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柴田聡子が話す「奇をてらわない」ことと「現実的に考える」ということ。腰を据えて音楽に対峙する

2024年03月07日 19:10  CINRA.NET

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Text by 松井友里
Text by 川浦慧
Text by 小財美香子

「これほどぎりぎりまで作業したのは、初めてでした」。7枚目のアルバム『Your Favorite Things』の制作について、柴田聡子はそう話す。

これまでにない試行錯誤を経て生まれたというこのアルバムの話を聞くなかで、パラフレーズしながら繰り返し話されたのは、「奇をてらわない」ということと「現実的に考える」ということ。奇をてらわず、現実的な方法でより力強い夢を見るために、音楽家、そして一人の大人として、自身について省みることや、変わってゆくことに、柴田聡子はいま、本格的に腰を据えて対峙しているようだった。

まっすぐで研ぎ澄まされた、けれども肩の力の抜けたこのアルバムが、これまで以上に音楽をつくることに邁進し、真摯に向き合おうとする姿勢から生まれたことが、インタビューを通じて垣間見えた。

─今回のアルバムは、どんなふうにできあがっていったんですか?

柴田:前作までは自分のもの過ぎて、恥ずかしくて聴けないところもあったんです。今回は、いろんな人に楽曲を提供した経験なども経て、曲として良く聴こえるためにはどうしたらいいかなという視点を持って、ちょっと自分の手を離れたところでつくることができたように思います。

サウンド面は、岡田拓郎さんに全面的に協力していただいたことが本当に大きかったです。今回は最初から最後まで岡田さんがサウンド面をしっかりプロデュースしてくれて。プリプロダクションの段階でもたくさんアイデアを入れていったり、試行錯誤する時間が長かったですね。本当に地道な制作でした。

柴田聡子(しばた さとこ)
シンガー・ソングライター/詩人。2010年、大学時代の恩師の一言をきっかけに活動を始める。2012年、1stアルバム『しばたさとこ島』でアルバムデビュー。2022年、6枚目のオリジナルアルバム『ぼちぼち銀河』をリリース。2016年には第一詩集『さばーく』を上梓。詩やエッセイ、絵本の物語などの寄稿も多数。2023年、足掛け7年にわたる文芸誌『文學界』での連載をまとめたエッセイ集『きれぎれのダイアリー』を上梓。詩人としても注目を集めている。2024年2月28日、7thアルバム『Your Favorite Things』をリリースした。

─『ぼちぼち銀河』リリース時のインタビューで、制作時に「我の強いモード」だったというお話をされていましたけど、そういう意味でいうと今回はどうでしたか?

柴田:我の強いモードで『ぼちぼち銀河』をつくったけど、中途半端にエゴを出すと周りも困っちゃうから、今回はさらにエゴを出す必要性を感じました。岡田さんも強い個性があるから、お互いにやりたいことを出していったのが良かったなと。周りには大変な思いをさせたと思うんですけどね。

いつもそうなんですけど、みんなでやっているということを忘れないようにするのが本当に大事だなって、今回の作品で特に実感しました。みんなが良い気持ちでいられることが大切だと思っているけど、誰かはなにかが満たされなかったりするかもしれないし、誰かをないがしろにするようなことを制作の過程でしているかもしれない。こうやって喋るのも、誰かの気持ちを踏みにじっているかもしれないことを、どうにか正当化したいという罪悪感からだろうし。

─柴田さんに作品についての取材をさせてもらうと、必ずどこかでなにかしら懺悔のような言葉が出てくる気がします……(笑)。

柴田:やばい!(笑) つくったものについて最高だっていう気持ちはつねにあるんですけど、「できた! 最高だ! わーい!」みたいな感じで一緒につくってくれた人に接したときに、相手がそこまで最高な気持ちじゃない場合を考えちゃうんですよ。ほかの人の制作の裏話もよく聞くから、やってる方は「最高だ!」とか言ってるけど、大変なことっていっぱいあるよなって。

─ほかの人の事例を聞くと、自分もそうなのではないかと思ってしまう?

