就職先が決まらない原因は、本人の実力のせいばかりとは限らない。リーマンショック後の過酷な就職氷河期を経験した30代前半の女性。20社近く落とされ、奨学金もある中で就職浪人もできず「派遣に行きました」と語る。ただ、就活が上手く行かなかったのは時代のせいだけではなく、母親が「毒親」だったことも影響しているという。
「短大在学中に病院の事務職に応募したのも、『女は座って楽にちょっと稼げる仕事がいい』と母親の希望というより強制でした。就活が上手く行かず、製造業で派遣で働くことになったときには『作業服着た子なんか恥ずかしくて連れて歩けない』など、散々罵られました」
と苦しい過去を明かす女性に、編集部では話を聞いた。
「母親が勝手に進路を決め願書を出しました」
女性は母親のことをはっきり「毒親」と語る。というのも、進路を決めようとするとき、必ず母親が女性の希望する道を捻じ曲げてきたからだ。高校進学の際には、希望の学科がある高校を志望していたのに「あんなアホ高行かせるのは恥ずかしい」と言われて、母親が指定する学校を受けさせられた。
その後も干渉は続き、短大に進学することを決めたのも母親だった。
「そもそも私自身は大学に行きたくなく就職を希望していたのですが、高校3年生のときに母が『アンタに就職なんか出来るわけない!』と担任と話をして、勝手に進路を決め願書を出しました。AO入試なので作文と面接のみのため、母親が作文を書きました」
受験しないと「キレられる」ため、一応面接を受けたというが……。
「作文の内容について質問されましたが、読んですらなく、全てに『わかりません』と答えました。これで落ちるだろうと思っていたのに受かってしまいました」
女性にとって不本意な結果だったが、短大に進学した後は様々な資格を取得して就活に備えた。ところが、就活時には就職氷河期が到来。結局、正社員での就職はできず、卒業後は非正規で働くことになった。
母親は、娘が製造業の派遣に入ったことを散々罵ったというが、女性は
「自分の希望で大学行かせたのに、奨学金返済は私がしないといけないし、仕事もないし、とにかく何でもいいから働かないと払えないのに……」
と不満を吐露。母親の意向に翻弄されてきたこれまでを振り返った。
しかし、そうしたつらい経験から「だからせめて人に喜んでもらえるやり甲斐のある仕事がしたい」という思いが芽生えたとも語る。現在女性は準公務員として働いており、そうした心根が公共性のある今の仕事に結びついたのだろう。
最後に、自身と同じ境遇の「親の過干渉·支配等に悩んでいる人」に向けて、あなたの人生は「親の人形でも親の第二の人生でもない」と説き、こう励ましを送った。
「誰になんと言われようと、どうにか親の元を離れて下さい。離れることで必ず世界が変わります。勇気をもって踏み出して、自分の人生を生きてほしいと思います」