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生きやすさを感じて生きてたら、絵は描いていない。「顔のない肖像」を映し出す榎本マリコの視点

2024年02月22日 18:10  CINRA.NET

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写真
Text by 宇治田エリ
Text by 大畑陽子
Text by 生田綾

自身初となる作品集『空と花とメランコリー』が2023年11月に上梓され、12月には個展『Melancholia』を開催するなど、目覚ましい活躍を見せるアーティスト、榎本マリコ。2018年に『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著・筑摩書房)の装画で一躍脚光を浴びて以来、これまでにも数多くの書籍の装画を手がけてきた。

榎本の作品で描かれる人物には顔がない。その代わりに、コラージュされたように動植物が美しく配置され、背景には荒涼とした風景や、いつか見たことのある表情の空が描かれている。それは夢の中で組み立てられるイメージのようであり、見ていると漠とした感情や記憶が掘り返され、溢れ出してくる。まるで奥底に隠されていた自分自身を映し出す鏡のように。

こうした作品は、どのようにして生み出されてきたのか。都内にある榎本のアトリエを訪れ、「特別な日常を過ごしているわけではない」と語る彼女が持つ、視点のありかを探った。

―昨年の『空と花とメランコリー』の出版に伴い、書店では榎本さんがこれまでに装画を手がけた書籍を集めた棚を見かけることも増え、アーティストとしての注目が集まっていることを感じます。ご自身にとって、転機となった作品はありますか?

榎本:やはり、2018年に日本で出版された『82年生まれ、キム・ジヨン』でしょうか。その当時はまだまだ駆け出し中で、出版社などに手当たり次第にポートフォリオをメールで送るという地道な営業活動を続けていました。そんなときに声をかけてくださったのが、ブックデザイナーの名久井直子さんでした。

作品を最初に読ませていただいたときは、本当に衝撃というか、ズドーンと心に響いてきて。あまりにも当たり前になりすぎて、気づきもしないでいた女性の生きづらさを言語化してくれたというか。「こんな苦しかったんだ、私」と気づかされ、同時に「それでいいんだよ、それで間違ってないよ」と言ってくれているような本だなと思いました。

『82年生まれ、キム・ジヨン』筑摩書房、チョ・ナムジュ著 斎藤真理子訳

榎本:装画は描き下ろしではなく、これまでに描いた作品の中から選んでいただきました。名久井さんがあの荒涼とした景色と顔がない絵に、「自分の顔すら見えなくなってしまうぐらい、自分という存在がない」という解釈を与えてくださったことで、私自身も「そうか、そういう捉え方ができるのか」と驚きを感じて。

私も、生きやすいと思って生きていたら絵は描いていなかったと思うので、きっと私自身の描かざるを得ない気持ちが、リンクしたのかなと思っています。

榎本マリコ(えのもと まりこ)
1982年生まれ、東京都在住。日本画家であった曾祖父の影響もあり、幼い頃から自然と絵のある環境で育つ。ファッションを学んだのち、独学で絵を描き始める。書籍の装画や映画、演劇のビジュアル制作等手がける。近年ではイラストレーションの領域を越え、油彩で描かれたポートレート作品を中心に作品を発表。著書に『榎本マリコ作品集 空と花とメランコリー』がある。

―その後も数多くの書籍の装画を手がけ、いまや出版界になくてはならない存在となっています。実際にこのアトリエにも、『覚醒せよセイレーン』や『九月と七月の姉妹』の原画がありますね。

榎本:本の装画を描くことは一つの目標でもあったので、箸にも棒にもかからない時期は長かったですが、ブレずに描いてきて良かったなと思ってます。

装画の作品は『82年生まれ、キム・ジヨン』のように、すでに完成している作品からデザイナーさんに選んでいただくこともあれば、作品のゲラを読んでラフを出し、擦り合わせながら描いていくこともあります。ここにある『覚醒せよセイレーン』や『九月と七月の姉妹』のほか、『法廷遊戯』『家庭用安心坑夫』も描き下ろしですね。

『法廷遊戯』講談社、五十嵐律人著

―榎本さんの装画に惹き寄せられ、書籍を手に取った経験がある人も少なくないと思います。榎本さんにとって、装画はどのような存在だと捉えていますか?

榎本:読み手にとっては、トリガーじゃないけれど、何かしらの引っ掛かりみたいなものを与えるものだと思っていますね。描き手としては、すでにある作品から選ばれる場合はその絵が持つイメージや纏っている空気感、世界観が、本の物語と寄り添い合っていけるものを第三者の視点から選んでいただける。そこから新しい化学反応が生まれることに面白さを感じています。一方で描き下ろしは、そのストーリーの方にピッタリと寄り添った絵が描けるので、それはそれで面白いです。

―アーティストとして活動するまで、どのようなキャリアを歩んでこられたのでしょうか?