柴田:自分がその例に漏れるはずは、あるわけがないなって……。それを忘れちゃったら、まあいいやって踏み越えていくばかりになっちゃう気がして。だから懺悔めいてしまうところがあるのかもしれないです。

でも、制作からはそうやって世界のいろんなことを学べます。自分の打ち込んでいることを通して、世界のすべてを学んでいく感覚がすごくあります。

─去年10月に発売されたエッセイ集『きれぎれのダイアリー 2017~2023』(文藝春秋)の中で、2023年4月に、音楽教室の体験レッスンに行ってきたという話を書かれていて。

「随分最近まで、自分の作る曲や歌詞について伝えるために、写真で見せるとか、色で表すとか、主に音以外の想像力への刺激が音楽に反映されることを期待する、大喜利のようなコミュニケーションを提案していた」という記載がありましたけど、これまでやっていたという「大喜利のようなコミュニケーション」について詳しく聞いてみたくて。

柴田:これは私の逃げだったような気がします。誰もやらないことをやりたいとか、面白いかたちでやりたいということに執心して、本質を見誤っていたところがあったんです。

あとは、ベーシックなことをやることに対して、なんとなく斜めに見ているようなところがあって。いま思うと、自意識の暴走って感じですね。恥ずかしい! ベーシックなことをやるときにも面白さが伝わることが一番だといまは思えるようになったし、謎だと思っていたことを、「ここは謎なんでちょっと解釈をお願いします」と、お任せするんじゃなくて、もうちょっと突っ込んで考えるようになりました。

─レッスンで基礎的なことを学んでみようと思ったのも、そういう意識からきているところが大きいですか。

柴田:伝えるべきことを伝えるために必要な言語ってあるよなと思ったんです。ちゃんと伝えないと、あまりにも「あ、こんなものができた」という仕上がりになりすぎるから、もうちょっと狙いすましていくべきだって、音楽でも書くことでも感じました。

つくるって地道な作業だから、その過程でなるべく丁寧にコミュニケーションをしたいなって。言葉にしたり、記号的にしたりする努力で失われるものもあるかもしれないけど、そこを天秤にかけても、やっぱりわかるように努力したいんです。「考えるな、感じろ」って、時と場合によるなと思います。そういう場面もある気がしますけどね、バンジージャンプとか。

─(笑)。「こんなものができた」という思いもよらない面白さもきっとあると思いますが、今回の制作では、狙いすましてつくることに意識的になってみてどうでしたか?

柴田:私の場合、狙いすまそうとしても、そうはしきれないところもあるんですけど、「考えた末にこうなった」という方が納得できたし、充実感がありました。自分はどちらかといえば、結果から導いていくタイプの人間だと思っていたけど、最初から積み上げて準備していくようなやりかたも案外好んでいることがわかって、使い分けながらやっていきたいなと思いました。

─今回のアルバムは、つくり方としても柴田さん個人の手から離れた部分が大きかったということでしたが、歌われていることも、個人の生活の手触りが出発点にありつつ、より普遍的で大きなものになってきているように感じました。柴田さんとしては歌いたいことや伝え方が変わってきたという感覚はありますか?

柴田:今回のアルバムは、同じようにうじうじと、どうしようもないことをぐるぐる考えているような曲が多くて。だから発端としては超個人的なんですけど、同時に、世界中で起きていることがわかるようになって、普段生活しているときには本当に広い世界のことを感じるようになったんです。

ニュースをたくさん聴くようになったし、考えることの視野が広くなりました。なので歌いたいこととしては、本当に個人的なことが多いし、普段のことが入ってこないと自分はちょっと嘘臭い感じがするんだけど、やっぱり外の世界のことを入れざるを得ない感じがしていて。自分の世界だけで生きるってことはもう難しい気がします。

