトランス男性であるという属性や経験はもちろんありつつ、それだけではない要素について気にかけました。そこに至るさまざまな要因があり、安吾だからその選択をしたものとして描けないか、というのは念入りに話し合った部分です。
ミヤタ:性的マジョリティの登場人物のなかで、性的マイノリティのキャラクターだけが自死する。本作に限らずですが、マジョリティの葛藤や成長を描くために性的マイノリティを便利使いしてしまう、こうした物語の構造が繰り返されてきたことに懸念を感じていました。
「トランスジェンダーという点『だけで』悲劇になった、悲劇を背負わされている、かわいそう」という見せ方にならないように、打ち合わせの初日から最後の日まで、とにかく話し合い続けました。
第三者の目に触れる可能性を考えず手紙という形で主税(ちから)に思いを伝えた安吾の行動、貴瑚の人間関係の扱いにみる幼さ、主税のアウティング、お母さんが安吾にかける最後の言葉など……。
物語として、その結果に至る背景にある人間性や人間関係、感情、同時にそこから創られる結果に対し、幾度も真摯に議論を重ねましたし、それぞれが提案できる限界まで出し切った自負はありますが、正解を導き出せたのか? といまでも自問自答しますし、どのように観客の皆様が受け取られるか、正直不安にも思います。
ただ、このシーンを通じて、安吾というトランスジェンダーのキャラクターを主要製作陣一同、「世の中にしっかりと存在する」人物として、大切に扱ったという事実はお伝えできます。
杉咲:私は、小説は言葉を尽くして表現されるものという認識があります。それに対し映像表現の場合は、黙ってそこに立っていなければならない瞬間も時にはあって。そこに行き着くまでにどんな時間を経てきたのかを観客に共有するためには、加えたり引いたりすることで成り立つ表現もあると思うんです。原作からの脚色は、町田先生とのコミュニケーションも通して、非常に繊細なケアが行なわれていたように感じています。
ミヤタ:そういうシーンをなくせばいいという単純な話ではなかった。原作者である町田そのこさんが書いた物語が第一にあり、原作をリスペクトしたうえで、どう当事者のことを考えながらつくることができるかが大切だったと思います。
浅田:原作と脚本の話といえば、打ち合わせのときに杉咲さんが持っていた原作と台本に貼っている付箋の量が尋常じゃなくて。その付箋だけで一冊の本ができるんじゃないかと思ったくらいでした。杉咲さんの原作へのリスペクトと映像化にあたっての覚悟と責任感を感じ、私も一層真摯に向き合わなくてはと覚悟を決めました。
ートランスジェンダーの表象と同時に、周囲がその人をどう受け止めるかという描写も重要だと思いますが、その点は本作ではどのように考えられましたか?
杉咲:本作ではアウティングのシーンが含まれています。それは絶対にしてはならない行為だと示すことが作品の姿勢として必要だと考えていました。アウティングをしたことを主税が貴瑚に打ちあけた際に、貴瑚がどういう態度でいるべきなのかという話は結構しましたよね。
ミヤタ:大きく時間を割いたトピックの一つだったかもしれないですね。
劇中で、貴瑚の恋人の主税(宮沢氷魚)が安吾と貴瑚の関係を妬み、安吾のことをアウティングする場面が描かれる。
ー今後日本の映画やドラマにおけるLGBTQ+の表象をより正しく描いていくために何が必要だと思いますか?
杉咲:何よりまず制作に関わる人間がしっかりと勉強することだと思います。そして今回のミヤタさんや浅田さん、佑真くんのように、多種多様な視点を持たれる方々の意見に耳を傾けながら、力の限りを尽くす努力を怠らないこと。
それから、観客一人ひとりの感覚を信じることも私はとても大事だと思っていて。昨今のテレビやYouTubeなどでは「号泣、爆笑、感動」といったわかりやすい言葉が目につく機会が増えている気がするし、その明確さが人を惹きつけて評価されやすい時代なのだと思うんです。でもそういう言葉だけでは表現しきれない、人間の複雑な感情を生活者たちは知っているはずで。そこに潜り込んで、自分だけの正解を見つけ出す2時間があってもいいと思うんですよね。
そのわからなさの先に広がる想像力こそが、誰かへの優しさにつながるんじゃないかって。そうやって、観客が映画館を出たあとのことに思いを馳せながら作品づくりをすることが大切なのではないかと思っています。
ミヤタ:俳優だけでなく多様なスタッフを入れていくことも必要だと思う。でも最近の撮影現場を見ていると、男性社会だったものが徐々に変わりつつある印象を受けます。
浅田:女性が少しずつ増えてきていますね。本当に徐々にですが、以前より発言もしやすくなってきていると思いますし。
杉咲:リスペクトトレーニングも少しずつ増えてきましたよね。
ー環境を変えていくためにもICやIDが入る作品をどんどん増やしていく必要がありますね。
杉咲:インティマシーシーンがある作品で、ICがいない現場は考えられないです。そう思ってる俳優は多いのではないかと思います。でもそれが厳しい場合も可能なかぎりクローズドな空間をつくったり、できることはあると思うので、そこに向けて業界全体の意識改革が行なわれていくことを願います。
浅田:ハリウッドにおいてもICはまだ必須ではないんです。最大限入れる努力はしましょうと推奨されてはいますが、マストではない。ではなぜほとんどの作品にICがいるかというと、俳優部がICを入れないとやらないって言ってるんですよね。
日本においてもICがいて良かったという俳優の声が増えれば増えるほどICも入りやすくなるので、もっとその声が広まってほしいですよね。それにより演技の質が上がり、作品も良くなってくると思うので。
ー最近『哀れなるものたち』のヨルゴス・ランティモス監督と『ボーはおそれている』のアリ・アスター監督が、対談で「現場にICが入ることで不安が取り除かれた」と話をしていました。そうやって監督や俳優、観客のそれぞれの立場からICやIDを入れて欲しいと積極的に声を上げていきたいですね。
浅田:じつは本作のポスターにはミヤタさんと私もクレジットされているんです。そこにIDやICの名前があるだけで安心感を持つ人がいると思うので、その意味は大きいと思います。
ミヤタ:宣伝は、制作と同じぐらい重要だと考えています。俳優や監督、そして宣伝スタッフの方たちが安心して情報を発信できるよう宣伝の際に誤解なき伝え方を助言したりアドバイスする存在を積極的に入れてもらいたいなと。そうすれば発信する側も受け取る側も安心して作品と向き合うことができると思うので。
―俳優や映画業界の制作者の方々のなかに、問題意識を持ち、変えようとしている方たちがいるということを、皆さんの話を聞いてあらためて感じました。問題を伝えること、変えようとしている人たちの声を届けることはメディアの大切な役目なので、今後もしっかり発信をしていきたいと感じています。今日は本当にありがとうございました。