たとえ悪気がなかったとしても、不意打ちで宗教団体の儀式に参加させられたら、誰だって不信感を持ってしまうのではないだろうか。茨城県に住む50代女性は、子育て中だった20代後半の頃、友人に「ある建物」に連れていかれた事件を語る。何も知らされないまま一緒に行った子ども2人と離されて、妙な集会が始まったというのだ。
途中で宗教だとは気付いたが、子どもたちから離れてしまった恐怖と不安がまさり、「言う通りにお辞儀をしたり手を前に合わせたりとやるしかありませんでした」と振り返る。終わると「おめでとうございます!これであなたも今日からご本尊様の元で守られる事になります。これにて入信の儀を終わります」と言われた。
「私は怒りよりも子どもたちがこのまま返してもらえないのではないかという不安しかなく、この人達を刺激しないでどうにか子どもたちの所まで行くことしか考えられませんでした」
と当時の恐怖を振り返った。
「下の子を抱っこして、上の子の手は2度と離さないと必死でした」
結局その後、「子どもたちと無事に会うことができて、帰ることもできました」とはいうものの、
「その建物を出るまではもう下の子を抱っこして、上の子の手は2度と離さないと必死でした」
という回想からは、当時の不安と恐怖がうかがえる。勧誘してきた友人は子どもを返すのは当たり前だと思っていたかもしれないが、女性にしてみれば子どもたちと無事帰宅するまでは生きた心地がしなかっただろう。それなのに……
「その後、彼女からその宗教に関する色々な教えを電話やメールなどで永遠と語られる日々。私は彼女が信じるなら仕方ないが私はそこは違うのでと断るのですが、その度に『バチが当たる、素直にならないから不幸になる』と永遠と……」
と勧誘は続いたが、女性はもう友人を信じる気持ちになれなかったのだろう。ついには「もう一度会って話そう」とも言われたが、「断りましたし、もうその話はやめてとも何度となく話しました」と明かす。
「その怒りはバチが当たってる証拠」と全く話にならず
女性の拒絶にもかかわらず、友人からの「手紙、メール、電話」などの連絡は止まらなかった。
「もう数え切れないほどで、そのうち私も怒りが先に立ち、怒鳴ったりしたこともありました。その度に『その怒りはバチが当たってる証拠』と全く話にはならず」
結局は「全ての連絡を断ちました」と絶縁に至った。しかしその後も手紙は送られてきて、女性のいる地方まで来るといった内容もあったという。しばらくして女性一家は関東に戻ったが、もちろん住所は知らせていない。しかし引っ越し後も携帯の番号を変えていないため、いまだに電話はかかってくるという。
「一度知らない番号からの電話に出てしまい、彼女だったことがあり、それを防ぐ為に彼女の番号は残してあります。その番号からかかってきたら出ない事にしています」
と激しい嫌悪感を明かす。そのうち宗教のことは語らず、留守電に「謝りたい」というメッセージが入るようになったというが、女性の気持ちは変わらない。
「今彼女がまだ宗教に入っているかはわかりませんが、その事で謝られたとしても、私は彼女と会う事は2度とないと思っています」
友情は、あの一件で完全に壊れてしまったようだ。
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