─そういう感覚が強くなっているんですね。

柴田:やっぱり家族が年老いてきたり、姪っ子や甥っ子が育ってきたりもして。家族や友達のために考えてみることが、私はそんなに嫌いじゃないんです。あんまり実行はできてないけど、よく考えてはいます。

─今回、アルバム全体を通して物語る力の強さも感じました。

柴田:曲自体はバンドメンバーと、イタロディスコがあってもいいよねとか、ネオシティポップもいいんじゃないかとか、楽しい音楽の話をしつつできていったんですけど、詞の方で統一感が出たのかなと思います。

いままでは誰かのことにしたり、風景を書くことで逃げていた部分もあったんですけど、そういうところが少なかった気がします。ものすごくエゴイスティックに、全部自分が思ったことを書いていきました。

そうやって自分が思ったことを2年ぐらいかけて書いていくと、なんとなく統一感が出て、これを考え、これを考え、そしてこれを考え……という流れができて、物語っていくようなところがあったのかもしれないです。

とにかく、かっこつけずに書くことがテーマでした。これを言ったら生々しいかな、一緒にやってる人たちはどう思うかな、みんなに受ける面白い詞かな、みたいなことをあんまり考えなくなってきた感じがします。

─“Kizaki Lake”とか、本当にまっすぐな楽曲ですよね。

柴田:そうそう、“Kizaki Lake”はところどころに使ったことがない言葉を使ったり、オノマトペを中心にしつつも、「これでいいのかな」とは思わずにつくれた感じがありました。

奇をてらわなきゃとか、面白く見えなきゃとか、逆張りしなきゃとか、人をくさして笑いを取るみたいなことは、もういいかって、最近ものすごく思ってるんです。そういう文化が自分の中にも根付いていたし、めちゃくちゃ内面化していたと思うんですけど、やっぱり自分がそれをされたときに、本当に気分が良くないなって。その場に居続けるためとか、誰かに気に入られるために面白くいようとすることをしない、身近に居る若い人たちのナチュラルな状態から学ぶところがすごくありました。

─個々の楽曲について話を続けると、“白い椅子”は、実際に柴田さんの自宅近くにある椅子だそうですね。“ジャケット”(『ぼちぼち銀河』収録)のように、身近なものを通じてちょっとした異世界に接続してしまう系譜の曲だなと思いました。

柴田:そこは自分の夢見がちなところなんですよね。良くも悪くも現実味が薄く生きているところがあって、曲を書くうえではいいかなと思っているんですけど。

─一方で“素直”のリリース時には、「これを作ったら、自然現象を都合良く擬人化することが止みました。励ましてくれる日差しはただの日差しに、なぐさめてくれた青空はただの青空に……」というコメントを発表されてましたよね。

柴田:そういうバランスが好きなんですよ。夢見がち過ぎず、現実的過ぎず、真ん中ぐらいが一番良くて。擬人化って、なにも見えていない状態の極地だと思うんですけど、“素直”をつくって、そういうところから逃れられたのがよかったなって。

擬人化しているときって、羽も生えてないのに、生えてると思ってぱたぱた飛んでるイメージだったんです。そうすることによって、つらいことから目をそらして生きていけたりもするんだけど、切ない風景になってもいいからそこから逃れて、「自分勝手だったな」とか「なくなってしまったものはなくなってしまったんだ」って向き合えるようになって初めて、ほんとうに羽を生やすようなとんちきなことができるのかもしれないと思うんです。たとえばそれは「羽を移植する手術をする」みたいな方法かもしれないんですけど。

─現実的な手段で羽を生やそうとすることって、音楽教室に通って学ぼうと思った話ともつながっているのかなと思いました。

柴田:夢見がちなままでは見えないものがいっぱいあるんですよね。それも『ぼちぼち銀河』をつくっている頃からよく考えていたことなんです。夢の世界や別の世界って、ふわっとそこに行けるような感じがするけど、本を読んでも映画を観ても、そうじゃないんだなと、ここ2年ぐらいで感じました。ファンタジーこそリアリストの人たちがそれに向き合う胆力を持ってやっている感じがして、それってすごく骨のあるやり方だなという憧れがあります。

─“素直”は”selfish”という英語タイトルがついていますけど、たとえば“目の下”は、“All My Feelings are My Own”だったり、柴田さんの楽曲の英語タイトルってどういうふうにつけられているんですか?

