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キレッキレ質問の山添拓氏、ロースクール制度も斬る 「場当たり政策もうやめて」「優秀さより多様性」

2024年02月26日 10:20  弁護士ドットコム

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ロースクール(法科大学院)開校から20年。学んだのち、司法試験を突破した人材は多様なフィールドで活躍している。


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山添拓参議院議員もその一人だ。東京大学法学部を卒業後、早稲田大学ロースクール未修者コースに進学。弁護士として活動したのち、31歳で初当選を果たした。



2024年1月に開催された日本共産党の大会で新委員長に就任した田村智子氏の後任として政策委員長に就任。所属する予算委員会では、自民党の裏金問題について「国民の多くが納得していないというのは、何ら解明されていないのに刷新本部などといって、改革の方向だけ打ち出そうとする。そういう姿勢に向けられている」など舌鋒鋭く政府与党への質問を飛ばす。



自身も通ったロースクールや法曹養成の現状についても、「そもそもの制度設計がおかしかったのでは」と国会での質問さながら厳しい表情で話す。山添氏に、ロースクールのあり方やこれからの法曹界について聞いた。(編集部・若柳拓志)





●絶対に弁護士になろうとまでは考えていなかった

京都府向日市生まれ。府内の公立高校卒業後、東大法学部に進学したが、当初から弁護士を目指していたわけではなかった。



明確に目指そうと思ったのは大学4年生の頃。旧司法試験も受験したが「記念受験みたいなもの」で、(最初の)択一試験は通らなかった。



2007年、「今後ロースクールを経る受験が主流になるということであれば」と早稲田大ロースクール未修者コースに入学。進学時に懸念していた授業料は、貸与奨学金で補った。



「学部生の時から奨学金制度を利用していました。ロースクール生や司法修習生の間は返済が猶予され、その後比較的長いスパンで返済していきます。私もまだ返済を続けています」



ロースクールを卒業した2010年の司法試験で一発合格。同年12月からの司法修習は東京で受けた。弁護士になってからは、労働事件を中心に担う。刑事では痴漢の事件で逆転無罪判決を勝ち取ったこともある。



●制度や法律を変えたビギナーズ・ネットでの経験

司法試験を受けた受験生時代に忘れられない出来事があった。



山添氏は司法試験を受験した2010年から、司法修習生の給費制の復活を目指すネットワーク「ビギナーズ・ネット」で活動。当時、同年11月から司法修習中の生活費等を必要とする者に貸与する「貸与制」の施行が迫っており、これまでの「給付制」を続けるよう求めていた。



事前に阻止することはかなわず、11月1日には貸与制がいったん施行された。しかし、同月26日、暫定的に今後1年間は司法修習費用の貸与制を停止し、給与の支給を行うとする改正裁判所法が成立。2010年11月から司法修習生になる人には「給付」されることとなった。



「あの時は11月の最終週(29日)から修習が始まったんですが、裁判所法の改正案が参議院の本会議で通ったのが、その前の週の金曜日でした。



司法修習へ行く人はみんな貸与制の前提で手続きもしてきて、私も貸与の申し込みをしていましたが、いざ修習が始まると給費制になっていたわけです。



私は東京での修習だったので、東京地裁の講堂に最初の日は登庁したんですけど、パイプ椅子の上に封筒がずらっと並んでいて。給費の振込手続きの書類なんです。これを見たときはやはり感動しました」



自分たちの活動で政治を動かした実感を強く感じた印象的な体験だったという。



●「弁護士は政治家に向いているが、法知識だけではダメ」



山添氏に大きな転機が訪れたのは2015年夏。党員として所属する日本共産党から2016年7月の参議院議員通常選挙への出馬打診があった。弁護士としてやっていくつもりであったため、声をかけられるまでは、政治家になるつもりなどまったくなかったという。



出馬するか否かを悩んだ際に頭をよぎったのは、自身が関わっていた原発事故の事件のことだった。



修習中の2011年3月、東日本大震災が発生。多数の死者・行方不明者が発生し、福島第一原発の事故で周辺地域に重大な影響を及ぼしたことなどに衝撃を受けた。



「青年法律家協会のメンバーなどで、福島、宮城、岩手などの現地に複数回調査で訪れ、これからの支援をどうやっていくのかを議論しましたね。7月集会(現・司法修習生フォーラム)のメインテーマも元々予定していたものを変更し、震災に対し法律家として何ができるか一緒に考える企画にしました」



弁護士登録後には、原発事故に関する被害賠償事件にも弁護団の一員として参加するなど、弁護士としてのキャリアにも大きな影響を与えた。



「弁護士になって関わった最初の大きい事件でしたから、解決まで担当できればと思っていました。ただ、被害賠償も大きな問題ですが、原発が存在する限り、ああいう事故は起こり得ます。政治を動かさないと究極的には解決しない問題だということはそれまでも考えていました」