榎本:絵は子どもの頃からずっと描いていました。高校卒業後はファッションの専門学校に通って、最初はスタイリストのアシスタントの仕事に就いていました。そのスタイリストさんは、アートディレクションもされている方で、いろんなアーティストとコラボレーションをしながら作品を発表していて。私自身もその仕事からかなり刺激を受けて、当時ファッションの世界でも活躍していたシャルル・アナスタスやジュリー・ヴァーホーヴェンといったイラストレーターの方々の作品を拝見しながら、自分でも思いついたら絵を描くようにしていましたね。

そうしているうちに、一から自分でつくる方向に行きたいと思い、アシスタントをやめて独学で絵を描き始め、イラストレーターとして活動を続けていきました。

―その頃から現在の作風は確立されていたのでしょうか?

榎本:そうですね。当時から絵でしか表現できない世界というか、写真では表現できない世界とかそういったものを描いていたので、そんなにブレていないと思います。とはいえ、最初の頃は結構しっかり顔を描いていました。ただ、顔を描くと絵が強くなりすぎるというか、「この人」に限定されてしまう感じがして、徐々に別のモチーフを顔の上に描くようになり、いまの作風ができていきました。

初期作から最新作までをまとめた作品集『空と花とメランコリー』の帯に、編集者さんが「誰でもなく誰でもある」というコピーを描いてくださったのですが、まさに自分が描いてきた絵を言い表しているなと思います。

―作品を振り返ると、近年描かれた絵はこれまで以上に重厚感や雰囲気が増しているように感じます。

榎本:油絵で描くようになったからだと思います。それこそ、初期は鉛筆で描いていて、その後もしばらくの間はアクリルで絵を描いていました。油絵はずっと描きたかったけれど、ずっとイラストレーションとして絵を描いていたので、難しそうに感じてしまって手が出せないでいたんです。だからアクリルで絵を描いていたときも、どうにか油絵の質感で描こうとしていましたね。

ギャラリーに所属してアーティストとして活動をするようになると、いろんな方から「油絵のほうが世界観が絶対合ってるから、チャレンジしたほうがいいんじゃない?」というお声をいただくようになって。ようやく重い腰を上げて油絵を描き始めたんです。

―榎本さんの作品の代名詞とも言える顔のない肖像画には、人物だけではなく風景や動物、植物などがモチーフとして描かれ、その奇想天外な様子が目を引きます。どのような発想で描いているのでしょうか?

榎本:モチーフ一つひとつにはそこまで意味を持たせていないんです。ただ、絵を描き始めた頃から、絵でしか表現できない世界を描きたいというのが第一にあったので、浮かんできた潜在的にあったものや記憶に引っかかっているものを、ポンポンポンポンとコラージュするような感覚で置いていっています。

絵を見てくださる方からは意味深に捉えられることが多いのですが、それはきっと、皆さんの置かれてきた環境とかにリンクしているからなのかなと思っています。だからこそ、私自身はそこまでそれぞれのモチーフに意味を与えようとせずに描くことを続けています。

―しっくりくるモチーフやその配置にたどり着くまで、どのような試行錯誤をされているのでしょうか?

榎本:ラフの段階でいろんなバリエーションで描いてから決めていますね。そのときの感情とか、ハッとさせられたこと、触れてきた人の感情を表現するには、どんなモチーフを描けばいいかなと、そういうことを楽しみながら考えています。

―榎本さんの絵は、1920年代から始まったシュルレアリスムの絵画を彷彿とさせます。ご自身の作品との相違点や共通点をどのように捉えていますか?

榎本:たしかに、ダリやルネ・マグリットなどのシュルレアリスムを代表する作家を引き合いに出されることがよくあります。ただ、私としてはどちらかというとフリーダ・カーロ(※)などが描いていた、泣いている女性の肖像の方に影響を受けていますね。また、シュルレアリスムの作家の多くが潜在的な意識をアウトプットしていて、そういう点ではみんな共通しているとも思います。

―ほかのインタビューなどで「夢」というキーワードも出てきていたかと思います。潜在的な意識が現れる夢の中は、いままで見てきたものが不思議な光景をかたちづくっていて、そこから受ける印象というのは、空を見て感動しつつも漠然とした感覚になったときにどこか似ている気がします。

榎本:そう思います。夢って自由で、思いもよらないものを叩き込んできたりするじゃないですか。そういう世界観とか、そこから受けた印象や感情をアウトプットできればと思っています。

実際に私自身も、特別な日常を過ごしているわけではなく、子どもがいて、朝は送り迎えをして、アトリエで描いて、帰ったらご飯つくって、本読んで、映画見て、休みの日には子どもと公園に行って……みたいな。本当に普通の日常生活を送っているんです。

そんな生活の延長線上で見る空の景色に、圧倒的なものを感じて魅入ってしまうんですよね。そういったところからしか私の絵は生まれていないというか。非日常を描いているように思われがちですが、あくまでも日常の延長線上に作品があるものだと捉えています。

―空を見るとき、好きな時間帯はありますか?