柴田:“素直”は、「素直になることは良いことだ」という方面ではない気持ちで書いた曲で、素直って自分にとっては「セルフィッシュ」に近いと感じたんです。素直になるって、結局は自分を助けるような行為だから、それによって自分はその後やっていけるんだけど、誰かにとっては本当に勝手な行為だよなって。

─「情けは人のためならず」的な。

柴田:あの言葉の本当の意味を知ったとき、びっくりしましたよね。「あなたのためにやっているんだ」というときって、自分のためにやっているという裏面がどうしても付きまとうというか。その感触についてもうちょっと考えなきゃだめだと思い、こういう英語タイトルになりました。

─英語タイトルに、もう一つの心の内のようなものが込められているところがあるんですね。

柴田:英語はストレートなイメージがありますけど、ストレートに感じる裏に、いろんな含みを持たせることができるのが魅力的ですよね。日本語はずっと薄膜の中にいるような、どこまでもぼかしていけるところが面白いし、それによってかえって伝わる部分もあったりして、言語ってめちゃくちゃ楽しいなって思います。

英語タイトルについて、ネイティブの子に「これって文法的にどう?」って聞いたことがあるんですけど、「聞いたことない感じではあるけど、ぶっちゃけ言語は気持ちなんで」って言われて、本当に勇気づけられました。短歌や俳句のように縛ることで楽しくなるものもあるけど、基本的に言葉は自由に使っていくのがいいなと思うんです。

─言葉の使いかたや、音との絡まりあいかたの自由度の高さは今回のアルバムを聴いていてすごく感じたことでした。

柴田:そうですね、これもあんまり縛りをつけずに、かっこつけずにやりました。自分は日本語も英語も専門家的には知らないし、英語については赤ちゃんみたいな状態でしかできないことを知っているから、馬鹿にされようがいいやと思って。

─“Synergy”は、ビジネス用語が詞になっている意外性の面白さがありますよね。

柴田:ビジネス用語って結構興味深くて。「Win-Win」とか好きなんですよ。

─どういうところが好きなんですか?

柴田:すごく新しい感じがするし、「リニアモーターカー」とか「先端テクノロジー」みたいな、いろんなものをハイブリッドしたような速さを感じてしまうんですよね。そういう言葉を日々生み出し続けているビジネスマンたちの、なにもかもかなぐり捨てていくような目標が定まっている感じにグッとくる時があって。

ビジネスマンのモーニングルーティーンとかをYouTubeで見ていても、すべてに無駄がないんです。それは病的だったりするかもしれないし、そういうことが原因で世界がおかしくなっているところもあると思うんですけど、そういう人間の好奇心みたいなものに惹かれてしまうんですよね。

─柴田さんって自己啓発本を割と読むんですよね?

柴田:良い曲をいっぱい書くために最大限の力を発揮したいから、たくさんのタスクにあたっている人たちの暮らし方にすごく興味があるんです。

詞を書いたり音楽をつくることって、効率化とはほど遠いところにあるような気がするけど、できるところの効率化は図っていきたくて。とにかく制作に打ち込みたいし、その時間をつくりたいんです。なんか、生命の終わりを感じているのかもしれない……(笑)。

─それにしても今回のアルバムは、終わったものやすでになくなってしまったものについての歌が多いですよね。

柴田:そう、終わったことに浸らないで、終わった物事について本気で考えたいという状況なんですよね。真実がどうだったのか、もう尋ねたりもできないんだけど、それについて考えている。

擬人化をしたりしていた頃は、多分感傷的になっていたんですよね。涙が出ちゃったりとかも全然するんだけど、「あれはなんだったのか」って考えたいんです。終わったことを考えることに飽きないのが不思議なんですけどね。

─もともとはあんまりそういうことをしなかったですか?