政治家になって、より大きな形で解決する。「そういう働きをする人が必要だと思っていた」という山添氏は出馬を決意。当時31歳で初出馬初当選を果たした。



弁護士出身の政治家は決して珍しくない。弁護士白書2023年版によると、2023年10月1日時点で弁護士登録している衆議院議員は19人、参議院議員は15人で計34人。国会議員全体の約5%を占める。



「弁護士は政治家に向いていると感じます。国会議員は立法府で新しい法案を議論するわけですから、既存の法体系や基本的な法律の中での位置付けを、初見でもある程度理解できるというのは大きい。地方議会を含め、弁護士資格のある政治家はもっと増えていい」



ただし、「法律の知識があれば立法府の一員として十分というわけでもない」という。



「弁護士は、今ある法律の下でこの事件をどう勝つか、今ある既存の法体系下でどう当てはめて有利に解釈しているかなど、現行の枠内で考えがちです。現行法が憲法違反だと主張することはありますが、『新たに規範(ルール)を作る』のとはちょっと発想が違います。立法を担う国会議員としては、考え方を変えないといけないでしょう。



たとえば、刑法の性犯罪で、2023年7月の改正法施行前の強制性交等罪では『暴行・脅迫』要件がありましたが、この要件が認められなくて無罪となるのはおかしいという声が広がりました。



被告人の弁護人として、法律に定められている以上、『暴行・脅迫要件が証拠上認められないから無罪』と主張することはあり得ることです。しかし、法改正を望む方々が訴えていたのは、暴行・脅迫がないと罪に問われないということ自体が『規範としておかしい』ということだったわけです。



弁護士出身の国会議員には、発想の転換が必要だと強く感じた出来事でした」



●ロースクール「そもそもの制度設計がおかしかったのでは」



法曹志願者は減少している。司法試験の受験者数がそれを如実に示している。最大74校あったロースクールは半数以下となり、ローを経由しない予備試験を突破した合格者が「予備試験組」として、大手事務所や裁判所、検察庁に“重宝”されている。



山添氏は、予備試験の存在自体は否定しないものの、ロースクールの現状について、「場当たり的に制度を変え過ぎているのでは」と懸念を示す。



「『ロースクールに行かないと法曹になれない』とした上で、司法修習と連動して実務家との架け橋にする。それが最初の構想でしたから、それを貫くべきだったと思います。



生活費や学費などの負担が大きすぎるということであれば、それはロースクールや修習の中で経済的な手立てを講じるべきだったのではないでしょうか」



新設された法学部3年とロースクール2年の教育課程「法曹コース(いわゆる3+2)」についても、「多様なバックグラウンドを持った法曹養成という考え方からは遠く離れたもの」と疑問視している。



「もっとも優秀な人は予備試験、普通に優秀な人は3年+2年(法曹コース)、普通の人は4年+2年というのが現状でしょう。予備試験が『予備』になっておらず、最優秀の登竜門になっている。そもそもの制度設計がおかしかったのではないかと思います」



制度は法律に基づいて整備される。今の法曹養成制度を変える必要があるなら、国会(立法府)が動かなければならない。



「法曹養成の改革はやってみたいです。『誰のための法曹か』ということが定まってないからこそ、迷走しているのではないでしょうか。私は市民のための法律家を国家としてどう養成していくのかだと思います。



『優秀な人が法曹になればいい』という単純な話ではない。誤解を恐れず言えば、優秀な人はどんな仕組みでも法曹になれます。色々なバックボーンを持った人が互いに交流しながら法曹になっていくことは大事だと思います」



法曹が人気のない仕事になってしまったことは、法曹養成の仕組みの問題だけではないという。



「法曹の仕事とはどういうものか、その魅力がなかなか伝わってないと感じます。私自身は『弁護士は面白いぞ』と思いますが、それを言ったところで魅力が伝わるという話ではない。自分の体験を振り返っても具体的な姿を知られるようにすることが重要です。



私の場合は、学生時代に労働事件に関わっている弁護士の姿を間近で見たことが大きかったです。



また、学部生のときに、当時あったハンセン病の事件で群馬県草津町にある栗生楽泉園(ハンセン病療養所)で、当時ご健在だった谺(こだま)雄二さんとお会いして、弁護士が国賠事件を起こそうと励ましてくれてるというお話などを聞いて、その不条理や権利の侵害に対して一緒に怒りを共有して、事実と道理で真実を探していく仕事ぶりに魅力を感じました。そういった『体験』をもっと伝えていく必要があると思います」