榎本:やっぱり夕暮れ時ですね。色がどんどんグラデーションになっていく様子は、見慣れることがなくハッとするような気持ちになるんです。それをとにかく見て、そのときの感覚を無くさないように家に持ち帰っていますね。

出不精で、しょっちゅう美術館や旅行へ行くわけではないので、代わりにそういった身近な自然に心を震わせてもらっています。

―『82年生まれ、キム・ジヨン』の装画をはじめ、いくつかの作品には、日本の風景とは思えない景色が描かれています。これはどの場所をモチーフにされているのでしょうか?

榎本:『キム・ジヨン』の装画のモチーフは、アメリカ合衆国にあるニューメキシコ州ゴーストランチの風景です。観光で3か月ほどアメリカを旅行することになり、友人から「お化けのいる場所がある」と教えてもらったのがきっかけでした。

しかも、調べてみると、以前から大好きだった画家ジョージア・オキーフのアトリエがあるというので、合わせていくことにしたんです。実際にその場へ行ってみると、本当に圧倒されて。気づけば自分の心の故郷みたいな場所になっていったんです。その後も他の友人を「すごい場所だから行こうよ」と誘って、2度ほど訪れましたね。

何もない場所なので、滞在中はただただ景色を見ていました。サボテンがあって、コーラルピンクの土みたいな赤茶色の土と、黄色っぽいクリームイエローみたいな土がある。聴こえるのは、風と鳥の声だけ。そうして見ていると、お母さんのお腹の中から太陽を見ているような感覚があって。本当に何にもないんですけど、このなんにもない景色を見ながら、オキーフはこんなに生命力の強い絵を描いたのかと思って過ごしていました。

―榎本さんの作品で描かれる人物は、女性が多いかと思います。以前は男性も描いていたとのことですが、何か理由があったのでしょうか?

榎本:たしかに、油絵に移行してからはもう全然描いていないですね。それまでは性別を問わず普遍的なものを描いていたつもりだったけれど、自分の核となるものや描きたいもの、世界観をギュッと絞り込んで描くと決めてから、私自身が女性であるということもあると思うんですが、自然と女性を描くようになっていったのだと思います。

―鑑賞者の反応には違いがありますか?

榎本:どうなんでしょうね。作品を購入される方は圧倒的に男性の方が多いんですけれど。でも、やっぱり本とか物語がそこに乗っかると、女性の方が反応してくれる気がします。

―逆に、榎本さん自身が自分の描いた絵をどのように見ているのかも気になります。

榎本:描いている途中はいろいろ変わっていきますが、描き終わった肖像画は別人格として捉えています。なので、「この人はこういうものを背負って、こういう人生を歩んできたんだね」という感じで、その人のパーソナリティに向き合うような思いを抱きながら見ていますね。

―人と対面で喋るとき、その人の顔の表情や服装や髪型を見て人生を感じ取りますが、それだけではない動植物というモチーフから、その人のパーソナリティを見出すというのは面白いですね。

榎本:そうですね。空とか植物、動物といったいろいろなモチーフには意味はないんですが、これまで自分が見てきたものが全部結びついて1枚の絵になっているので、そこで描いた人の人生みたいなのは、何となく自分には浮き出て見えてくる。だから「この人はこういう人かな」みたいな感じで見ているんだと思います。

―2021年には、1年以上にわたって川上未映子さんの新聞連載小説『黄色い家』の挿絵を担当されていました。これまでとはまったく異なるスタイルですが、当時はどのように絵を描かれていたのでしょうか?

榎本:この連載では、初めてデジタルに挑戦したことに加えて、登場人物の顔を描くという挑戦もしました。あまりキャラクター化しないようにしようとか、シンプルなタッチで描いていこうと考えて進めていきましたね。連載中は週6本収録で、日曜日が休刊というスケジュールだったので、本当に大変で。もちろん、作家の川上さんのほうがずっと走り続けていて大変だったと思いますが、毎日毎日描いていたので当時の記憶はあまりないです(笑)。

―確かに、顔がある絵はとても新鮮で、受ける印象が全然違うと感じました。反響はいかがでしたか?

榎本:読者の方からは、川上さんの文章と挿絵で展示をしてほしいといった声をいただいて嬉しかったですね。それに、なにより川上さんご自身が「登場人物の顔を見るという経験は初めてだったので、毎回見るのが楽しみ」とおっしゃってくださって、その言葉がすごく印象に残っています。

―ありがとうございます。最後に今後の展望があれば教えてください。

榎本:油絵を始めて、ようやく自分の描きたかったものと、手が追いついてきたっていう感じがあるので、そこを今度はより深く掘り下げていきたいと思っています。そんなに大きい野望があるわけではないので、ずっと描き続けられるように、より多くの人に見ていただく機会ができるように、細く長く、自分のペースで頑張りたいです。