柴田:いや、もともと終わったことを考えるタイプではあったんですけど……あ。いま本当に嫌なことに気づいてしまいましたけど、終わってしまってどうしようもないことって、想像の余地があるから、いくらでも詞にできるんですよね。

だから、詞を書いたり音楽をつくっている人間として、これがあればずっとつくり続けられるんじゃないかって、ブルーオーシャンを見出しているのかもしれないです。

私は多分、つくり続けることにすがっているところがあって、考えることがなくなったり、書くことがなくなったりしたら、人生が結構つらい気がするんです。終わってしまってどうしようもないことなら、ずっと考え続けられるし、良き題材を得たという、浅はかさがあるかもしれない。

─それって、つくるうえでの題材がなくなるかもしれないという恐れを感じたことがあるということですか?

柴田:そんなことはないんですけど、無意識に書くことがほしいと思って探したり、手を伸ばしたりしている気がします。人間って毎日乗り越えていくべきことがあって、乗り越え続けていくと、やがてなにもなくなっていくのかなと思ったりもするけど、クリアできないこともあるんだという実感も出てきたかもしれないですね。

悲しいことはずっと悲しいし、きっと乗り越えることはないんだろうなって、予想がつくことも増えてきました。だからこそ、夢見がちなままでいる方が辛くなってきたんでしょうね。

─“Your Favorite Things”は、まさになくしたものに向き合っている歌だなと感じます。

柴田:うじうじの極地みたいな……(笑)。「だったらやれよ」みたいなところがあると思うんですけど、「だったらやれよ」ができないこともあるなって、最近思います。

自分がもやもやしているから相手に伝えに行きたいとか、相手との関係を確かめてみたいとか、自分がしたくても、それをされた相手は結構大変だよなって。それこそセルフィッシュですよね。相手にそこまで請け負わせるのかと考えたとき、やっぱり詞を書くことってすごくいい作業だなって思いました。

─さきほど、以前はベーシックなことをやることに対して、斜めに見ているようなところがあったという話がありましたけど、今回のアルバムのタイトルってやっぱり“My Favorite Things”(映画『サウンド・オブ・ミュージック』の楽曲)を連想するところがあって。いわゆるスタンダードナンバーですけど、普遍性について、音楽をつくるうえで柴田さんがどんなことを考えているかを聞いてみたいです。

柴田:絶対に『My Favorite Things』が対に出てくるよなって思いながらも、宇宙の一粒って感じの人がこのタイトルを選んでも、『My Favorite Things』にそこまで影響がないだろうと思って、決めました。

そういう気負いみたいなものが全然なくなりましたね。音楽に関してはすごい人がいっぱいいるし、みんなの集合知によって文脈がしっかり形づくられていると思うので、「でかいことを成し遂げてやろう」とかではなく、とにかくもっともっと良い曲をつくりたいという本当の目標を見失わないでいたいです。

それに付随して、なにをすれば自分の音楽が広まるのかとかも、考えはするんですけど、そういうことについて考えすぎないようにしたら、音楽のことをまた一段と尊敬できる気持ちになりました。

─いまの柴田さんは力みのない状態で音楽に取り組めているんですね。

柴田:それなりに時間をかけて音楽をやってきた人間として、つたなくても、だんだんと歳を重ねてきたということだけは意識しながらやっていこうかなと思っています。「自分はなにも知らないんで」みたいな素振りはもうしないようにしつつ、ちゃんと切なく年をとっていこうと。

「この人だめだな」と思われても仕方ないし、なにもできないけど、もしチームで自分が一番年上だったりしたら、年上として受け止めたりしたいし、もしなにか謝ることがあったら出て行こうという気持ちでいます。

─管理職的な……。

柴田:その機会があればなんですけどね(笑)。まあ、ちょっと音楽のことから離れましたけど、人間としてはそんな意識でいます。